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信級日記 vol.7

令和元年5月27日

朝。苗踏みの撮影。

私が信級にきてから、ずっと晴天が続いていますが、

この日は夏のように暑い日でした。

植野夫婦二人での畑仕事の撮影。

庭の脇の草を刈って、その草を畑の苗の周りにかぶせます。

雑草よけのためです。

畑にはサツマイモ、人参、アスパラ、ねぎなどが植えられていました。

それが終わると、田んぼの畔にはえているヨモギの収穫へ。

ヨモギ畑のようにたくさんはえています。

ヨモギをジェノベーゼのようなペーストにしたいということでやってみるそうです。

収穫を終え、軒先で刈ってきたヨモギを丁寧に洗います。

そしてブルーシートに広げて天日で乾燥させます。

夫婦二人で協力しながら、何気ない会話を交わす姿。

農作業って、いいなあと思います。

それと同時に、こんな風になれるまで

どれだけのことを二人で積み重ねてきたことだろうかとも思います。

午後、道路を挟んだ向かいの西川さんのお宅へ遊びに行きました。

西川さんは不在でしたが、息子の心一朗くんがいました。

彼は釜も自分でつくり、陶芸家として作品をつくっています。

作らなくてはいけないものがあり、

今からやるというので撮影させてもらうことになりました。

粘土をこね、ろくろを回して形をつくる作業でした。

心一朗くんはつくりながら、色んな話をしてくれました。

なぜ陶芸をやろうと思ったのか、どういうことに影響を受けたのかなどなど。

心一朗くんはとても綺麗な目をしています。

そして、とてもしっかりした考えを持っていました。

この綺麗な瞳の青年が、どんな風に信級に根を張っていくのか楽しみでなりません。

夕方、子供たちが学校から帰ってきました。

イサとカナが、自分の家の畑、そして麻の小屋を案内してくれるというので、

撮影をしました。

信級は昔、麻の栽培が盛んでした。収穫した麻を煮ていた小屋が残されています。

今日はたくさんキャメラを回して疲れたー。

ヘロヘロになりました。

信級日記 vol.6

令和元年5月26日

朝。植野くんの草刈り、カオリさんの畑仕事を撮影。

今日は信級小学校の草刈りの日。

集落の人たち総出で校庭やプール、校舎の周りの草刈り。

消防訓練もあるとのこと。

その後、小学校建物の一室の公民館で、初めての信級小学校の検討委員会が開かれます。

信級小学校は、現在長野市が管理しています。

その期限が後2年後になっています。

信級地区としてこの小学校の建物をどうするかという話し合いです。

明治45年、今のこの場所に学校が建てられ、色んな変遷を経て昭和51年に閉校。

今に至っています。

8:00 信級小学校へ。草刈機などを持参してみんなが続々と集まってきました。

草刈りが始まる前、植野くんが集まったみんなに私を紹介してくれました。

皆さんにご挨拶をしました。

草刈りが始まり、私も撮影を開始。

みんな思い思いの場所で草を刈っていました。

機械なので結構あっという間に草が刈られていきます。

植野くん、関口さん、イチローさん、吉沢さん、メリーさん、などなど、

知っている人を中心に撮影をしました。

木陰で休んでいる時に、今まで話したことない方とお話ができました。

そして草が刈られさっぱりとした校庭に、消防車が一台ゆっくりと入ってきました。

消防署の方の指導で消火訓練が始まりました。

無事訓練が終わり、私は関口さんと話をしていました。

植野くんがやってきて、

「検討委員会、今回は撮影はだめだそうです」

と言いました。

関口さんが

「せっかくなのに残念だー」と言いました。

植野くんは、払い下げをしてもらう方向で、提案をしてみると言っていました。

建物の老朽化、管理維持費の問題などで、取り壊した方がいいのではないか、

という考えの人もいて、その提案をみんながどう考えるのか。

建物というより、建物を含めたこの空間が、今もみんなの拠り所的存在になっていると私は感じます。

小学校をどうするか、残した場合、維持管理はもちろん、どう活用していくのか、

信級の人にとって大事な問題です。

今回は残念ですが、またこれから撮影のお願いをしようと思っています。

関口さんとしばらく話した後、少し小学校を撮影。

メイン通りを車で走っていたら、庭に出ていたメリーさんと会いました。

そして、手作りの美味しいケーキとジュースをご馳走になりました。

メリーさんは仕事に子育てにとても忙しそうでした。

Tシャツの注文がたくさんきて、社員総出で発送作業に追われ、人手が足りなくてメリーさんも一緒にやっているとのこと。

メリーさんは植野くんの家のミナトくんと同じ年のきゅうちゃんという息子さんがいます。隣に浅野家があって、そこのコウちゃんと大仲良しです。

この日もコウちゃんが遊びにきていました。二人は兄弟みたいです。

メリーさんとひとしきり話をして、お昼も近くなったのでお暇して車に乗り込むと、

検討委員会が終わった浅野さんが帰ってきたところでした。

またここでひとしきり話をして、植野家に帰りました。

検討委員会で植野くんの提案に反対する人はいなかったようで、

まずは良かったとのことでした。

植野家は午後から町に買い出しに出かけて行きました。

私はお昼ご飯を食べ、コーヒーを入れて一休み。

そして、キヨミさんと中谷さん夫婦に会いに行きました。

彼らは今植野くんの炭焼き釜にキャンピングカーを置いて修理をしている真っ最中。

もうすぐ、このキャンピングカーで旅を始めるところです。

中谷さんは昼寝の最中でしたが、歓迎してくれました。

キヨミさんはあいにく不在でした。

キャンピングカーの中はとても広くて、ベットのスペース、

作っている途中でしたがトイレとシャワーのスペースもあり、

冷蔵庫も完備していました。

一緒に暮らしている猫のハルさんにも会いました。

炭焼き釜の前に設置されたテーブルで、丁寧に入れたコーヒーをご馳走になりました。

コーヒーの話、カメラの話で盛り上がりました。

そのうち、ワインを出してきてくれて、肉も焼いてくれました。

中谷さんとゆっくり話をするのは初めてでした。

心に残る話がいくつかありました。

日暮れ前の空の色が美しく贅沢な時間を過ごしました。

夜になり、町から帰ってきた植野くんも合流して3人で9時ごろまで飲みました。

関口さん、メリーさん、中谷さん、植野くん、とけっこう話をした日でした。

信級日記 vol.5

令和元年5月25日

6:30 苗踏みの撮影。

ホワイトバランスがうまく調整できず、もう一度撮らなくては。

8:30 岩下の羽田富治男さんのお宅へ伺いました。

自宅から少し離れた今年収穫するわさび畑を見せていただきました。

黒いシートで覆われた畑の中に入らせてもらうと、

わさびの緑がなんとも清々しいビシッとした美しい畑でした。

羽田さんの人柄が表れているようです。

早速撮影させていただいたのですが、

なんとも自然な立ち振る舞い。

私も嬉しくなって撮りながら乗ってきました。

川沿いにあるもう一つのわさび畑も見せてくれました。

こちらは一年目のわさびで、さっき見たものより小さい丈です。

隣にブルーベリーの畑もあります。

ここに大きな枝ぶりのいい栗の木が一本すくっと立っています。

この木は羽田さんが17歳に時に植えたそうです。

そして家へ戻り、今度は家の隣にある畑に案内してくれました。

畑に行く途中に、羽田さんが炭を作る穴も見せてくれました。

冬にコタツの中に入れる炭を自分で焼いているそうです。

ブルーベリー畑でした。

とても大きな木になっていました。

畑を見させていただいて、羽田さんは日々作物の状態を見ながら

こまめに世話をしているのだなあと実感しました。

「お茶でも飲んでいくか?」

と羽田さん。

お家の中は、これまたビシッと掃除が行き届いていて

気持ちがいいったらありません。

奥さんの文子さんは、体の具合が悪く、あまり外に出ることがありません。

身の回りの世話は羽田さんがやっています。

文子さんは杖をつきながら私をにこやかに迎えてくれました。

羽田さんが自慢の美味しいお茶を入れてくれました。

羽田さんの亡くなったお母さんがお茶が好きな人で、静岡から取り寄せていたそうで、

今もそこから取り寄せているとのこと。

ほんと、美味しいお茶です。

羽田さんが作った筍の煮物もお茶受けに出してくれました。

これがまたいい味でした。

信級小学校に通っていた時の話、お二人の馴れ初めの話、

大工でバリバリやってた頃の話、わさびのこと、水のこと、

旧信級小学校のこれからのことなどなど、

いろいろな話をしてくれました。

信級は、昔は人がたくさんいて賑やかで、田んぼや畑に人の手がかけられていたので、

それはそれは美しい風景だったとのこと。

今の信級も私から見たら美しいと思うのですが、

羽田さんに言わせると、荒れていると言います。

昔の信級はどれだけ美しかったのだろう、見てみたかったなあ。

羽田さんは、畑に出ていても毎日決まった時間(10時と3時)に必ず家に戻って来て

お茶を飲むそうです。

こうして毎日、10時、3時と夫婦でお茶を飲みながら話をしているそうです。

なんてシアワセなことなのだろうと思います。

お話が面白いので、次回はインタビューさせてくださいとお願いしたら、

快諾してくれました。

羽田さんのお宅を後にし、天気もいいので、長者山へ行ってみることにしました。

神社のある宮平の方から上がっていって、林道をくねくねと登っていきます。

きっとここが水源なのだろうというところがありました。

昭和42年、子供たちのために信級小学校にプールをつくりました。

信級には水道は通っていません。それぞれが山から水を引いてきています。

プールの水はどうしたのでしょうか。

小学校の向かいの長者山の山腹の水源から2キロ、サイフォンの原理で水を引っ張ってきたのです。その作業は、集落の人たちが総出だったそうです。

そしてプールに水を貯めることができたのです。

その水はとても綺麗で、でもとても冷たくそんなにプールに入っていられなかったそうです。

小学生の時にそのプールに入ったことがある越山博さんが話していたことを思い出しました。

こんな高いところで、綺麗な水が湧いていて流れています。

飲んでみると、とても美味しい。

少し撮影もしました。

水源からもう少し上に上がっていくと、北アルプスの山々が見えてきました。

いい眺めです。

宮平をゆっくり走っていると、越山タキ子さんに出会いました。

少し立ち話をしました。

そして当信神社へ。

ここでも少し撮影しました。

16:00 植野家に戻り、遅い昼ごはんをいただく。

植野くんは土間に漆喰を塗っていました。

土間の壁が黒っぽいので、白い漆喰塗って明るくするそうです。

これも少し撮影させてもらいました。

羽田さんのお話を聞いていて、

映画とは別に、信級に暮らす人たちの話を記録していったらどうだろうかと思いました。

昔の信級の話、仕事の話、小学校の話、これからの信級のことなどなど。

そうすることで、これからの信級のために役立てたらいいなあと、ぼんやりと思いました。

 

信級日記 vol.4

令和元年5月24日

朝。子供たちの食事、スクールバスに乗るところを撮影させてもらう。

植野くんの小屋の床板の貼り直しの作業とカオリさんの畑仕事を撮影。

畑のすぐ脇に小屋があり、お互いの仕事をなんとなく察知しながら、

時々話をしたりして仕事をしていました。

そんな二人を見ながら、ああ、なんだかシアワセだなあと、

感じながら撮影をしていました。

なにやら鼻歌が聞こえてきました。

道に出てみると植野家の道を挟んだ隣に暮らす心一朗くんが歩いていました。

ご挨拶をして少し立ち話。

初めて彼に会ったのは一昨年の「風のたより」の上映会の時。

まだ十代だったが、今は21歳になっていました。

彼は田んぼをやりながら、器などをつくる陶芸作家でもあります。

整体もやっています。

植野くんたちと一緒に、神楽の笛もやっています。

現在、母親の貴子さんと暮らしていますが、独立してやっていきたいので、

この近所に家を探している最中とのこと。

とても目が綺麗な青年です。

ぜひ撮影させてもらいたい人です。

お昼ご飯は、かたつむり食堂へ。

この日はこの食堂をつくった寺島純子さん、周平くんが切り盛りをしていました。

純子さんは長野市で出版社を経営しています。信級には3歳まで暮らしていました。

ご両親の信級への思いを聞いているうちに、信級のために何かやりたいと思い、

一昨年、かたつむり食堂をオープンさせたのでした。

周平くんは純子さんの会社の社員です。

ご挨拶をして、ランチをいただきました。

私が食べているときに、娘さんとお父さんの二人が店に入ってきました。

この近くの集落から来た人で、かたつむり食堂は初めてとのこと。

なんだかんだ話をするうちに、小学校へ行ってみたいというので、

私が案内することになりました。

彼らと別れた後、再びかたつむり食堂へ。

吉沢さん、イチローさん、羽田さんが飲んでいました。

「なんだかちゃんと写らないんだ、見てくれ」

とイチローさん。

新しく買ったカメラを私に渡しました。

私と周平くんで説明書も見ながら操作してみましたが、

ピントは合わないし、シャッターは切れないし、

どうやら、初期不良のようでした。

「イチローさん、買ったお店に持って行ってみてもらったほうがいいですよ。」

と私。

羽田富治男さんは初めてお会いした人でした。

腕のいい大工さんです。

昭和27年の信級小学校の増築をした大工さんの一人でもあります。

羽田さんのお父さんも大工で、増築の時の棟梁でした。

現在は息子さんが大工で、富治男さんはワサビやブルベリーを栽培しています。

「羽田さんのわさび畑はすごく綺麗なんですよー」

と周平くん。

私がぜひ見てみたいです、できたら撮影させていただきたいですと言うと、

羽田さんは快諾してくれました。

羽田さんの佇まいは、どことなく小川豊之進さんを思い起こされました。

(私が初めて映画に携わった時の主人公のじいちゃん)

曲がった事が大嫌いで、ビシッとしていて、仕事ができて綺麗好きで、ユーモアがあって・・・。

それで私はとても親近感をいだきました。

翌日、羽田さんのわさび畑を撮影させていただくことになりました。

そして私は植野家に帰り、コーフン気味に今日あった出来事を話しました。

そして夜、またかたつむり食堂へ向かいました。

金曜日は夜も営業しているのです。

吉沢さん、越山博さん、石坂さん、イチローさんが飲みにきていました。

博さんは、大きくなってしまった木を切る空師という仕事をして全国を飛び回っています。

いかにも運動神経が良さそうで、体が引き締まっています。

吉沢さんと同級生。小学校の頃から知っている仲です。

吉沢さんは博さんに言われっぱなしです。

キツイことをグサグサと言われるのですが、

吉沢さんはそれほどこたえていません。

吉沢さんは、同級生の博さんだけでなく、

羽田さんにも純子さんにも言われっぱなしです。

少しは反論してますが、

そういうキャラクターのようです。

なんか憎めない可愛らしい感じなのです。

飲みながら、話は自然と信級のことになります。

昔のこと、今のこと・・・

私はみんなの話を聞いていました。

みんなにそう思わせる、言わせる信級。

すごいところです。

信級日記 vol.3

令和元年5月23日

今回、私は一つ決めていたことがありました。

それは、やり過ぎない、無理をしないということ。

撮影に入ると、この瞬間はもう二度とはめぐり会えないという思いが強くあって

ずっと撮影をしてしまう傾向がありました。

それは自分の体にもよくないし、何より被写体の人にも負担になります。(今更ですが)

自分の体と心を常にニュートラルに整えて撮影に臨もうと決めていました。

この日、起きた時に背中にとても疲れを感じました。

なので、無理をしないで午前中はゆっくりしてようと思いました。

今回は初めての撮影です。

まずは、信級の人たちと話をして交流をしたいということと、

植野家も、少しずつ家の中や仕事を撮影させてもらい、

そして、田植えが撮れたらいいなあということを考えていました。

そんなことを朝食の時に植野くんたちに話をしました。

そして自分の布団に寝転がっていると、

「ヨーコさーん、イチローさんが来ました!」

とカオリさんの声。

私は玄関の土間に降りていきました。

「今日は天気最高だぞー、鹿谷城跡に行こう!俺が案内するから。」

とイチローさん。

「えー!、イチローさん、三脚を持って行かなくちゃいけないんだよ。

すごく重くて、私、それ持って山登れないから、龍一くんにお願いしようかと思ってたんだよ。」

と私。

「俺が三脚を持つから大丈夫だ!!いいから行こう!」

そんなわけで、せっかく誘いにきてくれて、

70代半ばのイチローさんがあの重たい三脚を持ってくれるというので、

私も疲れたなんて言ってる場合ではなくなりました。

「じゃあ、30分後、8:30にイチローさんちに迎えにいくね。」

急いで撮影の支度をし、機材を車に積み込み出発。

イチローさんをピックアップし、信級小学校の少し上の登り口付近に車を止めました。

三脚はやはりずしりと重い。

「イチローさん、ホントに大丈夫?」

「大丈夫だー!」

と三脚をひょいと担ぎました。

私もキャメラを持ち、スチールキャメラをリュックに入れて、

イチローさんと歩き出しました。

「ここは昔畑だったんだぞ。」

山道の脇の草に覆われたスペースを指してイチローさんが言いました。

「こんな標高の高いところまで、畑にしてたんだ。どれだけここに人が住んでいたかってことだよね。」

昔は信級小学校の付近が信級集落の中心地でした。

そういえば、ここは信級の集落のある二つの谷(本鹿谷と外鹿谷)の真ん中にある峠です。

農協や郵便局もあって、そこにいけば大体なんでもそろったそうです。

山道がだんだん細くなってきます。

右には外鹿谷の集落が見えました。

10分ほど歩くと、左に本鹿谷の集落が見渡せるところに着きました。

素晴らしい眺めでした。

真下の岩本は見えないけど、かたつむり食堂のある中村、植野くんの家のある岩下まで見えました。

そこでしばらく撮影をしました。

信級の初撮影はイチローさんの案内で、本鹿谷の信級全景になりました。

イチローさんは、色々説明をしてくれたので、撮影させていただいたのですが、

キャメラを向けるといつものしゃべりでなくなってしましました。

私はちょっと申し訳なく思いました。

そして、さらに5分ほど、少し急で細い道を上がると、鹿谷城跡に着きました。

ここからは、宮平がよく見えました。

鹿谷城は川中島の合戦の73年前、1488年にここで戦いがあったとされています。

しかしよくこんな山深いとろに城を建てたなあと思ってしましました。

531年後に、映画の撮影でここに人が立つなんて、当時の人は想像もしていなかったろうなあ。当たり前だけど。

イチローさんを家に送った後、小学校へ戻りました。

天気がとても良く、風もなかったので、撮影することにしました。

 ここはスカッとするような、本当に気持ちのいい場所です。

信級の映画はここから始まったんだなあ。

帰り道、関口近夫さんが炭焼き小屋で仕事をしていました。

ご挨拶をしてしばらくおしゃべりしました。

関口さんの独特の語り口、間。

人を惹きつけます。

関口さんの炭仕事を撮影させてもらいたと改めて思うのでした。

植野家に戻ると、植野くんは床の貼り直しの仕事をしていました。

猫のおしっこが染み付いた板を切り取り、新しい板を張っていました。

切り取った板を一箇所に集めていたのですが、そこからものすごい臭いが放たれていました。

植野くんもクラクラしながら作業していました。

この後、田んぼの水が溜まったところから代掻きをするというので、

撮影をすることにしました。

カエルの鳴く声が心地いい田んぼ。

小さなトラクターのような乗り物の後ろに

田んぼの土をひっかく器具を装着。

植野くんはゆっくりと代掻きをしていきます。

引き、ミドル、寄り、フィックス、などなど色々撮りました。

「ああ、イイ感じ♪」と思える撮影がなかなかできませんでした。

今まで4:3の画角で撮っていました。

新しいキャメラは16:9。

この画角に私はなかなか馴染めません。

そんなこんなで、二日目の撮影は無事終わりました。