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信級日記 vol.12

長野市民新聞に記事が掲載されました。

信級日記 vol.11

令和元年5月31日

10日間の撮影を無事終えました。

新潟港へ車を走らせながら、

今回出会った人たち、

心に響いたことがらが蘇ってきました。

そして、これからのことに思いを馳せます。

安堵と疲れと高揚感の中で

ヒリヒリするような感覚。

ああ、また始まったんだ・・・

撮影のギアは一気にサードまで入った感じでした。

信級のみなさん、

のぶしなカンパニーの皆さん、

植野家のみなさん、

本当にありがとうございました!

またよろしくお願いいたします。

信級日記 vol.10

令和元年5月30日

朝。子供たちの朝食からバスに乗り込むまでを撮影。

そしてカオリさんの畑仕事。

キャメラを担いで田んぼまで歩きました。

田んぼを撮影していると、道の脇の草を刈っていた西川貴子さんに会いました。

心一朗くんのお母さんです。

撮影を中断してひとしきりおしゃべり。

それから、機材を車に積み、

岩本、中村、日向畑、煙が上がっていた関口さんの炭焼き小屋などを撮影。

家に戻ってお昼ご飯を食べていると、西川さんから電話あり。

隣の信州新町のミュゼ蔵で「空想の森」の上映会をやりたいとのこと。

(私の1作目の作品です)

もちろん、やりましょう♪

そして西川さんと一緒にミュゼ蔵を下見に行くことになりました。

「ミュゼ蔵に行くなら向かいの尾澤酒造で十九というお酒がとても美味しいよ。」

と植野くん。

 ミュゼ蔵はこじんまりした素敵なスペースでした。

スクリーンの位置、入口は遮光をした方がいいね、など上映を想定して見てきました。

また撮影に来るときに合わせて上映日を設定することにしました。

(7月4日になりました)

そして尾澤酒造に寄り、以前「風のたより」を小学校で上映したときに見にきてくれた

尾澤酒造のみゆきさんにご挨拶。

私が信級の撮影を始めたことをとても喜んでくれました。

日本酒というのは、もともとその土地で作られた米を醸して地元の神様(神社)に奉納するためにつくっていたものだったそう。

尾澤酒造も毎年、地元の神社にお酒を奉納してるそうです。

短い時間でしたが、共感することが多々あり、嬉しくなりました。

植野家に戻り、イサと一緒にキヨミさんに会いに炭焼き小屋へ。

旅に出るために急いで内装を進めていました。

6月から北海道へ行くということなので、

会えたら会いましょう。

家に戻ると、

「野球しようー」とイサとカナ。

たいがい夕食が終わると「ねー、遊ぼう!」と言われるのですが、

今日はもう飲んじゃって酔っ払ってるから、

とか、まだ機材整理や日記書きをやらなきゃいけないから、

といつも断っていました。

でも明日帰るので、今日が最後。

「よし、やろか!」

二階へ上がってミナくんも一緒に4人で野球をしました。

なかなか面白かったです。

そして最後の晩餐。

私はなんだかとても嬉しかったのでした。

初めての撮影。

思ったよりもずっといい感じで撮影ができて、

いろんな方と話もすることがてきて。

いい夜でした。

信級日記 vol.9

令和元年5月29日

午前中は荷物整理と帰りのフェリーの予約。

お昼はかたつむり食堂へ。

今日は純子さんが切り盛り。

石坂さん、シェーン、イチローさん、いつもの面々。

イチローさんの新しく買ったカメラ、

やはり初期不良で新しいものと取り替えてもらったそうです。

よかった。よかった。

ご飯の後、静かになった食堂で純子さんと二人になりました。

2000年に純子さんの出版社オフィス・エムでつくった「のぶしな」という写真集があります。これがどのようにつくられたかを話してくれました。

とても感動的な話でした。

近所の越山すえ子さんがやってきました。

笑顔がとても可愛らしい人です。

コーヒーを飲みながら、純子さんと話をしていました。

すえ子さんは、昨年最愛の夫・邦雄さんを亡くしたばかり。

邦雄さんの話をしている時、突然上を見上げ、じっと天井を見つめていました。

込み上げてきた涙をこらえているのでした。

ひとしきり話をしてすえ子さんは帰っていきました。

「すえ子さんは泣きたくなるとここへ来るのよ。」

と純子さん。

すえ子さんご夫婦は、信級に移住してきた人たちを、いつも気にかけて親身になって世話をした人でした。

純子さんも、ここに食堂をオープンする時にすえ子さん夫婦にとてもお世話になったそうです。

純子さんがどういう思いで日々ここに通ってきて食堂をやっているのか、少しだけ感じることができました。

天気がいいので、信級小学校へいきました。

やっぱり気持ちがいい。

宮平の眺めがいい校舎の脇に寝転び、しばしお昼寝をしました。

帰り道、坂を下っていったら関口さんが畑仕事をしていました。

私は車を止め、豆をまいているところを撮影させてもらうことにしました。

少し撮影していると、関口さんは手を止め、座って話を始めました。

小学校の話などをしていると、

かたつむり食堂で一杯やった帰りのイチローさんが通りかかりました。

すると関口さんが

「ニンニクの芽取っていけや」

ということになり、3人で隣のニンニク畑に行って芽を採りました。

関口さん、イチローさんのコンビもなかなか面白いものがありました。

今日は三男のミナくんの4歳の誕生日。

みんなでお祝い。

撮影も少しさせてもらいました。

信級日記 vol.8

令和元年5月28日

6:00 今日は田植え。植える苗を、各田んぼに置くところを撮影。

7:30過ぎ 小雨。イサとカナがバスに乗るところを撮影。

この日は近所のおばさんも一緒に乗って行きました。

引き続き、田植えの撮影。

小雨が降っているので、事前につくったキャメラとマイク用の雨用カバーを付けました。

小ぶりの田植えトラクターに乗った植野くんがゆっくりと田んぼに近づいてきました。

妙にかわいらしい。

田んぼに入り、苗を背後に装着します。

そして、自動で植えられていきます。

動きを予測して、撮りたい画を狙うのですが、外れることも多々。

画角のサイズ、操作系統のボタンなどがまだ体に馴染んでいないことも大きいです。

思うようにいかなくて、くそーと思いますが、

何より、ファインダーの中のモノゴトをしっかり見ているか、

ということを心がけるようにしています。

手持ち撮影は撮りたいと思った時にパッと撮ることができて機動性がいいです。

三脚を使った方が画面が安定してもちろんいいのですが、

一人で重たい三脚を担いで移動して、設置して水平とって・・・

という作業はけっこう消耗しました。

9:00過ぎ、長野市民新聞の秋田記者が取材にやってきました。

信級の映画の撮影を記事にしてくれるそうです。

田んぼで写真だけ撮り、話は撮影が終わってからということになりました。

私は必死で撮影。

カエルの声がすごいです。

田んぼの中で、きれいなグリーンの小ぶりのカエルや茶色のカエルを時々見ました。

田んぼに苗が植えられていきます。

まだヒョロヒョロした苗なのに、少し離れてところから見ると、

その田んぼ全体が淡いグリーンに覆われて見えます。

13:30過ぎ、田植えがひと段落し植野くんは帰っていきました。

私はグリーンのかわいいカエルを探して撮影。

14:30まで植野家の離れの小屋で、取材を受けました。

そしてカオリさんが用意してくれたお昼ゴハンを急いで食べ、

羽田さんのインタビューに向かいました。

15:00 羽田富治男さん宅で、妻の文子さんと一緒にお話を伺いました。

「まずはお茶を飲みなさい」

おいしいお茶を淹れてくれました。

今日は羽田さんがつくったワラビとタケノコの煮物がお茶受けでした。

三脚にキャメラを設置して、撮影開始。

とってもいいお話が聞けて、私は一気にテンションが上がりました。

羽田家は大工だったお父さんの代から信級の住人になりました。

息子の富治男さんも迷わず大工になりました。

たたき上げの昔ながらの大工さんです。

信級でたくさん家や土蔵、集会所を建てたそうです。

かしいでしまった土蔵を真っ直ぐに直したり、

下の方が傷んでしまった柱を切って、新しい柱を継いだり、

直す仕事もたくさんしてきました。

そのための大きな道具から小さな道具まで、今も大事に保管してあります。

昭和26年。

今の旧信級小学校の向かって右半分の校舎を建築する時、

棟梁は羽田さんのお父さんの操さんでした。

富治男さんも大工として一緒にこの建物を建てた人です。

その当時、すべて人力です。

屋根など、高いところにあげるときは、長い柱を立て、滑車をつけて上まであげたそうです。

ということで、富治男さんは建物の構造をよくわかっています。

筋交いをたくさん入れたそうで、とても頑丈な建物なんだそうです。

信級小学校のことを聞いてみました。

羽田さんは壊した方がいいという意見でした。

集落の人がどんどん少なくなっている中、

これからの管理維持が大変だからということがいちばんの理由でした。

建物の右半分の2階部分の痛みが激しいと聞いていました。

「その傷んでいる2階の部分を取り壊して、平家にすることはできますか?」

と私は質問しました。

「もちろんできるさー。道具も全部ある。」

と羽田さん。

「今度は富治男さんが棟梁になって、右半分の校舎を平家にできたらこんな素晴らしいことはないですね。

羽田さんの技術を学びたいと思っている植野くんや浅野さん、集落の若者たち、そして希望する大学の建築科の学生たちと一緒にできたら最高ですね。」

と私は思わず口にしてしまいました。

羽田さんの目がキラッとしたように見えました。

でもすぐ遠いところを見るような目になり、微笑んでいました。

私は、みんなの手で再生された小学校が再び信級の中心になっていく、

なんて夢のようなことを妄想していました。

羽田さんはいつも楽しみに見ている水戸黄門もすっ飛ばしてくれて、話をしてくれました。

そして、帰り際、道具を一通り見せてくれました。

小さなものから、大きなものまで、本当になんでもありました。

「またいらっしゃい」

別れ際、文子さんと富治男さんが言いました。

とても嬉しかったです。

そして私は、今度は水源に連れて行ってくださいとお願いをしました。

信級の水源も一つ一つ、記録していこうと思っています。

各集落で水源が違うし、水の引き方、メンテナンスのやり方もそれぞれなので、

今後のためにもそれを記録して残せたらと。

植野家への帰り道、浅野さん夫婦が畑仕事をしていました。

私は車を止め、羽田さんとの話をかいつまんで話しました。

「羽田さんの大工の技術を習いたい、

水源を撮りに行くとき一緒に行きたい」

と浅野さん。

私もぜひ一緒に行きたいです。三脚を持ってもらえるし。

そして植野家に帰りました。

今日は田植えと羽田さんのインタビューを撮り終え、

クランクアップの気分で開放感でいっぱいでした。

そして今日はカオリさんの誕生日♪

お酒も進みました。

羽田さんの話や、小学校のことなど、遅くまで話をしました。

信級の人のインタビューについて、

植野くんや浅野さんがインタビュアーになって、私は撮影に集中してやった方がいいのではないかと提案しました。

「それはいい!」

と植野くん。

そしてそれをざっとまとめてDVDに落として、かたつむり食堂でみんなで見たりするのもいいのではないかと思いました。

話すきっかけになったり、交流するきっかけになれたらいいなあと。

「映画を撮るって大変なことなのに、しかも信級をなんで撮ろうと思ったのですか?」

と植野くんが私に聞いてきました。

「うーん、理屈では説明できないわ。」

と私。

だから撮ってるのだと思います。

ただ、

これです。

と言えるような映画をつくりたいと思います。