2005年8月 『空想の森』便り 第6号 監督 田代陽子
みなさん、こんにちは。
北海道はお盆を過ぎ、急に涼しくなってきました。
8月はぐずついた天気が続きました。少なからず、野菜の生育や味に影響があるようです。
それでも聡美たちが共働学舎でつくっている野菜たちは、今一番のピークです。
トマト、きゅうり、人参、ピーマン、なす、ズッキーニなどなど。
美味しくてしあわせです。
田代陽子の撮影日記 2005年6月23日〜7月7日
<第10回SHINTOKU空想の森映画祭2005を振り返って>
「すべては夢見ることから始まった」。
1996年、第1回目の空想の森映画祭のキャッチコピーである。
今思うと、この映画祭に参加したことが、私にとって、すべての始まりだった。
映画祭と出会って、私はドキュメンタリー映画づくりのスタッフになり、それと平行して、空想の森映画祭のスタッフにもなった。
映画づくり、映画祭を通して様々な人と出会い、スタッフたちといっしょに試行錯誤しながら、一つのものをつくってきた。
この10年、色んなことがあった。
もちろん、いいことばかりではない。
いつも何かしらの問題にぶつかっていたり、抱えていたり。
その時々で私は精一杯、問題に向かっていったつもりではいる。
映画の撮影では、2003年の春から、キャメラマンの問題などで撮影ができない状態が2005年の春まで続いた。
同じ時期、私は病気になった。
体の調子がとても悪く、心身共に悪い状態が長い間続いた。
2004年の9回目の映画祭は初めて休んだ。
そんなこともあり、10回目の今年の映画祭は、私にとって特別感慨深いものになった。
どうしても自分の映画祭は気合いが入ってしまう。
来たお客さん、ゲストの方々に気持ち良く楽しんでいってもらいたいという気持ちが強く働くからだ。
休んでいた時、こうあるべきだとか、こうしなくてはいけないという思い込みが強かったのではないだろうかという反省があった。
今年は、一映画祭スタッフとして10回目をやっていこう、そして楽しもうと。
そして今回は私も被写体になって、岸本君と一坪君に私たちの10回目の映画祭を撮影してもらおうと思って臨んだ。
映画祭はやっぱり楽しい。おもしろい。 2005年6月23日金曜日。 スタッフのまりんが、カフェで本部店のおでんの具の卵の殻をむいていた。
二人の年輩の女性のお客さんがやってきて、いっしょに手伝ってくれていた。
その一人の方が「あなた、田代さんでしょう?」と私に話しかけてきた。
9年前、美和ちゃん、有里ちゃん、美根、私の4人で結成した「ブラボー!茂の会」で開催した『阿賀に生きる』上映会・小林茂講演会に来てくれたお客さんだったことがわかった。
私はとても驚いて、同時にとても嬉しかった。
その9年前のイベントは、私が1回目の空想の森映画祭に参加して、小林茂さん(ドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』のキャメラマン)と出会って、その時いっしょに映画祭に参加していた仲間四人で、その半年後の1996年11月に開催したものだった。
私たちにとって、自分たちで一からやった初めてのイベントだった。
その半年間は、開催に向けて私たち4人は毎日半徹夜状態で目一杯動き、それと平行して山に登ったり川で泳いだり月見の会をやったりと、真剣に遊んだ日々でもあった。
たった4人で始めたことだったが、プレイベントの上映会に250人の人たちが来てくれた。
来たお客さんの中に、上士幌高校三年の生徒たちがいた。
やっている私たち4人をみて心配になったのか、彼らが私たちが次にやる本展のイベントをいっしょに手伝ってくれると申し出てくれた。
そして私たちはその3ヶ月後の1997年1月、帯広の藤丸デパートで5日間、「小林茂写真展〜ウガンダに生まれて〜」を開催したのだった。
ウガンダから民族衣装や教科書やコーヒー豆を取り寄せて展示したり、取り寄せた豆を焙煎し、ウガンダのコーヒーを来たお客さんにふるまった。タイコのライブをやったり、写真展以外にも色んなことをやった5日間だった。
そんなことが走馬灯のように甦ってきた。
このご夫人たちはその後も、映画祭に何度か来てくれていたそうだ。
続けてきてよかったなあとしみじみ思った。
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