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録音部・岸本祐典の撮影日記

<岸本祐典(録音部)の撮影日記>

2005年6月23日(木)

PM7:00頃オープニングパーティが始まりスタッフの人手が足りない為、僕と撮影の一坪はドリンク係を任される。

そうこうしているうちに映画祭スタッフの箕浦さんが撮りためていたスチール写真をプロジェクターに映す催しが始まりスクリーンに写真が映しだされる。

すると、あちこちから話し声や笑い声が聞こえ始めてきた。

僕と一坪は顔を見合わせ「撮影しよう」という合図をし、急いでスタッフルームに置いてある機材をとりにいく。

機材を準備し新内ホールへ戻ると皆テンション落ちることなく盛り上がっている。

田代さんと有里さんは写真が変わる度話し合い、宮下さんはその隣でガムを黙々とかみながら鑑賞し、定岡さんは10年間の思い出をかみしめるようにじっとスクリーンをみつめ、ヤンさん(西村嘉洋さん)はスクリーンのかたわらでBGMの変わりに生演奏でギターを弾き、文代さんは何やらひそひそ話にご執心の様だ。

それぞれ10人10色の映画祭の10年をなつかしんでいた。

何か残り3日間の映画祭がいい空間になるという予感がする夜だった。

2005年6月24日(金)

AM10:00くらいに新内小学校へ着く。天気が非常によく、風景を何カットか撮影する。

この日は具体的に何を撮影するかというのは決めていないので僕と一坪は映画祭を見学するつもりで撮影をしようと打ち合わせをしていた。

「空想の森」のラッシュ上映の準備をするため新内ホールへ。

そこへ宮下さん夫妻がラッシュ上映を見に来てくれた。ありがたい。

ラッシュ上映後、ゲストのキム・ヨンハンと雑談をしている宮下さんを撮影する。

もう少しすると、宮下さんが映画祭で是非上映してほしかったという「セブン・オブ・ワンダー」という映画の上映である。

上映前に宮下さんは観客の前で映画の紹介もすることになっている。

上映まであと10分くらい前になった頃、廊下のイスでめがねをかけ何やら調べものをしている宮下さんがいた。

非常にダンディズムがあふれている姿である。

この濃厚な空間で宮下さんとカメラを通して映画祭の話がしたく、撮影を試みた結果、写っている宮下さんよりも、写っていない僕のほうが緊張してしまい、話をしていても10秒前に何を言ったのか覚えていないほど頭が真っ白になった。

嗚呼情けない。

普段撮影で音を撮っていても自分から音を発することがないので仕方がないと自分で自分に言い訳をしながら(一坪も少しかばってくれたけど)その後、宮下さんの上映前のあいさつや別の教室にあるカフェでの雰囲気を撮影し、この日の撮影は終了。

のんびり撮影をして、映画祭の雰囲気を満喫できた日であった。

2005年6月25日(土)

AM10:00くらいに会場へ向かうと西村嘉洋、有里夫妻が外で冷しうどんとデザートの店の準備をしていたのでさっそく撮影へ。

2人とも上着が赤系統の色でペアルックみたいで、ほほえましい光景だ。準備している風景を撮影し、小学校の前の柏の木の前で行われている。アニメーションワークショップを撮影する。

みんな画用紙に書いてある絵がうまく、絵心がない僕にとってはうらやましかった。

ワークショップが行われている場所から少し離れた場所で何やら入念にストレッチをしている1人の男性がいた。

夕方くらいから校庭でパフォーマンスをする大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんだ。

ギリヤークさんの踊りは、自由奔放のようでありながら、決める所はバシッと決める踊りでありユーモアと真摯なメッセージがせめぎあっている素晴らしいパフォーマンスであった。

ギリヤークさんの踊の時からシトシトと降っていた雨が、いよいよ本降りになってきた。

西村夫妻の店はシートの屋根があるのであまり影響はないが、他の出店の方は急いで荷物を新内ホールへと異動させていく。

夕方から柏の木の下でカフェをだそうとしていた定岡さんは開店の準備と閉店の準備がほぼ同時だった。

2時間後くらいには定岡さんの店は新内ホールの廊下の一番奥の所で落ちついていた。

降りしきる雨、忙しく店を移動する人々、ライブのリハーサルをするあがた森魚さん、カフェでのんびりビールを飲む人々、それぞれの映画祭の関わり方が小さな新内ホールに集まっていたと思う。

夜になると野外で上映する予定だったが雨のため新内ホールでの上映になった「ゴジラ」の上映風景を撮影し、この後何を撮ろうかと一坪と話をしていたら山田憲一さんと山田圭介さんがやって来た。

すぐさま僕たちはその様子を撮影した。

憲一さんの奥さんの聡美さんは疲れていて来れなかったが、憲一さん、圭介さん、定岡さん、ヤンさん、新得バンドの面々がそろい、ワイワイ話あっていた。

明日はいよいよ新得バンドのライブである。そして映画祭の最終日だ。

2005年6月26日(日)

昨日から降り続いた雨も、朝起きるとあがっていたが、どんよりした天気だ。

校庭では野外上映でスクリーンをたてかけるやぐらが所在なさげに片付けられていた。

来年は星空の下で映画が上映され、やぐらが大活躍することを願いたい。

昨日、西村夫妻が冷しうどん屋をやっていた場所は、夜から始まるさよならパーティの食事の厨房に変わっていた。

そこで、西村夫妻、圭介さん、おっちゃん(斉藤修さん)達が、石がま、フライパン、たき火をフルに活用して、食事を作っていく。

新得バンドは料理の鉄人の集団でもある。

[…]

撮影部・一坪悠介の撮影日記

<一坪悠介(撮影部)の撮影記録>

2005年9月24日、土曜日。

その日の朝、僕は鮮烈な陽の光で目が覚めた。

窓からのぞく空は海のように青かった。

本番にとっておきたい天気だと思った。

監督の田代さん、録音の岸本さんと撮影の僕の三人は手の込んだ朝食の後、田代さんの愛車に乗り込んでロケハンに繰り出した。

今回のロケは「空想の森」のラストシーンの撮影。

内容は一風変わっている。

軽トラックに乗り込んだ被写体の方々が、各々の持つ楽器を演奏しつつ馴染みのある場所を巡り、それを撮影させてもらうというもの。

この作品はドキュメントであるけれど、今回は狙いを定めて意図的に場を作り撮影する。

非常にイメージ的で作品全体をぐっと引き締める役割を持つ。

ラストシーンに関しては、これまで三人で事ある事に幾度となくイメージやアイディアを話し合ってきた。

どこで撮るか、どう撮るか。車の中で再確認しながら予定していた場所に向かった。

まず最初に訪れたのは新得バンドの練習小屋。

楽器を軽トラックに積み込む所を撮るのが狙い。

それをロングで撮るととても味のある風景になると僕は想像した。

問題は日の角度だった。朝一では小屋で軽トラックが陰になってしまう。

撮る時間帯をずらすことも考えられたが、田代さんは「小屋は出だしだから最初に撮りたい」と言う。

僕も同感だったので、軽トラックの位置を変える方向で考える事にした。いくつか試しにカメラを回し、次の場所へ。

共慟学舎の牧草地。急勾配の芝生は意外と体力を奪ったけれど、登る価値はあった。

牧草地の頂上から一望する新得の大地からは命の息吹を感じた。

陽光と蒼天も完璧だった。

雪のように白く流れる雲は風景に立体感を与える。

この景色の中に音楽と彼らの軽トラックが流れていく模様を思うと心が躍る。

逆光はしんどいけれど、明日もこの天気が続くことを願った。

隣で岸本さんが肩で息をしながら同じことを言った。

続いて学舎の山道を田代さんの愛車で駆け下りる。

予定では前を被写体の方々が乗った軽トラックが走り、それを僕と岸本さんが乗った別の車で追いかけて撮ることになっている。

木々の枝をくぐって顔をだす陽光が愛らしい。

ビニールハウス、畑、牛舎とチーズ工房、食堂前、ミンタルの前の一本道などを見て回り、意見がまとまったところで新得駅と商店街へ向かった。

途中、本番で時間を節約するためにおむすびを作ることで話が決まった。

新得駅。内部はとても雰囲気のある建物だ。

暖かさを感じる。建物の中から窓越しに狙えないかと考えてみた。

商店街。ここまでのロケハンでアングルに制限があることを感じ、僕は俯瞰で撮りたくなった。

見回してみると、洋服屋「ゆあさ」の立派な屋上が目に付いた。

そこからなら新得駅と商店街を入れながら軽トラックを撮れる。僕が屋上を見ていると、それを察した田代さんは迷わず即刻交渉しに行ってくれた。流石である。

このまっすぐで前面的な行動力が田代さんの力だと思った。

「ゆあさ」さんも快く許可してくれた。

国道。まっすぐな感じが僕は好きだ。

左右には畑や牧場が木々とともに流れていく。

山田家も見える。

広大な新特の大地を駆け抜ける。ここも後ろから付いて撮る予定だ。

宮下邸と横の一本道。

ここはずっと前から僕の中のイメージにあった。

真冬に初めてここを訪れたときから、季節は巡るが時間は停まった神聖な領域にいる錯覚に陥る。

世界が変わってもここだけは変わらないような気がした。

ここを撮るときは宮下夫妻には畑で作業をしておいてほしいと思った。

被写体の方々も宮下夫妻を見れば間違いなく声を掛け、手を振るだろう。

宮下夫妻も手を振り返すだろう。想像して楽しくなった。

ここは被写体の方々の軽トラックに僕が乗り込んで、顔のアップを狙うことも考えた。

また、少し離れたのぼり道から大ロングも撮る予定。

新内小学校と柏の木。ここは特別だ。

大勢の人々がここに集い、結びついた出会いと思い出の場所。

僕はその時その場にはいなかったけれど、田代さん、岸本さん、被写体の方々からよくその話を聞いて、映画祭でそれを実感した。

どんな時もあの柏の木は皆を見守っている。

[…]

空想の森便り 第9号 2006年8月

2006年8月 「空想の森」便り 第9号 監督 田代陽子

 

みなさん、こんにちは。

映画「空想の森」は2005年2月に撮影を終え、今年5月頃より、ようやく編集段階に入りました。

パソコンでやっているのですが、これがまた一筋縄ではいかないのです。

機械のやり方を覚えて慣れるまで時間がかかり、機械の不具合の連続でそれを直すのに時間がかかり・・・と四苦八苦しています。

少しづつですが、シーンごとにまとめたものができてきました。

完成までにはもう少し時間がかかりそうですが、途中段階の映像を色んな人に見てもらいながら編集を進めていきたいと思っています。

昨年夏、この映画の登場人物(山田憲一、聡美、山田圭介、西村嘉洋、定岡美和)のやっている新得バンドのメンバーに曲をつくってもらい、豊之進劇場と新内ホールの2ケ所でレコーディングをしました。

それをCDにしてジャケットをこの映画のパンフレットがわりにしようということになりました。

録音部の岸本君が整音をしてCDの方はできました。あとは500枚くらいコピーしてジャケットをつくれば完成という段階です。

CDのタイトルは「空想の森」で、6曲ほど収録して30分くらいです。

現段階でラッシュ上映会が決まっているところをお知らせします。

応援団の皆さんにはぜひ見て頂き、感想やご意見などをお聞きしたいと思っています。

札幌で9月に決まったのですが、お近くの方はぜひ見に来てください。

ビデオなので音もついています。

お知り合いの方などお誘い合わせてご来場ください。

映画「空想の森」札幌ラッシュ上映会 —無料—

日時 2006年9月3日(日) 19:00〜20:30

場所 札幌エルプラザ3階 音楽スタジオ1 *JR札幌駅北口より徒歩3分

住所 札幌市北区北8条西3丁目札幌エルプラザ内

電話 011—728—1222(代表)

*駐車場 エルプラザ北側に立体駐車場(高さ155センチまで)がありますが、1時間300円の料金がかかります。

問い合わせは田代まで 電話/ファックス 0155—24—3638

 

<田代陽子の撮影日記>

2005年12月1日

共働学舎食堂にて。

宮嶋京子さんのンタビュー撮影。

共働学舎新得農場代表の宮嶋望さんの妻で、私たちの撮影の時はいつも快く受け入れてくれる。

販売用のケーキを焼いたり、学舎の生活面の中心的存在で2年程前にできた交流施設ミンタルの責任者をしている。

多忙な方なので今までゆっくりお話をする機会がなかった。

一度じっくりお話を聞きたいと思っていた。

 

2005年12月2日

宮下さんの仕事。

とうみがけの撮影。

11月に蕎麦の実を落してふるったものを袋につめて作業小屋においてあった。

それを今度は簡単な機械を使って蕎麦の実だけに選り分けていく。

宮下さんはまず、作業しやすいように使うものをセットしている。

[…]

空想の森便り 第8号 2006年1月

2006年1月 映画「空想の森」便り 第8号 監督 田代陽子

2006年になりました。

みなさん、いかがお過ごしですか。

この冬、北日本の各地で大雪のための被害、犠牲者がでていると連日報道されています。

私の住む十勝は今の所雪は例年並みです。

昨年は日本だけでなく、世界の色々な地域でも自然災害が随分と多い年だったなあと改めて思わされます。

そういえば撮影の時、十勝で野菜をつくっている宮下さんは

「今年は異常気象だとここ数年毎年言っているなあ。」

と私に言ってたことを思い出します。

 

 

<田代陽子の撮影日記>

2005年9月15日。 宮下さんの畑仕事の撮影。

人参の収穫。

玄関前。

土間にて仕事準備。

玄関前で傘を干す文代さん。

まずは包丁を研ぐ宮下さん。

コンテナを軽トラの荷台に積む。

人参を抜く宮下さん。

人参の葉を切る文代さん。

しゃがみながら畑を移動してゆく。

作業をしながら宮下家の作品について話す二人。

畑には私たちがスーパーの野菜売り場では絶対に見かけない形のものが出てくる。

それは男の人の体だったり女の人だったり見事な造形美なのだ。

そういう人参を見つける度に、宮下さんと文代さんは

「そりゃ大したことないわ。」とか「これは傑作だ。」

と言っては盛り上がっている。私も撮影中何度となく作品を見せてもらった。

抜いたばかりの人参は土がついて湿っている。

抜いた後しばらく脇に並べて葉を切り落としているうちに乾いてくる。

それからコンテナにつめていく。

葉や亀裂がはいっているのや細すぎるものは畑に残していく。

そのまま畑の肥やしになるのだ。

少し早く文代さんは畑から上がって昼食づくり。

宮下さんはギリギリまで畑の作業を進める。

台所にて人参を切る文代さん。

手早く昼食の準備を進める。

上がってきた宮下さんはまず土間で仕事着を脱ぎ、洗面台で石鹸で手をきれいに洗う。

人参のサラダ、ズッキーニの揚げ物、カレーライスなど。

撮影の時、私もいつもご馳走になる。

文代さんの料理はいつもおいしい。

午後。

宮下さんは食べ終わると畑に向かう。

文代さんは昼食の片づけをしてから。

文代さんが畑にやってくると、あうんの呼吸でコンテナに詰めた人参を軽トラの荷台に運ぶ2人。

さすがだ。

蕎麦畑。ひょろひょろと細長いそばには、小さな小さな実がみのっている。

草を刈るくらいの大きさの鎌でそばを刈る。

宮下さんは一振りでザーッと一気に刈っていく。

文代さんは3回くらいに分けて素早く刈っていく。

[…]

空想の森便り 第7号 2005年8月

2005年8月 映画『空想の森』便り 第7号 監督 田代陽子

新得バンドのメンバーが、もう少し練習をして、オリジナル曲を新たにつくり、また録音をしたいということで今回のロケが実現しました。

録音の岸本君の交通費を半額メンバーが出してくれました。

今回、撮影の一坪君はバイトが忙しく、1泊2日のきついスケジュールで自腹で撮影に参加することに。

なんといっても今回は、この映画の整音をお願いしている久保田幸雄さんにも来ていただくことになった。

黒木和雄監督の次回作のクランクインが遅れていて、この時期たまたま久保田さんのスケジュールがあいていたのでした。

7月28日から8月1日の短い間だけど、久保田さんに現場に身をおいてもらって、私たちの撮影をみてもらい、質問したり、話を聞いたりしたいと思っていました。

予算がないので、久保田さんも私たちスタッフの家であるじいちゃんちに寝泊まりして、いっしょにご飯を食べることになりました。

<田代陽子の撮影日記 2005年7月25日〜8月1日>

2005年7月25日。

そんなことで私は嬉しくてワクワクしたり、緊張したり。

前回のロケからあまり時間がなく、一人撮影、バイトなども忙しくテンションも高かった。

そしてロケ初日の7月25日の早朝、お腹の痛みと膨満感で目が覚めた。

子宮筋腫の関係かなと思ったが、この時は具合がとても悪く動ける状態ではなかったので、焦る気持ちを抑えながら湯たんぽでお腹を暖めて、ただジッと寝ているしかなかった。

前日の7月24日、私はあがた森魚さんのライブを幕別に見に行った。

その時あがたさんと少し話した。

『空想の森』をあがたさんは応援してくれていて、「陽子ちゃんがラッシュ上映する時に、僕のライブもいっしょにやろうよ。」と言ってくれたりした。

翌日ランチをいっしょにしようと約束していたがそれどころではなくなり、あがたさんに断わりの電話をかけ、

今晩新得に到着する岸本君を藤本さんに迎えに行ってもらうように頼んだ。

なんだかわからないけど、お腹は相変わらずで、体全体も重くゾクゾクして具合が悪かった。

気持ちは早く新得に行きたいのに、体が言うことをきかなかった。

一体今回のロケはどうなっちゃうんだろう。

結局この日と翌日のまる2日間、動くことができず寝たきりだった。

20005年7月26日。

夕方、宮下さんに電話する。

文代さんに岸本君にご飯を届けてもらうよう頼む。

藤本さんも札幌に出かけてしまい、足もなくあまり食料もないじいちゃんちで一人でいる岸本君はご飯どうしているのだろうと考えつく。

自分の具合の悪さでそのことに考えがおよばなかった。

2005年7月27日。雨。

11:00 少しフラフラした感じでじいちゃんちへ。

2日間寝ていたので仕方がないが、そのおかげで何とか動けるようになった。

お腹の膨満感もとれた。

岸本君はそうめんなどあるものを食べていたそうだ。

昨日の文代さんのご飯で、お腹一杯食べられたそうだ。

岸本君と今までの撮影項目を書き出す。

これから何を撮影していくかなどを話し、今回のロケの打ち合わせ。

13:00 昼ご飯をつくっている最中、ガスが切れる。

つくるのは断念して町へ出て、日晃スタンドでガスを10キロ(4千円)を買う。

夕方までに取り付けに来てもらうよう頼む。

新得駅前のみなとやで蕎麦を食べる。そして共働学舎のミンタルへ行く。

[…]