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撮影報告 その6 岡田幹事長に抗議・山田家のあさこはうす訪問・メイの出産

*大間へ岡田幹事長に抗議に行く*

2011年5月14日(土)

「岡田幹事長が大間に15日に来るので、大場さんたちと抗議に行くことにした。」

と野村さんから昼ころ電話をもらった。

5月13日の新聞に、岡田幹事長が大間原発の建設継続という発言をしたことが新聞に掲載されたばかりだった。 「じゃあ、私も今から函館に行くから。」

ということで急きょ、また帯広から函館へ向かった。

 

2011年5月15日(日)

野村さんといっしょに函館港へ。

竹田さん、大場さん、林さん、立身さん、そして小笠原厚子さんら総勢7人でフェリーに乗り込んだ。

大間での調整は奥本さんがしていた。

大場さんは岡田幹事長に渡す要望書をみんなに配った。

船の中でみんなで話をしているうちに、少しずつそれぞれの個性が感じられてきた。

みんな魅力的で面白い人たちばかり。

 

私は厚子さんに、明日の16日、山田あゆみさん一家が裁判前にぜひあさこはうすを訪問したいということで奥本さんに案内してもらうことを伝えた。

すると厚子さんは

「山田さんの意見陳述を読んでとても共感したの。私も山田さんに会いたいから、今日は函館に帰るのをやめてあさこはうすに泊まって待っているわ。」と言った。

私はとても嬉しくなって船の上からあゆみさんに電話をいれた。

 

大間に着くと、奥本さん、佐藤さん、山内さんが迎えに来てくれていた。

YAMさん(山内雅一さん)は大マグロックをとりしきっているミュージシャンで、穏やかな人だった。

車に分乗して岡田幹事長が住民の人たちに説明している建物に向かった。

 

小笠原厚子さん

素晴らしく晴れ渡った空だった。

建物の前には黒い背広をきた警察の人が何人か立っているだけだった。

そこから振り返ると大間原発の工事現場が良く見えた。

建物の中に入らないで下さいとのことで、私たちはしばらく外で待った。

官邸付の記者たちは東京から来ていて中の説明会に入っている。

外で待っているのは、訴訟の会のメンバーと朝日と毎日の記者だけだった。

 

岡田幹事長に直接要望書を手渡すことができないとのことで、代わりに、民主党青森県むつ下北支部副幹事長の能登勝彦さんに大場さんが代表して要望書を手渡した。

そして厚子さんも「建設中止を。」と直接訴えた。

これはばっちり撮影した。

屋外での撮影だったが、風がなくて音がちゃんととれてよかった。

この要望書を岡田幹事長に渡してもらうのだ。

しかし、岡田幹事長は今の福島第一原発の事態をどれほど理解し、原発のことをどのくらい勉強しているのだろう。

今開かれている岡田幹事長の説明会は、住民の誰もが参加できるものでなく、

その内容も避難道路の説明だったそうで、福島の事故を受けての大間原発建設の是非ではなかったそうだ。

説明会が終わって出てきた住民の人たちは、なんだか要領を得なかったような表情だった。

中にいた記者たちが出てきて、外で待つ人数も増えた。

岡田幹事長がもうすぐ出てくる。

 

私はどの位置を撮るべきか悩んだ。

そして正面の位置を陣取った。右側に車がつけてあり、きっとそちらに移動するのだろう。

柵があって追いづらいが、正面を狙おうと思った。黒い背広の集団が出てきた。

SPのような人に邪魔されたが、私は夢中でキャメラをまわした。

ファインダー越しでは撮れているのかよくわからなかった。

[…]

撮影報告 その5 田中はる枝さん・後藤政志さん・今野満寿喜さん・三田健司夫妻・釣崎等さん

2011年5月6日(金)

田中ハル枝さんインタビュー撮影。

森町のハル枝さん宅にて。

こなひき小屋のおかみさんが中心になってハル小屋で上映会をしていただいたのが縁になった。

ハル枝さんと二人でじっくり話したのは初めてのことかもしれない。

彼女は3.11をきっかけに翌月から毎月11日に布ナプキンを縫う会を始めたそうだ。

この震災・原発事故を風化させないように、そして自分自身が今までおざなりにしてきてしまっていた母から受け継いだ手仕事をしようと。

お昼ご飯をおいしくいただいて間もなくすると、軽トラに新鮮な魚をたくさんのせた魚屋さんがやってきた。毎週金曜日にハル枝さん宅に来てもらっているとのこと。

個性的なご近所の面々も続々と集まってきた。イカ、ツブ、ホッケなどなどとてもきれいで、見るからに新鮮でうまそうだった。

「半分は刺身用、半分は天ぷら用に切ってね。それはどう食べたらおいしいの?」など、お客さんたちは色々と聞きながら魚を選んでいた。それに答えていたのは魚政の店長小甲芳信さん。魚政の3代目。

お客さんと直接やり取りしながら、自分が選んだうまい魚をおいしく食べていただく。

彼はこのことを大事にしている。自分はお客さんの御用聞きになりたいと思っているとも言っていた。

軽トラの荷台にまな板を置き、よく研がれた包丁で次々と魚をさばいていく。

思わず見とれてしまう。

「切れない包丁ほど危ないものはないからね。毎日研いでいるからもう3センチほど短くなっているんだ。」と彼は言った。

あまりにカッコいいので趣旨をざっと説明して撮影させてもらった。

そしてよくよく聞いてみると、店は弁天町の竹田ストアーの中にあるという。

もちろん竹田さんのことも知っているし、竹田さんの旦那さんは彼の釣りの師匠でもあるとのこと。

世の中狭いものである。こんな粋な魚屋さんに会えたことを嬉しく思う。

ますます竹田ストアーに行ってみたくなった。

五稜郭タワーにて。後藤政志さん(元原子力プラント技術者)と竹田とし子さん(大間原発訴訟の会代表)。

2011年5月7日(土)

竹田さん、野村さん、石川さん、私で、函館駅に後藤政志さんを迎えに行く。

後藤さんは元原子力プラント技術者で工学博士。

午前中に札幌のUHBの番組に出演し、函館まで足を延ばしてくれた。

その番組を私は親方の家で見させてもらった。

かなり長い時間をさいて原発問題を取り上げていた。

私は後藤さんに名刺と空想の森のチラシを渡し、今やっている撮影の趣旨をざっと説明した。

後藤さんはニコニコしながら、「へー、これが一回目のあなたの映画なんですか」と言った。

とても気さくで親しみやすい人だった。私はユーストリーム中継で毎日見ていたあの後藤さんに会えてとても嬉しかった。

直接後藤さんにわからないことを質問できることも楽しみだった。

昨日、菅総理が浜岡原発の稼働停止を発言した。

このことをひとしきりみんなで話す。

後藤さんがホテルのチェックインをすませ、みんなで弁護士会館へ向かった。

この日は裁判に向けての勉強会。

原子炉設計者としての観点からの後藤さんの話は熱をおびていた。

そして質問。裁判を目前に控え、みんな真剣だった。

勉強会の後、フレンチのお店でみんなで夕食を囲んだ。

掘りごたつに足を入れながらのフレンチは抜群においしかった。それでも話題は原発。

みんな後藤さんにここぞとばかりに質問。

デザートも食べ放題で自分で好きなのを選べる。

後藤さんがデザート皿の前に座って選んでいる姿がかわいらしかった。

 

2011年5月8日(日)

午前中、竹田さん、野村さん、私で後藤さんをホテルに迎えに行く。

この日は14:00から一般向けの後藤さんの講演会。

それまで少し時間があるので、4人で五稜郭公園へ行くことにした。

ちょうど桜が満開だった。

後藤さんとお花見できるなんてねー。と言いながら、原発のことを質問しながら花を見た。

[…]

撮影報告 その4 大間へ 初めてのあさこはうす 奥本さんの案内で

中央の建物が大間原発。

2011年5月2日(月)~5月5日(木)

◇大間原発が建設されている本州最北端の町へ行く◇

朝、大間原発の会社・電源開発(Jパワー)に電話。

取材・撮影を申し込む。

どんな目的で映画をつくるのかがわからないからという理由で断られた。

いくら説明しても話が噛み合わず平行線だったのであきらめた。

いよいよ本州の最北端の大間へ。

海がキラキラしていた。

子供の頃夏休みに大湊に遊びに来たとき、叔父に連れられこの海を見た。

仏ヶ浦のきれいな海と切り立った独特の岩は今でも忘れられない。

大間の町中で奥本征雄さんと待ち合わせ、まずは昼ご飯を一緒に食べた。

昆布が練りこまれたラーメンがうまかった。

奥本さんは大間で生まれ育ち、郵便局に勤務し、5年前に定年退職をした。

大間原発を当初から反対していて、原告になり、今度の5月19日の裁判では意見陳述をすることになっている。

3日間びっちり朝から晩まで奥本さんに大間を案内してもらった。

原発の話はもちろんだが、他にも色々な話をした。

毎晩飲みながら話は尽きなかった。

私はすっかり奥本さんが大好きになった。

奥本さんは郵便局員として毎日町の人と接してきた。

小さな町では郵便局と町の人の関係は濃密だ。

町の人の日々の細やかな情報は郵便局の人が一番知っている。

人々が助け合い支えあいながら暮らしてきた町に原発の誘致問題が持ち上がってからは、

その関係が大きく変わり、人の絆が切り裂かれていった。

奥本さんは言う。

放射能はもちろん恐ろしいが、今まで築いてきた人と人との関係が原発賛成か反対でズタズタにされたこと、

これが何よりの悲劇だと。

奥本さんは意見陳述でもこのことを強く訴えている。

 

前に沖縄の名護に行った時も民宿を経営する照屋林一さんが同じことを言っていた。

原発、基地問題など、根っこはどれも同じ問題を抱えている。

なぜこんな悲劇が美しい日本の小さな町ばかりに起こるのか。

思ったことを思ったように言えない、表現できない社会が存在している。

こんな社会の中で人はまともな精神で生きていけるのだろうか。

 

1976年に商工会が大間原発の誘致をはじめてから、大間のほとんどの人は原発賛成の立場だ。

表だって反対を表明している人は数人しかいないのが現状だ。

しかし心から原発に賛成をしている人はどのくらいいるだろうか、と奥本さんは言う。

特に漁師は、息子・孫に代が変わり主力で漁をしている。

原発で漁ができなくなることに危機感を感じている若い漁師も出てきたという。

最近、そのような若い漁師が奥本さんに話を聞きたいと言ってきているという。

大間は海しかない。海で暮らしていくしかないのに。と奥本さんは言った。

 

大間町は人口6千人ほど。

原発の周囲3キロ以内にこの6千人の人たちが暮らしている。

原発建設地のすぐ近くの海沿いに漁港そして民家が並んでいる。

現場に立ち、この風景を目の当たりにした。

丘の上から、防波堤の上からなど、様々な場所から原発を眺めた。

なんてこの海と町にそぐわないのだろうと思いながら。

 

撮影報告 その3 池田誠さん・佐々木公子さん・野村保子さん・山田圭介・あゆみさん・竹田とし子さん・川嶋大史さん

山田農場にて

2011年4月25日(月)

山田農場の仕事の撮影。

ここは空気が違う。気持ちいいなあ。

と私はいつも感じる。

しかしここにも放射性物質が降っているのだろうと思うと本当にやりきれない。

南斜面の山の中腹に家と畜舎がある。

山の斜面は放牧地だ。家族と動物たち、そして自然と共に試行錯誤しながら作り上げてきた美しい農場。

人間も動物もキラキラしている。

そしてこの農場にいるだけで圭介とあゆみさんの誇りを感じる。

ヤギ、牛、羊、アヒルのガー子、犬、猫のボー。

動物たちがいつも近くにいる。

やさしい長男の優作、やんちゃな二男の耕作もかわいいさかりだ。

日の出とともに一日が始まる。

動物たちにエサをやって、掃除をして、乳をしぼる。あゆみさんは大きいお腹で一頭ずつ丁寧に乳を搾る。

「乳搾るの好きなんだよね」と彼女は笑った。

日の出前の静寂な時間。

バケツに乳を搾る音が響く。

圭介さんとあゆみさんは仕事をしながらよく話す。

動物の様子、今日の予定などなど。

一仕事終わったあたりで東の空から太陽が昇ってくる。

そして下の放牧地にもヤギを追っていく。圭介さんがペーターのように見える。

山田農場の試行錯誤と暮らしは、これからこの時代を生き抜いてゆく一つの道のように私には思える。

 

2011年4月26日(火)

池田誠さんのインタビュー撮影。

北海道国際交流センター事務局長の誠さんはいつも忙しく飛び回っている。

誠さんは15年ほど前に新得共働学舎に2年ほど在籍していた。

その時に映画祭を通して知り合った。

「空想の森」の制作途中からラッシュ上映会などでお世話になった。

完成してからも函館で上映するときにはいつも協力してくれた。

誠さんとじっくり話すのは久しぶりだった。

国際交流センターは函館山のすぐ近くにある。

お腹がすいたので、あゆみさんに電話してこの辺りでどこかいい店ないかを尋ねた。

二十軒坂のふもとに「パザールバザール」というトルコ料理の店があっておいしいらしいというので早速行ってみた。

小さないいお店で若い夫婦がやっていた。

食べ物も飲み物もおいしくて私はすっかり気に入ってしまった。

この後もこの近くにいる時には何度もこの店に寄ることになった。

こなひき小屋(パン屋さん)の親方・おかみさんのインタビュー撮影。

七飯町の自宅にて。

「空想の森」を作っているときから応援してくれたご夫妻で、映画が完成してからは上映会もしてくれた。

そして今も函館に行くといつもお世話になっている。

毎日朝3時に起きて仕事に行く親方は「眠い眠い。オレは寝るぞー」と言いつつ結構遅くまで話をした。

親方が寝てからおかみさんとまた話し込むのがいつものパターン。

この日はワインを2本あけた。

 

2011年4月27日(水)

佐々木公子さんのインタビュー撮影。

佐々木さんは函館映画鑑賞協会のメンバー。

2009年、この会の29周年の上映会で「空想の森」を上映してもらった。

鑑賞協会の事務所で撮影。

中に入ると部屋の壁には今まで上映した作品の監督たちの色紙と記念撮影した写真が所狭しと並んでいた。

[…]

撮影報告 その2 -怒涛の日々―

2011年4月22日(金)~5月28日(土)のこと

処女作・ドキュメンタリー映画「空想の森」の完成から丸3年がたとうとした2011年3月11日、世界は変わった。

今、人は何を感じ、考え、どう未来に希望を見出そうとしているのか。

それを記録することから始めようと「空想の森」に関わってくれた全国の人たちを訪ねる旅を始めた。

ここから未来を見出していきたいと私は考えている。

函館ではインタビューの他、主に大間原発訴訟に関する撮影をしてきた。

怒涛のような日々だった。福島第一原発の事故の状況が刻々と変わっていく中

、この事故後、初めて行われる大間原発の裁判を巡る状況も日々動いていた。

そんな中に私は身を置いていた。

 

◇なぜ、大間原発の問題を撮影することになったのか◇

道南の大沼の山田農場の圭介・あゆみ夫妻は「空想の森」の出演者だった。

撮影の終盤頃、彼らは共働学舎から独立し道南へ移住していった。それから5年。

彼らはめぐり会った道南の土地で、美しく気分のいい農場をつくっていた。

3月下旬、今回私が新しく撮影を始めるにあたってインタビューをお願いした時、あゆみさんから大間原発訴訟の話を聞いた。

彼らはこの震災の前から原告になっていた。

動物と共に自然を最大限生かしながら農場を営み、チーズをつくり、3人目の子供がもうすぐ生まれようとしている山田夫妻にとって、

大間原発は死活問題であるのは当然のことだった。

そして5月19日の第2回口頭弁論では、あゆみさんが意見陳述をするという。

この話を聞き、私はこの問題を撮らせてもらおうと思った。

この時点ではあゆみさんの目を通してこの問題を映画の中で扱ったらどうだろうかと考えていた。

 

◇大間原発問題は自分自身の問題でもある◇

私は今まで原発を嫌だと思い反対だった。

しかし署名くらいはしたが、何もしてこなかった。

このことは原発を容認していたことと同じことだったのではないか。

と、今回のことで痛切に思い知った。

こんな大きな犠牲を払わなければ気づけなかった自分に腹が立った。

これからは自分ができることをしていきたいと強く思った。

犠牲になった方々や今も被災されている人たちに自分なりに報いるためにも。

新しい原発はもういらない。

今ある原発も止めていきたい。

私が暮らす北海道から、日本から、世界から原発をなくしたいと心から思う。

人の命を犠牲にし、その子孫の命そのものに悪影響を及ぼす電力はいらない。

私も原告になろうと思った。

まだ撮り始めたばかり。

映画がどういうものになっていくのか、まだはっきりとわからないが、

この大間原発問題は映画の中で一つの大事な要素になるに違いない。

 

◇大間原発訴訟を撮影していくことになった◇

あゆみさんから大間原発訴訟の会の事務局の大場さんを紹介してもらい連絡を取った。

映画の趣旨を説明し、これからこの裁判にまつわることを撮影させて欲しい旨を伝えた。

大場さんは「空想の森」も「闇を掘る」も見てくれた方だった。

そして快く承諾してくれた。

ただ、原告の人たちや弁護団の人たちなど多くの人が関わっているので、

その人たちに私を紹介してみんながオッケイだったらってことだけど、たぶん大丈夫だから。

と大場さんは言った。

ここから私はフル回転で撮影の準備をすすめた。そして4月22日、函館に車を走らせた。

 

◇腹が決まった◇

まず山田農場に向かった。撮影に前に山田夫妻に確認したいことがあった。

これから撮影することは映画として全国の不特定多数の人に見てもらうことになるわけだけど、

山田農場の暮らしや、大間原発の裁判にまつわることを撮影していっていいでしょうかと。

「かまわないよ。まあ好きなように撮ってみてや。」と圭介さんは言った。

自分たちは大間に原発をつくらせたくない。だから原告になった。

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