今回拠点にさせてもらった彦根の奥田さん宅。 左が近所の人たち農園。 奥が琵琶湖。
2011年6月26日。 廣木一賀さんのインタビュー。撮影奥田さんの家で。 廣木さんは福島県いわき市から家族で彦根に避難してきている。一賀さんは宮城県で仕事をしているが、数日前に家族のいる彦根にやってきた。 昨日大津の結でお会いしたばかりだが、ここで出会ったのも何かの縁と思い、インタビューをお願いした。廣木さんは快く応じてくれた。
廣木一賀さん。
被災した方のインタビューは初めて。震災・福島原発の事故で多くを失い避難してきているという人を目の前に、私は緊張していた。 廣木さん個人の資質によるものが大きいと思うが、これほど生きるエネルギーにあふれ、前向きな人に初めて会った。 廣木さんの話を伺ううちに、私は被災者の方と話しているという認識がどんどん薄れてきて、最後はお互い興味のある話に花が咲き、一晩中でも話が尽きない感じだった。当たり前のことだが、被災者の方にも色々な方がいるのだと実感させられた。
廣木さんは東京の焼き肉チェーン店でバリバリ働いた後、奥さんの希望で脱サラして田舎へ。選んだのが福島県いわき市田人町貝泊。澄んだ空気と豊かな自然に囲まれた風の谷ブルーベリーファームを8年前オープンさせた。 無農薬栽培の約50種類のブルーベリー。自分で収穫した野菜やハーブをトッピングして作るピザ焼き体験。廣木さんのガイドで、川遊びや山登りなどが体験できる山ぼうしの森探検のイベントなどをやっていた。 それだけでなく、廣木さんは前の会社でのノウハウを活かし、経営が悪化した旅館を再生させる仕事もしていた。それらが軌道に乗りはじめ、さあこれからという時に震災にあった。
どれだけ悲嘆にくれてがっかりしているのかと思いきや、廣木さんはとっくに頭を切り替えていた。 現在廣木さんの家は、原発の近くに住んでいた人たちの避難所になっている。子供のことを考えて廣木さんはすぐに貝泊を出て、車に寝泊まりしながら西へ向かい彦根にたどり着いた。 貝泊の子供を持つほとんどの人たちが、ちりじりばらばら避難しているという。そして残った人と出て行った人との間には大きな溝ができた。
もし廣木さんが貝泊に戻ったとしても、家が避難所になっているため、自分たちの仕事ができない。現在自宅が避難所になっていても何も保障はないし、避難区域に指定されていないため、なんの保障もないそうだ。なんてことだ。 そんな状況なのに廣木さんは次は何をやろうかと心をわくわくさせていた。すごい人だ。また廣木さんと話がしたいと思った。
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