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撮影報告 その44 高崎から会津若松へ

長いトンネルの手前のパーキングエリアにて

2011年10月4日。

今日もいい天気。

かおりさんが援農にやってきた。

この前の続きで不耕起の田んぼの草取りに行った。 私は竹渕さんの家で事務仕事。

なんだかもっと竹渕さんの家にいたかった。

お昼は竹渕夫妻とかおりさんの4人で倉渕の満寿池に食べに行った。

マスがおススメとのことなので私はフライの定食を食べた。

別れ際、智子さんがにゅにゅっと近づいてきてハグをした。

そしてそれぞれハグをして別れた。

でも、今回の群馬取材撮影でまた「空想の森」の上映会をやってくれそうな人が何人か現れたので、またきっと上映会ができる。

それがとっても楽しみだ。

今この状況の群馬で「空想の森」をみんなで観たい、そして話したいと思った。

群馬を去りがたい気持ちのまま福島へ向かう高速にのった。

群馬の山々が夕方の光に包まれていた。

それはそれは美しかった。

いよいよ福島に入るのだなと気持ちが引き締まる。

しかし連日の寝不足がたたって途中眠くて眠くて仕方なかった。

危ないので30分ほど寝た。 会津若松に到着したのは21時近くだった。

高速降りたところに、小暮さんが迎えに来てくれた。

今日の宿にと小暮さんが考えていてくれたライダーハウスに向かった。

そこで積田さんと合流した。

ラーメン屋さんでもあるので、営業は終わっていたが、シナソバをつくってもらって3人で食べた。 会津若松での取材のスケジュールは小暮さんがアレンジしてくれ、5人の方を紹介してくれた。

その打ち合わせをした。

右から小暮真由美さん、積田和守さん。

このライダーハウスは店の机の間に寝るという感じだったので、申し訳ないが駅前の東横インに泊まることにした。

店のオーナーの方はここに泊まっていけばいいのにと言ってくれたが、とにかくとても疲れていて、明日からも撮影が立て込んでいるのでここに泊まるのは無理だった。

東横インまで連れて行ってもらい、遅いチェックインをして小暮さんと別れた。

バタンキューだった。

[…]

撮影報告 その43 高橋正美さん 群馬県・吾妻町

2011年10月3日。 竹渕さん、岩田さんなどの百姓の人たちの現状は厳しい。 原発から100キロ以上離れた群馬でも福島第一原発の事故による放射能の影響がある。 3月15日の風向きと雨によるものと考えられている。 みんなどうしていいかわからない状態にある。 どういう思いで食べ物をつくっているかがわかるだけに、本当に胸が痛くなる。 群馬での撮影で、私はこの新しい映画をつくることに腹がすわった。 みんなが私に撮らせてくれるのだ。 その気持ちをヒシヒシ感じた。 そして背筋をしゃんと伸ばして深呼吸して、ひとつひとつ向き合っていこうと改めて思った。 高橋正美さん。 榛東村の野外上映会に見に来てくれた。それから、正美さんは岩田さんたちとの交流が始まったという。 シネマテークたかさきを後にして、吾妻町に向かう。 ここで百姓をする高橋正美さんのインタビュー。 女一人で1町歩以上の田んぼ、畑をやっている。 多品種をつくるのが好きだという。 して正美ちゃんは食べること、料理も大好きなのだ。 高崎の「すもの食堂」の取材を受けている正美ちゃん。 ネギも4種類くらいつくっている。 ピーマン。リンゴのような味がした。

この花も食べられる。 両側は正美ちゃんの田んぼ。 ここからの景色を見せたいと連れてきてくれた。 竹渕さんのところから嫁に来たヤギのユエ。マキバの娘。 正美ちゃんを取材に来たすもの食堂の金井夫妻。

夕ご飯をつくりながらの正美ちゃんをインタビュー。 そしてご飯をごちそうになった。 米、味噌、どぶろく、梅干しなどなど、何でも自分で作っている。すごい。 そして倉渕の竹渕さんの家に帰った。 群馬最後の晩、夜中の3時まで話し込んだ。 […]

撮影報告 その42 志尾睦子さん シネマテークたかさきにて

シネマテークたかさきの志尾睦子支配人。 2011年10月3日。

小松家を後にして、シネマテークたかさきへ向かう。志尾さんのインタビュー。 「空想の森」が完成して間もない頃、倉渕の竹渕さんが高崎で上映会をしてくれてた。 その後、竹渕さんと甲田君が私をシネマテーク高崎に連れて来てくれて志尾さんに会い、上映をお願いしてくれた。 そして2009年の高崎映画祭で「空想の森」を上映してもらった。 そこに見にきた榛東村の岩田さんが自分の梅林で野外上映をしてくれた。 縁がなかった群馬が、とても近い存在になっていった。 それから上映会に関わってくれた人たちとずっとつながってきた。 茂木さんという大きな存在を失った2009年の高崎映画祭は志尾さんにとって大変な年だったと思う。 映画祭の時、少しだけど志尾さんと話をして私は何だかとても親近感を覚えた。 久しぶりに会った志尾さんはとても女性らしくきれいになっていた。 髪が長くなったせいもあるかもしれないが、前と印象が変わった。 インタビューをしていて、共感するところが多々あった。 志尾さんは高崎で映画と共に生きている。 今度高崎に来る時は、映画を観る時間も取ろうと思った。 シネマテークたかさき。いい映画をやってまっせー。 […]

撮影報告 その41 ふれあい朝市・小松茂樹・かおりさん

ふれあい朝市。中医研にて。 2011年10月2日。 小松一家と一緒に、朝市へ。 私は3回目だ。 朝は肌寒かったが、だんだん天気も良くなってきた。 わらわらと人が集まってきて、思い思いにこの空間を楽しむ。 子供たちも走り回り実に楽しそう。 人たちは食を楽しんだり、おしゃべりを楽しんだり。 陽だまりの中でコーヒーを飲みなが、なんて心地よいのだろうと思った。

小松さんの店。風の暦。午前中で売り切れたそうだ。 あわたまさん。牛蒡と玉ねぎの牛丼風のどんぶりは絶品だった。 農カフェの岩田さんもさっそくロケットストーブを持ってやってきた。 昨日運動会でがんばったゆかりちゃん。 小松家のヨシくんとあーちゃんと遊んでいた。 倉渕からガンジーもやってきた。 先日は夕食をごちそうになった。

素敵なコーヒー屋さんもやってきた。

コーヒ屋さんの倉林範行さん。 北海道から地元・群馬に戻ってきたそうだ。 丁寧にコーヒーをいれてくれる。

マカップはアイヌ語だそうだ。 意味は確か「のぼっていく」だったかな。

アンデス風の彼女がつくったアップルパイがおいしかった。

ここのパンもおいしかった。 鈴木真吾さん。 真ん中が甲田くん。右が中村さん。

朝市を岩田さん、鈴木君、甲田君、小松さんたちを中心に存分に撮影させてもらった。 にちにち堂のメンバーの中村優子さんと原発のこと、大間のことなどをゆっくり話せた。 先日のにちにち堂で私が大間の奥本さんの話をしたことが、とても心に響いたと彼女は言った。 とても嬉しかった。 朝市が終わり、森の音で朝市の実行委員会の話し合い。 これも撮影させてもらった。 濃い撮影だった。 夜、茂樹さんと一緒に小松家へ帰った。 夕ご飯の後、小松夫妻のインタビュー。 遅くまで話し込んだ。 今日も中身が詰まった一日だった。 2011年10月3日。

あーちゃん。朝市でつくった作品と。小松家にて。

小松茂樹さん、あーちゃん、かおりさん。 ヨシくんはもう学校に行った。 […]

撮影報告 その40 藤村靖之さん講演会・甲田崇恭さん

2011年10月1日。 天気予報ははずれ、いい天気だった。 今日はゆかりちゃんの保育園の運動会。 私は今日は小松家に移動するので、荷物をまとめたり、少し事務仕事をしたりした。 岩田家のキッチン。 玄関。 二階は昔お蚕の部屋だった。2009年の6月、ここで上映会をした。 私が寝た部屋。 あっという間に昼になり、運動会を終えたゆかりちゃんが帰ってきた。 岩田さんは嬉しそうに「ゆかりちゃんはすごく頑張って走っていたよ。」と言った。 冬はこの部屋で食事をする。 ロケットストーブ。 農カフェで先日、ロケットストーブのワークショップをやったそうだ。 そのとき習ったオイル缶を2個つなげてつくるストーブを夫のタダオさんがさっそく作った。 これはかなりすぐれものらしい。 非電化工房の藤村靖之先生 午後、高崎のシティーホールで栃木県那須の非電化工房の藤村靖之先生の講演会。 寿子ちゃんとゆかりちゃんも参加。 寿子ちゃんの車についていけてよかった。 会場では智子さん、にちにち堂の面々と会う。 「連日会っているよね。」と智子さん。 未来にちにち堂のみんなで、非電化工房に見学に行った時、メンバーの富樫さんがその場で藤村先生に高崎での講演をお願いしたそうだ。 藤村先生のお話が聞けてとてもよかった。 一杯のコーヒーをゆったり楽しむことから見えてくることもあるということが私の心に響いた。 茶話会に参加した後、小松家へ向かった。 小松かおり・茂樹夫妻。 久しぶりの再会。 二人はちっとも変っていないけど、二人の子供たちは大きくなっていた。 小松家の夕食。

 

そしてこの日は、甲田くんに小松家に来てもらって夕ご飯を一緒にごちいそうになった後、インタビューをした。 甲田くんと深夜まで話をした。 上映会のあったときから2年あまり。 お互い色んな事があった。 とてもしっかりした考えをもっている青年だと思った。 甲田君と話せてよかった。 […]