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撮影報告 その59 大間へ 

2011年11月23日。

 

函館発17:00の船で野村さんといっしょに大間へ向かう。 天気も良く海も穏やかだった。 冬の津軽海峡は荒れることも多くよく欠航になる。 実際前日の午前の便は結構になっていた。 24日に奥本さんたちが、24年ぶりに原発学習会を企画した。 その学習会の撮影と、漁師さんのインタビュー・漁の撮影が今回の大間の目的だ。 漁の撮影は、「空想の森」のスタッフの一坪君にやってもらうことにした。 彼は今長崎で高倉健主演の映画のロケをしていて、ちょうどもうすぐクランクアップするので、25日には大間に来られることになった。今回はそれも私はとても楽しみなのだ。 道新の内本さんともいっしょになる。彼女も学習会の取材に行くとのこと。 旅館の部屋からの眺め 大間に着くと、奥本さんが出迎えてくれた。今回奥本さんがとってくれた宿は港の真ん前の旅館。 私たちの部屋から海が目の前に見える。 後で宿のおばさんから聞いたのだが、「魚影の群れ」という映画のロケで緒方拳がこの部屋に泊まったそうだ。 そして奥本さんの行きつけの居酒屋にて夕食。 奥本さんと久しぶりに会い、明日、24年ぶりで原発の学習会をするということで、3人とも気持ちが高ぶっていた。 奥本さんと話がはずみ、私はついつい少し飲み過ぎた。

撮影報告 その58 夜の原発カフェ  パザールバザール 函館

2011年11月21日。 この日、この冬初めての芯から冷える寒さがやってきた。

新得の宮下さんの家に遊びに行った。

お昼ご飯はおろし蕎麦をごちそうになる。

今年の蕎麦の実落としも、共働学舎の大越さんとやったと宮下さんから聞いた。

そして新内蕎麦がちょうどできあがってきた。 大根、人参、白菜、キャベツをたくさんいただく。

明日から撮影で函館へ出かけるので、みんなのお土産にさせていただくことにした。

 

2011年11月22日。

函館は十勝よりずっと雪が多かった。 今晩19:00からパザールバザールで4回目の原発カフェがある。

野村さんの家に寄り、乗り合わせて行く。 すでに、7人以上の人たちが集まっていた。

私は初めてお会いする人が多かった。 私は映画のことを簡単に説明し撮影させてもらうことにした。

なぜ原発カフェに参加したのか、不安に思っていること、疑問に思っていること、食べ物のことなど思い思いにみんなが話す。

その時思っていること、感じていること、経験したことなどを気張らず話すことができる場だと私は思っている。

この場のとらえ方はきっとそれぞれなのだろうが、参加する人次第の雰囲気・場になるところもこのカフェの魅力だと思う。

 

パザールバザールの2階の部屋はいっぱいいっぱいになった。

 

遅れて大沼の山田あゆみさん、山田聡美さんがやってきた。

三男のハルサクを抱きながらあゆみさんは一番にこんなことをみんなに話した。

山田農場は11月上旬にドキドキしながらミルクを放射能検査に出したそうだ。

その結果がきて、最低検出の数値はあるが、検出されなかったことにホッとしたこと。

山田農場は山の牧草地の草を食べているので、土壌は大丈夫ということだ。本当によかった。

みんなの注文がひと段落し、パザールバザールの國立さん夫婦も参加。

國立さんは原発カフェではなくても、小人数で原発などの話をしたい人がいたら場所を提供しますよとみんなに言った。

妻のトモカちゃんが大間原発が稼働したら、みんなどうしますかという質問をしたり。

前回の原発カフェは私は参加できなかったが、30人もの人が集まって大盛況だったそうだ。 今回も10人以上の人が集まり、色んな話が出てとても面白かった。23時くらいに会を終わりにした。

あゆみちゃんは、普段朝の早い仕事でとっくに眠くなる時間だから居眠りしちゃうかなと思っていたのにしなかったと後で言っていた。

その後、まだ話し足りない野村さん、米田さん、私、そして國立夫妻でビール1杯だけ飲もうということになった。

しかし案の定、気が付いたら2時を回っていた。 國立さんに野村家まで送ってもらい、お茶を飲みながらまた話し、明け方、ようやく眠りについた。

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撮影報告 その57 秋・函館にて

 

2011年10月19日。

9月23日から始まった今回の旅。 茨城、群馬、福島、山形、そして最後に苫小牧で上映会をして終わりにしようと思っていた。

が、ランナーズハイ状態になり、洞爺湖・函館も寄ることにした。

エイヤと行って良かったなと思う。

 

野村家のアイドル・シュワちゃん。

広瀬隆さんの後援会の後、私は野村家に3泊させてもらった。

昼間は事務仕事をし、野村さんが仕事から帰ってくると彼女のおいしい手料理を食べ、酒を飲みながら、連日連夜、深夜まで話をした。 23日のつぶつぶ豆の会での原発カフェに参加したい気持ちを抑え、やはり帰ることにした。

 

帰りは山田農場に寄った。

やはりあゆみちゃんと圭介さんとは話をしたかった。

 

とても天気がよく、山田農場は相変わらず美しく気持ちがよかった。

放牧地の脇で寝転がった。

思い切り息を吸い込む。

草の匂いが心地よかった。

時々なくヤギの声、圭介さんが薪を運ぶ音、風が木を揺らす音しか聞こえない。

妙に心が落ち着いてきた。

ああ、やっぱり撮影しようかなーと思ったが、体がとても疲れていたのでやめた。

今日はこの心地よさに身をまかせようと思った。

いつの間にか、ヤギたちが寝ていた私を覗き込んでいた。

ガーコも元気だった。

太陽の光を浴びながらしばし昼寝を楽しんだ。

そして母屋に行き、昼ご飯をごちそうになった。

「遠慮しないでチーズいっぱい食べてね。」と圭介さんとあゆみちゃんは言った。 「じねんじょを見つけたんだ。」と圭介さん。

北海道はこの辺りが北限だそうだ。

じねんじょをすったものを玄米のごはんにかけて食べたらとてもおいしかった。

ボリボリやカブの入った具だくさんの味噌汁もおいしかった。

ほんと、おいしいもの食べてるわと思った。

 

三男の晴作くん。3か月。 時々にこにこっと笑ってかわいい。

そして私は撮影してきた茨城、群馬、福島のことをざっと話をした。

山田農場は暮らすこと、つまり食べること・おいしいチーズをつくることにしっかりフォーカスして一歩一歩、歩いているなあと感じた。 今回はもうヘロヘロで撮影できないが、また近いうちに撮影に来たいと思った。

 

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撮影報告 その56 広瀬 隆氏講演会

広瀬 隆さん。 2011年10月16日。 函館市亀田福祉センターにて広瀬隆さんの講演会。 日曜の夜にもかかわらず、320人の人が集まった。 私は3.11以降、ネットで毎日のように広瀬さん関係のユーストリームなどを見ていた。 この講演会の実行委員のメンバーは大間原発訴訟の会の人がたくさんいた。 左から大間訴訟の会の代表の竹田さん、ピーター・ハウエルさん。 左が大間訴訟の会の森越弁護士。 左が大間訴訟の会の事務局の大場さん、その隣が野村さん、右が中森さん。 野村さんは司会。 広瀬さんの取材をする石川さん。 札幌から小野有五さんもやってきた。泊原発の廃炉を目指す会のリーダー。 広瀬さんの講演の前に泊原発のことを話した。 広瀬さんは2時間半しゃべりっぱなしで、時に声をあらげ、ばっさばっさと切っていく。 一刻も早く、原子力発電所を止めたいと切に思う。 そのためにまず、原子力に関しての勉強し自分で判断できる知識を得ること、それと同時に、自分にできることをやっていくことが大事なことだと改めて思った。 しかし原発を止めても尚、危険な状態が続くことに違いはない。 そして、これから私たちはこの時代をどう生きていくのかということが問われてくるのだと思う。 広瀬さんはパワーポイントで写真や表をスクリーンに出しながら、飽きさせることなくすごいテンションで話をしていた。 自分の講演は2時間半では足りない、最低3時間は必要と言っていた。 野村さん。 竹田さんもご挨拶。 講演会の後の交流会。 交流会も20人くらいの人が参加した。 それぞれひとりづつ自己紹介などをして交流をした。 ずっと反原発運動をしていた人、3.11後に関わり始めた人、いろいろな人がいた。 森越さん。 私はまたビールを飲んだ。 野村さんは大事をとってお茶だった。 彼女が居酒屋でお茶をすすっているのが不思議な感じだった。 でも、今日の午前中はどうなることかと思ったので今晩はお酒を飲まない方がいい。 交流会はうおまさでやった。 ここのおかみさんも講演会に参加。広瀬さんの著書がさっそく店のピアノの上に置かれていた。 大場さんは相変わらず大好きなビールを飲みいい気分になっていた。

 

左から、野村さん、石川さん。

 

私と石川さんは野村家に泊まる。 竹田さんが車で送ってくれた。 竹田さんも大間原発の講演で飛び回っていて多忙を極めている。 みんな3.11以降、怒涛の日々が続いている。 体の疲れもたまりにたまっているはずだ。 野村家に帰り、結局3人で2時ころまで話してしまう。 話が尽きない。 […]

撮影報告 その55 函館へ

親方の家で晩餐。 この日、親方とおかみの結婚35年の記念日でもあった。それもみんなでお祝いした。

2011年10月15日。 洞爺湖ラムヤートを後にして函館へ車を走らせる。 パソコン環境がなかったのでラムヤートで3日間メールをチェックできなかった。

今晩お世話になる予定の野村宅もパソコン環境がないので、親方の家でメールをチェックさせてもらおうと思い、森町辺りでこなひき小屋の親方に電話をかけた。

そして親方は快く迎えてくれた。

パソコンをつなぎメールをチェックさせてもらった。 私は今回取材・撮影してきた茨城、群馬、会津若松の話をした。

親方は大人の学芸会のシナリオを書いたんだと見せてくれた。

「おい、晩飯食っていけよ。泊まっていけよ。」と親方。

今晩は野村家に泊まらせてもらうことになっているからと言うと、

「野村さんもここに来たらいいだろ。」と親方が言ったので野村さんに電話をかけた。

そして結局、野村さんと石川さんの二人が親方の家に来て私と3人で泊まらせてもらうことになった。 まだ店で働いているおかみにもこのことを電話をしたらこころよくオッケイしてくれた。

ワインの薀蓄を述べる親方。

8時過ぎ、野村さんと石川さんがやってきた。 親方は「今日はいいワインを抜くぞー。飲んでもいい日なんだ今日は。35年目の結婚記念日なんだ。」と言った。

おめでとうございますーと言ったが、あっちゃー、私また邪魔してしまったかなーとも思った。

この前親方の家にお世話になった時は、おかみの誕生日だった。

この日、3本のおいしいワインをみんなで味わった。

何だか私はとても楽しかった。

親方も12時近くまで起きて話していた。

親方とおかみが寝た後も私たち3人は話していた。

いつの間にか野村さんは寝ていた。

彼女は最近大きな仕事が一段落したばかりできっと疲れがたまっているのだろう。 石川さんと二人で話していたら、親方が起きてきた。2:00、仕事に出かける時間だった。

行ってらっしゃーいと送り出した。

そしてさすがに私たちも寝た。

2011年10月16日。

朝起きると石川さんは仕事に出かけていた。

おかみさんも4時ころ仕事に出かけている。

野村さんはまだ寝ていたので、私はとりあえず食器洗いをしていた。 野村さんが起きてきた。

でもとても調子悪そうだった。

居間のソファーに横になっていた。寒い、寒いと言うので布団をかけた。

おでこに手を当てると少し熱かった。

風邪をひいたのかもしれなかった。

動けそうにもない感じだった。私は薪ストーブをたき、お茶を入れ、おかゆをつくった。

野村さんはしばらくそこで寝ていた。

そして時々「この風の音がいいわよねー、この緑がいいわねー」などど言ったりした。

ミッシュ

今日の広瀬さんの講演会に行けるかなと心配になったが、今彼女は動けそうもないので私は昨晩の残りの鍋を食べ、パソコン仕事をしながら彼女の様子を見ていた。

親方の家はどの窓からも木が見えてとても気持ちがよかった。 午後2時ころ、野村さんは復活した。

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