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撮影報告 その96 富田玲子さん 象設計集団

左:冨田玲子さん、右:私

 

2012年2月6日。

1月下旬。

一通の手紙がきた。

象設計集団の富田玲子さんからだった。

少し前に、私は新しい映画の製作協力のお願いの手紙を出していた。

そのお返事だった。

3.11にご自分が感じたこと、思ったこと、今どういう気持ちで仕事をしているかなどが綴られていた。

そして、この映画づくりに心の底から賛同しますと書かれてあった。

私はとても感動して嬉しくて富田さんに電話をかけ、直接お会いしてお話をうかがいたいとお願いした。

 

富田さんは建築家。今まで様々な建物をつくってきている。

私が初めて彼女にお会いしたのは2008年。

「空想の森」が完成して東京・ポレポレ東中野で上映が決まり、その宣伝活動をしていた時だった。

とても穏やかで柔らかくて芯が強そうな素敵な女性という印象が強く残っている。

 

富田さんを紹介してくれたのは十勝の象設計集団の町山さん。

新得のお披露目上映の時「空想の森」を見に来てくれた。

そして映画をとても気に入ってくれて、東京の富田さんを紹介してくれた。

私が東京に滞在中、富田さんの著書「小さな建築」(みすず書房)の出版記念パーティーがあった。

町山さんはそこで私を富田さんに紹介してくれただけでなく、

パーティーに参加された方をたくさん紹介してくださり、映画も宣伝してくれた。

象設計集団東京事務所

 

機材を担いで建築好きの野村さんも一緒に、象設計集団東京事務所を訪ねた。

桜新町の事務所を訪ねるのは初めてだった。

数年前にここに引っ越してきたそうだ。

前の事務所は、庭に大きな木があって味のある建物で素敵だった。

新しい事務所も大きな一軒家。

庭が広く大きな木がたくさんあって、ちょっとした公園のようでなかなか心地いい。

「コンクリートや高いビルにはもういられなくなってしまったの。」と富田さんは言った。

 

この日、富田さんはコンペの締め切り日で、それが終わってから、インタビューをさせていただいた。

なぜ建築家になろうと思ったのか、象設計集団はどのようにして立ち上げたのかなどもお聞きした。

富田さんに質問されて、私もけっこうしゃべったりもした。

様々な話題になってとても楽しかった。

富田さんは「シロタ家の二十世紀」(藤原智子監督)の企画に関わっていて、その撮影にも同行した。

富田さんは天才ピアニストのレオ・シロタの愛弟子・藤田晴子さんからピアノを習っていた。

そして藤田さんが亡くなり、富田さんは藤田さんから、遺産を文化のために使ってくださいと託されたのだった。

その遺産をどう役立てようかと考えている時に、たまたま藤原監督とばったり出会ったそうだ。

それでできた映画が「シロタ家の二十世紀」だった。

「空想の森」と同じ年にこの映画もできて、私は富田さんからこの映画の話は聞いていた。

それを知って野村さんは興奮していた。

[…]

撮影報告 その95 2012年2月 東京にて

さくら共同法律事務所がはいっているビル

 

2012年2月4日。

奥田さんはこの日の午後から開催されるびわ湖集会に参加するため、早朝滋賀へ向かった。(その報告はこのHPに掲載している)

私と野村さんは、河合弁護士の事務所・さくら共同法律事務所へ。

弁護団会議に遅れて参加。

帝国ホテルの横の高層ビルの中に河合さんの事務所はあった。立派な事務所だった。イスがとても座心地がよかった。

会議が終わり、昼食をこのビルの地下でみんなで食べた。

さくら共同法律事務所のビルを出ると、こわい顔をした若い警官が木の棒を持ち、ビルを背にして道路の方を向いて仁王立ちしていた。

道路際には機動隊をのせた警察の車が止まっている。

何かあったのかと思い、私は恐る恐る立っている警官に何をしているのかを尋ねた。

するととたんににっこりと柔和な顔になり、おだやかに説明をはじめた。

ここは官庁が集まっていて皇居も近いので、何かあってもいいように待機しているとのことだった。

写真撮ってもいいですかと聞いてみたら、個人的にはいいのですが、職務上だめなんですと言った。

帝国ホテルからの眺め

それから私と野村さんは、せっかくだから隣の帝国ホテルでお茶でもしようということになった。

石川さんもここで合流。

ホテルの中に3か所カフェがあった。

私たちは眺めのいい上の方のカフェに行くことにした。

石川さん

カフェはたくさんの人でにぎわっていた。

私はお腹がいっぱいなので紅茶をたのんだ。

野村さんは泡がなめらかだという生ビール、石川さんはケーキセット。

 

野村さん

 

帝国ホテルを堪能して、私たちは銀座に向かった。

映画を見るか、文房具屋に行くかなどと話していた。

結局、ぶらぶらと歩きながら文房具屋へ行った。

歩行者天国だった。

私は文房具が大好きで、その話を野村さんにしたら彼女も大好きで、東京に行ったら、ITOYAへ行きましょうと話していたのだ。

ITOYA。また行きたい。

私は初めてのITOYA。楽しかった。

野村さんとこのノートがいいだの言いながら、ノートの階に2時間近くもいた。

疲れた石川さんは階段の近くのイスで寝て待っていた。

いろんな種類の事務イスが並べてあって座り心地を確かめられるし、休憩所にもなっている。

私たちもようやくノートを品定めし、椅子に座って休憩。

そしてお腹がすいてきた。

また銀座を三人でぶらぶらと歩きながら、店を探した。 […]

撮影報告 その94 大間原発訴訟 東京報告会

東京YWCAにて。

 

 

2012年2月3日。

YWCAに到着。案内してくれた橘さんにお礼を言って別れる。

私は事務所に行き、ここに事前に送っていた三脚を受け取り、撮影の準備にとりかかる。

一坪君にはニューキャメラで三脚を立てて広い画を撮ってもらい、私は手持ちで人をねらって撮ることにした。

奥田さんはみんなの飲み物を買ってきてテーブルにおいた。

細やかな心遣いにみんな感激していた。

 

17:00 会場に入れる時間になり、竹田さん(会の代表)、中森さん(会の副代表)、野村さん、石川さん、奥田さん、竹田さんの友人たち、みんなで会場づくりを始めた。

あまり大きな部屋でない。

混雑が予想されたので、なるべく椅子を並べられるようにいらない机を隣の部屋へ移動した。

小笠原厚子さんと娘さんもやってきた。

原子力資料情報室の澤井正子さん、森越弁護士、河合弁護士もやってきた。

嬉しいことに、開催時間が近づくにつれ、続々と人がやってきた。

映画仲間の早川由美子さんも来てくれた。

もう会場は満杯状態だった。

一番奥が早川由美子さん。

 

スイスの放送局、道新などいくつかのメディアが取材にきていた。

中央が代表・竹田とし子さん。左が副代表・中森司さん。

いつものように野村さんが司会を担当。

 

左が司会の野村さん。

 

 

まず、大間原発訴訟の会代表の竹田さんがごあいさつ。

大間原発の建設を止めたい。

次の世代に原発を残したくないという強い思いを語った。

小笠原厚子さん

 

 

次に原告の小笠原厚子さんが、地元・大間で原発に最後まで反対を貫いた母・熊谷あさ子さんのことを話した。

大間の海は宝の海。自分もその意志を引き継いでいくと厚子さんは力強く語った。

河合弘之弁護士

 

 

2月 21st, 2012 | Category: 原発, 新作撮影報告 New ! | Leave a comment

撮影報告 その93 「私を生きる」と経産省前テントひろば

 

渋谷・オーディトリアムにて。土井敏邦監督(左)と記念撮影。

2012年2月3日。

 

 

震災以来、初めての東京。

今回は、この日の夜に行われる大間原発訴訟の会の東京報告会の撮影が主な目的だ。

一坪君も撮影に参加してくれることになった。

奥田さんも彦根から参加することになった。

この日の午前中は、去年の秋、新得空想の森映画祭で出会った土井敏邦監督の「私を生きる」の上映最終日。 土井監督も挨拶のため劇場に来るから、一緒に行こうと函館の野村さんに誘われた。

というわけで、野村さん、石川さん、奥田さん、一坪君と映画館で合流することに。

映画祭では土井さんの「沈黙を破る」を観てスゴイと思った。

そして飲みながら話をしても共感することが多く、とても刺激になった。

映画祭の後、土井さんが「空想の森」を観たいということで、DVDを送った。

そして年末、DVDと共に丁寧なお手紙をいただいた。

その中には「空想の森」の感想が書かれてあった。

この手紙で一年間はシアワセに生きていけるほど嬉しい内容だった。

そして土井さんからの手紙は私の宝物の一つになった。

撮影機材で荷物が多い。しかし土井さんに会えるのだから、朝のラッシュ電車もなんのその。

10:00 東京・渋谷のオーディトリアムにギリギリ間に合う。

一坪君が来ていたので並んで鑑賞。

午前中だというのに、結構たくさんの人が観に来ている。

いい映画だった。

土井さんが魅力を感じた人たちの物語だった。

それが伝わってきた。

上映後、観客の質問に答える土井さん。

 

この映画はジワジワと人に伝わっているそうだ。

上映が延長になったり、次々と劇場上映が決まったり、海外での上映も決まったそうだ。 多くの人に観てもらいたい映画だと私も思う。

上映後、人であふれるロビーで、野村さん、石川さん、奥田さんと合流。みんなそろった。

人の波がひいたところで、土井監督にご挨拶をした。

一坪君と奥田さんを紹介した。

お客さんの入りも、反応もよく、土井さんは嬉しそうだった。

そして、土井さんはまた「空想の森」のことを大絶賛してくれた。

私は褒められることに慣れていないので、こそばゆいような気持ちだった。

土井さんに褒められるのは私にとって本当に嬉しいことなのだ。

興奮気味で劇場を後にした。

お昼を過ぎていたので、センター街の台湾料理の店にてみんなでランチ。

この店は藤本さんに連れてきてもらった店で、以前も一坪君や映画仲間と長時間飲んで食べた店だ。

まずは生ビールで乾杯。 私は一気にテンションが上がって絶好調。

渋谷でこのメンバーでランチするなんてなんて面白いのだろう。

[…]

新作映画の仮タイトルを決めました

 

新作映画の仮のタイトルを決めなくては、どういうタイトルがいいか、ずっと考えてはいたのですが、なかなかこれぞというものが思いつかないでいました。

最近、これでどうかなとういタイトルが思いついたので、お知らせいたします。

『世界が変わってから ~今ここに在る私たち~(仮題)』

「何を表現したいのか。どうして表現したいのか。」

処女作「空想の森」の製作中、ずっとそのことを考え続けていました。

その時点の私の答えが、「空想の森」という映画となりました。

食べ物をつくること、大地の上で働くこと、仲間、音楽、そして映画。自分にとって大事なことや面白さは、日々の暮らしの中にあったのでした。

 

2011年3月11日。世界が変わりました。私はひどく動揺しました。

恐怖・不安・怒り…。そのような感情がどっと押し寄せてきました。

「一体私に何ができるのか。何をしたいのか。」いてもたってもいられない気持ちの中、私は考え続けました。

津波・原発事故を目の当たりにしながら、根底から変わらなければという思いが込み上げてきました。自分は何をしたらいいのか。

そして、映画をつくる人間として、3月11日のことを自分なりに記録しようと決めました。

3.11に何を感じ、考え、どのように未来を見出そうとしているのか。

「空想の森」に出演してくれた人たち、上映をしてくれた全国の人たちに、このことを聞いて、撮影することから始めよう、そう考えました。

私自身が、この先の光を見出したかったからだと思います。

 

そして4月、撮影の旅を始めました。

新得共働学舎の宮嶋望代表、「空想の森」の出演者・宮下喜夫さん、鷹栖町の松下音次郎・理香子夫妻、道南・大沼の山田圭介・あゆみ夫妻、函館・こなひき小屋の木村幹雄・由紀枝夫妻、函館の野村保子さん、喜茂別の三田健司・紗衣子夫妻、厚沢部の山北紀彦・恵理子さん夫妻、滋賀県・ブルベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さん、高島の原田将・麻利夫妻、彦根・滋賀大学経済学部の中野桂さん、彦根の奥田好香さん、能登川・ファブリカ村の北川陽子さん、群馬県のすぎな農園の竹渕進・智子夫妻、農カフェの岩田紀子さん、アグリの甲田崇恭さん、たかさきシネマテークの志尾睦子さん、福井県の玉井道敏さん、萌叡塾の谷崎篤輝さんなどなど。

「空想の森」のつながりから、どんどん広がっていき、2012年1月現在100人を超える方々のお話をお聞きしています。

それぞれの地域で、それぞれの立場で、自分の思いを率直に話してくださいました。

それが私にはとても嬉しいことでした。

キャメラを挟んでお話しを伺いながら、思いを共有したり、心が洗われるような気持ちになったり、毎回感動の連続です。

インタビューの後、その人の仕事を見せていただいたり、泊めていただいたり、ご飯を一緒に食べたりすることも、この撮影の大きな魅力の一つです。

 

インタビュー撮影で私は皆さんから力をいただき、それが、確かに次への原動力になっています。

道南・大沼の山田圭介・あゆみ夫妻がきっかけで、青森県の大間原発訴訟の問題を追うことになりました。

私は初めて「運動」というものにキャメラを向けることになりました。

反原発運動を何十年も前からずっとやり続けている函館の野村保子さん、青森県・大間町の奥本征雄さんに出会い、とても魅力を感じました。だから私はこの問題をこれからも撮っていきたいと思いました。

 

奥本さんから紹介していただいた大間の漁師・山本昭吾さんとの出会いも感動的でした。

冬のイカ漁の船にいっしょに乗り込み、撮影させてもらいました。

そして大間原発についてどう考えているかを伺いました。

これからも撮影させてもらおうと思っています。

奥本さんから、大阪の昆布屋の土居純一さん(4代目)も紹介していただきました。

土居さんの昆布は北海道・南茅部のものを使っています。それなので、もし大間に原発ができたら昆布屋の死活問題ということで、原発に反対しています。

昨夏、土居さんは道南の山田農場を訪れ、大間原発の話を聞き、そして大間を訪れ、奥本さんに大間原発の現場を案内してもらったのでした。

その話を、山田圭介さんと奥本さんから聞いた私は、ぜひ土居さんのお話を伺いたいと思い、年末に大阪の土居さんを訪ねました。

昆布はただの昆布でなく、大阪の食文化をつくったのだということがよくわかりました。

昆布屋という職業に真摯にひたむきに向き合っていることに感動しました。

そして自分も居ずまいを正されました。

滋賀県・彦根では、2006年3月24日に志賀原発2号機運転差し止めの判決を下した裁判長・井戸謙一さんのインタビューをさせていただきました。

福島県・会津若松では、若松栄町教会の牧師・片岡輝美さんに出会いました。

私は初めて福島の地で会津若松に暮らす人や被災してきた人たちの話をお聞きしました。

撮影中、話を聞いていて涙がこみ上げてきたのは初めての経験でした。

色んな方々のお話をうかがいました。面白いことがありました。

おいしいものもいただきました。

たくさんのことを学ばせていただいています。

その中で共有した時間は私にとって何ものにも代えがたいものです。

そして今回の撮影の中で初めて出会った人たちがいます。

この撮影をしなければ出会えなかった人たちです。

[…]