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新作撮影報告 その100 ラムヤート・5年目の冬 その3

村上先生を囲む会。2次会の佐々木ファームにて。

 

 

2012年3月3日。

午後から助産師・村上喜子さんを囲む会。

私もマスキ君一家といっしょに参加することになった。

私はキャメラを持って、ゴンちゃんはこのために焼いたパンを持って、みんなで会場に向かった。

 

村上先生のもとで自宅出産した家族たちが、年に一回洞爺に集まって飲んで食べる会。

今年でもう10回目になるそうだ。

お父さんたちは、この後の2次会を楽しみにしている。

会場のコミュニティーセンターには、たくさんの家族が集まっていた。

子どもたちは元気よくそこらじゅうを走り回っていた。

大人たちはテーブルを囲んで話に花を咲かせていた。

それぞれが腕によりをかけた一品を持ち寄り、テーブルの上は美味しそうなものでうまっていた。

私は泡盛を差し入れた。

齊藤ミサコさん。右が娘のこの実ちゃん。

喜茂別の三田健司一家、斉藤愛三一家など私の友人たちもいて、久しぶりに顔を会わせた。

マスキ君がみんなに私を紹介してくれ、撮影をさせてもらえることになった。

まずは、おいしい料理をいただき堪能した。ほんとうにみんな料理が上手だ。

参加している人が、みんながつくってくる料理をいただくのが楽しみなのよと言っていた。

マスキ君とミワさんを中心に少し撮影させてもらった。

マスキ君は大勢の子供たちと廊下で走り回って遊んでいた。

 

そして私は色々な人と会話を楽しんだ。

ここには、3人、4人子どもを産んでいる人たちがゴロゴロいた。

少子化なんてどこの話だろうと思ってしまうほどだ。

食べたり、飲んだり、語ったり、みんなが思い思いに楽しんでいた。

私はおいしいし、楽しいし、とても心地よかった。

村上先生

村上先生とも話をさせていただいた。

豪快で、なんて愛情あふれる人なのだろうと思った。

この人の下で子どもを産んだ人が、その後も先生と集いたいという気持ちがわかる気がした。

それもお父さんたちがそう思うところがすごい。

途中マスキ君一家は、お葬式が入りいったん会場を後にした。

私は引き続き飲んで食べてしゃべった。

三浦さんと息子のイッキュウくん。

夕方お開きになった。みんなが片付けをしている中、酒瓶を片手にまだ飲んでいたのが三浦さんだった。

私は愛三さん一家の車に乗せてもらい、2次会の会場・佐々木ファームへと向かった。

佐々木ファームは素晴らしい眺めのところにあった。

佐々木ファームのさゆみさんは、きっぷがいい姉御肌の感じの人だった。

ここでも引き続き飲みながらみんなで話に花を咲かせた。

マスキ一家も戻ってきて、再びみんなと合流。12時まで宴は続いた。

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新作撮影報告 その99 ラムヤート・5年目の冬 その2

マスキ君とゆうら。

 

2012年3月2日。

朝起きて居間へ降りていくとユウラとピリカちゃんが元気に遊んでいた。

ユウラは保育園には通っていない。

前に少し通っていたのだが、合わなかったようだ。マスキ君とミワさん、

そしてゴンちゃんがかわるがわるユウラを見ながら仕事をしている。

 

ミワさんとミアキちゃんは子どもたちといっしょに自主保育についての話し合いに、隣町へ出かけていった。

洞爺湖界隈で自主保育を考えているお母さんたちが増えているようだ。

 

ゴンちゃんとマスキ君と三人で朝食。ゴンちゃんの試作のパン、コーヒー。

ゴンちゃんがじっくりと落とすコーヒーはこれまたおいしい。

ゴンちゃん。

午前中はゴンちゃんの撮影。

この2月から、ゴンちゃんは朝から晩までパンをひたすら試作し続けている。

工房の石窯は老朽化で作り直している最中なので、小さなオーブンで試作を繰り返している。

分量、どんな形でどんな味だったかなど、イラスト入りで詳細に書き留めている。

「パンをつくることが面白いです。毎日時間が足りないです。」とゴンちゃん。

居間は時々保育所のようになるが、子どもたち・ネコたちと共に、ゴンちゃんはマイペースでパンの試作に励んでいる。

ゴンちゃんは、きっと今まで自分が求めていたことを見つけたのかもしれない。

そんな感じがした。

 

マスキ君はこんなことを私に言った。

「パン職人がいなくなって、お客さんたちは心配しているけど、自分は今までのラムヤートよりももっと良くなるイメージがある。

ここの暮らしが好きで、洞爺で暮らしている人がラムヤートのパン職人であって欲しいと思う。

洞爺に来て開業するまでの間に比べたら、今の状況は何ともない。今とても幸せだし、なんとかなるさ。」と。

ミワさんも同じようなことを言っていた。

ラムヤートでみんなといっしょに過ごしていて、私はマスキ君の言葉がストンと腹におちた。

 

また3人で昼食。ごはん、みそ汁、ごぼう。

マスキ君。

そして午後はマスキ君の仕事の撮影。

サオリさんのカフェ・コンテナの内装。

サオリさんもやってきてマスキ君の指導の下、一緒に作業を進める。かがんで力を入れる作業が多く、腰にきそうだ。

サオリさんもいっしょに改装工事。

内装工事の材料や道具は、もらったもの、安く手に入れたものばかりで、それを駆使して作り上げていく喜びにひたるマスキ君。

大概のことは自分でできるんだなあと感心してしまう。

 

夕方、家に戻るとみんな帰って来ていた。

コグレミズホさんと娘のノノカちゃんも来ていて、格段ににぎやかだった。

 

コグレさん。

 

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新作撮影報告 その98 ラムヤート・5年目の冬 その1

高速道路から。新得付近。

 

2012年3月1日。

もう3月。震災から1年が経とうとしている。

怒涛の1年だったなあと改めて思う。

ボワーっと霞みがかかったような山々。

辺りはすっかり春の雰囲気になっていた。

今回も半月ほどの撮影・上映・報告会など、盛りだくさんの旅になる。

 

寝不足でボーっとした頭のまま、洞爺湖・ラムヤートに向けて車を走らせた。

今まで、ラムヤートの撮影は函館で撮影した帰りにすることがほとんどだった。

今回初めてしょっぱなの撮影で、しかも今までで一番長い撮影期間になる。

 

ラムヤート

 

ラムヤートは2・3月は休業中だ。

店は開けていないが、4月からのオープンに向けて、家の補修、設備のメインテナンスなど、やることが山盛りある。

ユウラを抱くミワさん。

今年の冬季休業は、いつもと少し違うようだった。

マスキ君の弟・ユウスケさんがラムヤートでパンを焼くと決めた4年が経ち、彼は独立することになった。

ラムヤートにパン職人がいなくなった。

そして、マスキくんがスカウトし、ラムヤートのスタッフとして働いているゴンちゃんが、パン職人になると決断した。

そんなこんなで、オープンして5年目のこの冬季休業は、ラムヤートの面々にとって、とても大事な時間になっているようだ。

ちなみに私もこの3月で「空想の森」が完成して5年目を迎える。

洞爺湖

「毎日雪かきをしても追いつかないほどだ。」とマスキ君が言っていた通り、洞爺湖は雪の量はすごかった。

ラムヤートに着き、母屋へ入るなり、「ウギャー!」と子どもたちがパワー全開で迎えてくれた。

居間は初めてお会いする人も含めて何やらにぎやかだった。

そのまま私はひとしきり子どもたちと遊んだ。

マスキ家は5匹のネコも一緒に暮らしている。これはミギとヒダリ。

 

 

マスキ君、ミワさん(マスキ君の連れ合い)、ゴンちゃん(ラムヤートスタッフ)、そして神奈川県から子どもと自主避難してきたミアキちゃん、同じく宮城県から子どもと自主避難してきたサオリさんがいた。

ミアキちゃん。

 

私はユウラ(マスキ君とミワさんの息子)とミアキちゃんの子供・ピリカちゃんとイオノちゃんと遊びながらご挨拶。

ミアキちゃんは子どもと3人で豊浦の公営住宅に住んでいて、時々ラムヤートに遊びにくる。

 

サオリさんは、ラムヤートの並びの空き店舗でカフェを始めることになった。今、その内装工事をマスキ君が手伝っている。

話してみると、二人とも実におもしろい人だった。

夕方、マスキ君がサオリさんの店の内装の仕事に行くというので、私も雪道をいっしょに歩いて現場へ。

「この空間の形がコンテナみたいだから『コンテナ』っていう店の名前にしようかと思っているんだ。」とマスキ君は言った。

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撮影報告 撮影部:一坪悠介

昨年11月から12月にかけて、大間、函館で、一坪悠介キャメラマンと新しい映画で初めて一緒に撮影をしました。

その時の撮影報告を書いてくれたので、掲載します。

青森県・大間町・あさこはうすにて。 一坪悠介キャメラマン

 

「いま」を、そして「これから」をどう生きるのか・・・。

撮影部:一坪悠介

 

 

田代監督と一緒に映画作りをするのは今回が2本目になります。

1本目の「空想の森」が完成し、上映が始まってもう2、3年は過ぎたと思いますが、撮影していたのはさらに2年ほど前だったと思います。

まだ、僕はそのとき24歳でした。

ポレポレ東中野で「空想の森」を見たとき、このあと田代さんは何を撮るのだろうと思いました。

録音をやっていた岸本さんも同じことを考えていたようです。

ドキュメント映画は、「なぜ、今この映画なのか」ということが劇映画よりも製作するうえで大きなモチベーションになります。

自分が訴えたいこと、描きたいことが明確になければ、なかなか作れるものではありません。

正直なことを言えば、田代さんは「空想の森」を作り終えて、良い意味で監督としての資質を全て使い果たしてしまったのではないか、とも思っていました。

なぜなら、「空想の森」を見終わったときに、田代さんの映画はそのとき完結していたからです。

最近よくある中途半端な「空想の森2」みたいな映画は見たくないし、田代さんはそういう映画は作らないだろうと思っていたからです。 次回作を作るとしても、相当な充電期間が必要になるだろうと思いました。

あれから5年が過ぎ、僕は29歳になりました。 そして、吹雪く大間崎で迎えてくれた田代さんはあの時と同じように、つまずいてしまいそうになるほど前のめりな監督でした。

また一緒に映画を撮れることに大きな喜びを感じました。

 

大間、函館での二週間の撮影すべてはここでは書ききれませんが、田代さんの車で訪れた土地の全てで素晴らしい出会いがあり、新たな発見がありました。

ドキュメント映画の撮影の面白いところがまさにそれです。撮影をしなければ間違いなく知り合うことのなかった人々の人生に触れ、己の生き方や思考を見つめなおす機会を与えてくれます。

僕にとっての今回の映画の始まりは、やはり3月11日の震災と原発事故だと思います。

あの日、僕は別の映画の撮影で北九州に滞在していたため、ニュースで事の重大さを知りました。

帰京予定が2ヶ月後だったため、東京に残してきた妻のことがとても心配でした。

あの日を境に、漠然と色々なことを考えるようになりました。

妻のこと、家族のこと、友人のこと、地震のこと、原発のこと、この国の在り方、政治、教育、幸せ、生きる、守る、そして次の世代のこと等々・・・。

まとまりがなく、そして答えらしきものも見出せませんでした。

あの震災を目の当たりにして何も感じなかった人はいないと思いますが、具体的な行動にうつせない自分にいら立ちながら、仕事に追われて日々を送っていました。

なぜ焦っているのか、何に焦っているのかわかりませんでした。ただただ、考えていました。

そんな折、同じように考えていた田代さんから今回の映画のお話を頂きました。

「空想の森」のその後を追いかけて、登場人物の方々にインタビューをしている矢先に震災を経験し、悩んだ末に今回の映画を製作することを決意したそうです。

田代さんは、3月11日の震災と原発事故を経験した私たちが「いま」を、そして「これから」をどう生きていくのか、己の在り方、それぞれの幸せの尺度をもった人々やその家族、友人たち、彼らの生活を追いながら模索していきたいと言いました。

僕は是非やらせてほしいと即答しました。

なぜなら、それは僕が震災以降、何か掴めないままやみくもに考え続けていたことの正体であり、そしてそれはきっと今のこの国に暮らす人々が皆等しく漠然と感じていることだと気付いたからです。

誰のためでもなく、自分自身が今後どう生きていくのかを模索するために、この映画に参加したいと思いました。

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撮影報告 その97 ザマーズ 池田敦子さん、須藤瑛子さん、田口敦子さん

ザマーズ。左から田口敦子さん、池田敦子さん、須藤瑛子さん。

 

2012年2月12日。

ザマーズとは、池田敦子さん、須藤瑛子さん、田口敦子さんのこと。

時によって増えたりもするが、元祖はこの三人娘だ。

神奈川県座間市在住。

どこの組織にも属さず、米軍基地反対運動をしている。

辺野古、韓国などにも出かけていき、座り込みやデモなど、精力的に活動している。

 

辺野古でドキュメンタリー映画を撮影していた藤本さんと、座り込みに来ていたザマーズが出会ったのが5,6年前。 そこで、ザマーズが新得・宮下さんの20年以上前からのお客さんだったことが判明。

 

それからザマーズは空想の森映画祭に毎年参加するようになった。

映画もしっかり見るし、たくさんビールを飲むし、スタッフとして賄いの食事などをまかされ、映画祭には欠かせない存在になっている。

筋が通った元気のいい女性たちだ。

 

「空想の森」の製作中から応援してくれていて、完成してからも何度も映画を観てくれている。

 

小田急線・座間駅からほど近いところで、須藤さんが「エプロン」というお弁当屋さんをやっている。

ここがインタビューの場所。 以前遊びに来た時も、ここでたくさん食べて飲ませてもらった。

 

昨年12月9日の大間原発訴訟の裁判に、ザマーズは函館まで傍聴にきてくれた。

そしてその後、函館で楽しい時をいっしょに過ごした。

だから今回はあまり久しぶりと言う感じではなかった。

 

三人それぞれが手料理をつくってきてくれた。

春巻き、太巻き、大根サラダ、韓国料理などなど、テーブルいっぱいに料理が並んだ。 みんな料理上手なのだ。

もちろんビールなど酒も用意していた。

私が撮影しようとすると、まず食べてから、食べてからとザマーズが言う。

そうするとまったく撮影できなくなると思い、食べるまでは撮影をした。

 

どれもとてもおいしかった。

ビールもすすんだ。

食べながら色んな話にとんだ。

ザマーズは昨日の2月11日、代々木にデモに行っていた。

そして今日、こうして料理をつくって集まってくれた。それだけでもありがたかった。

 

案の定、みんなお酒も進み、もう撮影はいいでしょう、ということになった。

私もあきらめて、本格的に飲んで食べてしゃべった。

ザマーズから今日もたくさん力をいただいた。

 

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