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新作撮影報告 その110 大間原発報告会 旭川・こども富貴堂にて

 

らいるのキッチンから

 

 

2012年3月13日。

朝ゆっくり起床。

音次郎さんは1階の工房で仕事。

理香子さんは森の幼稚園の準備。

 

私はゆっくり朝食をいただく。

 

10:00 お母さんとこどもたちが集まってきた。

今日は雪遊びの日のようだ。

らいるの前に高く積もっている雪の上で遊んでいた。

工房ぞうさん

私はキャメラを持ち、下へ降りて行った。

音次郎さんの仕事場を少し撮らせてもらうことに。

音次郎さんの仕事は、障がいのある人の車イスをその人が使いやすいように加工することだ。

音次郎さん

 

いっしょに働いている、アスマクン、マルチャン、バタコさんも撮影を快くオッケイしてくれた。

アスマクン

 

和やかで自由な雰囲気の仕事場だ。

工場では、男性陣3人が、時に井戸端会議をしながら仕事をしているそうだ。

最近はどうしても原発の話題が多くなってしまうそうだが、時々女性には聞かせられない話題もするという。

ここには、色々な種類の機械が置いてあり、車いすや器具の加工などを主にやっている。

バタコさん。

工場の奥は、車いすの背もたれや肘掛などの布を裁断して縫い合わせる仕事部屋。

 

ここでは、紅一点のバタコさんがたくさんの生地に囲まれながら一人仕事をしている。

 

いつもは四季で移り変わる周りの田んぼの風景をみながら仕事をしているが、今年は雪がハンパなく多いので、窓の外は雪で覆われている。

二階へ戻り窓の外を眺めると、子どもとお母さんたちはらいるの奥にある林の方に移動していた。

そこは田んぼだ。

今は一面の雪原。

 

段になっているところでゴムチューブに乗ってソリ遊びしていた。

なんだか盛り上がっている様子。

 

「雪遊び日和よ。陽子ちゃんもソリやらない?」

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新作撮影報告 その109  らいるへ 鷹栖町 

2階がキッチンらいる・1階が工房ぞうさん

2012年3月12日。

午前中、大越さん夫妻のインタビュー撮影。

お昼をごちそうになった後、私は鷹栖町・キッチンらいるへ向かった。

 

らいるの松下音次郎・理香子夫妻は、以前「空想の森」上映会を地元・鷹栖町で開催してくれた。

それからのお付き合いで、昨年4月、新しい映画の撮影を始めてすぐに、私は松下夫妻のインタビューをさせていただいた。

その時の夫妻は3.11に、特に原発の事故にとてもショックを受けていた。

 

あれから夫妻は動き出していた。

原発の問題を扱った映画の上映会をやったり、福島の子どもたちを受け入れたり、反原発のデモに参加したりとめいっぱい活動している。

 

松下さんのインタビューの後、私が大間原発の問題に出会い、そのことを伝えると松下さんたちは即座に協力してくれた。

そして鷹栖で大間原発のことを話して欲しいという依頼を受け、今回旅の最後に寄ることになった。

 

私は原発のことについて、よく知っているわけではない。

しかし映画を撮影する中で、見たこと、聞いたこと、そして出会った人たちのことなら話せると思った。

そのことが少しでも何かのためになるのであれば、私は喜んで話をしたいと思う。

 

 

らいるにつくと、音次郎さんがハグで迎えてくれた。

ここもハンパない雪の量。

 

荷物を部屋に運び込んだ。

 

「先にお風呂にゆっくり入ったら」と理香子さんが言ってくれた。

そしてゆっくりとお風呂につかった。

 

さっぱりして三人で夕食を囲む。

あれから一年たちましたねえ。

三人で話をした。

 

 

私はいつも思う。

音次郎さんと理香子さんは本当に気持ちのいい人たちだ。

 

 

明日は森のようちえん。

週に1回、こどもとお母さんがらいるにやってきて、近所の林へ行ったり、農家さんの手伝いをしたりと屋外で保育をする。

その様子を写真を入れて通信をつくっているのが音次郎さん。

いつも前日の夜にその仕事をして、翌日お母さんたちに渡すのだ。

 

明日は転勤で引っ越す子がいるので、森の幼稚園の後、らいるでお別れ会をするという。

 

そして夜は旭川のこども富貴堂で大間原発の報告会だ。

 

明日も何だか面白い一日になりそうだ。

 

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新作撮影報告 その108  わっか祭 中富良野 その2

スタッフのみんなで記念撮影

 

2012年3月11日。

朝起きて外に出た。

雪がまぶしくて目を開けていられないほどのいい天気。

今日は3月11日。

震災からちょうど一年。

一年後に「空想の森」を上映するなんて、そして新しい映画を撮影しているなんて、あの時、想像だにできなかった。

私は確かに生きているんだなあ。

朝食後、上映会場へ。

スタッフが続々と集まってきた。

朝のミーティングに私も参加。

それから外に出て、みんなで記念撮影。

記念撮影をまかされたダリと舜

映写係のティボと上映チェック。

前の人が観やすいようにスクリーンを斜めにしているため、いっぱいいっぱいに画を映すのにえらい苦労した。

ティボが根気よくやってくれた。

DVD上映だったが、事前にスタッフ試写で本篇を全編観ていて、何も問題はなかった。

 

「空想の森」が映画祭の最後の上映作品。

30人ほどのお客さんが集まってきた。

受付のダリと舜も、子どもたちの相手をしたりして柔和な顔をしていた。

続々と集まってくるお客さんたち。

上映はとてもいい感じだった。

スクリーンを見ながら隣の人としゃべったり、クスっと笑う人がいたり。

とても集中して映画を観ていた。

私はシアワセな気持ちになった。

無事上映が終わり、次は地元ミュージシャンたちによるライブが始まった。

農家のおじさんたちのバンド、若者たちのバンド、フォルクローレのバンドなどなど多彩な音楽をみんなで楽しんだ。

黙祷。

2時46分。

ライブの途中だったが、全員で黙祷をした。

日本中の多くの人が、今この瞬間、3.11に心を向けていることだろう。

みんなそれぞれ何を想ったのだろう。

それはこれから、私たちひとりひとりが表現していくのだ。

惠原詩乃さん

映画祭に参加していたハポネタイの惠原詩乃さんがアイヌの衣装をきて飛び入り参加。

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新作撮影報告 その107  わっか祭 中富良野 その1

中富良野へ向かう道中の月がきれいだった。

2012年3月10日。

函館から中富良野へ移動。

中富良野のわっか祭という映画祭が3月9日から開催されている。

今回が第一回目。

有志で立ち上げた映画祭だ。

嬉しいことに、その最終日に「空想の森」が上映されることになった。

 

昼前に函館を出発。

中富良野は遠かった。

会場の「ぬくもり庵」に到着したのは19:00近かった。

上映会場

昔の木造の小学校の建物で、会場は体育館だったようだ。

中に入ると上映中で、結構たくさんのお客さんが観ていた。

新得のいんであん一家の姿もあった。

とても温かい雰囲気の会場だった。

わっか祭を立ち上げた矢島弘子さん

 

上映が終わると主催者の矢嶋さんがご挨拶。

お客さんに映画の感想などを聞いたりした後、私を紹介してくれた。

私はご挨拶をして、今撮影している映画のことなどを少し話した。

 

そして、ぬくもり庵のすぐ横の昔、教員住宅だった矢嶋さんのお宅に入った。

映画祭の期間中、ここがスタッフの宿となっている。

私も今晩お世話になる。

フランス人のティボ、東京から土日を利用して映画祭を手伝いに来た高校3年生のダリと舜。

そして、まかない料理担当の八木橋さんが今日のメンバーだ。

 

八木橋さんとティボが夕飯を作っていた。

彼は料理も大好きで、カレーをつくっていた。

ダリ

高校生のダリと舜はなかなか面白い子だった。

ダリが年末に富良野で矢嶋さんにあったのが運のつき。

友人の舜を誘い、映画祭のスタッフを手伝いに、汽車で東京からやってきた。

すごい行動力だ。

 

ダリは高校で写真部に入っている。

いつもキャメラを首からぶらさげていた。

映画や写真の話などをして、とても面白かった。

若者たちがいて何だか活気があって、私は疲れも吹き飛んだ。

矢嶋さんも初めての映画祭の張りつめた中だが、何だかとても楽しそうだった。

みんなで食べる食事はおいしかった。

新作撮影報告 その106  第5回大間原発訴訟口頭弁論

前菜。黄色いのが山田農場のチーズ・トム。

2012年3月8日。

野村さん、桜ちゃんと3人でランチに行く。

前から行きたかったコルツというレストランへ。

前菜盛り合わせが目にも美しく、そしておいしかった。

ワインをいただけないのが残念。

左から野村さん、さくらちゃん。

スタッフの女性が、ひとつひとつ、料理を説明してくれた。

その中に山田農場のトムというチーズがあった。

野村さんが「これをつくっているのは友人なんです」と嬉しそうに言った。

このデザートもおいしかったー!

 

デザートを食べ終わると、おもいがけずシェフが厨房から出てきた。

すると、シェフは午後から山田農場に行くとのこと。

そして「空想の森」を見たいと思っていて、まだ見ていないことなど、話がはずんだ。

 

午後から弁護士会館で弁護団会議に参加。

今回の意見陳述も2名。

その一人に小松幸子さんがいた。

小松さんは4人の子どもを持つお母さん。

福島県の鮫川村から函館に自主避難をしている人だ。お連れ合いは歯医者さんなので村に残り仕事をしている。

彼女の陳述は、胸にせまるものがあった。

 

会議の後、野村さんが小松さんと話し込んでいて、私を呼んだ。

そして明日、裁判の前に野村さん宅で小松さんの話を聞くことになった。

小松さんは話したいことがたくさんありそうだった。

私も話を聞きたかった。

野村さんは福島の人たちの思いを、何かの形で発信していきたいという思いを強くしたようだった。

 

 

 

2012年3月9日。

午前中、野村宅に小松さんがやってきた。

撮影をさせてもらいながら話をうかがった。

 

鮫川村でどんな暮らしをしてきたか、3月11日のこと、どうやって避難してきたか、原発のこと、放射能のこと、家族の今の状況などを話してくれた。

小松さんは言いたいこと・話したいことを、私と野村さんにありのまま話せていることがとても嬉しかったようだった。

私と野村さんもそれがとても嬉しかった。

小松さんと出会えてよかったと思った。

私たちも話したいことを話した。

小松さんがすっきりした気持ちで意見陳述ができたらいいなと私は思った。

 

 

 

そして私たちは裁判所へ向かった。

私にとって4回目の裁判。

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