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旅する映画 その79 トロピカルツアー 波照間島 vol.15

波照間の宿・照島荘。

2010年12月10日。晴れのち曇り。上映会前日。

1便の船で石垣から奥田さんがやってくる。

宿のおかみ・星さんと港へ迎えに行く。

船から降りてくるなり奥田さんは「昨日石垣の港で陽子さんを見送っている時から波照間に行きたいと思っていました。」と言った。

そして星さんは私たちを、ニシ浜、ペー浜、島の最南端に案内してくれた。

天気がよく海の青のグラデーションが目に鮮やかに飛び込んでくる。

今の季節がわからなくなってくる。

まあるくあいた岩の間から見えるブルーがキラキラしていた。

ここに海ガメも泳いでいた。

全国の石が埋め込まれている。

ペー浜。ニシ浜より小さくていい感じ。

星砂がたくさんあった。

やどかり。

文代さんのヤドカリの話を思い出した。

その話は後日書きます。

午後。

機材セッティング。

ナオコさんが中学校から借りてきてくれたスピーカーやアンプ、ミキサーなどを店の中に運びこんだ。

14:00過ぎ、島でバンドをやっている龍ちゃんが、休憩時間にセッティングに来てくれた。

骨折していて不自由なのにセッティングをやってくれたリューちゃん。

みのる荘の息子さんで働き者。

縄跳びをしていてで骨折したらしい。

音はすんなりと出たが、DVDデッキで画が出なかった。

ナオコさんが学校に電話をかけて必要なコードの手配をしたりして、なんとかパソコンで画が出るようになったが、差し込み口の接触が悪く、画が出たり消えたりとても不安定な状態だった。

それでDVDデッキでもう一度チャレンジしてみたら今度はちゃんと画が出たのでホッとした。

一時はどうなることやら心配だったが、3時間くらいあれこれやってようやくなんとか上映できることが確認できた。

龍ちゃん、ナオコさんありがとうございました。

店ではすでにパンフとCDを販売してくれていた。

ナオコさんは非常に段取りがよく、効率的にモノゴトをすすめてゆく。島中に「空想の森」のチラシ・ポスターが張ってあった。

小さい子供が二人いて、店も一人で切り盛りしながら上映会の準備はさぞかし大変だったろうと思う。

本当に感謝です。

「せっかく苦労して機材をセットしたし、上映翌日の日曜日、ここで近所の子供たちを集めて何かDVDを見ようかな。」とナオコさんが言った。

それはとてもいいアイデアだ。

この島は映画館もレンタルビデオ屋も本屋も図書館もない。

大きな画面と大きな音でみんなで観たら、子供も大喜びするはずだ。

それから今度はパソコン仕事。

ナオコさんのところで私のパソコンでネットがつなげるように、ナオコさんのパソコンを設定した愛媛県の林さんとやりとりをした。

夜7時半過ぎ、ようやく目鼻がついた。

しかし結局つながらなかった。

宿に戻ると、奥田さんと男性2人のお客さんはすでに夕食を食べ終わっていた。

私は遅れて食事をしながら今日あったことを話した。

星さんの手づくりの食事はとてもおいしく、みんなで話しながら食べると更においしく感じる。

照島荘は居心地のいい宿なのだ。

奥田さんもこの宿と星さんが大好きになったようだ。

明日はいよいよ上映会本番だ。

[…]

旅する映画 その78 トロピカルツアー石垣島から波照間島へ vol.14

2010年12月9日。石垣から波照間へ

ぱいらんどのオバア。

石垣・民宿ぱいらんどにて。 朝ごはんの時、オバアの昔話を聞く。戦後間もない、オバア4歳の時、本島から南大東島に家族で船で渡って行った。

今の難民船のような船にたくさんの人が乗り込み、1週間で着くと言われていたのが、結局1ヶ月もかかった。

オバアは一人っ子で、父親が鍛冶屋だった。家はクバの葉でつくった。

屋根や壁はクバだったそうだ。南大東島はハブがいないので、隙間だらけの家でも大丈夫だった。

涼しくてとっても快適だったそうだ。

土地を開墾し家をつくり、まさに自給自足の暮らしだった。

「早く子供をたくさん産んで両親を楽にしてあげたい」と、オバアは小さい頃から思っていた。

船の中で一緒になった人たちは島南大東島に渡ってからも、家族のように付き合い、苦楽を共にした。

オジイは両親と7人の兄弟の次男で14歳の時、一人島南大東島に渡った。

それから農業などをして基盤をつくり家族を呼び寄せた。

そしてオバアが16歳の時、オジイに恋をして17歳で結婚。

それから毎年子供を産み、5人の子供に恵まれた。

子供を食べさせて行くために、日本全国様々なところに出稼ぎにでた。

現在暮らしている石垣島にも出稼ぎで来たのだが、オジイがここを気に入り、今はここで民宿を営んでいる。

石垣に来て15年になるそうだ。

そして38歳でオバアになり、今では63歳で21人の孫を持つ。

波乱万丈なオバアの人生。

オバアは生きることのつらさ、しんどさ、そして喜び・面白さも大いに味わっている人だ。

あむりたの庭、そして音楽の宮本進吾さん。

智子さんと奥田さんと3人で石垣の上映会場のあむりたの庭、そして音楽へ。主催してくれる宮本さんに挨拶をした。

今年の1月、ひょんなことで彼と出会ったことで、今回のツアーが実現した。

それから私は船で波照間に渡った。

奥田さんがフェリー乗り場まで見送ってくれた。

道すがら西表島にもっといたかったよねなどと話していたら、西表できび刈りを教えてくれた嘉本さんばったり会った。

びっくり。

石垣の船乗り場。この船で波照間に渡る。今年の8月に就航したばかりの双動船。欠航が少なくなったそうだ。

日本最南端の島・波照間へ。 奥田さんと別れて、船で波照間に向かった。

波もなく穏やかな海がどこまでも続いていた。

波照間。ニシ浜。

照島荘の星日出子さん。

港につくと、お世話になる宿の照島荘の星日出子さんが迎えに来てくれた。

以前はこの宿のヘルパーだったのだが、この宿をやっていたオバアができなくなって、後を継いだのだそうだ。

波照間と照島荘をこよなく愛する人だ。

彼女の話を聞いているとこの島への愛情が伝わってくる。

島の中央が高台になっていてそこに五つの集落がある。

[…]

旅する映画 その77 トロピカルツアー西表島 vol.13

2010年12月8日。晴れ。

とても嬉しい事があった。 奥田さんの泊まっている宿に先日映画を見たオジイが来て、宿の人たちに「空想の森」のことを熱く語っていたそうだ。

あの酪農をやっているオジイだ。

その話をきいたオバアはそんな映画やるなんて知らなかった。知ってたら行きたかったのに。

と言ったそうだ。

という話を奥田さんから聞いて、朝からテンションが上がった。

あのオジイがそんなに面白く映画をみていてくれたなんて。これはもう一回ここで上映しなくては。

本日きび刈り日和。今日は大原で大原中学校のきび刈りがある。

この島の学校の子供たちは部活の試合などで石垣に渡らなくてはいけない。

何かと物入りだ。

なので学校でさとうきび畑を持っていて生徒たちでつくって収穫し、収入を得ているのだそうだ。

旅費などを自分たちで稼いでいるというわけだ。

というわけで、きび刈り初日の今日は生徒、父兄、地域の人たちがみんなできびを刈る日なのだ。

私たちもこれに参加させてもらった。

大原なのでトミおばあの家から歩いて畑にむかった。

右手の製糖工場を過ぎると、まもなく畑に着いた。

びっしり車が止まっていたのですぐにわかった。

煙突のところが製糖工場。

9ちゃんの送別会で会った嘉本祥司さん。

彼も手伝いに来ていたのだ。

学生の頃この島に援農できび刈りにきたことがあるそうだ。

その後東京で営業職で働いていたが、やめて西表に戻ってきたそうだ。

私が、「島の男ってカッコいい人が多いよね。」と言うと、トラクターできびを運んでいる人を指差して彼はこう言った。

「本当にそうです。僕はあの人に出会って、いっしょに働いて、ああいう男になりたいと思って島にきたんです。」

カッコいい男はまだまだこの島にいるようだ。

これが鎌です。

祥二さんから軍手ときびを刈る鎌を渡された。

やり方を一通り教わって私たちもきびを刈った。

1、男たちがどんどんきびを切り倒していき、山をつくる。これが力のいる作業でもあり、ハブも出るかもしれないから男がやるそうだ。

2、山になった中から鎌でひっかけて1本きびをとる。先の方の皮をざっと取り、青い葉の根本の茎をぶった切り、節の部分をキレイにしてロープの上におく。

「かさぎ」という作業。

3、一山キレイにしたらそれを束ねてロープでくくる。

これも力がいる仕事だ。

4、くくったきびを大きなトラックに載せて製糖工場に運ぶ。

私たちは2の「かさぎ」という作業をひたすらやった。

ちょっとだけやるつもりが、夢中になって3時間以上もやった。

私です。 初めてのきび刈り。

昨晩山城さんのところでいっしょにご飯をたべた、チベットちゃん。

美しい山々と海に見守られ、100人以上の人たちがきび刈りに精を出した。

富正さんは、きびをロープで束ねていた。

中学生たちも一生懸命。

[…]

旅する映画 その76 トロピカルツアー西表島 vol.12

2010年12月7日。風強し。少し寒い。

5日の上映会に見に来てくてた山城まゆみさん。 15年前に東京からやって来て、この島で農業を営む人と結婚し、3人の子供を育てている。

イラストレーター、ライターなど様々なことをしている活動的で魅力的な女性。

この日、まゆみさんが私と奥田さんを車にのせて島の西の端から東の端まで案内してくれた。

東の端っこの浜。

西表島の東部の集落は戦後に開拓されたところが多い、ということをまゆみさんから聞いて初めて知った。

古見や祖内という集落はずいぶん昔から人が住んでいて、今も昔から伝わる祭ごとなど行事がたくさんある。 かつて西表島はマラリアがはびこるジャングルだった。

戦時中、日本軍が波照間島の人たちを強制的に疎開させた。

そしてたくさんの人たちがマラリアで苦しみ、この島で死んでいった。

戦後生き残って波照間島に帰った人たちも、マラリアで多くの人が死んでいった。

識名信升校長先生の字が刻まれている。

生徒と一緒に疎開してきた識名信升校長先生が浜の岩に刻んだ文字が戦後になって発見された。

「忘勿石」と刻まれていた。この地でおこった悲惨な事実を忘れ勿れという思いが込められている。

現在は発見されたこの岩の脇に、石碑が建てられている。

戦後になってアメリカ軍により、マラリアが撲滅された。

戦後直後、沖縄の島々の人たちの暮らしはひどく大変だった。

長男しか土地を継げないということもあり、西表に活路を見出そうとした人々が移住してきた。

ジャングルだった島を開拓したのだった。

家をつくり、畑をつくり、道をつくり・・・。

だから、今のオジイ、オバアはジャングルを開拓してきた一世なのだ。

ジャングルをかきわけてきた西表島の開拓の歴史はそれほど遠い話でもない。

今も開拓途中であるのかもしれない。

左から石原孝子さん、山城まゆみさん。

まゆみさんがやっている活動の一つに、「西表文化交流推進会」というものがある。

彼女が会長で、副会長が孝子さん。

石原孝子さんは古見という集落で、だんなさんと農家民宿を営んでいる。

農家もやっていてさとうきびなどをつくっている。

中を見せていただいたが、とてもくつろげそうだった。

次に西表に来た時はここに泊まろうと思った。

そしてカヌーでマングローブの川をゆっくりとのぼってみたい。

ここが民宿です。

川の岩に丸い穴があいている。これは「ポットホール」という。

上流から流されてきた石がつっかかって同じ場所でクルクルまわっているうちにできる穴だそうだ。

西表の子供たちは15歳になると島を出る。

高校がないからだ。

なのでそれまでに3つのことやってから島を出て行くという。

一つは仲間川のいかだ下り。二つめは島の最高峰古見岳(469.5m)を登る。

三つめは西表島の山の縦断。

伊谷美穂さんとお子さん。西表エコツーリズム協会にて。

美穂さんは西表に来て7年。

[…]

旅する映画 その75 トロピカルツアー西表島 vol.11

2010年12月6日。晴れ。

昨晩はちょっと飲みすぎた。

嬉しすぎて楽しすぎて。 遅く起きると、一仕事終えた一慶さんが休憩に帰ってきた。 一慶さんも二日酔いでしんどそうだった。 ユキヨが来ていて、カレーをつくってくれて一緒に食べさせてもらった。

おばあの畑にユリが大根を植えていた。

夕方、彦根の奥田さんが西表にやってきた。

本当は昨日の上映を観たかったのだが、なんせ、西表島の上映日程が出たのが遅かったので間に合わず。

久しぶりの再会。

といっても、10月の大津上映会で会ったか。

晩。オフィスIKKEIにて、ユーストリームというもので、世界中継。ゲストは私。 ついさっき、やろうということになったので、それぞれ知り合いに連絡をする。

私も北海道・新得のいんであん、宮下さん、群馬県・榛東村の岩田紀子さんなどに連絡。

左が一慶さん。

こんな感じで映像と音声を西表島から発信した。

30分くらいで終わるかなと言っていたら、なんと1時間30分以上も話した。

一慶さんが「空想の森」のどこに魅力を感じたのかなど、熱く語ってくれた。

一慶さんの心にひびいた、というだけでつくったかいがある。

一慶さんに出会えて本当によかった。

そしてしっかりまだまだ続く「空想の森」のトロピカルツアーの宣伝をした。 見てくれた皆さん、ありがとうございました。

これからもオフィスIKKEIをよろしくお願いいたします。

9ちゃん。

夜は9ちゃんの送別会に私も参加させてもらった。

9ちゃんは6年間西表島で暮らし、ヘアーカットとマッサージの仕事をしていた。

仲間たちが集落で1件しかないカラオケスナックに集まった。

9ちゃんとナオキさんの司会で紅白歌合戦が繰り広げられた。

ビデオを撮っていたので、少し私が撮影した。 しかし面白かった。実に個性的な面々だった。役者がそろいすぎ。

いっけいさんは歌うまい。

9ちゃんがどんな風にこの島で過してきたのかが想像された。

夜中。おばあの家に帰ると、黄緑色の小さな光がみえた。

部屋の中にほたるが2匹飛んでいた。

初めてほたるを見た。

あとで聞いたら「オオシママドホタル」というホタルだそうだ。

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