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旅する映画 その39 九月の風に吹かれて

風に吹かれながらつらつら思う。 モノゴトは記録しなければ、なかったことのように人の記憶から忘れ去られていく。 記録したいもの、または記憶したいもの、あるいは未来に向けて残しておきたいものを、人は様々な形で残そうとしている。

一つのモノを完成させること。 それは自分を分析し、自分と他者との違いを認識・理解していく過程と同じ要素がある。 と最近私は気がついた。

完成したモノはその時点でのその人の集大成。 人間は生ものだから、モノが完成してからも、精神と肉体は刻々と変化していく。 そしてまた、自分と向き合い続ける。 きっと生きている間は、常にそんな作業をやり続けるのだろう。

記憶。 それは本人の心の中にしか映っていないもの。 同じモノを見たとしても、その見方・感じ方は人それぞれ。 十人十色。 自分にまつわる記憶をいかに認識し消化するのか。 生きていくための大事な作業だと、最近つくづく思う。

一人として同じ人がいないのに、 映画を観て共感してくれる人が少なからずいることは、 私にとって大きな喜びであり、原動力になっている。

旅する映画 その38 2009年8月 帯広にて

夏の陽が大地に降り注ぎ、風が緑を揺らしている。

去年の夏、東京のポレポレ東中野で『空想の森』を公開した。

それから私は、映画といっしょに日本を旅している。

つくった映画を自分で人々に届けたい。

そしてその場に身を置き、いっしょに観たいと私は思っている。

映画はライブだ。

観る人・場所が変われば、同じ映画でも前に観た時と違ってみえる。

もっと言えば、同じ劇場でも、毎日観たら一回とて同じに見えたことはなかった。

この一年、5箇所の劇場、5つの映画祭で上映をしてきた。

そこで観た人の中から、「自分の町でも上映会をやりたい。」という人が何人も現れた。

群馬、滋賀、名古屋、京都などなど。今まで6箇所の自主上映をしてきた。

そのどれもが、私にとって宝物のような時間と空間だ。

映画と出会ってから、私自身が初めて映画に関わったのがドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』の自主上映会。

仲間4人で準備し、大勢の人たちを巻き込んでいった。当日、撮影の小林茂さんもお招きし、250人を集客した。

この日のことを、私は一生忘れないだろう。

たぶんこれが私の原点だ。

自主上映会というのは、つくり手の私と、この映画を人に観てもらいたいという主催者の人とのコラボレーションであり、やりたいことを如何様にもできる表現の場であると私は考えている。

どの上映会も主催者の個性が出て面白い。 自主上映を申し出た人のほとんどが初めての経験だ。

だからみんな会場のこと、機材のこと、宣伝のこと、スタッフのことそしてお金のことで頭を悩ませる。一人ではできない。

だから仲間を探す。人を巻き込んでいく。色んな穴がボコボコ開いているから、そこを埋めようとしてくれる人が現れたりする。

同じ地域に暮らしながら知らなかった人たちとの交流がはじまる。

様々な問題をみんなで乗り越え、上映会を成功させた時の喜びは言葉では表せない。

後から振り返ると、準備の過程がスリリングでドラマがあり面白かったりする。

『空想の森』を観て何かを感じ、共鳴してくれただけでも嬉しいのに、更に、もっと多くの人に観てもらいたいから、自分の町で自主上映をやろうじゃないかという人が全国にいることがわかってきた。

映画の力を私は実感するようになった。

映画は多くの人との出会いをもたらしてくれる。

そして日本各地の人の暮らしや仕事に少しだけ触れさせてもらえる。

そこから色々な刺激を受ける。

暮らしている土地は違うが、同じ時代を生き、面白さや喜びを映画を通して共有できることが嬉しい。

目には見えない輪が増えてきている。

これからも空想の森の旅は続く。

第14回SHINTOKU空想の森映画祭2009

空想の森映画祭。 無事終了した。 今年もやっぱりよかった。 映画祭は面白い。

今年は上映した作品の監督が全員、新得に来てくれた。 みなさん、思い思いに色んな人との交流を楽しんでいた。

歌うキネマ・パギやんの「砂の器」は鳥肌が立つくらい感動した。

今年の目玉、藤本監督と影山プロデューサーの「アメリカ~戦争をする国の人びと」(8時間)は予想を超えるお客さんが最後まで観ていた。 私も全部観たいと思った。

新内小学校に人が集う。 柏の大木。 ぎしぎし廊下に人が行きかう。

今年はなぜか、昔の映画祭スタッフや懐かしい人たちが訪れてくれ、再会を喜んだ。 「空想の森」を観てくれた人が、東京や群馬から映画祭に参加してくれた。 「空想の森」は、今年は英語字幕版で上映をした。

ここ数年、神奈川県の座間から映画祭に参加している「座間軍団」の人たちが、 まかないを一手に引き受けてくれた。 おかげで、スタッフはおいしい料理を毎日食べられた。

参加してくれた方々、ゲストの皆さん、スタッフの皆さん、協賛してくれた皆さん、出店を出してくれたみなさん、 本当にありがとうございました。

「アメリカ~戦争をする国の人びと」の藤本幸久監督

「アメリカ~戦争をする国の人びと」の影山あさ子プロデューサー

「ブライアンと仲間たち パーラメントスクエアSW1」の早川由美子監督

「土徳~焼跡地に生かされて」の青原さとし監督

「ナナイの涙」の中井信介監督

パギやん カフェにて。

映画祭が開催される新内の住人たち。

一回目からのスタッフ。いんであんこと芳賀耕一さん。

新内三人娘。 左からいんであんの妻はるみさん、宇井茂子さん、宮下文代さん。

「のはな」という出店をだした野原とはなちゃん。たこライスがおいしかった。 […]

旅する映画 その37 名古屋へ

左から私、谷陽子さん、北村さん。空色勾玉にて。

2009年7月28日。 10:00。

起床。

樋野さんがコーヒー豆をガリガリとひいてコーヒーをいれてくれる。

軽くパンを食べる。そしてまた駅まで送ってもらった。

「じゃあ、10月、山形で。」と言って別れた。

もっと話したかったような、それでいて充分話したようなそんな気分だった。

そして私は名古屋に向かった。

10月に予定している名古屋の自主上映は、小学校の体育館で上映することが決まっていた。

それが、私が帯広を発つ前、実行委員長の北村さんから、学校行事が入ったから体育館が使えなくなったと知らせがきた。

また新たに上映場所を探し、日も決め直さなければいけなくなったのだ。

それで私は関西に行くので帰りに名古屋に寄って北村さんやみんなの顔を見てこようと思った。 名古屋駅から乗り換えて千種駅に降りると、北村さんが北村酒店のワゴン車で迎えに来てくれた。

そして空色勾玉へ。平日なので他のメンバーは来られなかったが、北村さんと谷さんと顔を合わせて話ができてよかった。 上映場所もだいたい目処がついたようだし、上映日も11月に入ってからということで話がまとまったという。

ということで、そのことについて、とりたてて話すこともなかった。

心配は何もなく、よかった、よかった。 私はランチを注文しご飯を食べながら、北村さんや谷さんに京都や神戸での上映こと、出会った人たちのことなどを話した。

ここのランチはとても美味しかった。

そしてコーヒーもとてもうまい。 そして北村さんに駅まで送ってもらい、私は今日の宿、吉田真由美さん・ベコちゃんの家に向かった。

一人で行くのは初めてだったので、乗る電車を間違えるハプニングもあったが、無事に最寄駅に到着。

ベコちゃんが車で迎えに来てくれた。

連れ合いの赤石君は雨の為仕事が早くあがり、家に帰って来ているとのこと。 家に上がると、エプロン姿の赤石君がニコニコと出迎えでくれた。

彼はすでに台所に立ち、夕飯の支度にかかっていた。

早速「何が食べたいですか?」と聞かれ、私は「あっさり、さっぱりしたもの。」と答えた。

私とベコちゃんがテーブルにつくと、ビールをついでくれ、自分は台所に戻り、次々と料理を運んできてくれた。

この家は食事に関しては赤石君が全てをするということを知っていたので、もうすっかり気にならなかった。

私とベコちゃんはテーブルから一歩も動かなかった。 胡瓜の漬物、胡瓜と茗荷のあえもの、ししゃも、はんぺん、炒め物、ご飯、味噌汁。

とてもおいしくていっぱい食べた。

赤石君の料理で私は生き返ったような気がした。

とても疲れていてヘロヘロだったが、食べるうちに次第に元気を取り戻してきた。

楽しくおしゃべりをして22:00には床に就いた。 今回の京都・神戸での上映はあまりに多くの人に出会い、色んなことがあってまだ頭の中はグルグルしている。

上映に歩けば歩くほど、人と出会い、気持ちを共有する時間が増え、そのつながりが広がってゆくことだけは体感していた。

とにもかくにも、無事この夏の山場を乗り切った充実感が体を満たしていた。

旅する映画 その36 神戸アートビレッジセンター3日目

2009年7月27日。 荷物をまとめ、布団を片付け、支度をしていると8:20、仕事服を着た真知子さんが迎えに来る。

今日は月曜日。

もうすぐ仕事が始まる。

あわただしく荷物を車に積み、舞子駅まで送ってもらう。

3日間、本当にお世話になった。

そしてお会いできてよかった。そのお礼を言うと、「またいつでもデイを使っていいのよ。」と言った。

そして彼女は仕事に向かって車を発進させた。 電車1本で新開地に着いた。

まだ少し早かったので、劇場の近くの喫茶店でモーニングを食べる。

久しぶりのコーヒーを飲みながら、ぼんやりと真知子さんとの出会いを思ったりした。

今晩は樋野さんのところに世話になる。

宮下さんと文代さんの昔の職場の同僚たち

3日目。10人ほどのお客さんが来てくれた。そのうちの4人は、宮下さんと文代さんが北海道に入植する前、神戸の福祉施設で働いていた時の同僚たちだった。

上映中、時折笑い声が場内にひびいていた。 上映後、彼らとお話をすると、「二人ともあの頃とちっとも変わってへんわ。」と。一人の女性が「文代ちゃんが、何もないけど幸せや、と言っていた意味がわかったわ。」と言った。

無事上映終了。

私が舞台挨拶をするのは今日で終わりだ。

今晩は樋野さんの家に泊めてもらうので、荷物をアートビレッジに預かってもらう。

そして樋野さんに近くの風呂屋を調べてもらった。

三宮の駅の近くに女性専用の温泉があることを教えてもらい、樋野さんの仕事が終わるまでそこでお風呂に入ってゆっくり過すことにした。19:00にまたアートビレッジに戻ってくることにして、私は空身で三宮に向かった。

この時私は結構ヘロヘロだった。

その温泉は三宮駅から歩いてすぐだった。

温泉やサウナに入った後、仮眠室で眠った。

時間に起きると、体はまだ重いが、だいぶ回復したような感じがした。

そして気分はさっぱりとしていた。

アートビレッジに戻ると、間もなく樋野さんの仕事が終わり、映写の松浦さんといっしょに帰途に着いた。

途中食材やビールなどの買い物して、樋野さんのお宅に向かった。

今晩は友人を何人かよんでいるとのこと。

食卓

樋野さんの部屋はこざっぱりしていた。

さっそくグラスや箸を用意したり、フランスパンを切ったり3人で準備を始めた。

樋野さんは押入れからコタツ机を出し和室に置いた。

胡瓜とらっきょうの酢醤油ごま油あえ、バオバブ入りココナッツミルクカレーなど、前の日から仕込んでいた料理をテーブルに並べた。

バオバブは色々と薬効があるとのこと。そしてビールで乾杯。

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