ハル小屋
ハル小屋(森町)・喜茂別町での上映会は私にとって非常に感慨深い上映会となった。
函館上映会が決まったことをきっかけに、ハル小屋の方は、七飯町と函館でパン屋を営むこなひき小屋のおかみさんが、喜茂別町は、N’DANAのメンバーでもある三田健司さんが中心になって上映会を計画してくれた。
函館映画鑑賞協会の佐々木さんも来てくれた
2009年9月29日。 晴天。夕暮れ時の山の端が、すばらしくきれいな日だった。 おかみさんの友人、ハルエさんの素敵な小屋での上映会。
おかみさんが学舎の野菜(かぼちゃ、人参、芋、とうきびなど)を取り寄せて販売もした。
ハルエさんの娘さんたちがつくった料理と好きな飲み物を飲みながら、お客さんは思い思いに映画を観た。
森の中。木の香りがただよう小屋で、贅沢な時を過した。
2004年秋。
20分ほどにつないだラッシュフィルムと16ミリの映写機を持って映画づくりのアピールと資金集めを兼ねて道内をまわった時、
七飯町の親方の自宅で上映させてもらった。
当時はまだ撮影に手応えがなく、どんな映画するのか、私自身もさっぱりわかっておらず、明るい材料がなく、先が見えなくてもがいていた。
そんな時に七飯町のおかみさんと親方、大沼の池田誠さん、富良野の大越さんがラッシュ上映の機会を与えてくれ、人を集めてくれた。
そのことがその後、どれほど私を支えてくれたことか。
ハル小屋では、午後と夜に2回上映をして、60人ほどの人が足を運んでくれた。
その中にラッシュ上映会に来てくれた人が何人かいて、嬉しい感想をいただいた。
自主上映に興味を持った女性も現れた。
私は兎にも角にも、完成した映画を見せることができて心からホッとした。
撮影時、共働学舎にいて撮影にも協力してもらった山田あゆみさんは、学舎のチーズ職人の山田圭介さんと結婚して独立し、この近くで農場を営みチーズをつくっている。
あゆみちゃんも来てくれた。
圭介はすでに映画を観ているので、家で二人の子供の子守をしているという。
明日時間があったら山田農場に泊まりに来てねと誘ってくれた。
親方
親方は2回とも初めから終わりまで映画を観ていた。
どんな風に映画を観たのだろうと、私は気になっていた。
その親方から嬉しい言葉をもらった。
そして「今度は厚沢部で上映会やろうよ。」と親方は言った。
あきらめないで完成させてよかったと私は心底思った。
2009年9月27日。 6:30。起床。
今日はいよいよ上映会だ。
函館市民会館小ホールで3回上映をする。
長い一日になる。
しっかり朝ごはんを食べた。
7:45。
佐々木さんが宿に迎えに来てくれ、彼女の車についていく。
駐車場に車を止め、機材・物販のものなどを滑車に積み、3階の小ホールへ。かなり広い。
平席で100脚ほどパイプ椅子が並べてあった。
後方には掲示物がパネルに展示されている。
映画にも登場したチーズ職人の山田圭介さんが、独立して七飯にやってきてチーズをつくっている。
その山田農場に函館映画鑑賞協会の方たちが訪問したことが写真もまじえて展示されていた。
長テーブルにお茶などの飲み物が用意され、休憩スペースも作られていた。
私は映像と音のチェック。
スクリーンの真ん中に傷があり、かなり気になった。少し小さくなるが、傷のないスクリーンを使うことにした。
音は少しこもり気味だか、それ以上調整はできないのでよしとした。
[…]
2009年9月26日。 8:00。
私は函館に向かって車を走らせた。
3日前に空想の森映画祭の片付けが終わったばかり。
疲れと高揚感がまだ体に残っていた。 5年前、まだ完成がほど遠かった頃に函館でラッシュ上映会をやってくれた方々に完成した映画をようやく観てもらえること、今回が北海道で初めての自主上映ということなどで私はドキドキ、ワクワクしていた。
いったい、どのくらいの人が観に来てくれるのか、どんなふうに観てくれるのか。 「収穫の 大地を縫いて いざ函館」
途中、二風谷の高野さんの店に寄った。
高野さんはアイヌ紋様の彫師。
お盆や小刀の柄など生活用品に素晴らしいアイヌの模様を彫る。
残念ながらこの日、アイヌ刺繍をする奥さんは留守だった。
久しぶりだったので映画が完成したことなど、近況を報告。
高野さん
店の壁にトンコリらしきものがつるされていた。
ただ今製作中とのこと。
高野さんはトンコリについて話し始めた。
この楽器は、元々は子を亡くした母親のための楽器だった。
天国の我が子と交信するための楽器で、母親は子を亡くした悲しみをトンコリを弾くことで癒していたという。
だからトンコリは人間の形をしている。
頭、首、胴、ヘソ(穴の部分)、腰(アザラシの毛がある部分)、足。中にはトンボ玉が入っていて、トンコリを揺らすとカランコロンと音が鳴る。このトンボ玉は魂だそうだ。 もう一つ、アイヌコタンにはシャーマン的な女性が一人いて、その人がトンコリを使って神と交信し、神の言葉をコタンの人たちに伝えていたという。 弦は鹿の腱を使う。
これをつくることができるのは日本で高野さんの奥さんしかいないということだ。 トンコリについての興味深い話を聞き、私は高野さんと別れ、函館へと車を走らせた。
17:00。高速道路を使い、途中休憩をしながら、よくやく函館に到着。
やはり遠かった。
実行委員会が用意してくれた宿にチェックインした。
今晩、今回の上映会を主催してくださる函館映画鑑賞協会の方々と夕食をすることになっていた。 間もなく、佐々木さんが迎えにきてくれて、居酒屋に歩いていく。
当日司会をする田村さん、事務局の境田さん、ユニバーサル上映の日本語字幕をつくった橋本さん、野村さん、木澤さんなどが集まった。
みんなで明日の上映会に想いを馳せながらの愉しい晩餐だった。
店を出て、もう一軒行こうということになった。
橋本さんの馴染みの店にみんなで行った。
看板のないバーだった。
なかなかいいお店だった。
ウイスキーでもキュッといきたいところだったが、居酒屋で生ビールを2杯飲んだし、明日本番なので私はコーヒーにした。
函館実行委員会の方々が温かく迎えてくれたこと、そして、函館映画鑑賞協会の29周年の記念上映会に「空想の森」を選んでいただき、一人でも多くの人に見せたいと思い、みんながこの上映会に向けて、大変力を入れて取り組んでいただいたことに私は胸がいっぱいになった。
14回目の空想の森映画祭が無事終わった。
よくもまあ、続いているなあとしみじみ思う。
14年前のこの映画祭で、私は映画とシアワセな出会い方をしたと今思う。
このような出会い方であったからこそ、私は映画をつくったのかもしれない。
完成した映画は、公開から一年以上が過ぎた。
各地で上映を続けながら、「空想の森」も間違いなくこの時代から生まれた映画なのだと強く感じている。
私のベースはこの空想の森映画祭だと改めて思った今年の映画祭だった。