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旅する映画 その49 滋賀会館シネマホール物語 part.1

●滋賀会館シネマホールでの上映につながるまでのこと 滋賀県は琵琶湖の湖北・余呉町。

静かなたたずまいの余呉湖。

そこで米をつくっている若き野良師・前田壮一郎さんが、今から一年ほど前の2009年3月、「空想の森」を上映してくれた。 この上映がきっかけとなり、その後の10月、成安造形大学(滋賀県大津市)のカフェテリア結での上映へとつながった。

余呉に映画を観に来てくれた大津在住の原田将さんが仲間と主催してくれた。

そして、ここで映画を観てくれた彦根の奥田好香さんが、その場で、彦根上映会をやりますと宣言した。

上映の度に人がつながっていった。群馬県と同じような感じで、前の上映の主催者の人たちが、次の上映をしっかりと支えてくれた。

●滋賀会館のこと そんな人の縁から、滋賀県で唯一のミニシアターである滋賀会館シネマホールでの上映が決まった。

私は映画館という環境でまた滋賀県で観てもらえることを喜んだ。

しかし、この時点で滋賀会館シネマホールは2010年3月に、滋賀会館の閉鎖と同時に閉館がほぼ決まっていた。 滋賀会館は滋賀県の建物で、現在はテナントとしてシネマホールや喫茶店などが入っていたり、文化教室などで使用されたりしている。

昭和29年にオープンした同会館は、県内初の地下名店街、ホテルなどを有する先進的な複合施設として全国から注目を集めた。

特に1200席の大ホールは洋画の封切館であると同時に、演劇やコンサートなどの開催にも対応できた。

しかし県内の他の施設の充実により、文化振興の拠点としての役割が小さくなる一方、施設も老朽化。

県の財政も悪化。

これまでに、閉鎖の話が何度も持ち上がり、その度になんとか存続してきたのだった。

これが県庁です。

●宣伝に上映現場に行った時のこと そんな中、2010年1月、私は沖縄営業の帰りに、2月中旬の「空想の森」公開に向けての宣伝のために、初めて滋賀会館を訪れた。

何かなつかしい雰囲気のある建物だった。

古さがかえって味がある。道を挟んだ真向かいには、国会議事堂のミニ版といった風情の県庁の建物がそびえているのが印象的だった。 取材の合間に、シネマホールスタッフの瀬藤や野田さんと色々話をした。

仮に滋賀会館が存続になったとしても、シネマホール自体がこのまま経営を続けていくことは難しい状況の中、滋賀会館の閉鎖、シネマホールの閉館もいた仕方ないという何とも悲しく苦しい胸の内を垣間見た。

若い野田さんはこの滋賀会館に愛着があり、このまま終わりたくないという気持ちを持っていた。

部外者の私だが、ここでこのタイミングで上映になったのも何かの縁。

話を聞きながら私は、「空想の森」を上映することで滋賀会館に一花咲かせたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。

右がくさつパイオニアファームの仁張将太さん。

宣伝最終日、大津駅の近くの自然派イタリアンレストランで交流会を開いてくれた。

「空想の森」上映を成功させるために、劇場スタッフ、協力者の人たちが集まった。

そこで、上映だけでなく、イベントもやって盛り上げ、たくさんの人に滋賀会館に足を運んでもらおう!ということで、飲みながら食べながらみんなで話をした。 野田さんはイベントの中で滋賀県の農産物の生産者と消費者を直接つなげたいという思いを持っていた。

それで、何かいっしょにやりたいと、この場に草津パイオニアファームで米をつくっている仁張将太さんをよんでいた。

とてもいい顔の青年だった。

そのイベントを野田さんが中心となってすすめていくことになった。

そして私は早速、余呉の前田さんと彦根の奥田さんを野田さんに紹介した。

旅する映画 その48 沖縄トロピカル営業

桜坂劇場(那覇市)での上映が決まりました。 2010年1月。 今年の冬は雪も多く、例年より寒い帯広でした。 そこで、暖かい沖縄へエイヤと営業に行くことに。

石垣島、与那国島、那覇の桜坂劇場、名護とめぐった珍道中。 行く先々での様々な人との出会い。

そして大きな収穫も。 濃い時間を過ごしました。 うまい酒と食べ物。 沖縄での上映に、今から心躍らせています。 ペンションぱいらんどのおばあと智子さん。 石垣島 民宿おもろの真奈美さんと。 与那国島 与那国島 入波平酒造の職人の頭。そのおかみさん。 昨年10月彦根で出会った自転車乗りのハジメちゃんがバイトしていたところ。 お二人ともハジメちゃんをよく憶えていた。 ここで60度の舞富名という花酒を買った。 与那国島 ユキさんちから。(カレー屋) 与那国島 民族資料館の池間 苗さん。 与那国の昔の暮らしを丁寧に説明してもらった。 与那国島 ひょんなことから出会った映画同好会の面々と。この3日前に同好会が発足したばかりだった。石垣には映画館がなくなってしまった。 あむりたの庭、そして音楽にて。石垣島 民宿てるやの京子さん。 パーラーふたみにて。 沖縄本島二見(名護市) 民宿てるやの林一さん。パーラーふたみにて。 沖縄本島二見(名護市) 京子さんと友人の栄子さん。 パーラーふたみにて。 海と風の宿の成田さん。 彦根で出会った自転車乗りのハジメちゃんがここでもバイトしていたのだ。 この宿が改修中だったため、近所の民宿てるやを紹介された。 本島二見の近く。 時は2010年1月24日の名護市長選直前。

 

与那国で出会った陶芸家の山口さんに勧められ、佐喜真美術館へ行った。 ここは普天間基地に隣接している。 修学旅行の高校生たちが佐喜真館長の話を聞いていた。 佐喜真美術館の屋上から普天間基地を見た。 川平湾。 石垣島にて 与那国島にて 辺野古にて […]

旅する映画 その47 ブラボー!名古屋上映会

打ち上げ空色勾玉にて

7:00。起床。天気は上々。

気持ちのいい陽が降り注いでいる。よっしゃっー!と身支度を整え下に降り、朝食をいただく。

アキちゃんと久美子さんは6:00から準備をしていた。

荷物満載の北村酒店のバンに乗り込み、アキちゃん夫婦、娘の結ちゃんと会場へ向かった。

本山生協の前にて

8:30。会場は本山生協4階のホール。

店の前にすでに10人以上のスタッフが集まっていた。

空色勾玉の谷陽子さん、事務局長の鶴橋美保さん、加藤貞子さん、べこちゃん、赤石君、高橋さん、長沼さんなどの他、初めて会う人も何人もいた。

若者が多くてなんか嬉しい。

9:00にならないと会場に入れないので、とりあえず車から荷物をおろし、生協の前で簡単なミーティング。

そうこうしているうちに時間になり、4階の会場までみんなで荷物を運びあげる。

体育館のような会場だった。天井が高く床も板張りだ。

これなら音はこもらない。音響的にはとてもいい会場でほっとした。

会場左手が食のブース、手前右がキッズコーナー。正面が受付と物販。

アキちゃんと美保さんが指揮をとり、それぞれが持ち場に分かれ準備を進めていった。

出店の人たちも続々と準備にやって来た。

ふと見回すと30人以上のスタッフがわらわらと動きまわっていた。

椅子を200席ほど並べた。

受付嬢の加藤さんと高橋さん(左から)

スピーカーやアンプなどの音響はアキちゃんの友人たちが自前の道具を持ってきてセッティングしている。

そろそろプロジェクターと業者から借りたDVカムデッキをセッティングしようかという時、問題が起こった。

今回生協のプロジェクターを借りることになっていた。

しかし何かの手違いで他のイベントに貸し出しをしてしまっているとのこと。

プロジェクターがない?ガ-ン。

幸いアキちゃんの友人がプロジェクターを持ってきてくれていた。

少し古いが急遽それを使うことにした。

そしてアキちゃんはもう少し新しいプロジェクターを手配したが一回目の上映には間に合わない。

二回目の上映にそれを使うことにした。

けっこう本格的な音響だった

今回はみんなプロジェクターに不慣れだったため、映像の調整に難航した。

画面の左上に黄色いシミがあり、あまりきれいに映写できない。

これは非常に残念だったがプロジェクターのせいなので仕方がなかった。

しかし音がとてもいいので助かった。

お客さんがどんどんやってきて、外は人であふれかえっているようだ。

焦らないよう自分に言い聞かせながら一番いい状態で上映できるよう調整をした。

11月 22nd, 2009 | Category: 旅する映画 (上映日記), 自主上映情報 | Leave a comment

旅する映画 その46 名古屋へ みのや北村酒店

名古屋駅前

2009年11月7日。 昨日、冬タイヤ(車)に履き替えた。

十勝は雪がちらつく日もあり、冬がもうそこまでやってきている。 帯広空港から名古屋小牧空港へ向かう。

もう何度名古屋に来たことだろうか。

上映では3回目になる。

誰も知り合いのいなかった名古屋が、今では多くの仲間がいる親しい町になった。

|みのや北村酒店

今年一月、シネマスコーレで「空想の森」を観たみのや北村酒店の店主・北村彰彦さんが、自分の町で上映会をやりたいと思い、仲間を集め準備をしてきた。

明日11月8日、いよいよ本番の日を迎える。

夕方、私は北村酒店に到着。

店の横の倉庫では、実行委員の女性たちがチーズを切ったり、案内表示、ポップを書いたり、せっせと明日の準備をしていた。

どんな上映会になるのだろうとみんなワクワクしていた。

現時点で前売りチケットは200枚近く売れているとのこと。

これはすごい数字だ。

こんなに前売りを売っている上映会は初めてだ。

間もなく作業を終え、みんなで北村酒店の立ち飲みへ移動。

11月 20th, 2009 | Category: 旅する映画 (上映日記), 自主上映情報 | Leave a comment

旅する映画 その45 歩いて、出会って。

2009年10月22日。 朝起きると、昨晩は暗くてよくわからなかったが伊藤君の家は、部屋がたくさんあり、中庭も縁側もある純和風の家だった。

なぜか白崎さんが来ていた。 今日は、原田君と彦根の奥田さんと三人で、長浜に中野さんのシンポジウムに行く予定だ。

伊藤君の家

9:00。伊藤君は仕事に出かけていった。

私と原田君と白崎さんは朝食を求めて出発。

定休日の店が多く、結局大きなショッピングセンター内のコーヒー屋で軽く朝食をとる。

原田君は今回の主要スタッフの白崎さん、勝又君と、5月のイベントで初めて会い、その時に「空想の森」上映会の話をして機材などを貸してもらうことになったそうだ。へーと思った。

何かをやろうと決めて動き出すと、出会うべき人に出会うのもなんだなと。

きっと次に彦根で上映会をする奥田さんもそうなるに違いないと思った。

そして白崎さんと別れ、私たちは琵琶湖を左に眺めながら北上し、彦根に向かった。

お昼過ぎ。彦根駅で奥田さんと落ち合った。

近くのちゃんぽん屋で彼女が私たちにご馳走してくれた。

昨日の上映会で会ったばかりだが、奥田さんは今までのことや今の状況、これからの夢などを私たちに一気に話しだした。

自主上映をやろうと決め、奥田さんの中で急速に色々なことが動き出しているのだろう。あっという間に時間は過ぎ、気がついたら13:00を過ぎていた。

私たちはシンポジウムの会場のバイオ大学へ向かった。

琵琶湖環境ビジネスメッセということで、色々なことが行われているらしく、広い駐車場にいっぱい車がとめてあった。

私たちは20分ほど遅れて会場に入った。

中野さんが昨日とはうってかわってぱりっとスーツを着て一番手で講義をしていた。

残り10分ほどしか聞けなかったのが残念だったが、パネリストの方々の実際に活動されている話を聞けてとてもよかった。

パネリストはこんな人たちでした。

パネリストの方々

塩見直紀氏。半農半X研究所代表。永続可能な小さな農ある暮らしをベースに天職、ミッションをおこなうライフスタイルを「半農半X」と呼び、提唱。 大石尚子氏。同志社大学大学院ソーシャル・イノベーション研究コース在籍・染織講師。

糸紡ぎワークショップなどを通じて暮らしのあり方を考える「スロークルーズ」を提唱し、衣の自給の社会的意義と可能性を研究している。 菊池玲奈氏。

滋賀経済同友会・企業と生物多様性研究会。

多様な人々の「思い」を引き出し、自然再生や活性化に結びつけるための「協働プロジェクト」のコーディネーターとして活躍。

私は自分の映画上映で各地を歩きながら、今、多くの人たちが、自分の価値観、何を大切にしてどう生きていくのかということを問い直していると感じている。

そういう意味でも私にとって、タイムリーな話を聴くことができてとても有意義だった。

一人一人の個の意識が、社会を変えていくのに大事な要素なのだと改めて思わされた。

シンポジウムが終わり、原田君と奥田さんも中野さんのストローベイルハウスをいっしょに見に行くことになった。

環境メッセの色々なイベントが終わったらしく、車が一斉に駐車場から出て、琵琶湖沿いの道はしばらく渋滞が続いた。

琵琶湖の夕景は素晴らしくきれいだった。

原田君はいつも対岸の大津側から琵琶湖を眺めている。

彦根側から見る琵琶湖もまた違って素晴らしいもんだなあと言っていた。滋賀の人はいつも琵琶湖を見ていて、気持ちの中にいつでも琵琶湖があるのではないかと思った。

渋滞のせいで随分時間がかかって中野さんの家についた。

車を降りると、風がびゅーびゅー吹いていた。真っ暗でよく見えなかったが、家の前の道を渡るとそこは琵琶湖なのがわかった。 中野先生の家に入ったとたん、私はバンクーバーの空気感を思い出した。バンクーバーにいた時、友達の家に遊びにいった時の感じがよみがえった。 中野さんがいれてくれたコーヒーを飲みながら、藁の家の話をした。「藁の家」とは、藁ブロックを積み重ねて、その上に土などを塗って壁に仕上げた家のことで、英語ではストローベイルハウス(straw bale house)と呼ばれている。壁厚は40センチにもなり、高い断熱性と防音性を生み出すといわれている。 妻の和子さんも帰ってきてご挨拶をした。

活動的な感じの人だ。間もなく原田君と奥田さんは帰っていった。 夕食は中野夫妻と蒔郎君、平君の二人の息子さんとレストランに行った。

中野さんは、バンクーバーのUBCという大学で9年間勉強をしていた。

長男はそこで生まれた。和子さんはバンクーバーでの生活がとてもよかったそうだ。

とんかつを食べながら、カナダのこと、今日のシンポジウムのことなどを話した。

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