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撮影報告 その23 大間現地視察2日目

佐井から仏が浦に向かう船からの眺め。 2011年7月31日。大間視察2日目。 佐井港から観光船に30分ほど揺られて仏が浦へ。 海沿いの岩が波に浸食され、平らな面ができる。 それが隆起によって海面より上にあがり、ベンチ(平らな面)ができる。 断層があるのでこういうことが起きるのだ。 仏が浦にベンチがあるとのことで、みんなでそれを確かめに行った。 仏が浦の船着き場付近。 私は小学生の頃、ばあちゃんや家族と仏が浦を訪れたことがある。 海の水がとてもきれいで、岩だらけの浅瀬に魚がいっぱいいた。 もっとここで遊んでいたかったという記憶が今もある。 船着き場の辺りなど整備されていたが、30年ほどたった今も同じように海がきれいだった。 手の届きそうなところにウニがたくさんいた。 このような巨岩がそびえたっている。 向こうの切り立った岩の下にある平らな面の岩がベンチ。 海岸線を見てみると、ベンチが確かにあった。これはわかりやすい。 30分の滞在時間はあっという間に終わり、再び佐井へと戻る船に乗り込んだ。 10:30 佐井港に到着。大間へ向かう。 大間原子力発電所を色々な角度から見る。 小高いところから原発を眺める。 原発まで一番近いところまで行ってみる。道路だと、この先へは行けない。 海岸線はみんなのもの。みんなで波打ち際を歩いて原発に近づいていった。 食べられそうなのりが一面にはりついている。 こんなに近くまできた。 実際来なければ感じられないもの、改めて実感することが多々あった。 原発マネーでできたアワビなどの養殖場。原発のすぐ近くにある。 養殖場の近くの海岸線から原発を見る。 再び本州最北端の大間崎へ。 大間崎から。右の方は濃いブルーの海。そこからどーんと深くなっているそうだ。 漁師さんの店で昼食。ウニ・イカ・マグロの大間丼、マグロ丼、マグロウニ丼、マグロづけ丼などを食べる。私は悩んだ末マグロづけ丼を選ぶ。 とてもおいしかった。 食べていたら、マグロ漁師さんが漁のやり方など、道具も見せてくれながら説明してくれた。 河合さんがすかさず漁師さんに原発についてどう思うかを質問した。 漁師さんはできても仕方がないと複雑な心境を語った。 そして午後のフェリーで大間から函館に帰った。 フェリーの中で、森越さん・大場さん・白さんで、大間訴訟の会で山田農場へピクニックに行こう!と話が盛り上がった。 そして函館の弁護団のリーダー・森越さんと若手の中野さんにインタビューをお願いした。 夕方、函館の港に無事到着。 河合さんが最後に、現場に身を置くことの大切さを話し解散した。 弁護士の人たちも、それぞれの思いでこの裁判をやっていることがよくわかった。 私は4回目の大間訪問だった。炉心に燃料棒が入る前に止めたいと痛切に思った。 […]

撮影報告 その22 弁護団の大間現地視察

2011年7月29日。弁護団会議。 午後から弁護士会館にて弁護団会議。 原子力資料情報室の澤井さん・上澤さんも来ていた。 河合弘之さん。 7月に脱原発弁護団連絡会が発足した。 私も新聞で読んでいた。 会議の冒頭、河合弁護士が脱原発弁護団について話をはじめた。 いつも思うのだが、河合さんはよく通る張りのある声でみんなをひきつける。 3.11は不幸なことではあるが、日本の原発を全て止める絶好のチャンスでもある。 弁護士たちは今までそれぞれのタコツボで戦ってきたが、これからはみんなで連帯してやっていこうと河合さんが全国の弁護士に呼びかけた。 7月16日の初めての会合では全国から100人の弁護士が集まり大盛況だったそうだ。 今までの原発裁判は全戦全敗だったが、これからは全戦全勝だ!と言う河合さんの話をきいていて、私は明るい気持ちになっていった。 会議は夜まで続いた。 函館のフェリー乗り場にて。 2011年7月30日。大間現地視察。 函館・東京の弁護士たち、原告、新聞記者など総勢16名で大間へ現地視察へ。 私は機材を抱えて早速撮影を開始する。 弁護士の人たちもラフな格好でいつもと違った雰囲気だった。 私は若い弁護士の人たちとほとんど話したことがなかったが、何人かの人と船の中で話ができてよかった。 大間か近づいてきて、みんなで甲板に出た。大間原発を船上から見た。 民家と近いことにみんな改めて驚いていた。 奥本征雄さん。大間町在住で前回の裁判では意見陳述をした。 大間に到着すると、奥本さんと佐藤さんが出迎えてくれた。 天気も上々、大間は海の水は今日も抜群にきれいだ。 早速車4台に分乗し、海峡保養センターへ昼食。保養センターの玄関に、電源開発御一行様と看板が掲げられていた。 それを見た森越弁護士は、大間原発訴訟の会御一行様の看板も出したら面白かったのにねなどと言った。 海峡保養センターにて。本日の視察のスケジュールを説明する奥本さん。 廊下を挟んだ向かいの部屋では、電源開発の団体が昼食をとっていた。 お刺身など海の幸を堪能する。 暑かったのでビールもおいしかった。食後、時間があったので温泉に入る人も。 私は河合さんにインタビューのお願いをした。 脱原発弁護団の話をもう少し聞きたいと思ったからだ。 河合さんは快く応じてくれた。 そして、大間の町と原発が見下ろせる展望台へ向かう。 海と山々が美しい大間に原発の建物と送電線はやはりそぐわない風景だと改めて思う。 総合文化センターウイングにて。 ウイングは100パーセント原発マネーで建てられて施設。多目的ホール、図書室、視聴覚室、郷土資料展示室などの文化施設のほか、屋内運動場、温水プール、高さ30mの展望搭も備えている複合型文化施設。 ここにあった広報誌を見てびっくりした。 放射能に関して素晴らしいなど称賛する子供が描いた絵葉書を募集して掲載していた。 やらせなのか洗脳なのかと思うほどだった。 二階の図書室には大間や佐井の郷土史、原発関係の本なども並んでいた。 広瀬隆さんの著書もあった。 そこで参考になりそうな本をみんなで探す。 渡辺満久先生の講義で、大間周辺には断層があり、地面が隆起したとされている。 地層をみればそれがわかる場所がある。 表面の土を薄く削り取ると、くっきりと地層の違いが表れる場所があるので、それを若手がやってみた。いくら削っても同じ地層。 「あれー、この前満久先生と来た時はすぐに地層の違いが出てきたのにー」 場所を変えてやってみると、出ました。上が薄く下が濃い色の地層が。 そして、本州最北端の大間崎へ向かう。 大間崎ではいかのぽんぽん焼き、殻つきウニ、まぐろののどの焼いたものなど、たくさんのおいしそうなものが売られていた。 みんなそれぞれこの地ならではのものを堪能していた。 わたしもいかを食べた。 少し干したイカを炭火で焼き、タレをつけたもので、それはそれはおいしかった。 原発ができたらこんなおいしいものも食べられなくなるんだよーと河合さんは言った。 […]

撮影報告 その21 原発カフェ・山田晴作くん初対面・ジョー・オダネル写真展

第1回原発カフェ。函館・小春日和にて。 2011年7月23日。 大間訴訟の会の原告でもある函館の野村保子さんが中心になって、お茶を飲みながら原発のことや何でも気軽に話せる場をつくろうと 「原発カフェ」を立ち上げた。 私もそのメンバーになった。 私はこの4月から撮影を始め、各地の人たちの原発に対する思いや考えを聞いてきた。 顔を合わせて話すことの大切さを改めて感じていた矢先だった。 このような場も、流れを変えていく一つの力になると感じている。 記念すべき第1回目の原発カフェは、ピースウォークの時間と重なってしまったが、5人が集まった。 何を食べればいいの? 子供に食べさせるものが不安。 原子炉の中の燃料はどこにあるの? 途中から、映画や本の話しも・・・話しは大きく広がった。 次回は、9月。大間原発の第3回目の裁判が終わった後に、また集まることになった。 2011年7月24日。 野村さんに、大間原発が見えるポイントを案内してもらった。 大森浜、住吉漁協、立待岬。 少し雲がかかってはいたが、津軽海峡を挟んでうっすらと大間原発は見えた。 浜では何人かのサーファーが波の具合を眺めていた。 今日の波は今一つらしかった。 キャメラのファインダーの中の大間原発を見ながら思った。 この人たちはすぐ向こうに見える原発のことをどう思っているのだろう。

弁天町のタケダストアに行きたいという私のリクエストに答えて、野村さんが連れて行ってくれた。 大間原発訴訟の会の代表の竹田とし子さんご夫婦のお店。 お肉屋さん、魚屋さんが入っている。

その魚屋さんは、前に森町のハルエさんのお宅で会った魚政さんだ。 今日は日曜日。 残念ながら魚政さんはお休みだった。 お肉屋さんで、ローストビーフと牛肉のたたきが並んでいるのを見つけた野村さんは、 「これはいつもあるものじゃないのよ。ここのはすごくおいしいから。」とコーフン気味に言った。 肉屋のご主人も、「うちのたれは手作りでうまいんだ」というもんだから、 私は今日泊まらせてもらう親方の家のお土産に、たたきをひとパック買った。 店には野菜、食品がたくさん並んでいた。 こんな店が自分の家の近所にあったらいいなあと思う店だった。 竹田さんはレジに立っていた。 タケダストアーの奥さんだ。その様子を少し撮影させてもらった。 竹田さんがゆでたとうきびを一本づつくれた。今年初めてのとうきびはとてもおいしかった。 そして、竹田さんと野村さんと、元町のギャラリー村岡へ。 ギャラリーの前の小さな道は猫待通りと呼ばれている。 この通りでマーケットが開かれていた。 パザールバザールの國立さん夫妻も出店していた。 レンズ豆のスープを買った。 何匹か、猫も歩いている。 ギャラリーの前では音楽をやっていた。 なんだかいい雰囲気だった。 ギャラリーの中で、佐藤国男さんや村岡さんたちとみんなでおしゃべり。 そして私は親方の家に向かった。 2011年7月25日。 山田農場へ。 牛やヤギたちは牧草地で草をはんでいた。 アヒルのガー子も畜舎の周りで地面をつついていた。 空には雲がゆっくり流れている。 穏やかで幸せな気分になる。 家の前で圭介さんが一輪車を引きながら「中にちっちゃい子いるよ」と嬉しそうに言った。 […]

撮影報告 その19 アースデー・しが

2011年7月3日。アースデー・しが7.03。 機材を車に積み、奥田さんと彦根から高速に乗り栗東へ向かう。 3.11の震災、福島第一原発の事故の後、滋賀県の子供を持つお母さんが「あすのわ」というグループを立ち上げ、アースデイを企画した。この短い間にその輪はどんどん広がりその熱が私が行くとこと行くところで感じられた。 この日も暑かった。 まず本部に行きご挨拶。荷物を置かせてもらう。 会場はエネルギーにあふれ、熱気があった。 私はこの熱気とにぎわいを撮影させてもらった。 野外ステージではではライブ、パフォーマンスなど盛りだくさんのメニューだった。 会場の外ではこだわりマーケットが150店舗以上の店が並んでいだ。 どの店もおいしそうでおもしろそうで、これを見て回るだけで時間が過ぎて行く。 歩いていると知り合いに次々と顔を合わせた。 「空想の森」を滋賀で上映してくれた人たちにほとんど全員会った気がする。 中野先生は肉体労働で椅子を運んだりしていた。 和子さんにも本部で会った。 大津友の会のブース。 大津友の会ブースでは藤重さん、中居さんなどみんなそろっていた。 中居さんは準備であまり寝ていないそうだ。 杉本さんは娘さんとブースを出してた。 私が行った時にはカレーは完売。 しそジュースをごちそうになった。 高島の原田さん一家もオーガニックコットンの店を出店していた。 原田さんのお母さんも手伝いにきていた。 彦根のアコちゃん。 この前青森の大間で会った彦根のアコちゃんも今朝かけつけてきた。 このアースデーの言いだしっぺは彼とのこと。 このすごいにぎわいにアコちゃんもとても嬉しそうだった。 アコちゃんのブースにもたくさんの人が集まっていた。 先日、大津の結のセミナーで一緒だった福島県いわき市から彦根に避難してきている廣木智恵さんにもばったり会った。 インタビューさせてもらった夫の一賀さんは仕事でもう宮城に帰ったとのこと。 今度、智恵さんもインタビューをさせてくださいとお願いした。 高島の立石啓子さんにもチラッと会った。 彦根のモモさん・佐野さんが色んな方々を紹介してくれた。 左:福島の会津若松から豆を売りに来た木暮真由美さん。豆を抱えているのが彦根の佐野さん。 会津若松から来た木暮さんと出会った。 彼女は震災後、何かに突き動かされるように行動を始めた。 ポリシーを持って豆菓子をつくっている福島の株式会社「おくや」の社長に話に行き、おくやの豆をアースデーに売りに来たのだった。 佐野さんが張り切って豆売りを手伝っていた。 ここで出会ったのも何かの縁と思い、彼女の話を少し撮影させてもらった。 後で今晩一緒に奥田さんの家に泊まることになるとはつゆとも知らず。 モモの家の松村志保さん。 大阪からきたモモの家の松村さんも出店していた。 彼女の息子さんには、大間マグロックの時、アコちゃんに紹介してもらった。 松村さんと話して、モモの家にも行ってみたくなった。 京都・綾部から来て出店していた栗山美穂・和久さん。 本当に色々なところからいろいろな人たちが出店していた。 このマーケットだけでもすごいことだと思った。 みんなの思いは脱原発。 途中、スコールのような激しい雨にみまわれたが、しばらくして雨はやんだ。 私は撮影であまり食べ物など買えなくて残念だった。 奥田さんはマーケットを満喫していた。 京都の上原七子さんも来ていて再会。 なにやらいっぱい買っていた。 ホールの中では、ミツバチの羽音と地球の回転」の上映、鎌仲ひとみさんの講演、田中優さんの講演、あすのわメンバーと鎌仲さん、田中さんのトークセッションなど盛りだくさんのメニュー。 映画は定員800人のホールが満席で立ち見がでたそうだ。 […]

撮影報告 その16 廣木一賀さんインタビュー

今回拠点にさせてもらった彦根の奥田さん宅。 左が近所の人たち農園。 奥が琵琶湖。

2011年6月26日。 廣木一賀さんのインタビュー。撮影奥田さんの家で。 廣木さんは福島県いわき市から家族で彦根に避難してきている。一賀さんは宮城県で仕事をしているが、数日前に家族のいる彦根にやってきた。 昨日大津の結でお会いしたばかりだが、ここで出会ったのも何かの縁と思い、インタビューをお願いした。廣木さんは快く応じてくれた。

廣木一賀さん。

被災した方のインタビューは初めて。震災・福島原発の事故で多くを失い避難してきているという人を目の前に、私は緊張していた。 廣木さん個人の資質によるものが大きいと思うが、これほど生きるエネルギーにあふれ、前向きな人に初めて会った。 廣木さんの話を伺ううちに、私は被災者の方と話しているという認識がどんどん薄れてきて、最後はお互い興味のある話に花が咲き、一晩中でも話が尽きない感じだった。当たり前のことだが、被災者の方にも色々な方がいるのだと実感させられた。

廣木さんは東京の焼き肉チェーン店でバリバリ働いた後、奥さんの希望で脱サラして田舎へ。選んだのが福島県いわき市田人町貝泊。澄んだ空気と豊かな自然に囲まれた風の谷ブルーベリーファームを8年前オープンさせた。 無農薬栽培の約50種類のブルーベリー。自分で収穫した野菜やハーブをトッピングして作るピザ焼き体験。廣木さんのガイドで、川遊びや山登りなどが体験できる山ぼうしの森探検のイベントなどをやっていた。 それだけでなく、廣木さんは前の会社でのノウハウを活かし、経営が悪化した旅館を再生させる仕事もしていた。それらが軌道に乗りはじめ、さあこれからという時に震災にあった。

どれだけ悲嘆にくれてがっかりしているのかと思いきや、廣木さんはとっくに頭を切り替えていた。 現在廣木さんの家は、原発の近くに住んでいた人たちの避難所になっている。子供のことを考えて廣木さんはすぐに貝泊を出て、車に寝泊まりしながら西へ向かい彦根にたどり着いた。 貝泊の子供を持つほとんどの人たちが、ちりじりばらばら避難しているという。そして残った人と出て行った人との間には大きな溝ができた。

もし廣木さんが貝泊に戻ったとしても、家が避難所になっているため、自分たちの仕事ができない。現在自宅が避難所になっていても何も保障はないし、避難区域に指定されていないため、なんの保障もないそうだ。なんてことだ。 そんな状況なのに廣木さんは次は何をやろうかと心をわくわくさせていた。すごい人だ。また廣木さんと話がしたいと思った。

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