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撮影報告 その40 藤村靖之さん講演会・甲田崇恭さん

2011年10月1日。 天気予報ははずれ、いい天気だった。 今日はゆかりちゃんの保育園の運動会。 私は今日は小松家に移動するので、荷物をまとめたり、少し事務仕事をしたりした。 岩田家のキッチン。 玄関。 二階は昔お蚕の部屋だった。2009年の6月、ここで上映会をした。 私が寝た部屋。 あっという間に昼になり、運動会を終えたゆかりちゃんが帰ってきた。 岩田さんは嬉しそうに「ゆかりちゃんはすごく頑張って走っていたよ。」と言った。 冬はこの部屋で食事をする。 ロケットストーブ。 農カフェで先日、ロケットストーブのワークショップをやったそうだ。 そのとき習ったオイル缶を2個つなげてつくるストーブを夫のタダオさんがさっそく作った。 これはかなりすぐれものらしい。 非電化工房の藤村靖之先生 午後、高崎のシティーホールで栃木県那須の非電化工房の藤村靖之先生の講演会。 寿子ちゃんとゆかりちゃんも参加。 寿子ちゃんの車についていけてよかった。 会場では智子さん、にちにち堂の面々と会う。 「連日会っているよね。」と智子さん。 未来にちにち堂のみんなで、非電化工房に見学に行った時、メンバーの富樫さんがその場で藤村先生に高崎での講演をお願いしたそうだ。 藤村先生のお話が聞けてとてもよかった。 一杯のコーヒーをゆったり楽しむことから見えてくることもあるということが私の心に響いた。 茶話会に参加した後、小松家へ向かった。 小松かおり・茂樹夫妻。 久しぶりの再会。 二人はちっとも変っていないけど、二人の子供たちは大きくなっていた。 小松家の夕食。

 

そしてこの日は、甲田くんに小松家に来てもらって夕ご飯を一緒にごちいそうになった後、インタビューをした。 甲田くんと深夜まで話をした。 上映会のあったときから2年あまり。 お互い色んな事があった。 とてもしっかりした考えをもっている青年だと思った。 甲田君と話せてよかった。 […]

撮影報告 その29 函館・原発カフェ

こなひき小屋のおかみさん。署名集めが初めてには見えなかった。 ハルエさん。 2011年9月10日。

 

昼、函館の中心街の大丸今井前で、チラシ配りと署名活動。 野村さんと行くと、すでにこなひき小屋のおかみさんとハル小屋のハルエさんが、署名を抱えていた。 彼女たちも1時からの原発カフェに参加する。 その前に著名活動もやってみようと思ったそうだ。 二人はとても初めてとは見えなかった。 おかみさんは動き回り、人なつっこい笑顔で話しかけながらどんどん近づき署名をしてもらっていた。 ハルエさんはどっしりと構えてにこやかに話しかけながら署名を集めていた。 二人の対照的な署名の集め方が面白かった。 6,7人ほど近くに座っていた若者たちがいた。 青森から遊びにきたそうだ。 おかみさんが近づいていって話しかけ、みんなに署名をしてもらっていた。 さすがだ。その後野村さんが、大間原発のことをひとしきり若者たちに話した。 みんな真剣に聞いていた。 これを撮影できてよかった。

 

 

 

第2回原発カフェ

 

そして音楽鑑賞協会へ移動。2回目の原発カフェ。 今回はにぎやかだった。 おかみさんにハルエさん。意見陳述した上田桂さん、前回も参加した前田さん、野村さん、そして大沼からは山田農場一家。 そして山田聡美さんも子供たちを連れて初参加。 みんなそれぞれ話したいこと、気になっていることを話す。なかなかいい会だった。

 

 

圭介さんが子供の係り。 左から、上田さん、あゆみちゃん。7月に生まれたばかりの晴作くんをだっこして。

 

上田さんは先日の大間原発訴訟の裁判で意見陳述したばかり。 その時の気持ちなどを話した。

 

 

左から前田さん、野村さん。 左から、おかみさん、ハルエさん、聡美さん。

 

野村さんは子供か来るので絵本をたくさん持ってきていた。

 

 

「大きなかぶ」を圭介さんが読み、子供たちはおおはしゃぎ。

 

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撮影報告 その27 第3回大間原発訴訟口頭弁論

2011年9月6日。 車に機材を積み十勝から函館に向かう。 もう台風12号は温帯低気圧になったが荒れた天気だった。 午前中、石勝線の汽車は止まっていた。 高速も十勝清水から夕張までは通行止め。 日勝峠を久しぶりに越えた。ところどころ激しい雨。 そして濃霧。函館に近づくにつれ天気は良くなってきた。 夕方、野村家に到着。野村さんは夏の格好をしていた。 函館ではこのところ暑い日が続いていたとのこと。 水タバコを吸う野村さん。 少し休んで二人でパザールバザールへ向かう。 水煙草の会があるとのこと。 店に入ると集まった面々は水タバコを吸っていた。 水煙草は楽器のようだった。 私は初めて水タバコを吸った。 アップルフレーバ―の煙草の葉は濡れていて小さなおにぎりくらいの大きさ。 アルミホイルをかぶせ、その上に炭を置き、吸い口を結構強く吸う。 ブクブクと音がして水を通って煙を吸う。 香りがいい。 私は久しぶりに煙草を吸った。 一度も煙草を吸ったことのない石川さんが水煙草は時々吸いたくなるのだそうだ。 これは石川さんの上司の黒田さんがトルコで買ってきたもので、時々みんなで水煙草を楽しんでいる。 1台しかないので回して吸っているが、本来は一人1台抱えて吸うのだそうだ。 私はトルコビールを飲みながら、時々水煙草の香りを楽しんだ。 そして2件目はバーに行く。 おしゃべりを楽しみながら、カクテルやシングルモルトのウィスキーを味わった。 2011年9月7日。 雨が激しく降ったり、青空が見えたり、目まぐるしく変わる不安定な天気だった。 弁護士会館へ向かう。裁判前の弁護団会議。 東京と函館の弁護士の人たちと原告の人たちが明日の第3回口頭弁論に向けての準備。 今回の意見陳述も2人。函館市民の立場から加納さん、主婦の立場から上田さんが陳述する。 弁護団のプレゼンテーションは、福島第一原発のその後、津波について、フルMOXの危険性について、資料を見せながら説明する。 フルMOXについては、原子力資料情報室の上澤千尋さんが担当する。 担当の人が本番と同じようにプレゼンする。 裁判官や傍聴の人がわかるように、みんなで詰めてゆく。 18:00過ぎ。 ビアホールへ移動。夕ご飯をみんなで食べる。 裁判所の周りをみんなでアピール。 2011年9月8日。 第3回口頭弁論。弁護士会館へ。 正午、裁判に集まった人たちがそれぞれプラカードを持って、弁護士会館から裁判所の前を通り辺りをぐるっと一回りした。 裁判官、道行く人、そして車に乗っている人たちへアピールをした。 いつも顔を会わせる記者の人たちはいたが、前回と比べると取材に来ているマスコミの数は少なかった。 弁護士会館の前にて。 13:00。傍聴席の抽選。前回に比べると数は少なかったが100人弱の人が並んだ。 私はまた外れたが、2回目の抽選で当たった。 今回はほとんどの人が抽選に当たってよかった。 私は傍聴席の原告側の最前列の席に座った。 被告側の人たちの顔がよく見える位置だった。 補助席も目いっぱい出されて傍聴席は満席。 原告席もいっぱいいっぱいに座っていた。 意見陳述する上田さんは最前列に夫と小さな息子さんと一緒に座っていた。 被告側の席にも23、4人くらいの人が座っていた。 女性が4人ほどいた。 裁判官が入廷し、2分間ビデオキャメラの撮影。 […]

撮影報告 その26 肥田舜太郎先生講演会・苫小牧

肥田舜太郎先生 1917年広島生まれ。 1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。 1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。 現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。

2011年8月9日。 こなひき小屋に寄り、無事、三脚を受け取る。 そして函館市民会館へ向かう。

肥田舜太郎先生の講演会。

肥田先生は28歳の時に広島で軍医として自らも被爆しながら、多くの被爆者の医療、救援活動を続けている。 私は3.11の直後、「医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間~」

という肥田先生の文章を読みとても衝撃を受けた。

その肥田先生の話を直接聞けてしかも撮影もさせてもらえることになった。

講演前、大場さんがスタッフの方々に私を紹介してくれた。

そして会場入りした肥田先生にご挨拶にいった。

柔和な方で写真撮影にも快く応じてくれた。 今回の講演はは「ヒロシマ・ナガサキ被爆体験を受けつぐ集い」の中で行われた。

函館にも広島・長崎で被爆した方々がたくさん住んでいる。年々高齢化がすすみ、亡くなっていく方々も増えていく。

原爆を体験した方から直接話を聞くことは貴重なことだ。 先日お会いした平方亮三さんも来ていた。

二三言葉を交わしたが、今日もとても元気で明るかった。

平方さんも長崎で被爆をした。

一番後ろにキャメラのセッティングをした。

大間訴訟の会の人など、知った人が続々と会場に入ってきた。

 

肥田先生の講演が始まった。

内部被ばくの恐ろしさ、そして正しい知識を学んでなるべく放射能を取り込まないことを訴えていた。

自分も被爆し、その後被爆者の治療にあたってその実態をつぶさにみてきた人の言葉の重みはすごかった。

現在被爆を体験した医師は、肥田先生ただ一人になってしまったそうだ。

だから先生は生きているうちに自分が一人でも多くの人に伝えていかなければいけないという思いでいるのだろう。 福島第一原発の事故に関しては声をあらげて怒っていた。

この件で責任ある者は全員捕まえて死刑にするべきだと。 閉めの挨拶は森越さんだった。

講演会が終わり撤収。そしてその足で野村さんと石川さんといっしょに民族音楽祭に向かった。

会場に着くと最後の演目。大マグロックで見たラビラビのライブが始まった。パザールバザールの國立夫婦、大マグロックで出会った若者にも会う。

たくさんの出店並んでいてにぎわっていた。私たちはお腹がすいていたので、早速食べ物を買って階段に座って食べた。

私も野村さんも呑兵衛なので、迷わず代行で帰ろうということになった。

暑かったのでビールがとてもおいしかった。

前田さんのタイ料理がホントおいしかった。

代行を待つ間、三人でフリスビーをして楽しんだ。

暗くても結構できるのもだ。

野村さんが意外にうまかった。 野村家でまた二人でとりとめのない話。

そしてあー早く寝なくっちゃ、せめて今日中に寝るようにしようねといつものごとく言い合って眠りにつく。

 

2011年8月10日。 野村家を後にし、チーズを買いに大沼の山田農場へ。

ひとしきり今回の撮影のことなどを話す。

そしてお昼ご飯を一緒にと言ってくれたのでごちそうになる。

圭介さんのご両親が産後の手伝いに来ていたのでみんなでにぎやかに食卓を囲む。

晴作も元気におっぱいを飲んでいた。

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撮影報告 その24  森越清彦さん・中野宏典さん

森越清彦さん。 2011年8月2日。 大間訴訟の会の函館の弁護団をひっぱっている森越清彦さんのインタビュー撮影。 忙しい中時間をつくっていただいた。 3.11のこと、裁判のこと、なぜ弁護士になったのか、裁判の原告になるということはどういうことなのかなど、色んなことをお聞きした。 森越法律事務所。函館市。 インタビューが終わって、森越さんに誘われ、国際ホテルの平方亮三さんの版画展を見に行った。 平方さんは長崎で被爆をしたそうだ。 今も色々体の具合が悪いそうだ。 平方さんはよくしゃべる快活な人だった。 福島のことに怒っていた。 作品はとても繊細で素敵だった。 夜、野村家で石川さん、佐々木さんも来て私の誕生日を祝ってくれた。 佐々木さんの作ってきてくれた煮物がとてもおいしかった。 江差。 中野宏典さん 2011年8月4日。

 

 

江差の法テラス江差法律事務所へ向かう。 中野宏典さんのインタビュー撮影。 私は江差は初めて訪れた。 天気も良く海がとてもきれいだった。 お昼は海沿いの蕎麦屋に入った。 ここの蕎麦がまたおいしかった。 中野さんの職場・法テラス江差法律事務所。この後ろは海。 中野さんは弁護団会議でわからないことはよく質問し、思ったことは発言する人だ。 なぜ大間の弁護団に入ったのか、原発についてどう思うかなど、色々なことをお聞きした。 帰り道、厚沢部で温泉に入った。 そして七飯の親方の家に帰った。 2011年8月5日。

 

 

お世話になっている親方の家のネコ。ペコちゃん。お日様をあびてお昼寝。

 

ゴロン。

 

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