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撮影報告 その82 杉原厚子さんと太田和子さん ~敦賀にて~

太田和子さん。今も体調がいい時には原電の前に立っている。 これれと下の写真は杉原さんの家の食堂に張ってある。

阿弥陀見の浜。

2011年12月16日。

8:30。起床。冷たい雨が降っている。

朝ごはん。

私はまた野菜をたくさん入れて雑炊をつくった。

杉原さんと東条さんと3人で朝食。

杉原厚子さん。

10:00。杉原さんのインタビュー。

東条さんも自分のビデオで撮影。

戦争の話、小学校の先生時代の話、原発の話などお聞きする。

敦賀は昔、北前船、北国船の港で、交易の中心地としてとても栄えていた。

敦賀からウラジオストックの航路があり、敦賀の人は下駄をはいてウラジオストックに行ったそうだ。

杉原さんが小学校の時、先生が「皇運扶翼の為に日本人は生まれてきた」言った。

その意味がわからなかった杉原さんは先生に質問した。

「アメリカ人は何の為に生まれてきたのですか?」と。

「そんなこと考えんでもいい。」とひどく怒鳴られたそうだ。

それ以来、疑問に思うことを先生には質問しなくなったそうだ。

そんな杉原さんは小学校の教師になった。そして敗戦を迎えた。

今までそして一度教師をやめた。

今まで子どもたちに何を教えてきたのかと悩んだそうだ。

そしてまた教師に戻った。

杉原さんは3人の兄がいた。幸いみんな帰ってきた。

一番上の年の離れたお兄さんは、復員してきてから暴力をふるうようになりとても怖かったそうだ。

その頃はその理由がわからなかったが、もうそのお兄さんは亡くなってしまったが、最近その理由がわかったそうだ。

きっと戦地で人を殺し、悲惨な状況の中にいて心に傷を負っていたのだと。

「その頃わかってあげられなくてかわいそうなことしたなあ。戦争はほんま、嫌ですわ。」

とぽつりと言った。

杉原さんと東条さん。

杉原さんは松原小学校で先生をしていた。

日本が敗戦して、敦賀半島には僻地に四つ、分校があった。

若い時に今もんじゅが建っている白木分校に何か月が教えにいったことがあるそうだ。

その頃の白木は交通の便が悪く、病人が出ると戸板に乗せて船で美浜まで運ばなければいけなかったという。

しかし海がしけていたらそれもままならなかった。

陸路はないに等しい状態だったそうだ。

「よう覚えとらんけど、イカをたくさん食べたなあ。おいしかったなあ。」

と杉原さんは言った。

現在、白木には15軒ほどの民家がある。

甲状腺癌になる人が多いと白木で介護をしていた人から聞いたそうだ。

「戦争中と今はおんなじや。政府は嘘ばっかりいっとる。」と杉原さんは何度も言った。

そしてそのことと、地球を汚したくないという思いが杉原さんの反原発の原点であることが分かった。

 

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撮影報告 その81 山崎隆敏さん ~越前市~

2011年12月15日。

9:00。起床。東条さんはすでに起きていて杉原さんとご飯の支度をしていた。

杉原さんは朝魚市場に行ってタコ、ブリの子、タラなどたくさん魚を買ってきていた。

タコをゆでで、タラを煮つけにしていた。

昨日のうどんの汁の残りに、モチ、白菜、大根、ネギなどをいれて煮た。

東条さんは杉原さんの手を引き、ゆっくりと車にのせる。

11:30。車に撮影機材、炊き込みごはん、タコ、魚、せんべいなどを積み込み、杉原さん、東条さんと3人で越前市へと向かった。

杉原さんが山崎隆敏さんという反原発活動をしている方の話を聞いた方がいいというのでセッティングしてくれたのだ。

山崎さんの家

1時間ほど車を走らせた。山間の集落に山崎さんのお宅があった。

家に入り、早速4人でいっしょにお昼ご飯を食べた。

持っていった魚を山崎さんは上手にさばいて刺身にしてくれた。

ブリの子は鮮度がよくて本当においしかった。

山崎隆敏さん

そして山崎さんのインタビューをさせてもらった。

町の議員として反原発を訴えて活動していた時の話、チェルノブイリ事故後に視察に行った時の話などを話してくれた。

途中、込み上げてくる思いがあったようで涙を流しながら思いを話してくれた。

このみずやは近所の家が壊されるときに捨てるものだったそうだ。それをもらってきた。明治時代のもの。

インタビューの途中、杉原さんが居眠りしていて、ズルっと椅子から落ちそうになったのには笑った。

3:00。山崎さんの家をあとにした。

杉原さんは車の後ろの席に座ると言った。

そして「あれ、東条さん、私の隣座らへんの?」と言った。後ろは荷物が積んであるので一人しか座れない。

私は「杉原さん、すっかり東条さんが気に入ったんですね。」と言った。

「なんでも食べるし、よく気がつくし、東条さんは見込みある。」と杉原さんは言った。

杉原さんの家に帰り、夕食の支度にかかった。

私は野菜をたくさん入れて雑炊をつくった。けっこうたくさんの量になった。

雑炊を食べながら杉原さんが「戦時中みたいやな。米がちょっとしか入っておらんわ。」と言った。

私はおかしくて笑ってしまった。

そして私は事務仕事。

杉原さんは大好きな東条さんとおしゃべり。

19:30。近くの銭湯に3人で行く。

時々みぞれが混じる冷たい雨が降っていた。

1時間ほどお湯につかり温まる。

杉原さんも気持ちよさそうだった。

帰ってきて3人でおしゃべりしながら豆乳とビールを飲む。

杉原さんはアルコールを飲めないのでみかんを食べていた。

87歳の杉原さん、20代の東条さん、40代の私の3人トリオの共同生活もなかなか心地よい。

22:30。事務仕事をしてから就寝。

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撮影報告 その80 若狭湾の反原発運動

杉原さんの庭のゆず。

みかん。もいで食べた。とてもおいしかった。

2011年12月14日。

8:00。晴天。

杉原さんと二人で朝食。

梅木富士夫さんがやってきた。

高校の数学の先生をされていて退職。

今は福井大学の工学部の非常勤講師をしている。

定年後に一人でも生きていく力が必要だと思い、料理教室に通ったり、混声合唱をやっていたり、体を鍛えるために毎日プールで2キロ泳いでいたり、とても元気な人だ。

梅木さんは杉原さんの畑仕事を手伝っている。

彼曰く、

「僕はドレイ1号や。でも少し抵抗もしているんや。杉原さんはずっと原発に抵抗し続けている根性がすごい。

真似したいと思わんが、ドレイくらいはしようと思って。」

と笑った。

杉原さんの家にて。梅木富士夫さん。長いもを掘っている。

玄関前の山芋を掘っている。

もうひとり女性がやってきて大根干しをしていた。

 

 

服部清子さん

 

梅木さんが私に服部清子さんの絵を見せたいと言ったので、近所で絵を描いている服部さんを一緒に迎えにいった。

服部さんは国語の先生だった。

描いた絵をいくつか見せていただいた。

この近くの湿原を描いた絵が多く、色使いがやわらかかった。

やはりこの湿原を残す運動をしていたそうだ。

お昼ご飯を食べながら。服部清子さん、東条さん、杉原さん。

この日、杉原さんは私が北海道から来たので、原発についてどう思っているか話をする会をセッティングしてくれていた。

詩人、絵をかく人、書道の先生、お坊さん、キリスト教の方、フリージャーナリスト、医者を目指す若者など、様々な人たちが杉原さんの家に集まってくれた。

 

 

みんなで記念撮影。清子さんがトイレにいっていていない。

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撮影報告 その76  原発カフェ ハル小屋にて

皆既月食。

2011年12月10日。満月。皆既月食。

10:00。野村さんと出発。

ザマーズの宿泊しているホテルへ。

竹田さん。

 

そこから車を連ねてタケダストアーへ。

竹田さんは店でレジ打ちや接客で動き回っていた。

今日は原発カフェに参加した後、そのままハル小屋に泊まらせてもらうので、夕食の買い出しをする。

ザマーズのみんながテキパキと、魚、肉、野菜、酒などを買い込む。

石川さんがここで合流。

ここから車3台を連ねて移動。

竹田ストアーの中に入っている魚政。

 

そしてお昼ご飯は、パザールバザールへ。

7人で2階の部屋を貸し切って、みんなで色んな種類のものを食べた。

パザールバザールへ行く途中、記念撮影。左からのみちゃん、野村さん。

そして大沼のハル小屋へ向かう。

13:00少し過ぎて到着。雪がチラチラ降ってくる。

まず食材をおろし、ハル小屋へ入る。

ハル小屋にて。

野村さんと石川さんは少し到着が遅れるので、先に自己紹介から始めることにした。

私も自己紹介し、撮影をさせてもらうことになった。

山田聡美さんは一家で参加。山田あゆみさん、松浦さんなど、20人ほどの人が集まった。

 

ハル小屋にて。

食べ物のこと、生産者のこと、昨日の裁判のこと、大間のことなどお茶やお菓子を食べながら、本当に色んな話題が出た。

17:00。会を終了させる。

そして、まず近くの温泉に入りにいく。みんなで雪の降る中、露天風呂で満月を眺めた。

なんとも気持ちがよかった。

味噌小屋での宴。

そしてハル小屋に戻り、夕食の支度にかかる。

ザマーズの面々、ハル枝さんが中心となり、ビールを飲みながら、夕餉の支度が進んでいく。

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撮影報告 その75 第4回大間原発訴訟口頭弁論

弁護士会館前にて。

2011年12月9日。

晴天。ごはん・味噌汁・納豆。

朝ごはんを食べ、8:30、野村さんと弁護士会館へ。

たくさんの人たちが集まってきた。

裁判が始まる前に事務局の大場さんが今日の流れの説明。

原発反対の横断幕を持ち、みんなで弁護士会館から裁判所まで歩いた。

函館地方裁判所の前にて。道路に向かって横断幕を掲げた。

そして裁判所で傍聴券の抽選。

50人ほどの人しか入れない中、120人くらいの人が並んだ。

神奈川県の座間から、ザマーズ4人がやってきた。

彼女たちは、9月の新得空想の森映画祭で、私の「大間原発大間違い」のプログラムに参加してくれて、実際の裁判にきてくれることになったのだった。

私は抽選に当たらなかった。

ほんと、クジ運が悪い。

柳先生が本番にどのようなプレゼンをするか、求釈明(釈明を求めること)で被告側の言葉を聞けるかもしれないと楽しみにしていたのでとても残念だった。

法廷のドアに小窓がついていた。

仕方なくそこから中をのぞいた。

時に耳をドアに押し付けて中の声を聞こうとしたり…。

野村さんと目が合った。小笠原厚子さん、中森さん、河合さん、森越さん、竹田さん、澤井さんの顔も見えた。

しばらくして弁護士会館に行った。

人数が少なかったのでDVD上映もしていなかった。

大場さんと林さんがいたので、裁判についてのわからないことを質問した。

そして間もなく終わる時間になったので裁判所に戻った。

 

そして裁判が終わって裁判所からでてくるみんなを撮影した。

野村さんはコーフンして出てきた。

求釈明で原告の弁護士が「全電源喪失を想定しているのか」と質問をした。

被告は「答えの用意がありません。」と言った。

その時裁判所内がどよめいたそうだ。

「それはおかしいじゃないか」と森越さんたち弁護士がが追及し、今までになくエキサイティングな裁判だったそうだ。

あー、見たかったなーと本当にくやしかった。

裁判後、弁護士会館にて報告会。 左から森越弁護士、河合弁護士、大間訴訟の会の代表の竹田さん。

弁護士会館で裁判の報告会を撮影。

意見陳述した中森さん、林さんの報告。

小笠原厚子さんの挨拶。

弁護士の河合さん、森越さんの報告。

今回は被告に質問を投げかけて、口を開かせた初めての裁判。

 

たくさんの人が裁判の報告会に集まった。

なんかみんな興奮していた。

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