アーカイブ

大間原発裁判報告会&説明会 東京・御茶ノ水YWCAにて

建設中の大間原子力発電所。 2011年11 月撮影。

 

大間原発裁判報告会と説明会

下北半島大間町で建設途中の大間原発は、昨年の3月から福島原発事故を受け、工事が中止されています。 いま国と東京電力は、国内の原発が定期点検も含めて止まってしまうことを恐れています。 新規の原発建設の着工が難しいいま、なんとしても「工事の再開」というより易い方向で、原発推進の道を開こうとしています。

建設中の大間原発。あさこはうすへ行く道から。 2011年11月撮影。

 

大間原発建設工事は、昨年2月の時点での、37%強の工事の進捗率で、このまま工事を止めるために、全国の皆様の注目と支持が待たれます。

このまま、工事再開と定期点検後の再稼動を許すことは、この国の原発政策を許すことです。 福島第一原発がいまだ、4号機のプールのひび割れによる、放射能汚染水の垂れ流しと原子炉圧力容器、格納容器を破り、コンクリートを浸潤していると思われる核燃料の存在さえ定かでない現在。 新たに原発を動かしてはなりません。

大間原発はプルトニウムとウランの混合燃料MOX燃料を全炉心に装荷します。 津軽海峡沖の活断層の存在など、原発を建ててはいけないところです。 ぜひ、大間原発をとめて、六ヶ所を止めて、すべての原発を止めましょう。 ぜひみなさま、ご参加ください。

2012年2月3日(金) 午後6時30分~午後8時 東京・御茶ノ水のYWCAで、「大間原発裁判報告会と説明会」が開かれます。

報告者:竹田としこ(大間原発訴訟の会・代表) 報告者:森越清彦弁護士(大間原発訴訟・函館弁護団代表) 報告者:原子力資料情報室スタッフ予定

入場料:500円

 

竹田とし子さん。

森越清彦さん。

主催:大間原発訴訟の会 (函館市松蔭町1-12 函館YWCA内) 電話&FAX 0138-51-9718 mail ysnt@ms8.ncv.ne.jp 内容など詳しくはメール、電話でお問い合わせください。

大間原発訴訟の会・運営委員、原告 野村保子

野村保子さん。野村さんも東京に行きます。

[…]

撮影報告 その91 若狭湾の反原発運動 彦根から三方へ

 

2011年12月28日。

ゆっくり起床。

天気は晴れ。

荷物をまとめて車につみ込む。

そして奥田さんと少し早いお昼ご飯を食べに彦根城の近くの「たねや」へ行く。

麦飯とじねんじょのとろろ、近江牛の肉じゃがなどのセットをごちそうになる。

今回もまた奥田さんには大変お世話になった。

そして私は彦根を後にして福井県三方の増井貴美子さんのお宅を目指して車を走らせた。

福井県三方・上野の集落。

三十三間山のふもとの40軒ほどの集落に増井さんのお宅はあった。

母屋を通って、裏の家へ通された。

木と珪藻土の壁。薪ストーブが燃えていた。

とても素敵な家だった。お茶を飲みながらひとしきり話をした。

後ろの山が三十三間山。

会議に参加するため、早めの晩御飯を食べた。

おでん、ご飯、味噌汁。

薪ストーブ。

18:00。大飯原発3、4号機稼働を阻止するための若狭の会議に参加するため、美浜の石井さんにピックアップしてもらい、小浜へ向かった。

12月14日、敦賀の杉原厚子さんに勧められ、私はこの第一回目の会議に参加した。

その時に増井さんと出会った。

そして第2回目の会議の今晩、私は増井さんの家に泊まらせてもらうことになり、いっしょに会議に参加することになったのだった。

 

大飯原発の再稼働を阻止するために、大飯町と小浜にチラシを配ろうということになり、そのたたき台を、若い世代の京都の平井さんがつくってくることになっていた。

若い世代の人は、原発反対、危険性のアピールだけでは人に伝わらないから、どういう未来に暮らしたのかを柔らかい言葉でアピールしていくほうがいいのではと主張していた。

若狭でずっと反対運動をしていた哲演さん、松下さんたちも若い人の感性を活かしてチラシをつくってみようという考えだった。

たたき台のチラシが配られた。

それを見て各人思ったことをみんなに言った。

私も言いたいことがあった。

誰も言わなかったら言おうと思っていたが、増井さんが私の思っていたこととほぼ同じことを言っていたので私は発言しなかった。

増井さんも同じようなことを思ったのかと少し嬉しくなった。

一気に親しみがわいた。

このチラシは未来のこととも大事だが、今、大飯原発の3,4号機を稼働させようという動きを阻止しなくてはいけないという緊急性もある。そして3.11後、福島第一原発の事故を目の当たりにし、15機も原発が密集する若狭湾周辺で暮らす自分たちが、これからどう暮らしていきたいのかということを問いかけることから始めた方がいいのではないか。と。

会議のもう一つの議題は、原発を止めた後の政策提案。美浜町の松下さんは、原発を止めた後の美浜町がその後もやっていけるように、雇用などの問題を具体的に提案をしようとしている。

これは、環境エネルギー研究所へ美浜町の政策提案を依頼している。

来年5月中に町に提出予定のところまでこぎつけている。

美浜町は、木材など豊富な自然の資源がある。

これを活用して地域で企業して雇用を生み出し循環していけるようにと考えている。

今ある美浜原発の核のゴミは美浜町で乾式の貯蔵という形で引き取るという苦渋の決断をして、その上で、自分たちで自立していこうと。

そしてこの試みを皮切りに、若狭湾の原発立地町もそれぞれ政策提案をして原発を止めて暮らしていける町になっていったらと考えている。

とても具体的で現実的な提案だった。

松下さんがこれまで長い間反原発運動をしてきた中での答えがこれなのだと思った。

22:00会議は終わった。そして、また石井さんの車にのせてもらう。

道中、チラシのたたき台のことで3人でひとしきり話した。

 

そして増井さんの家に帰宅。

お風呂に入り、ビールを飲みながら薪ストーブの前でおしゃべり。

[…]

撮影報告 その88 井戸謙一さん 彦根にて

井戸謙一さん。

 

2011年12月25日。

朝、窓の外は雪景色だった。

今日は午後からいよいよ井戸さんのインタビューだ。

初めてお会いする方にお話を聞くというのは、心の準備がいる。

何をどうお聞きするか。

彦根城

 

 

昨日は久しぶりに少しゆっくり過ごした日であったが、急きょ取り寄せた「原発訴訟」(海渡雄一著・岩波新書)、「脱原発」(河合弘之、大下英治著・青志社)を読んだり、頭の中はいつも明日の井戸さんへの質問を考え、ノートに書いたりシュミレーションしたりしていた。

 

昼、機材を車に運び込み、撮影の準備を整え、彦根城近くの「朴」にランチを食べに行く。

風強し。

お堀の水が波打っていた。

朴のランチは相変わらずおいしかった。

 

 

12:50。井戸さんが勤める法律事務所へ向かう。

井戸さんは笑顔で迎えてくれた。

私は一気に親しみがわいた。

日曜日の法律事務所には井戸さんしかいなかった。

キャメラをセッティングしながら、今回の撮影の動機などを話し、早速撮影を開始。私は井戸さんにお聞きしたいことがたくさんあった。

 

2011年3月11日、井戸さんは大阪高裁で裁判官をしていた時、地震にあった。建物の13階にいたので大きな揺れだった。

その時一番に女川原発を心配したという。

その後福島第一原発の事故を知り、これからどう生きていくか、しっかり考えなくてはと、家族全員に電話をしたという。

井戸さんにとってそれほどのことだったのだ。

 

井戸さんは東京大学文学部に在籍しながら法律の勉強をして司法試験に合格。

元々ジャーナリズムに興味があり、弁護士志望だった。

しかし修習生の時に最後に判断を下せる裁判官になろうと決めた。

それから裁判官を30年以上勤めた。

2002年(平成14年)金沢地裁へ移動になった。

その時から志賀原発2号機の運転差し止め裁判を担当することがわかっていた。

1999年(平成11年)にその裁判が始まっていた。

金沢地裁は裁判官の人数が少ない。

金沢への移動は、その案件を引き継ぐことになると初めからわかっていた。

金沢地裁はもう一つ大きな事件を抱えていた。

自衛隊・小松基地の騒音問題だ。

人数の少ない裁判所で大きな事件を2つ抱えていた裁判所だった。

 

今までの原発裁判では、原告が危険性を立証すべきという枠組みで考えられてきた。

それをこの裁判で井戸さんは、被告が安全であることを立証するべきというスタンスをとった。

 

[…]

撮影報告 その87 土居純一さん 大阪・「こんぶ 土居」にて 

こんぶ 土居の4代目・土居純一さん。 2011年12月22日。 朝食。納豆、ご飯、味噌汁、ホウレンソウのおひたし、りんご。 9:00過ぎ。 奥田さんに見送られ、彦根を出発。大阪の「こんぶ土居」を目指す。 こんぶ土居は、原材料を吟味・厳選し、伝統ある大阪の食文化を守り育て、 本物を次代に伝えることが使命だと考えている昆布屋さん。 土居さんは、北海道の南茅部の昆布を使って製品にしている。 この夏、ここの4代目・土居純一さんが大間原発の話を聞きに北海道の山田農場を訪ねてきた。 そして大間へ渡り、奥本さんの案内で大間原発の現場にも行き、六ヶ所も見て大阪に帰ったのだった。 私はその話を山田夫妻と奥本さんから聞いてとても感動した。 誇りと責任をもって仕事をしているから、現場に立ったのだと思った。 関西に行く際にはぜひ土居さんのお話を伺いたいと思い、大間の奥本さんに紹介していただいたのだった。 大阪に入ると車線が増え、車もいっぱいで渋滞。 慣れない都会の運転に緊張しながら、ようやく近くまでたどり着く。

からほり商店街 12:20。 商店街のアーケードにぶちあたり、それ以上進めなくなる。 土居純一さんに電話したら歩いて迎えにきて下さった。 とても素敵な人だった。 いっしょに車に乗っていただき、お店の駐車場に車を入れた。 こんぶ 土居 商店街の中の一つのお店だが、うまそうなものがありそうな店構えだ。 早速店の中に入らせていただき、商品を見させていただいた。 どれもおいしそうなものばかりでワクワクした。 商品の裏の表示をみると見事に添加物類の表記はなかった。 店はそれほど大きくはなく、売り場の裏で全ての商品を製造しているとのことで驚いた。 昆布の選別作業もレジのすぐ後ろでやっている。 「昆布屋は12月が一番忙しいんです。すいませんバタバタしていて。」 と純一さんが言った。 私はとても恐縮して「いえいえ、こちらこそ師走の忙しい時期に来てしまってすいません。」と言った。

純一さん、3代目の土居成吉さん、そのお連れ合いと従業員の方は5人が総出で働いていた。 そんな中、純一さんが仕事を中断して、二階の和室の落ち着いたお部屋で話を聞かせてくれた。 自分たちは昆布があるから店かできて生活ができている。 その昆布をとる生産者の人も大事であること。 何百年も続いている昆布の文化を守ることも自分たちの使命と考えていること。 3代目の成吉さんは、30年以上前から道南の南茅部の浜に通っている。 少しずつ漁師さんたちと信頼関係を築いてきて、 12年ほど前から毎年秋に南茅部の小学校に食育教育の一環で昆布の話をしにいっている。 今では南茅部の高校生が修学旅行でこんぶの土居を訪ねてくるようになったそうだ。 純一さんはこんな話をしてくれた。 昭和30年代から40年代にかけて昆布の機械乾燥が始まり質の低下がみられた。 それを改善してもらいたくて3代目の成吉さんは浜に通い始めた。 当時、昆布を扱う店の者が直接産地に行くことはなかった。 買い付けに来たのかと誤解され、冷たく扱われた。 しかし根気強く通い、メディアにも取り上げられるようになり生産者の人たちの心が動いていった。 という経緯があった。 そして息子の純一さんは9年前から家業を継ぎ、平成16年から毎年昆布漁が解禁になる夏に、 南茅部のへ行って漁師さんと寝食を共にして漁をしに行くのだそうだ。 そうしてお互いの信頼関係をつくっている。 昆布には天然と養殖と促成の3種類がある。 […]

撮影報告 その83 敦賀の歴史と敦賀原発・もんじゅ・美浜原発

もんじゅ。 美浜原発。

 

敦賀原発。

 

2011年12月17日。 8:00。起床。 雨や時々みぞれが降っている。 太田さんの家にて。 朝食後、薪ストーブの部屋で太田さんの歴史の話をお聞きした。 敦賀の歴史を4世紀の頃にさかのぼって色々な話をしてくれた。 個人授業のようだった。 敦賀の歴史は実に面白い。 知らないことばかりだった。 「あなたそんなことも知らないの?」と太田さんに言われながら、あっという間に午前中が過ぎた。 越前水仙 昔、週に1回、太田さんの家に集まって反原発の運動をして色々やっていたが、うまくいかなかった。 なんでこんなにやっているのにうまくいかないのだろうと太田さんは不思議に思ったので、敦賀の歴史を研究している岡田先生に聞いたそうだ。 岡田先生は「庶民の歴史を知ったら、反原発運動がうまくいかないとわかる。」と言ったそうだ。 太田さんは目からうろこだった。 庶民に歴史があると思ってもいなかった。 それから歴史を勉強しだした。 そんな中、太田さんは、「アイヌのことを教えてほしい。」と岡田先生に言った。 すると先生は「民族に関する研究は日本ではタブー。 なぜなら天皇につながるから、だれもお金を出す人はいないので、研究する人もいない。」と言ったそうだ。 太田さんからいただいたえんぴつと専用のえんぴつ削り。 太田さんは太くて濃い鉛筆で、裏紙に書いて私に説明してくれた。 その書き心地がよさそうだったので、その鉛筆とてもいいですねというと、東京の画材屋さんのもので、まだあるから後であげるわと、2本いただいた。とても嬉しかった。 みぞれ混じりの雨は止まなかったので撮影はできなかった。 その代わり、太田さんはとても面白い歴史の個人授業をしてくれたのだと思う。 贅沢な時間だった。 私の疑問になんでも答えてくれた。 このカップもいただいた。旅に持ち歩こうと思う。 そうしているうちに東条さんがやってきた。 杉原さんが持たせてくれたタコ飯、おでん、おかず色々など、お昼ご飯を3人で食べた。 そして東条さんと2階の資料館を太田さんといっしょに見学した。 昔の写真、かご、ガラスのコップ、弁当箱、着物など、なかなか見応えがある。 太田さんが「あなたお酒好き?」と私に聞いた。 「はい。大好きです。」と答えた。 すると「もらってもらいたいものがあるの。」と箱に入った九谷焼のきれいな絵付けのとっくりとおちょこのセットだった。 「こんないいものを。」と言ったが、「あげる人を探していたの。」と太田さん。 私は美しい九谷焼をありがたくいただくことにした。 13:30過ぎ、私と東条さんは白木へ向かった。 美しい海岸線と山々だった。 美浜原発。 しばらく走ると美浜原発が目に飛び込んできた。 途中みぞれの中、車を止めて撮影。 白木トンネル それからいよいよもんじゅへ。 今地震が起こらないで欲しいよねと東条さんと言いながら山道を走った。 白木トンネルを抜けたところ。右へ行くともんじゅ。左へ行くと白木。 白木トンネルを抜けた。 雨は止んでいた。 目の前は海。 後ろは山が迫っている。 […]