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信級日記 vol.3

令和元年5月23日

今回、私は一つ決めていたことがありました。

それは、やり過ぎない、無理をしないということ。

撮影に入ると、この瞬間はもう二度とはめぐり会えないという思いが強くあって

ずっと撮影をしてしまう傾向がありました。

それは自分の体にもよくないし、何より被写体の人にも負担になります。(今更ですが)

自分の体と心を常にニュートラルに整えて撮影に臨もうと決めていました。

この日、起きた時に背中にとても疲れを感じました。

なので、無理をしないで午前中はゆっくりしてようと思いました。

今回は初めての撮影です。

まずは、信級の人たちと話をして交流をしたいということと、

植野家も、少しずつ家の中や仕事を撮影させてもらい、

そして、田植えが撮れたらいいなあということを考えていました。

そんなことを朝食の時に植野くんたちに話をしました。

そして自分の布団に寝転がっていると、

「ヨーコさーん、イチローさんが来ました!」

とカオリさんの声。

私は玄関の土間に降りていきました。

「今日は天気最高だぞー、鹿谷城跡に行こう!俺が案内するから。」

とイチローさん。

「えー!、イチローさん、三脚を持って行かなくちゃいけないんだよ。

すごく重くて、私、それ持って山登れないから、龍一くんにお願いしようかと思ってたんだよ。」

と私。

「俺が三脚を持つから大丈夫だ!!いいから行こう!」

そんなわけで、せっかく誘いにきてくれて、

70代半ばのイチローさんがあの重たい三脚を持ってくれるというので、

私も疲れたなんて言ってる場合ではなくなりました。

「じゃあ、30分後、8:30にイチローさんちに迎えにいくね。」

急いで撮影の支度をし、機材を車に積み込み出発。

イチローさんをピックアップし、信級小学校の少し上の登り口付近に車を止めました。

三脚はやはりずしりと重い。

「イチローさん、ホントに大丈夫?」

「大丈夫だー!」

と三脚をひょいと担ぎました。

私もキャメラを持ち、スチールキャメラをリュックに入れて、

イチローさんと歩き出しました。

「ここは昔畑だったんだぞ。」

山道の脇の草に覆われたスペースを指してイチローさんが言いました。

「こんな標高の高いところまで、畑にしてたんだ。どれだけここに人が住んでいたかってことだよね。」

昔は信級小学校の付近が信級集落の中心地でした。

そういえば、ここは信級の集落のある二つの谷(本鹿谷と外鹿谷)の真ん中にある峠です。

農協や郵便局もあって、そこにいけば大体なんでもそろったそうです。

山道がだんだん細くなってきます。

右には外鹿谷の集落が見えました。

10分ほど歩くと、左に本鹿谷の集落が見渡せるところに着きました。

素晴らしい眺めでした。

真下の岩本は見えないけど、かたつむり食堂のある中村、植野くんの家のある岩下まで見えました。

信級日記 vol.2

植野翔さん

令和元年5月22日

信級を撮るきっかけをつくってくれた植野翔さん。

米をつくる農家です。

信級の炭焼き職人・関口さんに教えてもらい、炭も焼きます。

その余熱を利用して玄米珈琲もつくっています。

植野香緒理さん

植野さん夫婦の仕事、暮らしを中心に撮影させてもらいながら、

徐々に信級の人たちを撮っていけたらと思っています。

植野家の子供たち。乎陀(カナタ)、功那(イサナ)は双子。2年生。

隣の信州新町の小学校へ通っている。

7:38のバスに乗る。

三男の水渡(ミナト)くんも保育園へ通っている。

植野さん夫婦が大事にしていること、

目指していること、

それを撮っていったら信級の魅力が現れてきて、

その先の明るい未来が見えてくる気がしています。

このサイズ感、山の迫り具合。

この風景。

[…]

信級日記 vol.1

令和元年5月20日

撮影へ出発。

10日間ほどの予定。

久しぶりの撮影。

機材・持ち物のチェック。

何度も何度もする。

不安とワクワクする気持ちの入り混じる道中。

新しくしたキャメラ。

試し撮りを重ねてきたものの、

本番で思うように扱えるか・・・。

車で苫小牧東港まで走り、夜7時半出航。

20時間フェリーに乗って、翌日の午後3時半、新潟港に到着。

新潟から4時間半車を走らせ、ようやく信級にたどり着く。

信級までの長い道のり。

徐々に気持ちをつくっていく。

思いの外いい時間になった。

新作映画、撮り始めます

「風のたより」の上映で出会った長野県・信級(のぶしな)を舞台に映画を撮ることが決まりました。

信級で暮らす人たちを1年にわたって撮影する予定です。

撮影の一坪悠介さん、録音・整音の柳屋文彦さんもご協力いただけることになりました。

ただいま、諸々準備中です。

新作映画製作協力のお願いをご縁のあった方々に郵送しています。

賛同してくださる方、ぜひ製作協力をお願いいたします。

新作映画「信級(のぶしな)」(仮題)の製作協力のお願い

平成最後の年が終わり、新しい年になりました。お元気でお過ごしでしょうか。

映画「風のたより」が完成してから、北海道、東京、神奈川、千葉、群馬、福島、栃木、滋賀、長野、山形、ベルギー…

様々な場所で上映をしていただきました。

上映の後は、お酒を飲み、その土地の食べ物を味わいながら、しばし至福の時を過ごしました。

見てくださった方と直接お話をする中で、「風のたより」を自分自身と重ね合わせ、

深く受け取ってくれていることに感動することも多々ありました。

2017年、私が一つの目標にしていた山形国際ドキュメンタリー映画祭に、

幸運にも「風のたより」が上映されることになりました。

1997年からこの映画祭に参加していましたが、今回初めて製作者として参加できたことは、私にとってとても大きなことでした。

今までの集大成として、私は上映にのぞみました。

出演してくれた山田農場のあゆみさん、ラムヤートの今野満寿喜さんをはじめとする面々、

そしてこの映画を上映してくれた人たち、観てくれた人たちが全国から山形に駆けつけてくれました。

みんなで映画祭に参加できたこと、これが何より嬉しく、私はテンションが上がりっぱなしでした。

上映だけでなく、みんなでチームを組んで映画館の中に出店をつくり、

山田農場のヤギチーズとワイン、ラムヤートのパンの販売をしました。

お客さんは大喜び。最高に贅沢な映画の上映になりました。

そしてこの山形の地で、意外な気持ちが湧き上がってきました。

今は何を撮りたいかはわからないけれど、「また映画をつくりたい!」と。これには本当に自分でも驚きました。

それからしばらくして、次に撮りたいものが見えてきました。

長野県にある信級(のぶしな)という集落です。

「風のたより」を上映してくれたところです。

この先に本当に集落があるの?というような山間のくねくねした道を進んでいくと、

パッとひらけて、なんだか懐かしい感じのする風景が目に飛び込んできます。そこが信級です。

山の中腹には、立派な木造の信級小学校が建っています。

一目見て、惚れてしまうような佇まいです。

今は廃校になっていますが、信級で育った人たちがみんな通った小学校です。

この、みんなが大切に思っている信級小学校が上映会場でした。

主催してくれたのは、信級に移り住み、田んぼと炭焼きをしている植野翔さんという青年でした。

彼は集落の人たちに上映会のことを丁寧に説明して歩きました。

その甲斐あって、当日は満員御礼。信級の重鎮の方たちもたくさん参加してくださいました。

そして映画を最後まで見て、しっかりと受け取ってくださり、私はとても感動しました。

「信級の潮目が変わった!」

これは、植野さんの炭焼きの師匠・関口さんの上映後の言葉です。

その他にも個性あふれる感想をたくさんいただき、感激の上映会でした。

小学校にこれだけ人が集まったのは何年振りだろうか、と口々に言っているみんなの顔は、なんとも嬉しそうでした。

そしてこの夜、オープンしたばかりのかたつむり食堂で打ち上げをしました。

この時の植野さんの心底嬉しそうな顔。今も忘れられません。

信級小学校、魅力的な人たち、そして美しい風景と共に、上映会が私の胸に刻み込まれました。

[…]