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信級日記 vol.23

令和元年10月2日

15:30 新潟港着。

今日は信級の手前の信州新町の玉井さんのお宅に泊まらせてもらうことに。

前回、「空想の森」を親子で見にきてくれた方だ。

19:30 玉井家着。

農家の大きなおうちだった。

家に入るなりホオズキのなんともいい香り。

玉井さんは食用ホオズキを栽培していて、収穫したものをザルにあげて干していた。

サスケとナルトという兄弟のネコが出迎えてくれた。

早速、長男のタイキさんと3人で晩ご飯をご馳走になった。

ご飯に味噌汁、キューリの和物、わかめの煮物などなど、美味しいものばかり。

地物のリンゴ・光陽がとても美味しかった。

玉井さんはホオズキの他、オリーブ、米、リンゴ、梨、綿など、いろんなものを栽培している。ホオズキジャムなど製品化を試みている。

翌日、母屋に隣接している蔵を見せていただいた。

立派な建物だった。

お庭も素敵で、庭を眺めながらしばしおしゃべりをした。

玉井さんの亡くなった義理のお父さんお母さんは、ここで農家として食べ物をつくり続けてきた。とても美味しい干し柿をつくっていたそうだ。

今、お嫁さんがこうして食べ物をつくっていること。

きっととても喜んでらっしゃるような気がした。

この地でこれからいろんなチャレンジをしていこうとしている玉井さんから大いに刺激を受け元気をいただきました。

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信級日記 vol.22

令和元年10月1日

今回は撮影の一坪くん、録音の柳屋さんも東京から参加してくれることになった。

久しぶりの3人体制での撮影。

すごく嬉しい。でも緊張もしていた。

半月ほどの撮影にのぞむ今回、宮平の一軒家をお借りできることになった。

スタッフで合宿生活をしながらの撮影になる。

なるべく快適に過ごせるようにできるだけの準備をした。

ということで、撮影機材に加え、調味料、炊飯器、食糧などもパッキングして車に積み込んだ。

いよいよ自宅を出て車に乗り込むとき、外に出ていた飼い猫のにゃあたが、「にゃあー!」と家に帰ってきた。

私を見送りに帰ってきてくれたようで、とても嬉しく少し長めの別れのハグをした。

日が暮れるのが早くなった。

苫小牧港へ向かう道中、夕日がとても綺麗だった。

19:30出港。

持ってきたおにぎりと味噌汁で夕飯を済ませ、風呂に入って早めに就寝。

どんな撮影になるのか、

ではなくて、いい撮影をするのだ。

いい撮影とは。

各スタッフが能力を発揮できるよう、気持ちと環境を整えること。

被写体の人たちに向き合う。

考えているうちに眠りに落ちていった。

信級日記 vol.21

令和元年 7月4日

さぎり荘を出発し、会場のミュゼ蔵へ。

お昼を過ぎると続々とお客さんがやってきた。

吉澤さんが左腕をつってきてくれた。

私はまさか来てくれるとは思っていなかったのでびっくりした。そして嬉しかった。

ひとしきり事の顛末を吉澤さんが話す。

夜に救急車で長野市まで運ばれ、診察を受け脱臼だったので帰ってくださいと言われたそう。夜遅かったので誰も迎えにきてもらえず、タクシーで帰ってきたとのこと。

「高い酒になったよ」と吉澤さん。

「いやー、とにかく脱臼で済んでほんと、よかったわー」

左腕が使えなくて不自由だけど、元気でよかった。

イチローさん、ゆみこさん、ちほちゃんも見にきてくれた。

赤ちゃんを連れたお母さんの姿もあった。

30人ほどの会場だったが、ほぼ満席になった。

冷房を入れてもらい、扇風機も回した。

西川さんが挨拶をして上映が始まった。

私は後ろの方から見ていた。

みんな集中してみていた。時々笑いもあり、私はホッとした。

上映後、休憩を挟んで、輪になって座り質疑応答。

夫婦の会話が面白くて笑ってしまった、

共働学舎の生活が見られてよかった、など

いろんな感想、質問があって面白かった。

イチローさんは、聡美さんとあかりの畑のシーンを見て、

「自分の母親もあんな風にして自分を育ててくれたんだなあと思った。」

というようなことを言った。

親子で見にきてくれた信州新町の方。

近くの町から見にきてくれたご夫婦。

映画を楽しんでもらえて、本当によかった。

西川さんもとても嬉しそうだった。

打ち上げは、西川さん行きつけのひはら食堂でやった。

15人ほどの人が参加。

ジンギスカンがとても美味しかった。

西川さんの娘さんと娘さんのお友達、心一朗くんも参加。

楽しいひと時でした。

ハプニングがあったけど、無事2回目の撮影を終えることができた。

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信級日記 vol.20

令和元年 7月3日

長野駅から車に乗り、信級へ向かう。

東京で腰の治療をして、痛みがだいぶ軽減した。

よかったー。

途中、信州新町のミュゼ蔵(4日の上映会場)に寄って、会場のセッティング。

西川さんが頑張ってすでに機材をつないでいて、あらかた準備は整っていた。

入り口に遮光のための布も付けられていた。

薄いけど遮光もできてなかなかいい感じ。

カナタの加藤さんに借りたとのこと。

よかった。

暑くなった場合は冷房をつけてもらえるよう、係の人にお願いした。

それから、扇風機も回そうかということになった。

私は画と音を出して、調整をした。

なかなかいい上映会場になってホッとした。

そして私は植野家のキャビンに戻り、ゆっくりと荷物を積み込み、さぎり荘へ移動。

あと二日、無理をしないようにして、さぎり荘に宿泊することにした。

温泉もあるし、とにかく養生しようと。

信級日記 vol.19

令和元年 7月1日

腰がかなり痛い。

寝ていても痛い。

でもとにかく、羽田さんのインタビューはなんとか頑張ろう。

9:30 とてもじゃないけど、キャメラバックを持つことができないので、

三脚も植野くんに持ってもらって羽田さんのお宅へ向かう。

羽田さんは、にこやかに迎えてくれて、仏間に通してくれた。

相変わらずビシッと綺麗なお家。

植野くんに機材を運んでもらって、キャメラをセッティング。

板の間に座ってのインタビュー。

大工の仕事のこと、小学校のことなど植野くんは聞いていた。

そして合間にこれから信級でこうしていきたいということなど、自分の考えも羽田さんに話していた。

なかなかよかったのではないかと私は思った。

私は腰が痛くて、座る態勢を変えるのに一苦労だった。

インタビューが終わり、茶の間で文子さんがお茶を入れてくれた。

そこでまたタケノコの煮物、ブルーベリーなどをいただきながらお茶飲み話。

植野くんは文子さんと話をするのは初めてとのこと。

こういう感じで、植野くんや浅野さんにインタビュアーになってもらって、これからも信級の人たちにお話しを聞いていきたいと思う。

なんとか無事に撮影を終えてホッとした。

羽田さん宅を後にして、植野家に戻る。

機材を降ろしてもらい、私は腰の治療に東京へ向かった。

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