2012年3月8日。
野村さん、桜ちゃんと3人でランチに行く。
前から行きたかったコルツというレストランへ。
前菜盛り合わせが目にも美しく、そしておいしかった。
ワインをいただけないのが残念。
スタッフの女性が、ひとつひとつ、料理を説明してくれた。
その中に山田農場のトムというチーズがあった。
野村さんが「これをつくっているのは友人なんです」と嬉しそうに言った。
デザートを食べ終わると、おもいがけずシェフが厨房から出てきた。
すると、シェフは午後から山田農場に行くとのこと。
そして「空想の森」を見たいと思っていて、まだ見ていないことなど、話がはずんだ。
午後から弁護士会館で弁護団会議に参加。
今回の意見陳述も2名。
その一人に小松幸子さんがいた。
小松さんは4人の子どもを持つお母さん。
福島県の鮫川村から函館に自主避難をしている人だ。お連れ合いは歯医者さんなので村に残り仕事をしている。
彼女の陳述は、胸にせまるものがあった。
会議の後、野村さんが小松さんと話し込んでいて、私を呼んだ。
そして明日、裁判の前に野村さん宅で小松さんの話を聞くことになった。
小松さんは話したいことがたくさんありそうだった。
私も話を聞きたかった。
野村さんは福島の人たちの思いを、何かの形で発信していきたいという思いを強くしたようだった。
2012年3月9日。
午前中、野村宅に小松さんがやってきた。
撮影をさせてもらいながら話をうかがった。
鮫川村でどんな暮らしをしてきたか、3月11日のこと、どうやって避難してきたか、原発のこと、放射能のこと、家族の今の状況などを話してくれた。
小松さんは言いたいこと・話したいことを、私と野村さんにありのまま話せていることがとても嬉しかったようだった。
私と野村さんもそれがとても嬉しかった。
小松さんと出会えてよかったと思った。
私たちも話したいことを話した。
小松さんがすっきりした気持ちで意見陳述ができたらいいなと私は思った。
そして私たちは裁判所へ向かった。
私にとって4回目の裁判。
いつものように、裁判前、弁護士会館で簡単な今日の裁判の流れを説明。
その後、みんなで横断幕を持って裁判所まで歩く。
ここまでキャメラで撮影できる。
裁判所の敷地内に入ったら撮影は一切できない。
そして裁判所で傍聴券の抽選。
今回もたくさんの人が傍聴に来た。
抽選結果を待つ間、奥本さん、小松さん、上田さんなどと話をする。
しかし知っている人が増えたなあと思った。
この抽選に私は一度も当たったことがない。
今回もはずれたが、最後の最後に原告席に座れることになった。
原告席はなるべく多く座れるようにしているのでものすごい窮屈だった。
初めて座った原告席からは被告の代理人の顔がよく見えた。
無表情だったり、居眠りしている人が多かった。
今回は裁判長もウトウトする場面が多々あった。
小松さんの意見陳述は素晴らしかった。
自然豊かな福島県鮫川村で子供たちを伸び伸びと育て、畑を作って作物をつくり、こだわりの家も建て、幸せな暮らしをしていたのが、一瞬で家族がバラバラになってしまった。
そして避難してきた函館の目と鼻の先に原発か立てられようとしていることを知った時のショック。
小松さんの陳述は心に響いた。
そして実に堂々と肝を据えて裁判官と被告代理人たちに向かって陳述をしていたのが印象的だった。
意見陳述の後は原告代理人(弁護士)によるプレゼンテーション。
パワーポイントがうまく映し出せない。
若い弁護士や機材を持ってきた人たちが一生懸命作業をしていたが、画像をきちんと映し出せない。
仕方ないので機材を直している間、森越弁護士が、前回の裁判で求釈明した全電源喪失時の対策についての質問をすることにした。
今回、被告側代理人が準備書面を出してきた。
その中には、全電源喪失時は、どの原発でも30以内の対策しか立てていないとのこと。
ちなみに30分と決めた根拠は、誰に聞いてもわからないそうだ。しかし、大間原発の場合は8時間まで対策を立てているとの返答だった。
そこで、原告代理人は再度「最終的には何日持つのか」と質問した。
「30日はもつ」と返答したので、「30日の根拠を詳しく書面で提出してほしい」と迫った。
さらに、原告代理人から「大間原発は15メートルまでの津波しか想定していないが、福島第1原発を襲った津波は15.5メートルである。対策は不十分ではないか」と質問した。
被告代理人は「ストレステスト後に答える」と答えた。
3つめの質問は、2008年に変動地形学の中田教授から指摘のあった大間北方海域活断層のこと。
被告電源開発は「調査結果活断層はない。念のために今後再調査する」と翌年発表したが、その後、「海成段丘面」の調査などをしたのか教えて欲しいと質問した。
この件も、裁判長から書面で出すよう命じられた。
このやりとりをしている間にパワーポイントの調整をしていた。
私は気が気じゃなかった。
これが映せなかったら、せっかく弁護士の人たちがやってきたことが台無しになるからだ。
私が映画をつくっていることを知っている周りに座っていた原告の人が「なんとかなりませんか」と小声で言う。
できるものならやりたいが、私は小さくなって「機械苦手なんです。」と言った。
ここにいんであんがいたらなあと思った。
そしていつものようにというわけにはいかなかったが、パワーポイントはなんとか映るようになった。
内山弁護士は「新耐震設計審査指針と不確かさの考慮」についてプレゼン。
これまで考えられなかった巨大地震や津波が起こった。これからも3.11以上の地震や津波が起こる可能性があるのだから、新指針の基準をもっと上げるべきであると訴えた。
森越弁護士からは「安全審査の欺瞞性(原子力村)について。
原発の「安全神話」は永く日本社会を覆ってきたが、なぜこれが可能であったのか、原子力村相関図(原子力産業界、行政組織、政界、財界、メディア等)を示して、これら諸団体の社会的・経済的関係とその構造のゆがみを明らかにした。
裁判が終わり、私は弁護士会館の方へ急いて移動した。
意見陳述をした小松さんは、たくさんのメディアから取材をうけていた。
私はそれを遠巻きに撮影した。
そしてその後、「すばらしい陳述でした。」と小松さんに声をかけた。
小松さんは興奮気味に裁判で思ったことを話し出した。
そうこうしているうちに、弁護士会館で裁判の報告会。
意見陳述をした小松さんたちも感想を述べた。
訴訟の会代表の竹田とし子さんがご挨拶。
進行協議が終わって合流した原告代理人の森越弁護士、河合弁護士などが報告。
弁護士の人たちは法律の世界で原発を止めようとがんばっている。
長年原発の裁判をやってきている河合弁護士は、今が原発を止める最大のチャンスととらえて、全国の弁護士に呼びかけて、情報を共有し、力を合わせてどんどん裁判をやっていこうと動き回っている。
建設途中の原発をやめるかやめないか、この大間原発の裁判は日本のこれからにとって、本当に大事な裁判だと改めて思った。
この大間原発の裁判もだいぶ佳境に入ってきている。
2010年に提訴した第1次原告と2011年12月に提訴した第2次原告を合わせて、原告団は378名となった。
次の裁判は2012年6月8日だ。
そしていつものように、弁護士の人たちと原告の人たち15人ほどで寿司屋さんへ。
意見陳述した小松さん、神奈川から裁判を見に来た平野さん、牧野さんもいっしょに行った。
彼らは、2月の大間原発東京報告会に参加した人たちだった。
そして翌月、本当に函館に来た。
こういう行動力のある人がいるのだ。
私は嬉しくなった。
ひとしきり食べた後、ひとりひとり自己紹介をした。
森越弁護士が話したことが印象に残った。
大間原発は訴訟という形で今、自分たち弁護士も勉強しながら闘っている。
そのずっとずっと前から、原告で会の代表の竹田さんは、津軽海峡を挟んだ向こうに大間が見える大森浜に毎日通って「大間原発大間違い」と砂浜に書き、叫んでいたことを思うと、自分たちは代理人でしかないんだなあと思い知らされる。
そんなことを森越さんは話した。
裁判は表面上には、原告代理人と被告代理人とのやりとりで進められる。
しかし、原告の強い思いがあり、代理人はそれをを受け止め、原告の代わりに法廷で闘っているのだ。
私もこの裁判に関わるようになったいきさつ、そしてどのように撮影をしてどんな映画をつくりたいのかを話した。
そして、飲んで食べてしゃべった。
事務局の大場さんも大好きなビールを飲み、おおいにしゃべった。
森越さんとこれからの裁判のことなど話していた。
私も興味深くその話を聞いていたら、
「なんで今撮らないの。いいとこなのに」と大場さん。
私はもう撮影をやめて、自分もみんなと話したいと決めていたのだったが、
そう大場さんがそう言うなら撮ろうと思い、ちょっと酔っぱらっていたが再びキャメラを持った。
撮影していると自分が話しにくい。
話そうと思ったら話せるのだが、私は相手の目を直接見て話したいから、どうも塩梅が悪い。
したがって自分が話をしたいときは、キャメラを置くようにしている。
大いに話をしてお開き。
私と野村さんと石川さんはこの後「杉の子」へ行くことにしていた。
神奈川からきた平野さんと、壮瞥から来た上野白湖さん、そしてすでにかなり酔っぱらっている大場さんも一緒に行くことになった。
歩いて杉の子まで行ったのだが、大場さんは足元がおぼつかず、私が腕を組んで一緒に歩いた。
野村さんが言うには、私も大場さんと同じくらい酔っぱらっていたらしい。
杉の子は、おいしいウィスキーがリーズナブルな値段で飲めるとってもいいお店。
ここで2,3杯、おいしいウィスキ―をいただきながら楽しくおしゃべり。
大場さんは水を飲んでそのうち寝てしまった。
平野さんが、「野村さん、余貴美子に似ていますね。」と言った。
野村さんはすっかり上機嫌。
私は今回の旅の山を越した感じで、解放感があった。
楽しい夜だった。
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