山本家。左から朱美さん、昭吾さん、卓也さん、そして4月11日に生まれたフータくん。
西吹付山展望台より。本州最北端の大間崎の弁天島と、うっすらと函館山が見える。
2011年11月30日。
朝5時半起床。
外へ出るとぐっと気温が下がっていた。
西吹付山展望台へ。
まだ辺りは暗く、イカ漁の漁火が見えた。
函館山はかろうじて見えた。展望台の上は風が強く寒かった。
一坪君は何パターンかのパンを撮る。
雲が多く太陽の光が出るのを待った。
出そうもなかったので7時半頃宿に戻った。
朝食を食べ終わる頃、山本さんから電話が来た。
漁にはでないので10時ころからインタビューができるとのこと。
これで明日函館に戻れることが決まったので、フェリーの予約、函館で拠点にする親方の家への連絡、撮影させてもらう山田農場に連絡など、今後の撮影のための連絡を各方面にする。
そうこうするうちに、山本さんのお宅に伺う時間になり、準備をして向かう。
山本さん、妻の朱美さん、そして長男の卓也さんも待っていてくれた。
卓也さんがインタビューを受けてくれることに私は密かに感激した。
先日イカ漁の船の中で話をしてもっと話をしたいと思っていたのでとても嬉しかった。
まず私たちは先日撮らせてもらったイカ漁をテレビにつなげてお見せした。
いっしょに見ながら解説を聞くと、ここはこういうことだったのかと改めて理解することが多々あった。
一坪君は撮影中からしっかり観察していてその時にかなりのことを理解していた。
頭のいい人だ。
そしてお茶を飲みながら、お昼を食べながら、漁のこと、原発のこと、これからのことなど、色んな話をうかがった。
私は聞きたいことが山盛りあった。
でも一度に聞くと、話す山本さんたちが疲れてしまうのではないかと思っていたので、今回は最低限聞いて、後は次回にと思っていたが、話の流れから、聞きたいことはほとんど聞いた。
そして、色んな話に飛び、私は話を聞きながら、感動したりコーフンしたりしていた。
山本さんの話はもちろんだが、息子の卓也さんが語る言葉は、いちいちそうだよねと共感することばかりだった。
男前という言葉が卓也さん、そして山本さんにぴったりだと私は思う。
これからも、山本さん、卓也さんともっと話をしたい、撮影をさせてもらいたいと強く思った。
そしていっしょに大間原発を止めたいと思う。
卓也さんと息子のフータくん。
そして、全国の人たちに伝えたいことをそれぞれ話してもらった。
その話がまた素晴らしくよかった。
卓也さんは、この時4月に生まれたばかりの息子を連れてきた。
山本さんから脚立を借りた。
明日のあさこはうすの撮影で脚立があった方がいいと一坪君が言ったからだ。
撮影が終わって、帰りの車の中、私と一坪君はかなりコーフンしていた。
悩みながらまっとうに自分の筋を通している山本さん一家に出会えた喜び、そしてインタビュー撮影の手ごたえを感じていた。
私はこの映画はいい映画になると思った。
宿に戻り、一坪君はテープ整理、私は明日以降の撮影の組み立て、そして連絡・確認作業。
そして、一坪君と今後の打ち合わせをさっと終わらせ、近くの居酒屋で夕食。
ここでも今日の撮影のこと、「空想の森」のことなど話す。
あの時より成長した一坪君とあの時よりきっと成長しているはずの私がこのタイミングでまた一緒に作品に向き合うことになった巡り合わせ。
今もっている自分の力を出し切ってやったるわいと改めて強く思った夜だった。
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