山田農場にて
2011年4月25日(月)
山田農場の仕事の撮影。
ここは空気が違う。気持ちいいなあ。
と私はいつも感じる。
しかしここにも放射性物質が降っているのだろうと思うと本当にやりきれない。
南斜面の山の中腹に家と畜舎がある。
山の斜面は放牧地だ。家族と動物たち、そして自然と共に試行錯誤しながら作り上げてきた美しい農場。
人間も動物もキラキラしている。
そしてこの農場にいるだけで圭介とあゆみさんの誇りを感じる。
ヤギ、牛、羊、アヒルのガー子、犬、猫のボー。
動物たちがいつも近くにいる。
やさしい長男の優作、やんちゃな二男の耕作もかわいいさかりだ。
日の出とともに一日が始まる。
動物たちにエサをやって、掃除をして、乳をしぼる。あゆみさんは大きいお腹で一頭ずつ丁寧に乳を搾る。
「乳搾るの好きなんだよね」と彼女は笑った。
日の出前の静寂な時間。
バケツに乳を搾る音が響く。
圭介さんとあゆみさんは仕事をしながらよく話す。
動物の様子、今日の予定などなど。
一仕事終わったあたりで東の空から太陽が昇ってくる。
そして下の放牧地にもヤギを追っていく。圭介さんがペーターのように見える。
山田農場の試行錯誤と暮らしは、これからこの時代を生き抜いてゆく一つの道のように私には思える。
2011年4月26日(火)
池田誠さんのインタビュー撮影。
北海道国際交流センター事務局長の誠さんはいつも忙しく飛び回っている。
誠さんは15年ほど前に新得共働学舎に2年ほど在籍していた。
その時に映画祭を通して知り合った。
「空想の森」の制作途中からラッシュ上映会などでお世話になった。
完成してからも函館で上映するときにはいつも協力してくれた。
誠さんとじっくり話すのは久しぶりだった。
国際交流センターは函館山のすぐ近くにある。
お腹がすいたので、あゆみさんに電話してこの辺りでどこかいい店ないかを尋ねた。
二十軒坂のふもとに「パザールバザール」というトルコ料理の店があっておいしいらしいというので早速行ってみた。
小さないいお店で若い夫婦がやっていた。
食べ物も飲み物もおいしくて私はすっかり気に入ってしまった。
この後もこの近くにいる時には何度もこの店に寄ることになった。
こなひき小屋(パン屋さん)の親方・おかみさんのインタビュー撮影。
七飯町の自宅にて。
「空想の森」を作っているときから応援してくれたご夫妻で、映画が完成してからは上映会もしてくれた。
そして今も函館に行くといつもお世話になっている。
毎日朝3時に起きて仕事に行く親方は「眠い眠い。オレは寝るぞー」と言いつつ結構遅くまで話をした。
親方が寝てからおかみさんとまた話し込むのがいつものパターン。
この日はワインを2本あけた。
2011年4月27日(水)
佐々木公子さんのインタビュー撮影。
佐々木さんは函館映画鑑賞協会のメンバー。
2009年、この会の29周年の上映会で「空想の森」を上映してもらった。
鑑賞協会の事務所で撮影。
中に入ると部屋の壁には今まで上映した作品の監督たちの色紙と記念撮影した写真が所狭しと並んでいた。
佐藤誠、山田洋次、手塚治虫・藤原智子などなどそうそうたる監督たちに混じって私の色紙と写真もあった。
少し恥ずかしかった。
映画の好きな人たちがずっと映画上映会を続けてきたこの会の歴史を感じた。
「手塚治虫さんが講演のときに書きなぐった画をパネルにしたんです。」と佐々木さんは見せてくれた。
これはこの会のお宝ですね。
と私は言った。30周年の上映会では、今まで上映した映画のポスターなどを会場に展示したり、
盛大にやったそうだ。そういえば私も寄稿文を書いた。
私もその場でみんなとお祝いしたかったなあと思った。
佐々木さんは数年前に岩手に引っ越していった映画鑑賞協会の女性の話を始めた。
彼女の遺体が見つかったと昨日知らせがきたばかりだったのだ。
佐々木さんは映画が大好きな人で、映画の話をしていたらいつまででも話が尽きない。
野村さんといいコンビだ。また次の映画を上映してもらえるようにがんばろうと思った。
野村保子さんと愛猫シュワ
夜は、同じく映画鑑賞協会のメンバーで大間訴訟の会のメンバーでもある野村保子さんのインタビュー撮影。
野村さんの自宅にて。
野村さんは20年以上前、まだ子供たちが小さい頃、農薬・食べ物の問題で竹田さんと活動を共にしてきた。
そして1970年代、大間の原子力発電所の問題が持ち上がると反対運動に入っていった。
ずっと前から原発を反対してきた筋金入りの女性だった。
私は彼女に聞いてみた。
私のように3.11以降ようやく原発の恐ろしさや理不尽さに気づいた人がたくさんいると思うが、
ずっとそのことを訴え続けてきた野村さんはそのことをどう思うかと。
彼女はこう言った。
早く気づいたからって偉いわけでもなんでもない。
その人が気づいた時がその時だったわけで、それからどうするかが大事だと。
そして彼女はこう続けた。
私は原発問題を話す時、大勢の人がいても、いつも一人の人に伝えていこうと意識している。
一人の人にしっかり伝われば、その人がまた違う一人に伝えてくれるはずだから。と。
私はこの話を聞いてとても感動した。
同時に今まで野村さんや竹田さんたち、その他大勢の人たちが地道に頑張ってきたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。
これからは私もいっしょに歩いていきたいと思った。
私がこの原発問題を撮影したいと思ったのは、ただ単に問題意識からではないと思う。
野村さんや竹田さんというしなやかでおおらかで知的で芯の強い女性たちに出会ったからだと思う。
野村さんにはこの後も大変お世話になった。
これからも世話になるのだが。
野村家に泊まると、たいがい若者も泊まりに来たりしている。
いつも話が尽きず、みんなとても疲れているのにもかかわらず、ついつい深夜までしゃべってしまう。
今は話したいことが多過ぎるのだ。
2011年4月28日(木)
山田農場で圭介さんあゆみさんのインタビュー撮影。
じっくりと話を聞いた。
この4月から始めたインタビュー撮影をやってきて感じていることがある。
みんな話したいのだ。
この震災のこと、原発のことを。
私自身も話したいからこうやって縁のある人を訪ね歩き、話を聞いているのかもしれない。
というか、私も思いっきり話しているからこれはもはやインタビューではないのかもしれない。
それでいいのだと思う。
今は人と話したいのだ。
誰かに自分の思いを話して気持ちを共有したいのだ。
そこから次が始まるはずだ。
夕方、圭介さんたちに紹介された治療院へ行く。
私もだいぶ疲れがたまってきていた。
施術後、先生にこの後体がだるくなるはずだからと言われた。
右がパーヴェル・ヴドヴィチェンコさん。左は通訳の人。
それから函館市民会館に向かった。
「チェルノブイリ原発事故から25年」パーヴェル・ヴドヴィチェンコさんの講演会に参加した。
「ラジーミチ」という社会団体を結成し、汚染地域で活動している人の話だった。
事故から25年たった今も人々は苦しみ汚染地域で生きている。
私はこれからの福島そして日本のことを考えずにはいられなかった。
先生が言ったように、私は体がだるくなって途中何度も睡魔に襲われた。
施術が効いているのだなあと思った。
挨拶をする大場さん。
2011年4月29日(金)
大間原発訴訟の会の竹田とし子さんのインタビュー撮影。
地域交流街づくりセンターにて。
裁判もせまり、あちこちの講演で忙しい中時間をさいてもらう。
竹田さんは静かにそして力強く語った。
竹田さんは弁天町の竹田ストアーの奥さんだ。
ここの肉や魚、お惣菜はおいしいと何人かの人から聞いた。
この竹田さんが会の代表ということも私は親しみやすいと感じるのかもしれない
函館から大間が見える大森浜というところがある。
間原発の裁判をすることが決まるまで、竹田さんは毎日この浜に行っては「大間原発大間違い!」と叫んでいたそうだ。
そうせざるを得なかった竹田さんの心境を思うと胸がつまってくる。
この言葉は、私が今年の空想の森映画祭のプログラムでやる撮影報告のタイトルに使わせてもらおうと思っている。
函館の港
2011年4月30日(土)
曇り空。函館のフェリーターミナルから青森へ向かう。
3時間40分の船旅。2009年の青森映画祭によんでくれた事務局の川嶋大史さんを訪ねて木造町へ車を走らせた。
山内丸山遺跡の横で映画祭が開催され、上映後に遺跡を撮影し短い作品をつくった思い出がよみがえってきた。
それから酒と肴がうまかったことも。
川嶋さんの仕事場でインタビュー撮影。
久しぶりに会い様々な話ができてよかった。
2011年5月1日(日)
青森から下北半島を北上して大湊へ。
ここには母方の祖母のお墓がある。祖母は「空想の森」の完成前に亡くなってしまった。
「一体何をやっているんだかこの孫は…」と思っていたことだろう。
近くまで来たので墓参りをすることにした。
雨の降る中、祖母と叔父と祖父が眠る墓に手を合わせた。
映画が完成したこと。
全国を上映して歩いていること。
そして撮影を新たに始めたことなどを報告した。
しかし、祖母が眠るこの下北半島はなんてことになってしまったのだろうか。
この日、いとこの家に泊めてもらう。
いとこは大湊で居酒屋をやっている。
「さかなや」という屋号だけあって魚がとてもうまかった。
いとこもこうやって大湊で踏ん張っていることが嬉しかった。
しこたま飲んで食べた後、いとこに勧められ、近くのバーに立ち寄った。
ここは銀座ですか?ていうくらい重厚なしっとりと落ちついたバーだった。
何百種類もの酒が並んでいた。
カウンターに座った私に、きちんとした身なりのバーテンダーは好みを尋ねた。
まずカクテル。そしてブランデーをいただく。
話をしながらゆっくり味わった。
フレーバーの香りのするデミカップのコーヒー、リンゴのシナモン煮をサービスしてくれた。
抜群においしかった。
クリーム色の少し重みのあるデミカップがとてもいいですねと言ったら、帰りに記念にと言ってくれた。
それからコーヒーも空いた酒の瓶につめて持たせてくれた。
タクシーでいとこの家に戻り、仏壇に線香をあげ、祖母の部屋だったところで眠った。
つづく
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