2010年12月16日。雨風強し。
7:30。起床。
昨晩から風の音かすごかった。
外は嵐のようだった。
今日は石垣から針の先生がゆうわ村にやってくる日。
私が泊まっている部屋が針の部屋になるので、荷物と布団を片付けた。
8:00。朝食。
酸味のあるローゼルのジャムとクローバーのはつみつがおいしかった。
私は一番に針を受けさせてもらう。
先生は中村勘三郎似の軽やかな人だった。
疲れた体に針はズンと効いた。
子供を連れた若いお母さんたちも受けにきていた。
私の横は大翔(タイちゃん)のお母さんが針を受けていた。
私はちょうどお母さんの方に顔を向けていた。
タイちゃんは仁王立ちになって針を刺されているお母さんを見つめていた。
そして動かないお母さんを見ていて不安になったのか、タイちゃんは枕元に座ってお母さんを見ていた。が、
不安の限界に達して、涙と鼻水を噴出しながら大声で泣き出した。
「お母さんは大丈夫だよ。生きているよ。」と先生がタイちゃんに話しかけてもしばらくお母さんの傍でなき続けた。
針を刺していてあまり動けないお母さんも、少し手を動かし、大丈夫だよと声をかけるとタイちゃんは泣き止んだ。
それでもずっとお母さんの傍にいた。
針が終わった後に、私は体がだるくなったので、リビングでぼーとお茶を飲みながらタイちゃんのお母さんと話をした。
大翔(タイちゃん)のお母さんは4人の子供がいる。
タイちゃんが一番下で3歳。
さっきとはうってかわって、木のおもちゃで遊んでいて絶好調だ。
やんちゃな男の子だ。時々私の顔を見て二コーっと笑う。
その顔がめちゃかわいい。
そして次の球子ちゃん(タマちゃん)のお母さんが針を受けていた。
今度はタマちゃんが大泣きしている。タマちゃんは1歳。
このお母さんも4人の子供がいる。
左から、タイちゃんのお母さんタイちゃん、タマちゃん、タマちゃんのお母さん。
タイちゃんのお母さんは本島出身。
ダンナが西表の人だそうだ。
西表島に嫁に来て、4人の子供を育てていて、なんて幸せなんだろうと感じるそうだ。
だからこの海や川や森や動物たちと共に暮らす幸せをこの子たちの子供にも味あわせてあげたいと思うと。
そして「この島の小学生や中学生たちがみんな純真でいい子なんです。
オジイやオバアもみんな元気でやさしいし・・・」、と島での暮らしを話してくれた。
私はちょっと感動した。
若い彼女をそう思わせる自然と人々がこの島に存在することに。
きっと彼女もいいオバアになっていくんだろうな。
そして彼女に大原の一慶さんの家まで車で送ってもらい別れた。
また大きくなったタイちゃんに会いたいと思った。
大原の一慶さんの家の周辺。
昨日12月15日の八重山新聞に波照間上映の記事が結構掲載された。
新聞配達をしているタイちゃんのお母さんから一部もらった。
そして私は一慶さんの家でパソコン仕事。
16:38。
大原診療所からバスで古見まで帰る。
雨と風はまだ続いていた。
母屋で孝子さんにお茶をいただき、自分の部屋に帰って風呂に入る。
体が冷えたのであったまって、布団を敷いてそのまま熟睡。トシオミさんが夕食が出来た事を知らせに来てくれるまでずっと寝ていた。
カズさんは地域の集まりで出かけていた。
今日も豪華な夕食だった。
魚、肉、野菜、ご飯、味噌汁。
きび刈り隊のみんなは気持ちがいい人たちばかり。
話も弾む。おいしく楽しい夕食だった。
明日ここを出るのがさみしい。
もっとここにいたいと思った。
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