田代陽子
始まりは空想の森映画祭との出会いでした。
そして、ずいぶん長い時間がかかったけれど、
一本の映画が、北海道新得町から生まれました。
1996年、北海道新得町新内の廃校になった小学校で、一回目の新得空想の森映画祭が開催されました。
赤い屋根の木造の小さな校舎が会場で、校庭にはどーんと大きな柏の木が立っていました。
ここで私は、初めてドキュメンタリー映画を見ました。
客席の後ろで、ガラガラと映写機がまわり、一筋の光がスクリーンに向かっていました。
そこで見た一本が、『阿賀に生きる』(佐藤真監督)というドキュメンタリー映画でした。
その面白さは衝撃でした。
ドキュメンタリー映画に対する私の既成概念が変わりました。
上映後に、この作品のキャメラマンの小林茂さんが、そのフィルムを私に触らせてくれました。
窓にかざしてみると、今見た画が確かにそこにありました。
新得を拠点にドキュメンタリー映画をつくっていこうとする藤本幸久監督と、
地元の農家の人たちが中心となった手づくりの空想の森映画祭。
大人たちは本気で楽しんでいました。
私も大いに楽しみ、その時のワクワクする気持ちは、私の心にいつまでも残りました。
それは、目には見えないけれど、そこに確かにあった人の心の熱に触れたからだと、今、私は思います。
ドキュメンタリー映画の作り手の熱い心に、心を解放して人と楽しむ空間に身を置き、その熱に触れたからだと。
そして、映画は人と人とを結ぶものなんだと。
この映画祭をきっかけに私は、藤本監督の北海道での映画づくりのスタッフとなりました。
『森と水のゆめ』(1998年)では助監督、『闇を掘る』(2001年)では編集に携わりました。
同時に空想の森映画祭のスタッフになり、映画祭をつくる側になりました。
それから私は映画と関わりながら、新得で暮らす人たちと出会っていきました。
今まで私が知らなかった世界がそこにはありました。
種をまき、草をとり、手間をかけ、時間をかけて丁寧に野菜を育て、収穫する。
そして、自分のつくったものを食べる。
その野菜の美味しさに私は驚きました。
野菜がこんなに美味しいものだとは知りませんでした。
そうして空の下、土の上で、自分の体を使って働き、食べ物をつくる暮らしに魅了されていきました。
そして私も、手間ひまかけてじっくりと、自分の思う映画をつくっていこうと思いました。
私はスタッフを組んで、その人たちの日々の仕事や暮らしの撮影をはじめました。
不安、葛藤、孤独、喜び、嬉しさ、悔しさ、悲しみ、怒り、人の有り難さ、
などなど、ありとあらゆる感情を映画づくりを通して味わいました。
そして私は、映画を通して人と関わっていきたいと心から思うようになりました。
左より、監督:田代陽子 録音:岸本祐典 撮影:一坪悠介
Shintoku空想の森映画祭2008より