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信級日記 vol.4

令和元年5月24日

朝。子供たちの食事、スクールバスに乗るところを撮影させてもらう。

植野くんの小屋の床板の貼り直しの作業とカオリさんの畑仕事を撮影。

畑のすぐ脇に小屋があり、お互いの仕事をなんとなく察知しながら、

時々話をしたりして仕事をしていました。

そんな二人を見ながら、ああ、なんだかシアワセだなあと、

感じながら撮影をしていました。

なにやら鼻歌が聞こえてきました。

道に出てみると植野家の道を挟んだ隣に暮らす心一朗くんが歩いていました。

ご挨拶をして少し立ち話。

初めて彼に会ったのは一昨年の「風のたより」の上映会の時。

まだ十代だったが、今は21歳になっていました。

彼は田んぼをやりながら、器などをつくる陶芸作家でもあります。

整体もやっています。

植野くんたちと一緒に、神楽の笛もやっています。

現在、母親の貴子さんと暮らしていますが、独立してやっていきたいので、

この近所に家を探している最中とのこと。

とても目が綺麗な青年です。

ぜひ撮影させてもらいたい人です。

お昼ご飯は、かたつむり食堂へ。

この日はこの食堂をつくった寺島純子さん、周平くんが切り盛りをしていました。

純子さんは長野市で出版社を経営しています。信級には3歳まで暮らしていました。

ご両親の信級への思いを聞いているうちに、信級のために何かやりたいと思い、

一昨年、かたつむり食堂をオープンさせたのでした。

周平くんは純子さんの会社の社員です。

ご挨拶をして、ランチをいただきました。

私が食べているときに、娘さんとお父さんの二人が店に入ってきました。

この近くの集落から来た人で、かたつむり食堂は初めてとのこと。

なんだかんだ話をするうちに、小学校へ行ってみたいというので、

私が案内することになりました。

彼らと別れた後、再びかたつむり食堂へ。

吉沢さん、イチローさん、羽田さんが飲んでいました。

「なんだかちゃんと写らないんだ、見てくれ」

とイチローさん。

新しく買ったカメラを私に渡しました。

私と周平くんで説明書も見ながら操作してみましたが、

ピントは合わないし、シャッターは切れないし、

どうやら、初期不良のようでした。

「イチローさん、買ったお店に持って行ってみてもらったほうがいいですよ。」

と私。

羽田富治男さんは初めてお会いした人でした。

腕のいい大工さんです。

昭和27年の信級小学校の増築をした大工さんの一人でもあります。

羽田さんのお父さんも大工で、増築の時の棟梁でした。

現在は息子さんが大工で、富治男さんはワサビやブルベリーを栽培しています。

[…]

信級日記 vol.3

令和元年5月23日

今回、私は一つ決めていたことがありました。

それは、やり過ぎない、無理をしないということ。

撮影に入ると、この瞬間はもう二度とはめぐり会えないという思いが強くあって

ずっと撮影をしてしまう傾向がありました。

それは自分の体にもよくないし、何より被写体の人にも負担になります。(今更ですが)

自分の体と心を常にニュートラルに整えて撮影に臨もうと決めていました。

この日、起きた時に背中にとても疲れを感じました。

なので、無理をしないで午前中はゆっくりしてようと思いました。

今回は初めての撮影です。

まずは、信級の人たちと話をして交流をしたいということと、

植野家も、少しずつ家の中や仕事を撮影させてもらい、

そして、田植えが撮れたらいいなあということを考えていました。

そんなことを朝食の時に植野くんたちに話をしました。

そして自分の布団に寝転がっていると、

「ヨーコさーん、イチローさんが来ました!」

とカオリさんの声。

私は玄関の土間に降りていきました。

「今日は天気最高だぞー、鹿谷城跡に行こう!俺が案内するから。」

とイチローさん。

「えー!、イチローさん、三脚を持って行かなくちゃいけないんだよ。

すごく重くて、私、それ持って山登れないから、龍一くんにお願いしようかと思ってたんだよ。」

と私。

「俺が三脚を持つから大丈夫だ!!いいから行こう!」

そんなわけで、せっかく誘いにきてくれて、

70代半ばのイチローさんがあの重たい三脚を持ってくれるというので、

私も疲れたなんて言ってる場合ではなくなりました。

「じゃあ、30分後、8:30にイチローさんちに迎えにいくね。」

急いで撮影の支度をし、機材を車に積み込み出発。

イチローさんをピックアップし、信級小学校の少し上の登り口付近に車を止めました。

三脚はやはりずしりと重い。

「イチローさん、ホントに大丈夫?」

「大丈夫だー!」

と三脚をひょいと担ぎました。

私もキャメラを持ち、スチールキャメラをリュックに入れて、

イチローさんと歩き出しました。

「ここは昔畑だったんだぞ。」

山道の脇の草に覆われたスペースを指してイチローさんが言いました。

「こんな標高の高いところまで、畑にしてたんだ。どれだけここに人が住んでいたかってことだよね。」

昔は信級小学校の付近が信級集落の中心地でした。

そういえば、ここは信級の集落のある二つの谷(本鹿谷と外鹿谷)の真ん中にある峠です。

農協や郵便局もあって、そこにいけば大体なんでもそろったそうです。

山道がだんだん細くなってきます。

右には外鹿谷の集落が見えました。

10分ほど歩くと、左に本鹿谷の集落が見渡せるところに着きました。

素晴らしい眺めでした。

真下の岩本は見えないけど、かたつむり食堂のある中村、植野くんの家のある岩下まで見えました。

信級日記 vol.2

植野翔さん

令和元年5月22日

信級を撮るきっかけをつくってくれた植野翔さん。

米をつくる農家です。

信級の炭焼き職人・関口さんに教えてもらい、炭も焼きます。

その余熱を利用して玄米珈琲もつくっています。

植野香緒理さん

植野さん夫婦の仕事、暮らしを中心に撮影させてもらいながら、

徐々に信級の人たちを撮っていけたらと思っています。

植野家の子供たち。乎陀(カナタ)、功那(イサナ)は双子。2年生。

隣の信州新町の小学校へ通っている。

7:38のバスに乗る。

三男の水渡(ミナト)くんも保育園へ通っている。

植野さん夫婦が大事にしていること、

目指していること、

それを撮っていったら信級の魅力が現れてきて、

その先の明るい未来が見えてくる気がしています。

このサイズ感、山の迫り具合。

この風景。

[…]

信級日記 vol.1

令和元年5月20日

撮影へ出発。

10日間ほどの予定。

久しぶりの撮影。

機材・持ち物のチェック。

何度も何度もする。

不安とワクワクする気持ちの入り混じる道中。

新しくしたキャメラ。

試し撮りを重ねてきたものの、

本番で思うように扱えるか・・・。

車で苫小牧東港まで走り、夜7時半出航。

20時間フェリーに乗って、翌日の午後3時半、新潟港に到着。

新潟から4時間半車を走らせ、ようやく信級にたどり着く。

信級までの長い道のり。

徐々に気持ちをつくっていく。

思いの外いい時間になった。