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撮影報告 その162 増井貴美子さん宅へ 三方郡上野にて

太田さんとくず子さん。(敦賀)

2012年11月25日。

ゆっくり起床。

母屋で太田さんとおしゃべり。

もんじゅのある白木集落の漁民は、敦賀の人に魚をピンハネされたりして、ひどい目にあっているが、人間的には差別はされていなかった。

敦賀は差別が少ないところなのだそうだ。

しかし、大飯原発のある大島半島の漁民は、若狭の人に人間的に差別されていたそうだ。

 

太田さんは、今、「欧亜国際連絡船の着いた港」という写真集をつくっている。

 

百年前に敦賀の写真を撮ったフランス人の写真にキャプションをつけたり、港町敦賀の太田さんの思い出を書いたりしている。

 

自分が生まれ育ち、今も暮らしている敦賀への太田さんの思いが感じられる。

昭和30年代、40年代の敦賀の町の写真も太田さんの家にはたくさんある。

カメラを持っていた友人が、趣味でコンテストに出すために撮っていた。

現像して気に入らなかったものを太田さんにあげていたので、それがたくさんあるのだそうだ。

紙芝居を夢中で見ている子どもたちや、港での荷物の積み下ろしの活気ある風景など、当時の敦賀を映し出していた。

 

太田さんは19歳の時からずっとネコと暮らしている。

これまで何匹ものネコと暮らしてきていて、その一匹一匹とに思い出がある。

 

ある時期は5,6匹も同時に飼っていたことがある。

野良だったネコが太田さんの家にいついて飼うことになるパターンだ。

ある野良だった雄猫ネコが病気になった。

病院に連れて行き、良くなって家に連れて帰ってきた。

ご飯をあげながら、太田さんはそのネコに

「結構お金かかって大変だから、もう病気はしないでね。」

と言った。

翌日、そのネコは太田さんの家を出て行ってしまい、それっきりだったそうだ。

太田さんは目に涙を浮かべながら、

「悪いことしてしまったわ。あんなこと言ってはいけなかったわ。」

と悲しそうに言った。

 

その他にもたくさんネコの思いでがあり、どれもいい話だった。

「太田さん、原発の本書いた後、今度はネコの話を本にしたらいいのに。」

と私は言った。

 

写真集の後は、太田さんの40年以上にも渡る反原発運動のことを本にしたいと思っているのだ。

 

昨日の満久先生の講演会のチケットを回収に坪田先生がやってきた。

火鉢にあたりながら坪田先生としばしおしゃべり。

そうこうしているうちに、夕方になってしまった。

 

『いのちか原発か 小出裕章×中嶌哲演』風媒社

哲演さんと小出裕章さんが対談した本を太田さんにお借りした。

 

そして私は三方の増井貴美子さんの家に向かった。

着いた頃はもう真っ暗になっていた。

貴美子さんがにこやかに迎えてくれた。

薪ストーブがたかれていて、温かい部屋だった。

佐藤さんと貴美子さん

小浜の佐藤和夫さんという現代アートをやっている人がやってきた。

佐藤さんは57歳の時に会社をやめ、放浪しながら画を描き、北海道にもしばらく滞在してたことがあった。

私の車の帯広ナンバーをみてテンションが上がったそうだ。

喜美子さんの手料理をいただきながら、話がはずんだ。

そして今佐藤さんは縁があって小浜の哲園さんの明通寺の近くの小屋を手直しして定住している。

ほんと、若狭も面白い人がいるのだ。

 

この晩は夜中の2時半まで喜美子さんと話し込んだ。

群馬で会った糞土師の伊沢正名さんの話をしたら、喜美子さんはとても興味あるみたいだった。

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