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撮影報告 その142 大間原発反対デモ in 函館

2012年9月30日。

朝寝坊した。

石川さんは朝早くに仕事に出かけた。

みんなはとっくに起きていて、おかみさんも出かけていた。

私はコーヒーを淹れた。

外のデッキの椅子に腰かけ、親方と野村さんと三人でコーヒーを飲みながら木々を眺めた。

秋のさわやかな空気だった。

そしておかみさんも戻ってきて、ご飯を食べた。

 

今日は15:00から大間原発反対のデモがある。

 

14:00。親方の車にみんなで乗って千代台公園に向かった。

私はキャメラと最小限のものだけを持って親方の車に乗り込んだ。

少しだけ雨が降っていた。

Pan屋の駐車場に車を止め、そこからチンチン電車に乗った。

私は初めて函館で電車に乗った。

千代台公園に続々と人が集まってきた。

新聞発表によると330人。

私はさっそく撮影を開始。

知った顔がたくさんあった。

山田一家もやってきた。

圭介さんがハルサクを背負って、コウサクの手をひき、あゆみちゃんがユウサクの手をひいていた。

ハウレットさんの司会で集会が始まった。

大間の会の代表の竹田さんがあいさつ。

あゆみちゃんもマイクをもってあいさつした。

そしてウォークがスタートした。

山田一家、野村さん、國立夫妻、親方とおかみさんなど、撮影をした。

 

もうこれ以上原発はいらない。

切実に思う。

私も時々いっしょに歩いて声を上げた。

 

無事デモの撮影を終えた。

 

私はお腹がすいていた。

Pan屋の近くの中華料理屋さんで、親方、おかみ、野村さんの4人で夕食を食べることになった。

ここがまた、とてもおいしかった。

おいしいおいしいと、みんなでたいらげた。

親方にごちそうなった。

 

そしてみんなで野村家に寄り、お茶一杯ごちそうになり、

親方の家に帰った。

 

家に帰って、親方おすすめの音楽を色々聞かせてもらった。

この家で聞く音楽はなんともいい。

それから親方の撮った山やミッシュ(愛犬)とペコちゃん(愛猫)の写真をパソコンで見せてもらったりした。

 

あー、今回もいい時間を過ごさせていただきありがとうございました。

[…]

撮影報告 その141 函館の食を満喫した一日

2012年9月29日。

リコルマでランチを野村さんにご馳走になる。

一度行ってみたいと思っていたが、なかなか機会に恵まれず、この度念願がかなった。

食材はほとんどこの近郊のものだった。

裁判の後でまだ興奮して色々話をしたが、あまりのおいしさが私たちの心を柔らかくしてくれた。

いやー、ほんと全てがおいしかった。

素晴らしかった。

 

 

今度はワインをいただきながらお料理を味わいたい。

 

夕方、野村さんといっしょに親方の家へ向かう。

私が函館に行くと、親方の家に、野村さん、石川さんといっしょにお泊りすることが恒例となってきた。

早速ビールで乾杯。

のむらさんは野菜スープ、カルパッチョなどをつくる。

おかみさんも何品かつくっていた。

緑を眺めながら、ビールを飲みながら台所でワイワイとみんなで料理をするのが楽しいとおかみさんは言う。

私はあまり出番がない。

石川さんも仕事を終えてやってきた。

親方はワインとグラスをテーブルに並べる。

モツのトマト煮込み、カルパッチョ2種、チーズ、スープ、パンなどなど、

この晩も豪華な食卓を囲んだ。

ほんと楽しい会話とおいしいワインとお料理。

ああ、いい一日だった。

 

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撮影報告 その140 第7回大間原発訴訟 口頭弁論

裁判の日の朝。 2012年9月28日。

野村さんが朝ごはんの支度をしてくれて、澤井さん、石川さんと4人で朝食。 みんなで色んな話をして面白かった。 10:00。 野村さん、澤井さんといっしょに弁護士会館へ向かう。 弁護団会議。 今回の裁判の内容。 意見陳述は、福島から避難してきている鈴木明広さん。 家族が命からがら逃げた体験を語ることこそが、新規原発建設反対への思いを伝える直接的方法であると言って 鈴木さんは法廷に立つことにした。 弁護士によるプレゼンは、内山成樹弁護士による「基準地震動の不十分性」、 海渡雄一弁護士の「国会事故調査報告書が求める新たな耐震設計審査基準と再審査」、 大間原発訴訟弁護団共同代表の河合弘之弁護士の陳述。 弁護団会議の途中、大間原発をめぐっての動きが色々出た。 昼前、電源開発(Jパワー)が年内にも大間原発の工事再開すると発表したとニュースが流れた。 河合先生に函館市から電話が入り、裁判前の12:30~13:30、函館市長と弁護団で顔を合わせて話をすることに急きょ決まった。 新聞報道などにもあるように、電源開発の大間原発工事再開に怒った函館の工藤市長は、 函館市が原告となって大間原発工事差し止めの裁判ができないかと、河合先生たちに相談をしたのだった。 右が佐藤さん、中央が奥本さん。 弁護団会議が早めに切りあがったので、野村さん、大間の奥本さん、佐藤さんといっしょにお昼ご飯を食べに行った。 裁判所の近くには食べ物屋があまりなく、ぐるぐる回っていたら、お蕎麦屋さんを見つけた。 そこのお蕎麦が思いの他おいしくて、しかも安くてみんな大満足。 13:30。弁護士会館に裁判に参加する人たちが続々と集まった。 いつものように、横断幕を持ちながら、みんなで裁判所まで歩いた。 雨もほんの少し降っていたが、傘がなくてもいいくらいだったのでよかった。 傍聴席の抽選に多くの人が並んだ。 今回は抽選に外れた人のために、急きょ弁護士会館で澤井正子さんの学習会をすることになった。 私は抽選に外れた。 今回は澤井さんの講演会が聞けるので、それほど悔しくなかった。 せっかくだからそれも撮影もしようと思い、澤井さんに撮影してもいいすかと尋ねると 快くオッケイしてくれた。 私はど真ん中の一番前にキャメラをセッティングした。 原子力発電の基礎講座のような内容で、パワーポイントで資料を見ながらの講義はとてもよくわかった。 原子力発電所の巨大な取水口。 ここを毎秒何万トンという海水が流れる。 定期点検中の人がとても小さく見える。 ヨウ素131とセシウム137の半減期の比較。 ヨウ素131とセシウム137が、10000ベクレルが約10ベクレルになるまで、どれくらいの年数がかかるかを比較した表。 澤井さんは10000円が10円になるまでと考えると感覚的によくわかると解説してくれた。 ちなみにヨウ素131は80日、セシウム137は300年かかるということになる。 これは小学生にどうしたらわかってもらえるかと考えてつくった比較表なのだそうだ。 そんなこんなで澤井さんの話に聞き入っていたら、裁判を終えた人たちが帰ってきた。 学習会を終了し、裁判の報告会。 左から竹田代表、河合弁護士、海渡弁護士。 河合弁護士が市長との会談のこと、裁判のことなどを報告。 原子力規制委員会が新たにつくり、来年の3月をめどに、新しい安全基準をとりまとめようとしている。 この安全基準には最新の安全設備がないと稼働させない仕組みが導入されている。 前の新安全指針で建設が認められた大間原発は新しい安全基準に対象外という扱いになっているという。 来年の7月に新しい安全基準ができるまで工事を止めておくのが道理ではないかと海渡先生。 まったくもっておかしなことだと思う。 裁判長の声が小さくて聞こえなかったとか、初めて裁判に参加した人たちも感想を話した。 […]

撮影報告 その139 澤井正子さん

澤井正子さん。(石川崇子撮影)

 

 

2012年9月27日~28日の明け方。

海渡弁護士による「脱原発基本法」の学習会が終了し、野村さんと私は交流会の会場に向かっていた。

その途中に野村さんに澤井正子さん(原子力資料情報室スタッフ)から電話が入った。

彼女は、むつ、青森と講演会をした足で函館に到着。

そのまま私の車で函館駅へ向かい、澤井さんを拾って交流会の店へ合流。

 

この夜、野村さんが澤井さんに大間原発と熊谷あさ子さんについて取材をすることになっていた。

その取材の撮影をさせてもらえることになった。

澤井さんは大間原発建設反対の問題についてよく知っているだけでなく、

あさ子さんのことを「おばちゃん」と呼んでいてとても親しく付き合っていた。

私も一度じっくり澤井さんのお話をうかがってみたいと思っていたのでとても嬉しかった。

 

野村家でじっくりとお話をうかがい、そのままいっしょに泊まることになった。

私と野村さんはいつもお酒を飲むので、交流会後、代行を呼ぼうとしたら、

澤井さんが「飲んでいないから私が運転するよ。」

と言ってくれたので彼女に運転してもらった。

 

野村家に着き、お茶で一服。

仕事を終えた石川さんもやってきた。

野村さんは彼女に写真を頼んでいた。

インタビュアー:野村、スチール写真:石川、ビデオ撮影:田代という体制でインタビューが始まった。

 

左から澤井さん、野村さん、私。

 

野村さんの一つめの質問から、澤井さんは流れるように話をはじめた。

大間原発問題の経緯、あさ子さんのこと、原子力資料情報室の関わり方、そして今の問題点まで様々な話に及んだ。

途中から撮影をやめて、気が付いたら朝の4時半まで話をしていた。

石川さんは途中で爆睡していた。

後で知ったのだが、石川さんはかなり疲労していて風邪をひいていたそうだ。

 

澤井さんは長い移動の旅講演で疲れていただろうに、気持ちよく話をしてくれた。

野村さんと私は昨日に引き続き明け方までということになってしまった。

 

明日でなくて今日、10時に弁護士会館集合で、午後から裁判だ。

早く寝なくちゃということで、澤井さんの布団を敷いてようやく眠りについた。

 

野村さん、澤井さんの話を聞く機会をいただき、ありがとうございました。

 

[…]

撮影報告 その138 脱原発基本法

2012年9月26日。

前日から急に寒くなった十勝。

函館へ車を走らせる。

正面の山が駒ヶ岳。

二日前に私が大好きな二十世紀が両親から送られてきた。

お土産にそれを車に積んだ。

 

夕方にこなひき小屋の親方宅に寄った。

新しいうちに梨を食べてもらいたかったので。

 

おかみさんが帰ってくるまで親方と話す。

 

20:00 野村家着。

ビール、ワイン、日本酒などを飲みながら、野村さんの手料理をいただく。

久しぶりだったので、二人で明け方まで話し込んでしまう。

早く寝ようと言い合っているのに、こうなってしまうのだろう。

 

2012年9月27日。

大間原発訴訟の会学習会『「脱原発基本法」を考える』に参加。

80人くらいの参加者が集まり盛況だった。

青木秀樹弁護士。大間原発訴訟・浜岡原発訴訟の弁護団。

現行の安全審査指針類は何が問題か ~福島第一原発事故は、原発審査指針類を無効にした~

を青木弁護士が話をした。

 

海渡雄一弁護士。大間原発訴訟・浜岡原発訴訟の弁護団。

 

「脱原発基本法」の制定は大間原発を止める ~法案の成立に向けて、脱原発の国民のうねりを!~

をこの法案を中心になってまとめた海渡弁護士が話をした。

先に希望がもてる話だった。

かいつまんで内容を記します。

 

原発推進は国策。

だからこそ国策として脱原発を宣言することが必要ということで、法律を制定しようということ。

脱原発基本法案には前文のようなものがあり、これがなかなか格調高い。

この法案は103人の国会議員の賛成をとりつけ、国会に提出され、現在衆議院で継続審議になっているそうだ。

 

このことについて海渡弁護士はひとしきり想いを語った。

1986年4月のチェルノブイリ原発事故後にも日本で反原発運動が高揚し、

1988年4月の「原発止めよう!一万人行動」には2万人が集まり銀座をパレードした。

集会では高木仁三郎氏が「脱原発法制定運動」を提案し、

請願署名と超党派の議員立法によって脱原発法の制定を目指すことになった。

 

この当時駆け出しだった海渡弁護士も署名運動や法案の策定作業に関わった。

350万人の署名が国会に提出され、法案も公表されたが、国会提出までには至らなかった。

このことは、関わった人それぞれに相当大きな痛手を与えた。

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