2012年9月13日。
朝、宿から歩いて車をとりに行く。
出かける前の輝美さんに会い、もう一度お礼を言って別れた。
宿に帰って事務仕事。
そして輝美さんから昨日いただいた本を読む。
とてもよかった。
センターで販売していたので、数冊買いに行こうと思った。
そして、やっぱり教会の中のステンドグラスやオルガンなど、三脚を立ててきちっと撮りたいなあと思い、
午後、教会に向かった。
輝美さんも謁也さんも出かけた後だった。
教会には見学の人が来ていた。
自由さんが対応していた。
私は本を買い、教会の中も撮らせてもらえることになった。
ステンドガラス、今も現役のオルガン、聖書などを撮影していると、自由さんがやってきて色々説明してくれた。
若松堺町教会創立は1894年。
あの野口英世も教会員だった。
その名簿(コピー)を見せてくれたりした。
本物は野口英世記念館にあるとのこと。
この教会も会津若松の観光スポットの一つなのだ。
そしてまた、一人で撮影していると、
「こんにちはー」
と女性の声。
愛さんとハルちゃんだった。
町で色々済ませ、裏のカトリック教会に行く途中、私の車を見つけて寄ってくれたのだ。
少し興奮気味に愛さんは話しだした。
山形県の米沢市は、米沢市ばんせい町の雇用促進住宅に空きがあった場合、
会津地方に自主避難して家賃を支払っている人を優先して住宅を提供しれくれるという。
しかも家賃無料、給食費無料、家電6セット、米支給など、ありがたい支援情報があり、
私の取材の後、愛さん・和也さんはその住宅を見にいってみたそうだ。
米沢市に電話で問い合わせた時、まず、大変ですね。と言ってくれ、こちらの電話番号を聞き、電話代がかかるからとかけ直してくれたそうだ。
そこで愛さんは涙が出そうになったという。
今まで福島県の行政からは何一つ支援もあたたかい言葉もなかった愛さんは、それはそれは嬉しそうにそのことを話してくれた。
なんかいい話を聞いて、私もとても嬉しくなった。
ただ、まだわからないけれど、もしも自分たちが会津若松を離れることになったら、
せっかく立ち上げた会を離れなければならないので、複雑な気持ちだと愛さんは言った。
会の仲間にこのことを話したら、「渡邊家がその方がいいと判断したことなら、私たちは喜んで送り出すよと言ってくれたんです。」
とウルウルしながら話してくれた。
そんなこんなで、教会でまた愛さんを撮影させてもらった。
そして自宅の台所で料理中の自由さんにお礼を言って教会を後にした。
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