2012年5月5日(土)。
今日は北海道の泊原発が止まり、日本の原発が全て止まった記念すべき日。
ゆっくり眠らせていただいた。
山本さんが仲間の漁師を助けた時のものだ。
あと5分遅かったらその人の命は危なかったそうだ。
朝起きて、キャメラを持って廊下をへだてた居間へ。
山本さん、朱美さんはもうとっくに起きていた。
今日も曇っていて肌寒いような天気だ。
朱美さんは神棚に水をあげたり、パンパンと拝んだり、朝のするべきことを着々とやっていた。
私が使わせてもらっている部屋にも神棚があり、それは漁の神様を祭っている。
朱美さんは2か所の神棚にお水と朝のご挨拶。
朝食後、居間で山本夫婦とおしゃべりをしながら撮影。
午前中、奥本さんが山で採ってきたわさびを持ってやってきた。
そして晩に奥本さんと町に飲みにいく約束をしていたのでその話をしていたら、
山本さんが、「ウチで飲めばいいべ。」と言ってくれたので、今晩は山本家で飲むことになった。
山本さんが飲めないので、飲んべの私と奥本さんは町の居酒屋へ行って飲むかと話していたのだ。
「晩に奥本家のわさびのおひたしも持ってくるから。」と言って奥本さんは帰っていった。
朱美さんは晩のおかずづくりを始めた。
見慣れないものだったので聞いてみると、マグロの胃袋とのこと。
朱美さんは、マグロの身よりも胃袋の方が好きだという。
どんな味なのか晩が楽しみだ。
それから、奥本さんが採ってきたわさびをおひたしに。
山本さんと朱美さんはなんでもよく話をする。
「今まで食べた「(朱美さんの料理)中で、茶碗蒸しが99点だった。あれはいい味だったなあ。卵がもう少し柔らかければ100点だったなあ。」と山本さん。
「ほんの少し早く鍋から出していれば、最高だったんだけどねえ。」と悔しそうな朱美さん。
「でも味はなんとも言えずよかったなあ。」と山本さん。
こうやって漁の休みの日は過ごしているんだろうなあ。
それにしても山本さんは実に穏やかに話をする。
山本さんと話していると私も穏やかな気持ちになる。
「いやー、昔は違ったんだ。母ちゃんに聞いたらいい。」と山本さんは言った。
「今も頑固だけど、昔はもっとすごかったー。」と朱美さん。
朱美さんの明るさと優しさで山本さんは癒されているのだなあと感じた。
そして朱美さんは山本さんの家族を守る強い意志と優しさに惚れているんだろうなあ。
ポッキーは時々外に出たいと言う。
朱美さんが窓を開けると、ポッキーは30センチほどの段差をエイヤと跳ねて庭へ出る。
そしておしっこをして、しばらく外の空気を吸って満足すると、今度は自分でドアを開けて部屋に戻ってくる。
そして朱美さんがウエットティッシュで足とオチンチンをふいてあげる。
ポッキーはブルブルっと頭を振って、ゆっくり部屋を一周してから、ストーブの脇の自分の寝床にうず
くまる。
午後になって、ユキさんと子供たちがやってきた。
ユキさん、シノブさんが餃子の種をつくって、皮にくるんでいく。
「トウキは何で生まれてきたの?」とユキさん。
「お母さんを守るため。」とトウキくん。
夕方になり、テーブルに料理が増えていく。
奥本さんが、わさびのおひたしと一升瓶を抱えてやってきた。
山本さんはノンアルコールビール、私たちはビールで乾杯した。
宴が始まった。
マグロの胃袋。
初めて食べたが、これはおいしい。酒のつまみにぴったりだ。
そういえば、与那国でカジキマグロの胃袋を食べたことがあったが、それと似ていた。
わさびのおひたしはさっぱりしていていくらでも食べられる。
そして、茶碗蒸し。
出汁が効いていておいしかった。
アツアツの餃子もなんともおいしかった。
奥本さんは絶好調って感じでよく飲み、よくしゃべった。
奥本さんが郵便局に勤めていたまだ30歳になるかならないかの頃、「原発に反対しているやつは誰だ?!!」と当時25歳くらいの山本さんが突然郵便局にやってきた。
これが奥本さんと山本さんの初めての出会いだった。
この直後、若くて血気盛んな奥本さんは、山本さんとの出会い、そして大間原発の是非をめぐっての大間での攻防を描いた舞台劇の脚本を書き、組合の集まりで発表したそうだ。
私もそして朱美さんも初めて聞く話で、「えー、そんなことしたんだ。脚本残ってないの?」などと盛り上がった。
「それでも奥本さんがウチに来るのは一年に一回くらいだよね。」と朱美さん。
山本さんは奥本さんと出会ったことが自分の人生にとって大きなことだったと言う。
頻繁に会わなくても、話さなくても、二人は信頼関係で結ばれている。
ここぞという時だけに話す、まさに男同志って感じだ。
こういう友を持つ人がどれだけいるだろうか。
飲んで食べてしゃべって、山本家での楽しい夜が更けていった。
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