2012年5月2日(水)。
5月4日に道南がれき問題を考える会主催で木下黄太さんの講演会が開催される。
晩に市内で木下さんを迎えて交流会があるとのことで、野村さんと一緒に参加。
2012年5月3日(木)。
今日は市民法廷大間原発の撮影。
お昼前、野村さんと函館市民会館に向かう。
野村さんは受付で著作『原発に反対しながら研究をつづける 小出裕章さんのおはなし』の販売をする。
三脚を立てキャメラをセッティングしているうちに、どんどんお客さんが入ってきた。
第5回の大間原発の裁判で意見陳述をした小松さんと久しぶりに顔を合わせしばし話をする。
彼女は今日の市民法廷でも意見陳述をする。
大間から奥本さんも来ていた。彼も意見陳述をする。
たくさんのお客さんが集まってきたので、私は右手の前の方にキャメラを移動した。
若手の中野弁護士がトップバッター。
私が前にインタビューさせてもらった人だ。
自分がなぜこの裁判にかかわろうと思ったのか、自己紹介から始まった。
大間原発の危険性について、中野弁護士は力強く、そしてあんちょこを一切見ないで、観客に向かって堂々と話をした。
最後に、命より大事なものはないと強く訴えていた。
心を揺さぶる見事なプレゼンだった。
他2人の弁護士のプレゼンも本当に素晴らしかった。
みんなどれほど勉強して準備をしてきたことだろう。
意見陳述も本番と同じ原稿を読み上げた。
そして、大間で原発に反対し土地を売らなかった在りし日の熊谷あさ子さんの映像が流れた。
その後、大間訴訟の会の代表の竹田とし子さんが挨拶に舞台に立った。
竹田さんは、涙がこみ上げてきてしばらく言葉が発せられなかった。
あさ子さんの映像をみた直後だったのと、400人もの人がこの会に参加してくれたことで胸がいっぱいになったようだった。
竹田さんは絞り出すような声であいさつを始め、最後に子ども・孫に原発を残したくないと強く訴えた。
心からの言葉に私は感動していた。
竹田さんと大間原発建設問題との今までの長い時間を想った。
そしてこれからも続く裁判。
私も大間原発の建設中止を改めて強く思った。
感動の会が終わった。
すると、見覚えのある人物が・・・。
彦根のアコちゃんだった。
去年の5月はあさこはうすで偶然再会し、今年もまた、市民法廷で。
なんでも、今アコちゃんはお坊さんといっしょに日本の54基の原発を歩いて回っているそうだ。
昨日はあさこはうすに泊まり、大間原発の前で祈りをささげ、断食をしたそうだ。
アコチャンは早速、佐藤和尚を紹介してくれた。
佐藤達馬さん
佐藤さんは秋田県出身。現在ネパール在住のお寺のお坊さん。
この度の震災と原発事故で遠い異国の地で居てもたってもいられず、54基の原発を歩いて回り祈りをささげる命の行進を始めた。
(命の行進2012 ブログ http://inochinokoshin2012.blog.fc2.com/)
立春の2月4日から歩き始め、8月6日に広島平和記念公園に到着するという旅の予定。
原発の前で断食を行い、立地市町村に出向いて請願書を手渡しているそうだ。
これから行く福井県の若狭湾は原発がたくさんあるから毎日断食になりそうですと佐藤さんは言った。
この行進は誰でも参加してもよく、部分的に参加してもいいということ。
現在いっしょに歩いているのは、インド在住のお坊さん、東京から参加した人など様々だった。
アコちゃんとは昔からの知り合いだそうで、通じるところが多々あるんですと佐藤さん。
お坊さんは葬式だけが仕事でない、本来こういうことこそ宗教家のやるべきことだと佐藤さんは熱く語ってくれた。
打ち上げは市民会館近くの居酒屋で。
命の行進のメンバーも始めだけ参加して自己紹介。
みんな日本に対して強い思いがあり、行進に参加しているのだった。
中野弁護士一家、兼平弁護士一家も参加し、にぎやかな会になった。
居酒屋が保育所のようだった。
一昨日のリハーサルでは本番はどうなることやらとみんな思っていたようだ。
みんな本番にバシッと決めて、本当にホッとしているようだった。
熊谷あさ子さんの写真、感動しました。