2012年2月6日。
1月下旬。
一通の手紙がきた。
象設計集団の富田玲子さんからだった。
少し前に、私は新しい映画の製作協力のお願いの手紙を出していた。
そのお返事だった。
3.11にご自分が感じたこと、思ったこと、今どういう気持ちで仕事をしているかなどが綴られていた。
そして、この映画づくりに心の底から賛同しますと書かれてあった。
私はとても感動して嬉しくて富田さんに電話をかけ、直接お会いしてお話をうかがいたいとお願いした。
富田さんは建築家。今まで様々な建物をつくってきている。
私が初めて彼女にお会いしたのは2008年。
「空想の森」が完成して東京・ポレポレ東中野で上映が決まり、その宣伝活動をしていた時だった。
とても穏やかで柔らかくて芯が強そうな素敵な女性という印象が強く残っている。
富田さんを紹介してくれたのは十勝の象設計集団の町山さん。
新得のお披露目上映の時「空想の森」を見に来てくれた。
そして映画をとても気に入ってくれて、東京の富田さんを紹介してくれた。
私が東京に滞在中、富田さんの著書「小さな建築」(みすず書房)の出版記念パーティーがあった。
町山さんはそこで私を富田さんに紹介してくれただけでなく、
パーティーに参加された方をたくさん紹介してくださり、映画も宣伝してくれた。
機材を担いで建築好きの野村さんも一緒に、象設計集団東京事務所を訪ねた。
桜新町の事務所を訪ねるのは初めてだった。
数年前にここに引っ越してきたそうだ。
前の事務所は、庭に大きな木があって味のある建物で素敵だった。
新しい事務所も大きな一軒家。
庭が広く大きな木がたくさんあって、ちょっとした公園のようでなかなか心地いい。
「コンクリートや高いビルにはもういられなくなってしまったの。」と富田さんは言った。
この日、富田さんはコンペの締め切り日で、それが終わってから、インタビューをさせていただいた。
なぜ建築家になろうと思ったのか、象設計集団はどのようにして立ち上げたのかなどもお聞きした。
富田さんに質問されて、私もけっこうしゃべったりもした。
様々な話題になってとても楽しかった。
富田さんは「シロタ家の二十世紀」(藤原智子監督)の企画に関わっていて、その撮影にも同行した。
富田さんは天才ピアニストのレオ・シロタの愛弟子・藤田晴子さんからピアノを習っていた。
そして藤田さんが亡くなり、富田さんは藤田さんから、遺産を文化のために使ってくださいと託されたのだった。
その遺産をどう役立てようかと考えている時に、たまたま藤原監督とばったり出会ったそうだ。
それでできた映画が「シロタ家の二十世紀」だった。
「空想の森」と同じ年にこの映画もできて、私は富田さんからこの映画の話は聞いていた。
それを知って野村さんは興奮していた。
函館映画鑑賞協会でこの映画を上映し、藤原監督と会って話をした時に富田さんの話も聞いていたが、
今目の前にいる富田さんだとは思ってなかったそうだ。
2時間を超える長時間のインタビューが終わり、私たちは事務所を見学させてもらった。
まだ仕事をしている若者たちがいた。
前の事務所を訪ねた時にお会いした方が男性がいた。
丸くって物腰がやわらかな印象がそのままだった。
壁をぶち抜いてちょっとした木のテラスをつくっていた。
そこからは庭を眺められる。自分たちで心地よく、使い勝手がいいように事務所をつくっている。
せっかく世田谷まできたのだから、どこかで食べて帰ろうと思い、富田さんに「この近くでおいしい店知っていますか」と尋ねると、
「ご一緒しましょうか」と彼女は言った。
私も野村さんも、もう喜んで一緒に食事にいくことにした。
駅の近くのイタリアンの店でワインを飲みながら富田さんと食事をした。
ここでもまた色々と話せてとても楽しかった。
富田さんとこんなにじっくり話すのは初めてだった。
また機会があったらお話ししたいと思った。
帰り道。
途中の駅まで富田さんと一緒だった。
別れ際、「焦らないでじっくりいい映画を作って下さい」と富田さんは私に言った。
その言葉が体に染みた。
温かいものが身体に入ってくるようだった。
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