新作映画の仮のタイトルを決めなくては、どういうタイトルがいいか、ずっと考えてはいたのですが、なかなかこれぞというものが思いつかないでいました。
最近、これでどうかなとういタイトルが思いついたので、お知らせいたします。
『世界が変わってから ~今ここに在る私たち~(仮題)』
「何を表現したいのか。どうして表現したいのか。」
処女作「空想の森」の製作中、ずっとそのことを考え続けていました。
その時点の私の答えが、「空想の森」という映画となりました。
食べ物をつくること、大地の上で働くこと、仲間、音楽、そして映画。自分にとって大事なことや面白さは、日々の暮らしの中にあったのでした。
2011年3月11日。世界が変わりました。私はひどく動揺しました。
恐怖・不安・怒り…。そのような感情がどっと押し寄せてきました。
「一体私に何ができるのか。何をしたいのか。」いてもたってもいられない気持ちの中、私は考え続けました。
津波・原発事故を目の当たりにしながら、根底から変わらなければという思いが込み上げてきました。自分は何をしたらいいのか。
そして、映画をつくる人間として、3月11日のことを自分なりに記録しようと決めました。
3.11に何を感じ、考え、どのように未来を見出そうとしているのか。
「空想の森」に出演してくれた人たち、上映をしてくれた全国の人たちに、このことを聞いて、撮影することから始めよう、そう考えました。
私自身が、この先の光を見出したかったからだと思います。
そして4月、撮影の旅を始めました。
新得共働学舎の宮嶋望代表、「空想の森」の出演者・宮下喜夫さん、鷹栖町の松下音次郎・理香子夫妻、道南・大沼の山田圭介・あゆみ夫妻、函館・こなひき小屋の木村幹雄・由紀枝夫妻、函館の野村保子さん、喜茂別の三田健司・紗衣子夫妻、厚沢部の山北紀彦・恵理子さん夫妻、滋賀県・ブルベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さん、高島の原田将・麻利夫妻、彦根・滋賀大学経済学部の中野桂さん、彦根の奥田好香さん、能登川・ファブリカ村の北川陽子さん、群馬県のすぎな農園の竹渕進・智子夫妻、農カフェの岩田紀子さん、アグリの甲田崇恭さん、たかさきシネマテークの志尾睦子さん、福井県の玉井道敏さん、萌叡塾の谷崎篤輝さんなどなど。
「空想の森」のつながりから、どんどん広がっていき、2012年1月現在100人を超える方々のお話をお聞きしています。
それぞれの地域で、それぞれの立場で、自分の思いを率直に話してくださいました。
それが私にはとても嬉しいことでした。
キャメラを挟んでお話しを伺いながら、思いを共有したり、心が洗われるような気持ちになったり、毎回感動の連続です。
インタビューの後、その人の仕事を見せていただいたり、泊めていただいたり、ご飯を一緒に食べたりすることも、この撮影の大きな魅力の一つです。
インタビュー撮影で私は皆さんから力をいただき、それが、確かに次への原動力になっています。
道南・大沼の山田圭介・あゆみ夫妻がきっかけで、青森県の大間原発訴訟の問題を追うことになりました。
私は初めて「運動」というものにキャメラを向けることになりました。
反原発運動を何十年も前からずっとやり続けている函館の野村保子さん、青森県・大間町の奥本征雄さんに出会い、とても魅力を感じました。だから私はこの問題をこれからも撮っていきたいと思いました。
奥本さんから紹介していただいた大間の漁師・山本昭吾さんとの出会いも感動的でした。
冬のイカ漁の船にいっしょに乗り込み、撮影させてもらいました。
そして大間原発についてどう考えているかを伺いました。
これからも撮影させてもらおうと思っています。
奥本さんから、大阪の昆布屋の土居純一さん(4代目)も紹介していただきました。
土居さんの昆布は北海道・南茅部のものを使っています。それなので、もし大間に原発ができたら昆布屋の死活問題ということで、原発に反対しています。
昨夏、土居さんは道南の山田農場を訪れ、大間原発の話を聞き、そして大間を訪れ、奥本さんに大間原発の現場を案内してもらったのでした。
その話を、山田圭介さんと奥本さんから聞いた私は、ぜひ土居さんのお話を伺いたいと思い、年末に大阪の土居さんを訪ねました。
昆布はただの昆布でなく、大阪の食文化をつくったのだということがよくわかりました。
昆布屋という職業に真摯にひたむきに向き合っていることに感動しました。
そして自分も居ずまいを正されました。
滋賀県・彦根では、2006年3月24日に志賀原発2号機運転差し止めの判決を下した裁判長・井戸謙一さんのインタビューをさせていただきました。
福島県・会津若松では、若松栄町教会の牧師・片岡輝美さんに出会いました。
私は初めて福島の地で会津若松に暮らす人や被災してきた人たちの話をお聞きしました。
撮影中、話を聞いていて涙がこみ上げてきたのは初めての経験でした。
色んな方々のお話をうかがいました。面白いことがありました。
おいしいものもいただきました。
たくさんのことを学ばせていただいています。
その中で共有した時間は私にとって何ものにも代えがたいものです。
そして今回の撮影の中で初めて出会った人たちがいます。
この撮影をしなければ出会えなかった人たちです。
それだけでも撮影を始めてよかったと思います。
今思うことは、生きること以上に大事なことはないということ。
今をどう生きるのか。
それが自分につきつけられた。
これが私の3.11だと今思います。
今撮影している映画『世界が変わってから ~今ここに在る私たち~(仮題)』では、大間原発の問題が一つの大事な要素になると思います。それから、では今、この時代をどう生きるのかということも大事な要素になります。
道南でヤギを山に放牧し、チーズをつくっている山田農場の山田圭介・あゆみさん家族の暮らし、洞爺湖畔のパン屋・今野満寿喜さん一家の暮らしを折々に撮影させてもらっています。
何を大事にして、どう生きるのか。
彼らの暮らしは、これからを生きていく上で一つの指針になるような気がしてなりません。
「空想の森」で表現していることと同じように思うかもしれません。
しかし、私にとっては全く意味が違います。
それは、明確な意志を持って、私が表したいと思って今撮影していることです。
映画は希望を描きたい。
今こそ私は切実に思います。今、この日本で、この時代を共に生きている人たちと喜び・嬉しさ・面白さを分かち合いたいと。
この映画づくりは私一人で始めました。
しかし今、撮影の応援に「空想の森」の撮影部・一坪悠介さんが参加してくれています。
そして函館の野村保子さんが、製作スタッフとして名乗りを上げてくれました。
彦根の奥田好香さんは事務仕事を手伝ってくれています。
今、この映画の製作資金集めをしています。
製作協力のお願いのお手紙を出しているところです。
少しずつですが、色んな方々が協力をしてくださっています。
時々、メッセージを添えてくれたり、手紙をくださったりします。涙が出るほど嬉しいことです。
まだまだ製作資金のご協力を募っています。
ご賛同いただけましたらご協力をよろしくお願いいたします。
製作協力をくださった方たちの想いや、撮影させてくださった方々の想いを受け止めて、その人たちと共に、この映画づくりに向き合っていきたいと思います。
2012年1月30日
田代陽子
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