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撮影報告 その80 若狭湾の反原発運動

杉原さんの庭のゆず。

みかん。もいで食べた。とてもおいしかった。

2011年12月14日。

8:00。晴天。

杉原さんと二人で朝食。

梅木富士夫さんがやってきた。

高校の数学の先生をされていて退職。

今は福井大学の工学部の非常勤講師をしている。

定年後に一人でも生きていく力が必要だと思い、料理教室に通ったり、混声合唱をやっていたり、体を鍛えるために毎日プールで2キロ泳いでいたり、とても元気な人だ。

梅木さんは杉原さんの畑仕事を手伝っている。

彼曰く、

「僕はドレイ1号や。でも少し抵抗もしているんや。杉原さんはずっと原発に抵抗し続けている根性がすごい。

真似したいと思わんが、ドレイくらいはしようと思って。」

と笑った。

杉原さんの家にて。梅木富士夫さん。長いもを掘っている。

玄関前の山芋を掘っている。

もうひとり女性がやってきて大根干しをしていた。

 

 

服部清子さん

 

梅木さんが私に服部清子さんの絵を見せたいと言ったので、近所で絵を描いている服部さんを一緒に迎えにいった。

服部さんは国語の先生だった。

描いた絵をいくつか見せていただいた。

この近くの湿原を描いた絵が多く、色使いがやわらかかった。

やはりこの湿原を残す運動をしていたそうだ。

お昼ご飯を食べながら。服部清子さん、東条さん、杉原さん。

この日、杉原さんは私が北海道から来たので、原発についてどう思っているか話をする会をセッティングしてくれていた。

詩人、絵をかく人、書道の先生、お坊さん、キリスト教の方、フリージャーナリスト、医者を目指す若者など、様々な人たちが杉原さんの家に集まってくれた。

 

 

みんなで記念撮影。清子さんがトイレにいっていていない。

お昼ご飯を食べながら、話を聞き、撮影させてもらった。

敦賀には、癌の人が身内に一人はいること、白内障の人がとても多いこと、原電職員と病院の看護婦さんと結婚することが多いこと、原電の幹部職員は原発から離れたところに住んでいること、敦賀湾に奇形の魚が多いこと、その奇形の魚を捕まえて捨てる人がいること、婦人会、子供会などの研修や行事などは原電がお金を出してくれることなどなど色んな話が出た。

みんなで記念撮影。
前列左から岡山巧さん、服部清子さん、杉原厚子さん
後列左から川瀬陽子さん、立石百代子さん、倉谷よし子さん、東条雅之さん、小沢昌治さん

 

 

そうこうしているうちに、夕飯の時間になった。

杉原さん指導の下、東条さんがうどんをつくった。

東条雅之さん。

東条さんは大阪が地元。

上関原発の反対運動に関わるようになり、住所も移した。カヌーをやっていたそうだ。

その時、鎌仲ひとみさんが祝島を撮影していて、「自分のいない時に何かあったら撮っておいて。」と、

ビデオキャメラを渡されたそうだ。

それがビデオで撮影するきっかけになった。

そして今フリージャーナリストとして活動を始め、福島の漁師さんのところに通って撮影をしたり、今回は大飯原発の再稼働の動きがある中、現場に行ってみようと思ったそうだ。

ドキュメンタリー映画もつくりたいと彼は言った。

「東条さんは見込みがある。」と、杉原さんは何かとかわいがり、料理などを教えている。

彼はラムヤートのゴンちゃんに似た雰囲気だ。

彼は人が好きな青年だ。

とてもやさしく、しかもよく気が付き、すぐ動く。

私はそのおかげで楽をさせてもらっている。

17:30。私と東条さんは小浜の文化ホールに向かった。

19:00。若狭湾は15基もの原発が集中している原発銀座だ。

小浜の中島哲演さんを中心に、反対運動している人たちが集まり、原発を止めるためにどうしたらいいのかという話し合いが開催された。

哲演さんは福井県小浜市の明通寺の住職でずっと反原発運動をしている人だ。

若狭湾の原発立地町に暮らし原発反対運動をしている人たちが一堂に集まった初めての会。

2012年2月20日、予定通りにいけば関西電力の持っている原発が全部止まる。

関電はその前に何とか稼働させようとしている。

それが大飯原発の3、4号機だ。

それを阻止しようとみんなが動き出したのだ。私も参加させてもらった。

それぞれの人が思いを率直に話していた。

原発を止めたい。これはみんなの同じ思い。

反対、反対と言っているだけでなく、原発を止めた後、雇用をどうするかなど、具体的な政策提言をして、原発立地の町の人たちに未来を示すことをしていかなくては原発は止められない。

と以前インタビューをさせていただいた美浜の松下さんが口火を切った。

高浜町、大飯町の若い世代の人がこんな発言をした。

過去のデータや危険を知らせることも大事だけど、これから未来をどうするかという話をしていきたい。

そういう場をつくっていきたい。

今まで反原発の運動をやってきてくれた先輩たちがいて今の自分たちがあること、しかし、今までのやり方では原発を止められなかったことも事実。

違うアプローチでやっていかなくてはいけないと思う。と。

そして大飯でビラを撒こうということになった。何をどう書くか、みんなで考えを出し合った。

熱い議論が展開された。哲演さんの司会進行も的確でみんなの思いを引き出していた。

素晴らしい会だった。みんなの話を聞いていて私もとても高揚した。

そして私は大間のことを考えていた。原発を止めた後の大間のことを。

22:00閉会。

以前インタビューさせていただいた美浜町の松下さん、そして中島哲演さんにご挨拶をした。

哲演さんは今日の会は本当によかったととても喜んでいた。

三方から来た増井さんという女性がいつでもウチに泊まりに来てくださいねと住所を渡してくれた。

こんど訪ねてみようと思った。

そして東条さんと敦賀に帰った。

23:00過ぎ、杉原さんの家に帰ってきた。

もう私はヘロヘロだった。

 

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