2011年11月29日。
雨。気温は高い。
9:30。
遅い朝食をとる。
昨日山本さんから頂いたイカを宿のお母さんが刺身にしてくれて出してくれた。
私たちが朝食を食べている時に、地元のDさんが用事でやってきた。世間話から、話題は原発の話になった。
Dさんは次第に熱を帯びて大間原発のことを話し出した。
こんなことを話していた。
大間の人で、大間原発がどのように危険かをわかっている人は少ない。
先日大間の金沢町長が、早く大間原発の工事を再開して欲しいと発言したことを情けなく思った。
福島の現状を見ると涙が出てくる。
大間原発が100パーセント安全なら避難道路など必要ないはず。
1パーセントでも危険があって事故が起きた時にまた想定外というのか。
大間の7割の人は原発に反対の気持ちを持っているが原発関係で仕事をもらっていたり、町長をはじめとする推進派の人と親戚だったり、反対すると村八分的扱いになるので、反対の意志を表明できない人がほとんどという。
また、熊谷あさ子さんのことは、彼女は悪くないのに、大間の人はあさ子さんと口をきかなくなり村八分だった。
でもDさん自身もあさ子さんに声をかけられなかった。
もし、あさ子さんとしゃべっているところを誰かに見られたら何をいわれるかわからなかったからだという。
私はDさんに素性を明かし、インタビューをお願いしたがそれはできないと断られた。こうやって、ただしゃべるだけならいいけど、撮影を誰かにみられたら何を言われるかわからないからと。
私にも生活があるからということだった。
大間の現実を垣間見た思いだった。
福島の原発事故の後も、大間原発の建設が行われている町の人たちは前と同じく反対なのに反対と言えない。
一坪君と二人で朝から何とも言えない気持ちになった。
このような中で30年近くも反対を表明し、活動し続けてきている奥本さんや今回撮影をさせてもらった漁師の山本さんはどれほど大変な思いをしてきたことか。
気を取り直して、部屋で一坪君のインタビューをさせてもらう。
改めて彼に3.11のこと、今回大間に来てどんなことを感じたか、話をきいた。
夕方、温泉に行く。
ゆっくり入って上がったら、ロビーで奥本さんにばったり会う。
昨日の漁の撮影のこと、今日の午前中の出来事など、ひとしきり話をして別れる。
奥本さんは多忙で今回インタビューする時間はなさそうなので次の機会にすることにした。
それから温泉の食堂で夕食をとる。
宿に帰ると、お母さんが大間マグロの刺身を差し入れしてくれた。
ビールを飲みながらつまんだ。
今後の撮影の予定を組み立てなおした。
一坪君が12月4日までいられることになったので、函館に一緒に渡り、彼はそこから東京に帰ることになった。
12月4日の提訴前集会まで一緒に撮影できることになった。
山田農場も撮影できるといいなと思った。
山本さんは明日、インタビューができそうな感じだった。
息子の卓也さんにも話をきけないかお願いしてみた。
函館の山田農場にもその旨連絡。
漁の話などもざっと話した。
明日の天気予報をチェックすると、朝は天気がいいので6時に西吹付山展望台に撮影に行くことにした。
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