2011年7月29日。弁護団会議。
午後から弁護士会館にて弁護団会議。
原子力資料情報室の澤井さん・上澤さんも来ていた。
河合弘之さん。
7月に脱原発弁護団連絡会が発足した。
私も新聞で読んでいた。
会議の冒頭、河合弁護士が脱原発弁護団について話をはじめた。
いつも思うのだが、河合さんはよく通る張りのある声でみんなをひきつける。
3.11は不幸なことではあるが、日本の原発を全て止める絶好のチャンスでもある。
3.11は不幸なことではあるが、日本の原発を全て止める絶好のチャンスでもある。
弁護士たちは今までそれぞれのタコツボで戦ってきたが、これからはみんなで連帯してやっていこうと河合さんが全国の弁護士に呼びかけた。
7月16日の初めての会合では全国から100人の弁護士が集まり大盛況だったそうだ。
今までの原発裁判は全戦全敗だったが、これからは全戦全勝だ!と言う河合さんの話をきいていて、私は明るい気持ちになっていった。
会議は夜まで続いた。
会議は夜まで続いた。
函館のフェリー乗り場にて。
2011年7月30日。大間現地視察。
函館・東京の弁護士たち、原告、新聞記者など総勢16名で大間へ現地視察へ。
函館・東京の弁護士たち、原告、新聞記者など総勢16名で大間へ現地視察へ。
私は機材を抱えて早速撮影を開始する。
弁護士の人たちもラフな格好でいつもと違った雰囲気だった。
弁護士の人たちもラフな格好でいつもと違った雰囲気だった。
私は若い弁護士の人たちとほとんど話したことがなかったが、何人かの人と船の中で話ができてよかった。
大間か近づいてきて、みんなで甲板に出た。大間原発を船上から見た。
大間か近づいてきて、みんなで甲板に出た。大間原発を船上から見た。
民家と近いことにみんな改めて驚いていた。
奥本征雄さん。大間町在住で前回の裁判では意見陳述をした。
大間に到着すると、奥本さんと佐藤さんが出迎えてくれた。
天気も上々、大間は海の水は今日も抜群にきれいだ。
早速車4台に分乗し、海峡保養センターへ昼食。保養センターの玄関に、電源開発御一行様と看板が掲げられていた。
早速車4台に分乗し、海峡保養センターへ昼食。保養センターの玄関に、電源開発御一行様と看板が掲げられていた。
それを見た森越弁護士は、大間原発訴訟の会御一行様の看板も出したら面白かったのにねなどと言った。
海峡保養センターにて。本日の視察のスケジュールを説明する奥本さん。
廊下を挟んだ向かいの部屋では、電源開発の団体が昼食をとっていた。
お刺身など海の幸を堪能する。
暑かったのでビールもおいしかった。食後、時間があったので温泉に入る人も。
私は河合さんにインタビューのお願いをした。
脱原発弁護団の話をもう少し聞きたいと思ったからだ。
河合さんは快く応じてくれた。
そして、大間の町と原発が見下ろせる展望台へ向かう。
海と山々が美しい大間に原発の建物と送電線はやはりそぐわない風景だと改めて思う。
総合文化センターウイングにて。
ウイングは100パーセント原発マネーで建てられて施設。多目的ホール、図書室、視聴覚室、郷土資料展示室などの文化施設のほか、屋内運動場、温水プール、高さ30mの展望搭も備えている複合型文化施設。
ここにあった広報誌を見てびっくりした。
ここにあった広報誌を見てびっくりした。
放射能に関して素晴らしいなど称賛する子供が描いた絵葉書を募集して掲載していた。
やらせなのか洗脳なのかと思うほどだった。
二階の図書室には大間や佐井の郷土史、原発関係の本なども並んでいた。
二階の図書室には大間や佐井の郷土史、原発関係の本なども並んでいた。
広瀬隆さんの著書もあった。
そこで参考になりそうな本をみんなで探す。
渡辺満久先生の講義で、大間周辺には断層があり、地面が隆起したとされている。
地層をみればそれがわかる場所がある。
表面の土を薄く削り取ると、くっきりと地層の違いが表れる場所があるので、それを若手がやってみた。いくら削っても同じ地層。
「あれー、この前満久先生と来た時はすぐに地層の違いが出てきたのにー」
場所を変えてやってみると、出ました。上が薄く下が濃い色の地層が。
そして、本州最北端の大間崎へ向かう。
大間崎ではいかのぽんぽん焼き、殻つきウニ、まぐろののどの焼いたものなど、たくさんのおいしそうなものが売られていた。
みんなそれぞれこの地ならではのものを堪能していた。
わたしもいかを食べた。
少し干したイカを炭火で焼き、タレをつけたもので、それはそれはおいしかった。
原発ができたらこんなおいしいものも食べられなくなるんだよーと河合さんは言った。
大間崎にて。河合先生と。
そしてあさこはうすへ向かう。
厚子さんは畑仕事をしていた。
小笠原厚子さん。故・熊谷あさ子さんの娘で、あさ子さんの遺志を継ぎ、あさこはうすを守っている。
大間原発の原子炉から250メートルのところにあるあさこはうす。
畑や小川などを見て回り、厚子さんと話をした。
私は6月に滋賀県からあさこはうすに葉書を出した。
私は6月に滋賀県からあさこはうすに葉書を出した。
厚子さんはとても喜んでくれた。
郵便配達の人があさこはうすに来ることが、大事なことなのだ。
原発の250メートルのところに人の日常が存在していることが。
また葉書を出そうと私は思う。
あさこはうすを後にして今日の宿・隣町の佐井の旅館へ。
大場さんが部屋割りを発表。なんだか修学旅行のようだ。
私は野村さんと相部屋。
夕食は豪華だった。おいしくいただきながら、原発や裁判の話がとびかう。
私も食べながら飲みながら撮影をした。
夕餉も人心地つき、別室で河合先生のインタビューをさせてもらう。
1時間たっぷりとお話をうかがった。
明日の視察の予習に余念のないグループ。
明日は仏が浦に視察に行く。
断層があり、土地が隆起した証拠であるベンチを確かめに。
明日の予習として、渡辺満久先生の講義のビデオをテレビにつないで見た。
といっても見ていたのは4人ほど。
青森の酒・田酒がおいしくて、私と野村さんは一気にテンションが上がってきた。
他の人は話に花を咲かせていた。原発や裁判の話もしながら。
森越さんがカラオケに行こうーと言った。
8人で夜の佐井を10分ほど歩いた。
佐井ではもうすでに閉店の時間に近かったが、一軒だけ開いていた店に入った。
みんなでカウンターに座った。
森越さんはママといっしょにカウンターの中に入り、かいがいしくお酒をついだり、フルーツをむいたりしてサービスしてくれた。
そしてカラオケがはじまった。
森越さんは気持ちよさそうに何曲かうたった。
若手の中野さんは、熱唱。しかし、みんなカラオケが好きなのだ。
野村さんはやたらに楽しそうに話に花を咲かせている。
みんなの意外な面がみられた楽しいひと時だった。
また夜道を歩いて宿へ向かった。
静まり返った町に私たちの話声がひびく。
酔っていると声もでかくなる。
宿に着くとなんと玄関の鍵が閉まっていた。
男部屋の窓をたたき、鍵をあけてもらった。
部屋に戻りバタンキュー。
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