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旅する映画 その98 滋賀県・能登川上映会

撮影報告その17の続きです。

2011年6月28日。能登川コミュニティーセンターにて上映会。

奥田さんと能登川に向かう。

今日も暑い日だ。

上映会場に着くとすでに準備が始まっていた。

元気のいい女性たちに男性が二人ほどまじっていた。

私は係りの人と、画と音の調整にかかったた。

画の方はすぐに調整できたが音が具合悪かった。

これ以上どうにも調整できないと言う。

係りの人が「もう一台スピーカーとアンプがあるわ。」と言った。

開演まであと10分だったが、それに代えてやってみることにした。

意外と早くセッティングできた。

音は断然良かった。

ああーよかったと胸をなでおろす。 現場で実際やってみないとわからないことが色々ある。

事前に最大限やっているのだが、できない時もある。

いつも画と音の調整はドキドキする。

 

主催の北川陽子さんの挨拶で上映会が始まった。

 

平日の夕方という時間にもかかわらず、50人弱の方々が見に来てくれた。

滋賀大学の中塚さんの顔も見えた。

私も後ろから一緒に映画を見た。静かに集中して観ているようだった。

途中、冷房がきついなと思ったら、北川さんが冷房を切りに席を立っていた。

上映後、北川さんの司会で私が少し話をした。

それから北川さんは前の人から一人づつ感想や質問をどうぞとマイクを回した。

お客さん全員にマイクをまわすというのは初めてのことで、私はどうなることかと思った。

が、意外や意外みんな順番に感想や質問を述べてくれた。

私も嬉しくなって途中で話をはさんだり。

時間の関係で全員にはマイクは回らなかったが、こういうのもいいものだなあと思った。

後で書いてもらった感想の中でも、他の人の感想が聞けてよかったというものがあった。

確かに私は後でみんなの感想を読めるが、その場にいた人たちは他の人の感想はわからないからなあ。

第2部の交流会の会場・子民家「etokoro」の入口。

会場を片づけて交流会へ。

近いのでみんなで歩いて移動。

夕暮れ時、昔のたたずまいの残るいい雰囲気の街並みだ。

これを残していきたいという北川さんたちの気持ちがよくわかる。

 

中に入ると、台所では食事の支度におおわらわ。

参加者の人たちもたくさん集まってきた。

煙突屋さんの堤忍さんの進行で晴れやかファームの毛利さんと私のトーク。

私は新しく始めた撮影のことや大間原発のことを話す。

そして署名も協力してもらった。

 

撮影報告 その17 北川陽子さん 滋賀にて

中野和子さん。滋賀大学の中野先生のおつれあい。 滋賀アースデイのスタッフをやったり地域で色々な活動をしている。 2011年6月27日。 彦根から近江八幡の近江兄弟社小学校へ向かう。 中野和子さんに依頼され、4時間目に6年生に大間原発のことを話すことになった。 小学生に話をするのは初めて。ただでさえ話すことが苦手なのに小学生に話すなんて・・・と思ったが、大間原発のことは知ってほしいので引き受けた。 早めに行って、DVDの準備などを和子さんとする。 プールでは子供たちが元気に泳いでいた。この子たちが大人になる頃、食べ物は、水は、日本はどうなっているのだろう。 佐藤理恵先生。彼女のクラスの子に話をした。 45分ほどの時間で、話と写真とDVDを少し見せた。 もっと上手にわかりやすく話せたらとつくづく思った。 今回は準備の時間がなかったから仕方がないとして、今度このようなことのために、資料や話し方などもっと研究しなくてはと思った。 あっという間に授業が終わり、お昼になった。 和子さんと授業を聞きにきていた子連れのお母さん二人と、一緒に中華レストランでランチに行った。 お母さんの一人が25日の結のセミナーでお会いした方だった。にぎやかにみんなでランチを食べた。 和子さんの着ていたTシャツ。いいよねこれ。

「アースデーでまた会いましょう」とみんなと別れて、能登川のファブリカ村へ向かう。

ファブリカ村。 北川陽子さんのインタビュー撮影。忙しい中、時間をとってくれた。 たっぷりと北川さんの話を聞いた。 北川さんの話は共感することが多い。 途中、滋賀県社会福祉事業団の柴田有加里さんがやってきて、またひとしきり6月28日の「空想の森」上映会のことなどを話した。 北川陽子さん。染色家。 彼女のしている麻のストールは濡らして首に巻くととても涼しく気持ちがいい。 私もグリーンを1枚買って重宝している。

インタビューも終わり、彦根の奥田さんの家に帰る。 近江の道もだいぶ覚えてきた。 明日はいよいよ上映会だ。 […]

滋賀県東近江市にて 2011年6月28日

「空想の森」感想いろいろ 2011年6月28日 滋賀県東近江市 能登川コミュニティーセンターにて

上映してくれた人:北川陽子さん・ファブリカ村 ありがとうございました!

暮らしが仕事。ていうシンプルさにひかれた。うまく言えないけど、自分の中のテーマ「生きるために生きる」ってこういうことなのかもしれんなーと思った。やっぱり最終的にはこうなりたいって思った。しかもみんな動きが早くてすごいって思った。自分が畑してる時、いかに自分がスローなのか!って思った。

(女性・25歳)

 

京都在住なのですが京都でこの映画を見逃したので能登川で拝見させていただきました。普段の自分の生活とは異なる生活を送っている人々が印象的でした。他の観覧者の方の感想が聞けたのが新鮮だった。これまで映画を見た場合、他の人と感想を共有・交換したことがなかったので。

(無記名)

 

共働学舎という形の場所があり、そこで生計を立てている人たちがいることを具体的に初めて知りました。今の自分の人生、生計、生き方につながるもの、だぶるものを感じました。映画に出ている学舎の人が独立で考え続けているシーンとかに、自分の人生にだぶらして考えさせられました。

(男性・34歳)

 

音楽よかったです。ちんどんのような懐かしい音。食べてはるもの、作ってはるもの、おいしそうでした。小学校の柏の木が存在感があって、その下で今も繰り広げられるコンサート・食事が貴重だと思いました。田代さん自身が撮りながらコトを光量を見つけられて行くのがリアルでした。そうやって発見されたことが自然に伝わって来ます。

(男性・54歳・写真家)

 

ミレーの絵を想わせる風景。生きる事のシンプルなこと。家族、命…。どれもかけがえの無いものだというメッセージが届きました。

(無記名)

 

映像からでしたが、自然の息吹、懐かしさのような感じをとても受けました。本当にそこに居るような臨場感。心も移ってくるような不思議な感覚がしました。とても素晴らしい映画をありがとうございました。

(女性・43歳・主婦)

 

聡美さんと憲一さんが朝食を食べるシーンで朝日が入り、逆光の光が美しく、憲一さんがやかん?からお湯をそそぎコーヒーをドリップするシーンが「何が幸せか?」をつめ込んだワンシーンだったと感じました。私がお手伝いしている農園の仲間も音楽をされている方が多く、「農と音楽」ってつながりがあるのでしょうかね。

(43歳・会社員)

 

暮らしている人々が楽しそうに生活しているのが印象的だった。たんたんと労働する日々もあれば、映画祭のように思いっきり楽しむ時間もあって、人の人生もそれと同じだなと思いました。

(無記名)

 

自然と人とのつながりが最も重要なことなど解りました。自分もこのような環境に身を置きたいとも思いました。

(男性・58歳)

 

農業って手作業が多くて大変だなと思いました。でも人間の生活って感じでいいなあと思いました。それと人に必要なものは組織じゃなくて仲間なんだということを改めて思いました。

(男性・53歳・地方公務員)

 

山田(父)が「お金がなくても薪はいっぱいある」みたいな…と言っていたのが印象的でした。自分たちの食べるものをできるだけ手作りでいきたいと思いました。心が豊かに暮らせるというのはすてきなことですね。宮下夫婦がいい味を出していました。映像がきれいでした。

(無記名)

 

こういう暮らし方もあるんだと思いました。野菜もチーズもとてもおいしそうで、それで十分なんだなーと思いました。上映しながら食べられるとみんないい気持ちだったのではないかと思いました。

(無記名)

 

自分が望んでいる生活を見せていただいたように思います。生きること・食べること・人とのつながりを大切にしていきたいと思います。今日はありがとうございました。

(女性・41歳・主婦)

 

農は人のくらしの原点ということが、一番大切に感じました。

(無記名)

 

空気のきれいな所では、豊かな自然に恵まれてうらやましい。そこでは気持ちがゆっくりして、豊かになれそうだと思いました。出演のさとみさんが仕事をしながら子ども(あかりちゃん)と一緒に過ごしていて、一つ一つのシーンが、うれしくてうれしくて。もっともっと自分も子供と一緒に土の上にいたいなと思いました。普段は私は紙媒体の仕事をしているので動画の世界の感動をあらためて感動しました。撮影の先にすーっと入っていけるのはいいことです。共働…のキーワードは、今の世の中で少ないです。一般人としては、あこがれでもあります。先日、台湾に取材に行き、昔の客家の暮らしに似ていると思いました。昼を一緒に食べて共働農作業。時刻は鐘で知らせる…など。

(女性・44歳・編集)

 

さとみさんと赤ちゃんが泥んこで畑にいるシーンが人間のいのちの根源的な部分を感じるようで、すごくすてきでした。ありがとうございました。

(無記名)

 

必要な食べ物を作って、シンプルに土とともに生きる。お陽様の光を浴びて暮らす。子どもも猫もいっしょに笑って暮らす。自然は厳しいところもあるでしょうが、何か自分も共有したいという思いが強くなりました。体力をつけておかなければと思いました。

[…]

撮影報告 その16 廣木一賀さんインタビュー

今回拠点にさせてもらった彦根の奥田さん宅。 左が近所の人たち農園。 奥が琵琶湖。

2011年6月26日。 廣木一賀さんのインタビュー。撮影奥田さんの家で。 廣木さんは福島県いわき市から家族で彦根に避難してきている。一賀さんは宮城県で仕事をしているが、数日前に家族のいる彦根にやってきた。 昨日大津の結でお会いしたばかりだが、ここで出会ったのも何かの縁と思い、インタビューをお願いした。廣木さんは快く応じてくれた。

廣木一賀さん。

被災した方のインタビューは初めて。震災・福島原発の事故で多くを失い避難してきているという人を目の前に、私は緊張していた。 廣木さん個人の資質によるものが大きいと思うが、これほど生きるエネルギーにあふれ、前向きな人に初めて会った。 廣木さんの話を伺ううちに、私は被災者の方と話しているという認識がどんどん薄れてきて、最後はお互い興味のある話に花が咲き、一晩中でも話が尽きない感じだった。当たり前のことだが、被災者の方にも色々な方がいるのだと実感させられた。

廣木さんは東京の焼き肉チェーン店でバリバリ働いた後、奥さんの希望で脱サラして田舎へ。選んだのが福島県いわき市田人町貝泊。澄んだ空気と豊かな自然に囲まれた風の谷ブルーベリーファームを8年前オープンさせた。 無農薬栽培の約50種類のブルーベリー。自分で収穫した野菜やハーブをトッピングして作るピザ焼き体験。廣木さんのガイドで、川遊びや山登りなどが体験できる山ぼうしの森探検のイベントなどをやっていた。 それだけでなく、廣木さんは前の会社でのノウハウを活かし、経営が悪化した旅館を再生させる仕事もしていた。それらが軌道に乗りはじめ、さあこれからという時に震災にあった。

どれだけ悲嘆にくれてがっかりしているのかと思いきや、廣木さんはとっくに頭を切り替えていた。 現在廣木さんの家は、原発の近くに住んでいた人たちの避難所になっている。子供のことを考えて廣木さんはすぐに貝泊を出て、車に寝泊まりしながら西へ向かい彦根にたどり着いた。 貝泊の子供を持つほとんどの人たちが、ちりじりばらばら避難しているという。そして残った人と出て行った人との間には大きな溝ができた。

もし廣木さんが貝泊に戻ったとしても、家が避難所になっているため、自分たちの仕事ができない。現在自宅が避難所になっていても何も保障はないし、避難区域に指定されていないため、なんの保障もないそうだ。なんてことだ。 そんな状況なのに廣木さんは次は何をやろうかと心をわくわくさせていた。すごい人だ。また廣木さんと話がしたいと思った。

[…]

函館から大間原発が見える

函館山の反対側から函館空港越しに、津軽海峡を隔てて下北半島大間原発を捉えたもの。

この写真は函館の隣町・七飯町のパン屋さんの親方が送ってきてくれた。

函館と大間原発がいかに近いのか実感できる。

福島は他人ごとではない。