撮影ということでキャメラをいつも傍らに置いている。
「今この瞬間は二度とない」と、キャメラを持っていない時より、強く思っている自分がいる。
なので出会い・紹介などで決まる追加撮影が多くなり、余裕をもって組んだ日程が窮屈になってきた。
名古屋の撮影は日を改めてすることにした。
「やっぱり私もインタビューして下さい。
今思っていることを記録に残したいです」と奥田さんが言った。
私はこのことがとても嬉しかった。
彦根で滞在させてもらいお世話になっている奥田さんは、当初、「私のインタビューはしなくていいです」と言っていた。
私も、奥田さんは身内のようになっているので、「まあいいか」と思っていたがやっぱり撮りたかった。
成安造形大学・カフェテリア結。
2011年6月25日。
奥田さん、佐野博美さん、廣木一賀・智恵さんご夫婦と彦根から大津の成安造形大学・カフェテリア結へ向かう。
佐野さんは1年ほど前に彦根に移住してきて、今、震災支援に精力的に動いている。
廣木さんご夫婦は、子供3人と福島県いわき市から彦根に避難してきている家族で、
だんなさんは宮城県で仕事をしていて、昨日たまたま彦根の家族のもとにやってきたのだった。
ブルーベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さんは、農を基本に考えて実践している人を講師に招き
「アグリモーニングセミナー」を開いている。
今日はその夕方版。結で夕食を食べてから、長野県・安曇野のシャロムヒュッテの臼井健二さんのお話。
先日岩田さんにインタビューした際、この会に誘われ、撮影をさせてもらうことになった。
4月に北海道・鷹栖町の松下音二郎・理香子さんご夫婦のインタビューに行った時、
「昨年の夏、シャロムヒュッテに行ってとてもよかったのよー」という話を写真を見せてもらいながら聞いたばかりだった。
まさか滋賀でシャロムヒュッテの人に会えるとは思ってもいなかった
福島県・飯館村から家族で三重県に避難してきている村上真平さんもご夫婦で来ていた。
シャロムヒュッテの臼井さんと昔からの友人だそうだ。
司会進行のツヨシさん(ソラノネ)に挨拶をし、臼井さんをご紹介していただく。
とても気さくな方だった。「空想の森」のこと、今撮影している映画のことをざっと説明をした。
夕食はバイキンスタイル。野菜を中心とした色とりどりのメニューが並んでいた。
先日お世話になった高島の原田麻利さん、珠宇ちゃんも来ていた。
廣木一賀・智恵さんたちとテーブルを囲んだ。
廣木さんは脱サラして過疎地だった福島県いわき市の田人町貝泊地区に移住。
風の谷ブルーベリーファームをつくり、農業体験や本格的な窯を使って作るピザ焼き体験などもやっていた。
自分たちの子供を通わせるために、廃校になった小学校を復活させたりと、
貝泊はずいぶん人が集まるところになり仕事も軌道に乗りだした矢先、3月11日の震災にあった。
廣木一家は震災後、すぐに車で西へ西へと車で逃げてきた。
シャロムヒュッテの 臼井健二さん。
夕食を食べ終え、臼井さんの話が始まった。
パワーポイントで写真や資料をみせながら、シャロムヒュッテで実践してきたこと、これからの暮らし方などが話された。
食べ物がとってもおいしそうで、いつか泊まりに行きたいと思った。
村上真平さん。
臼井さんに続き、村上さんが話をした。村上真平さんは飯舘村で農薬を使わない、
耕さない、雑草を抜かず土を見せない、などの方法で自然農業をしていた。
妻の日苗さんは自然食レストランをしていた。
飯舘村へ来る前は、ガンジーアシュラムで1年滞在後に、NGO活動でバングラデシュで5年間、自然農業を教えていた。
そこで先進国が途上国を搾取するシステムを目の当たりにして、出来るだけ自分で生み出す生活を飯舘村で取り組んでいた。
それが原発事故で何もかも失ってしまった。
元々原発反対の運動をしていて、放射能の知識があり、子どもを守るためすぐに縁があった三重県に避難をした。
村上さんはこれから1年は自分の経験を話すことに時間を使うという。
なぜなら「福島に原発があることは知っていたのに、原発の危険性に目を向けなかった自分がいた。
原発事故は決して他人事ではない、いつ自分の身にふりかかるかわからないことなのだ」ということを伝えたいと彼は言った。
全てを失って避難してきている人に初めて私は会って話をした。その心中は想像しきれない。
会が終わり、持参した大間原発の署名用紙を出して参加者の皆さんに説明し署名をしてもらった。
たくさんの人が協力してくれた。
いつもメールで撮影報告を送ってくださり、ありがとうございます!
実はVol.7-9の添付ファイルがなくて、「あれ~?」と思いつつ、なんの反応もできないまま時が流れ…
ふと思いついてこちらのHPに来たのでした。そうしたら写真付きで撮影報告が読めるではありませんか。わーい! これからも楽しみにしています。
P.S.沖縄から大マグロックに参加したKEN子さんは、いろいろと刺激を受けたらしく、帰沖後、すぐに大間原発に関してメール報告してくれました!