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撮影報告 その8 大マグロックフェスティバル 

*大マグロックフェスティバル in あさこはうす*

2011年5月21日(土)

大マグロックに参加するため、竹田さん(大間原発訴訟の会代表)、石川さん(道新のキャメラ)と一緒に大間に渡る。

野村さんが風邪でダウンして来られないのがとても残念だった。

 

船の中は、大間マグロックに参加すると思われる若者たちがたくさん乗り込んでいて活気があった。

竹田さんたちを撮影していたら、隣に座っていた若い3人の女性たちに話しかけられた。

私は「空想の森」のこと、今している撮影のこと、大間原発のことなどを彼女たちに話した。

彼女たちも大マグロックに参加するのだった。

こんな若い子が海を渡って参加するということが嬉しかった。

 

そしてまた、同じく隣に座っていた若い3人の男性たちに話しかけられた。

彼らは苫小牧から来た「かたつむりスピード」というバンドで、大マグロックに出演するという。

私と石川さんとみんなで色んな話をし、水を酌み交わし、すっかり仲良くなった。

彼らは「空想の森」にも興味を持ってくれた。

私も彼らの音楽が楽しみだった。

そんなこんなで若者たちとの出会いもあり、にぎやかで楽しい船旅になった。

 

船を降りると小雨が降っていた。

中道さんという大マグロックを取り仕切っている男性が迎えに来てくれていた。

まず私の車を宿泊する阿部旅館に置きに行く。

長靴に履き替え、傘とカッパと機材だけを持ち、中道さんの車に乗せてもらう。

あさこはうすの脇にヤマトさんのトラックがはまってしまっていた。左から田代、竹田さん、石川さん。

前日からの雨のせいで、会場はひどくぬかっていた。

あさこはうすの脇にはびっしり車が止まっていた。

私と石川さんはテントが張られたところに機材を置かせてもらう。

 

立派な野外ステージができていた。

客席の真ん中ではたき火を燃やしていた。

肌寒いのでみんなここで暖をとっていた。

シャンディ二ヴァ―スカフェのご夫婦。栃木から参加。ここのチャイとカレーがうまかった。

皮製品、コーヒー屋、カレー、シチュー、サンドイッチ、おにぎり、ワイン、酒などなどいろんな食べ物屋さんが出店していた。

午前中はそれほどの人でもなかったが、雨風が強くなってきたのにもかかわらず、午後になるとぐっと人が増えてきた。

若い人が多かった。

ゆるりとライブも始まった。

原子力資料情報室の澤井さん、上澤さんに加えて撮影チームの若い女性二人もやってきた。

 

彦根のアコちゃんは張り切っていた。

私に色々な人を紹介してくれた。

沖縄の高江で米軍のヘリパットに反対しているKEN子さん、東京の高尾でトンネル工事に反対している坂田昌子さん。

彼女たちとも会ったとたんに原発の話で話が炸裂した。

内田ボブさん、ラビラビのボーカルの女性などなど本当に色々な人を紹介してくれ、また、その人に「空想の森」の宣伝をしっかりしてくれた。

山口県の祝島からは若者たちが来ていた。

彼らは玄米のおにぎりやワインなど、祝島の海産物を売っていた。

彼らとも話をした。

 

[…]

撮影報告 その7 大間原発訴訟第2回口頭弁論

*大間原発訴訟第2回口頭弁論*

2011年5月19日(木)

9:00から弁護士会館で弁護団会議。

私は野村さんと一緒に10時過ぎ頃入る。

昨晩から引き続いてプレゼンテーションの打ち合わせの真っ最中。

熱が入っている。

しかし裁判までに間に合うのだろうか。

11時頃、私は外観を撮影しようと外に出たら、圭介さんの運転で山田あゆみさんがやってきた。

来月が臨月の彼女のお腹はだいぶ大きくなっていた。

私は撮影を開始した。

そして一緒に弁護士会館に入り、みんながいる会議室へ。

圭介さんはチーズの配達のため、挨拶だけして退室した。

 

意見陳述をする奥本さんとあゆみさんが席に着いた。

本番に向けて意見陳述を読む練習が始まった。

まず、奥本さん。

次にあゆみさん。私は彼女の正面にカメラを構えた。

あゆみさんの意見陳述の練習の時だけ撮影を許された。

あゆみさんは立ち上がりこう言った。

「初めてお会いする方もいるので、まずみなさんに一言ご挨拶をしたいのですがいいですか。」と。

自己紹介をした後、これからみんなといっしょにがんばっていきたいのでよろしくお願いしますと彼女は結んだ。

私は彼女の真摯な姿勢に感動した。

 

そして彼女は切々と意見陳述を読み上げた。

こみ上げてくる思いと涙を抑えながらの陳述をみんなで引き込まれるように聞いた。

森越弁護士も、「二人とも素晴らしい意見陳述です。」と満足気だった。

あとは弁護団のプレゼンがうまくいけば、きっとすごくいい裁判になるはずだ。

会議が終わり、いよいよ本番だ。

外にはテレビ、新聞などのマスコミがたくさん来ていた。

石川さんも道新のキャメラマンとして撮影に来ている。

 

気が付くと、みんなで大弾幕を持ち、弁護士会館から裁判所までの100メートルほどの行進が始まっていた。

私はあわてて走り、撮影をした。そしてみんなが裁判所に入っていった。

私も撮影しながら裁判所に入っていったら、職員に裁判所の敷地内での撮影は禁止ですと止められた。

なので敷地の外に出てみんの後ろ姿を撮影をした。

 

続々と傍聴に人が集まってきた

。私もカメラを持ったまま、抽選に並んだ。130人ほどの人が並んでいた。

私は一般の抽選に見事外れた。

その後の2回目の抽選も外れてがっかりしていたら、隣にいた女性が傍聴券を私に譲ってくれると言う。

「空想の森」を見てくれた人で、私のことを知っていた。

あなたもせっかく来て当たったのだからと断ったら、彼女は私にこう言った。

「田代さんが裁判を見てみんなに広めて欲しいから。」と。それで私は傍聴券を譲ってもらった。

しっかり見てこようと気を引き締めた。

 

裁判の部屋は結構小さかった。空いていた一番後ろの中央の席に座り、キャメラをイスの下に置いた。

原告席がまだ空いていたので、一般の席に座っていた原告の女性が原告席に移った。

そしてさっき私に傍聴券を譲ってくれた女性が入ってきたのでああよかったとホットした。

 

向かって左側が原告席。

最前列にあゆみさん、奥本さん、河合・森越弁護士などが座っていた。

後ろの方で野村さんが咳き込んでいるのが心配だった。

澤井さん、上澤さん、若手の弁護士の人たちがプレゼンのため、パワーポイントの準備でパタパタと動いていた。

証言席からプレゼンをすることになった。

 

[…]

撮影報告 その6 岡田幹事長に抗議・山田家のあさこはうす訪問・メイの出産

*大間へ岡田幹事長に抗議に行く*

2011年5月14日(土)

「岡田幹事長が大間に15日に来るので、大場さんたちと抗議に行くことにした。」

と野村さんから昼ころ電話をもらった。

5月13日の新聞に、岡田幹事長が大間原発の建設継続という発言をしたことが新聞に掲載されたばかりだった。 「じゃあ、私も今から函館に行くから。」

ということで急きょ、また帯広から函館へ向かった。

 

2011年5月15日(日)

野村さんといっしょに函館港へ。

竹田さん、大場さん、林さん、立身さん、そして小笠原厚子さんら総勢7人でフェリーに乗り込んだ。

大間での調整は奥本さんがしていた。

大場さんは岡田幹事長に渡す要望書をみんなに配った。

船の中でみんなで話をしているうちに、少しずつそれぞれの個性が感じられてきた。

みんな魅力的で面白い人たちばかり。

 

私は厚子さんに、明日の16日、山田あゆみさん一家が裁判前にぜひあさこはうすを訪問したいということで奥本さんに案内してもらうことを伝えた。

すると厚子さんは

「山田さんの意見陳述を読んでとても共感したの。私も山田さんに会いたいから、今日は函館に帰るのをやめてあさこはうすに泊まって待っているわ。」と言った。

私はとても嬉しくなって船の上からあゆみさんに電話をいれた。

 

大間に着くと、奥本さん、佐藤さん、山内さんが迎えに来てくれていた。

YAMさん(山内雅一さん)は大マグロックをとりしきっているミュージシャンで、穏やかな人だった。

車に分乗して岡田幹事長が住民の人たちに説明している建物に向かった。

 

小笠原厚子さん

素晴らしく晴れ渡った空だった。

建物の前には黒い背広をきた警察の人が何人か立っているだけだった。

そこから振り返ると大間原発の工事現場が良く見えた。

建物の中に入らないで下さいとのことで、私たちはしばらく外で待った。

官邸付の記者たちは東京から来ていて中の説明会に入っている。

外で待っているのは、訴訟の会のメンバーと朝日と毎日の記者だけだった。

 

岡田幹事長に直接要望書を手渡すことができないとのことで、代わりに、民主党青森県むつ下北支部副幹事長の能登勝彦さんに大場さんが代表して要望書を手渡した。

そして厚子さんも「建設中止を。」と直接訴えた。

これはばっちり撮影した。

屋外での撮影だったが、風がなくて音がちゃんととれてよかった。

この要望書を岡田幹事長に渡してもらうのだ。

しかし、岡田幹事長は今の福島第一原発の事態をどれほど理解し、原発のことをどのくらい勉強しているのだろう。

今開かれている岡田幹事長の説明会は、住民の誰もが参加できるものでなく、

その内容も避難道路の説明だったそうで、福島の事故を受けての大間原発建設の是非ではなかったそうだ。

説明会が終わって出てきた住民の人たちは、なんだか要領を得なかったような表情だった。

中にいた記者たちが出てきて、外で待つ人数も増えた。

岡田幹事長がもうすぐ出てくる。

 

私はどの位置を撮るべきか悩んだ。

そして正面の位置を陣取った。右側に車がつけてあり、きっとそちらに移動するのだろう。

柵があって追いづらいが、正面を狙おうと思った。黒い背広の集団が出てきた。

SPのような人に邪魔されたが、私は夢中でキャメラをまわした。

ファインダー越しでは撮れているのかよくわからなかった。

[…]

撮影報告 その5 田中はる枝さん・後藤政志さん・今野満寿喜さん・三田健司夫妻・釣崎等さん

2011年5月6日(金)

田中ハル枝さんインタビュー撮影。

森町のハル枝さん宅にて。

こなひき小屋のおかみさんが中心になってハル小屋で上映会をしていただいたのが縁になった。

ハル枝さんと二人でじっくり話したのは初めてのことかもしれない。

彼女は3.11をきっかけに翌月から毎月11日に布ナプキンを縫う会を始めたそうだ。

この震災・原発事故を風化させないように、そして自分自身が今までおざなりにしてきてしまっていた母から受け継いだ手仕事をしようと。

お昼ご飯をおいしくいただいて間もなくすると、軽トラに新鮮な魚をたくさんのせた魚屋さんがやってきた。毎週金曜日にハル枝さん宅に来てもらっているとのこと。

個性的なご近所の面々も続々と集まってきた。イカ、ツブ、ホッケなどなどとてもきれいで、見るからに新鮮でうまそうだった。

「半分は刺身用、半分は天ぷら用に切ってね。それはどう食べたらおいしいの?」など、お客さんたちは色々と聞きながら魚を選んでいた。それに答えていたのは魚政の店長小甲芳信さん。魚政の3代目。

お客さんと直接やり取りしながら、自分が選んだうまい魚をおいしく食べていただく。

彼はこのことを大事にしている。自分はお客さんの御用聞きになりたいと思っているとも言っていた。

軽トラの荷台にまな板を置き、よく研がれた包丁で次々と魚をさばいていく。

思わず見とれてしまう。

「切れない包丁ほど危ないものはないからね。毎日研いでいるからもう3センチほど短くなっているんだ。」と彼は言った。

あまりにカッコいいので趣旨をざっと説明して撮影させてもらった。

そしてよくよく聞いてみると、店は弁天町の竹田ストアーの中にあるという。

もちろん竹田さんのことも知っているし、竹田さんの旦那さんは彼の釣りの師匠でもあるとのこと。

世の中狭いものである。こんな粋な魚屋さんに会えたことを嬉しく思う。

ますます竹田ストアーに行ってみたくなった。

五稜郭タワーにて。後藤政志さん(元原子力プラント技術者)と竹田とし子さん(大間原発訴訟の会代表)。

2011年5月7日(土)

竹田さん、野村さん、石川さん、私で、函館駅に後藤政志さんを迎えに行く。

後藤さんは元原子力プラント技術者で工学博士。

午前中に札幌のUHBの番組に出演し、函館まで足を延ばしてくれた。

その番組を私は親方の家で見させてもらった。

かなり長い時間をさいて原発問題を取り上げていた。

私は後藤さんに名刺と空想の森のチラシを渡し、今やっている撮影の趣旨をざっと説明した。

後藤さんはニコニコしながら、「へー、これが一回目のあなたの映画なんですか」と言った。

とても気さくで親しみやすい人だった。私はユーストリーム中継で毎日見ていたあの後藤さんに会えてとても嬉しかった。

直接後藤さんにわからないことを質問できることも楽しみだった。

昨日、菅総理が浜岡原発の稼働停止を発言した。

このことをひとしきりみんなで話す。

後藤さんがホテルのチェックインをすませ、みんなで弁護士会館へ向かった。

この日は裁判に向けての勉強会。

原子炉設計者としての観点からの後藤さんの話は熱をおびていた。

そして質問。裁判を目前に控え、みんな真剣だった。

勉強会の後、フレンチのお店でみんなで夕食を囲んだ。

掘りごたつに足を入れながらのフレンチは抜群においしかった。それでも話題は原発。

みんな後藤さんにここぞとばかりに質問。

デザートも食べ放題で自分で好きなのを選べる。

後藤さんがデザート皿の前に座って選んでいる姿がかわいらしかった。

 

2011年5月8日(日)

午前中、竹田さん、野村さん、私で後藤さんをホテルに迎えに行く。

この日は14:00から一般向けの後藤さんの講演会。

それまで少し時間があるので、4人で五稜郭公園へ行くことにした。

ちょうど桜が満開だった。

後藤さんとお花見できるなんてねー。と言いながら、原発のことを質問しながら花を見た。

[…]

撮影報告 その4 大間へ 初めてのあさこはうす 奥本さんの案内で

中央の建物が大間原発。

2011年5月2日(月)~5月5日(木)

◇大間原発が建設されている本州最北端の町へ行く◇

朝、大間原発の会社・電源開発(Jパワー)に電話。

取材・撮影を申し込む。

どんな目的で映画をつくるのかがわからないからという理由で断られた。

いくら説明しても話が噛み合わず平行線だったのであきらめた。

いよいよ本州の最北端の大間へ。

海がキラキラしていた。

子供の頃夏休みに大湊に遊びに来たとき、叔父に連れられこの海を見た。

仏ヶ浦のきれいな海と切り立った独特の岩は今でも忘れられない。

大間の町中で奥本征雄さんと待ち合わせ、まずは昼ご飯を一緒に食べた。

昆布が練りこまれたラーメンがうまかった。

奥本さんは大間で生まれ育ち、郵便局に勤務し、5年前に定年退職をした。

大間原発を当初から反対していて、原告になり、今度の5月19日の裁判では意見陳述をすることになっている。

3日間びっちり朝から晩まで奥本さんに大間を案内してもらった。

原発の話はもちろんだが、他にも色々な話をした。

毎晩飲みながら話は尽きなかった。

私はすっかり奥本さんが大好きになった。

奥本さんは郵便局員として毎日町の人と接してきた。

小さな町では郵便局と町の人の関係は濃密だ。

町の人の日々の細やかな情報は郵便局の人が一番知っている。

人々が助け合い支えあいながら暮らしてきた町に原発の誘致問題が持ち上がってからは、

その関係が大きく変わり、人の絆が切り裂かれていった。

奥本さんは言う。

放射能はもちろん恐ろしいが、今まで築いてきた人と人との関係が原発賛成か反対でズタズタにされたこと、

これが何よりの悲劇だと。

奥本さんは意見陳述でもこのことを強く訴えている。

 

前に沖縄の名護に行った時も民宿を経営する照屋林一さんが同じことを言っていた。

原発、基地問題など、根っこはどれも同じ問題を抱えている。

なぜこんな悲劇が美しい日本の小さな町ばかりに起こるのか。

思ったことを思ったように言えない、表現できない社会が存在している。

こんな社会の中で人はまともな精神で生きていけるのだろうか。

 

1976年に商工会が大間原発の誘致をはじめてから、大間のほとんどの人は原発賛成の立場だ。

表だって反対を表明している人は数人しかいないのが現状だ。

しかし心から原発に賛成をしている人はどのくらいいるだろうか、と奥本さんは言う。

特に漁師は、息子・孫に代が変わり主力で漁をしている。

原発で漁ができなくなることに危機感を感じている若い漁師も出てきたという。

最近、そのような若い漁師が奥本さんに話を聞きたいと言ってきているという。

大間は海しかない。海で暮らしていくしかないのに。と奥本さんは言った。

 

大間町は人口6千人ほど。

原発の周囲3キロ以内にこの6千人の人たちが暮らしている。

原発建設地のすぐ近くの海沿いに漁港そして民家が並んでいる。

現場に立ち、この風景を目の当たりにした。

丘の上から、防波堤の上からなど、様々な場所から原発を眺めた。

なんてこの海と町にそぐわないのだろうと思いながら。