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撮影報告 その10 義元孝司さん・松下照幸さん・杉原厚子さん・萌叡塾

「空想の森」はなぜか関西での上映が多い。
その中でもとりわけ滋賀県がダントツだ。
今回は、彦根を拠点に滋賀県・福井県で上映してくださった方々を訪ねての撮影の旅。
6月11日は彦根で、28日は東近江市の能登川で上映会もある。
2011年6月13日。
彦根から福井へ向かう。
米原から高速に乗る。福井に近づくと山道になってくる。
それを抜けると日本海が見えてくる。
美しい海だ。
しかしここには日本で一番多い15基もの原子力発電所が立っているのだ。
北陸自動車道・杉津(スイヅ)サービスエリアから、敦賀湾をのぞむ。
2008年10月。初めて自主上映をやってくれたのが、福井の玉井さんと義元さんだった。
あれから「空想の森」といっしょに日本全国を上映して歩いている。
2011年3月11日の大震災と原発事故を機に、今、上映会で縁ができた人たちを訪ね、撮影をしている。
2年8か月ぶりに訪れた玉井よろず研究所。
まず、玉井よろず研究所で、お互いの近況を話した。
玉井さんは上映会の時も、福井県の様々な方を紹介してくれた。
今回も2日間に渡って福井で原発に反対し続けている人のところへ連れて行ってくれた。
義元孝司さん。
まずは、いっしょに上映会をやってくれた義元さんのところへ早速撮影に向かう。
義元さんは相変わらずとても元気に若者たちといっしょに農業に取り組んでいた。
よろず研究所にもどり、玉井さんのインタビュー撮影。
植物が好きな玉井さんは、まだ原発がなかった昭和30年代、学生の頃、敦賀湾をぐるっと歩いた。
そのことが自分の原点になったのかもしれないと私に話してくれた。
そしてその当時の敦賀の海や山や植物のことをノートに克明に記していた。
その年季の入ったノートを見せていただいた。
本当に事細かに記録してあった。
素晴らしい、美しいという言葉が随所にあった。
夜は玉井さんと義元さんと3人で飲みに行く。3年ぶりの再会で、大いに語り合った。

玉井美喜子さん。私の旅ノートにメッセージを書いてくれた。
この日は玉井さんの家に宿泊。
奥さんの美喜子さんとも久しぶりに話をして楽しかった。
2011年6月14日。
玉井さんの運転で福井県美浜町の「どんぐり倶楽部」へ。
代表の松下照幸さんにインタビュー撮影。
玉井さんが事前に話をしてくれているのですぐに撮影開始。
松下照幸さん。
松下さんはとても穏やかなやさしい話し方をする方だった。
高校生の時に美浜に原発誘致の話がきた時は、夢のエネルギーだと思っていたそうだ。
そして美浜に原発が建った。
しばらくするとそこで働いていた人が病気になり亡くなった。
そこで松下さんは初めて何かおかしいと感じたそうだ。
それから原発のことを勉強しはじめた。
それからずっと原発に反対し続けている。
松下さんは時々言葉に詰まり、涙を浮かべながら私に話してくれた。
穏やかな松下さんが、原発事故の話になると、時々激しい言葉を使う。
どれほどの悲しみと怒りを抱えながらこの町に暮らしているのか…。
松下さんは美浜町議も何期か務め、たった一人、原発反対を言い続けた。
この町で原発反対と公言しているのは今も松下さん一人だそうだ。
今、松下さんは放射能に頼らずに誇りをもって働き、生活できる町づくりを提案しようとしている。

杉原厚子さん。
そして玉井さんは敦賀の杉原厚子さんのところに連れて行ってくれた。
大きな家の大きなキッチンに通された。大きなテーブルにたくさんの料理が並んでいた。
「これ全部手作りだから。
安心して食べられるものだから。好きなおかずをよそって食べなさい。晩御飯も食べていくか?家はいつでも泊まっていけるから。」と杉原さんは台所に立ち、料理をつくりながら迎えてくれた。
合宿所のような家だった。
杉原さんは学校の先生を退職されてから、不登校の子など、自宅に子供たちを受け入れているそうだ。
つい昨日までも3人の学生が泊まっていたそうだ。
玉井さんといっしょにお昼ご飯をいただきながら、お話をうかがい、撮影させてもらった。
ごはんがほんとおいしかった。庭には菜園があり、色んな野菜を育てていた。
近所の教え子の人たちもよく杉原先生の家に遊びにくるそうだ。
杉原さんは6月25日・26日と、福井に広瀬隆さんをよび、講演会を企画している。
86歳というお年でそのパワフルな行動力に圧倒される。
またお話を伺いに来たいと思った。
敦賀市の太田和子さん宅。
次に玉井さんが連れて行ってくれたのは、太田和子さん(80歳)のところだった。
太田さんは敦賀で生まれ育ち、敦賀の美しい海と山をこよなく愛している女性だった。
その美しい自然を破壊していったのが原発だった。
太田さんは敦賀3、4号増設に抗して「埋立てないで、阿弥陀見の浜」と書いた紙をもって、日本原電の会社の入り口に立ちつづけた人だった。今も体調がよければ日本原電の前に原発をやめてという趣旨を書いた紙を持って立っているという。
このように静かに強力な抵抗を続けている人が敦賀にいるということを私は初めて知った。
自宅がこれまた素敵だった。
大きな木がある庭。
町屋風の家を少し手を入れて住んでいた。
昔の家財道具を使っていて心地いい空間だった。
2階は資料館にしていた。
昔使っていたかご、ガラスのコップ、ドロップの缶、写真などなど、たくさんのものが展示されていた。
太田さんのところにまたお話を伺いに来たいと思った。

萌叡塾の女性陣。個性豊かな人たちだった。
そして玉井さんがこの日最後に連れて行ってくれたのは、萌叡塾。自給自足の生活をしている人たちが共同で暮らしているところだ。
前にも連れてきてもらい、次は泊まりたいと思っていたところだった。
食事はほんとに毎食素晴らしくおいしかった。ほとんど全てが自分たちでつくったものばかり。
「普段食べるものこそ、手を抜かないでうまいものを食う。」と、塾長の谷崎さんが言っていた通りだった。
夕食ではみんなで福島原発のことをひとしきり話し、私も大間原発のことなど大いにしゃべった。
署名も協力していただく。
この夜は、別棟のゲストハウスでゆっくりと眠った。
2011年6月14日。
みんなで朝ごはんを食べ、そのまま谷崎さんと話をしていたらお昼になる。
谷崎さんがラッパを吹き、畑で働いている人たちにお昼を知らせる。
みんなで一緒においしく昼ご飯を食べた。
そして谷崎さんにインタビュー撮影。
萌叡塾の塾長の谷崎さん。
玉井さんに紹介していただいた福井県の人たちは何も特別なことを言っているわけではなかった。
生まれ育った故郷の海や山や川の自然を残したい、おいしくて安全な食べ物を食べたい、子供たちが健やかに育っていける地域・社会にしたいという至極当たり前の願いが、原子力発電と相容れないものということだけなのだ。
その場に身を置き、それぞれの人と向かい合い、話を伺い、そのひとつひとつの言葉が私の中に深く染みいってきた。


滋賀県余呉町。前田さんの田んぼ。

2011年6月15日。
福井を後にして余呉へ向かう。

滋賀県で一番最初に上映をしてくれた前田壮一郎さんのところへ。
田んぼ、カヌーインストラクター、山の案内など、多忙な中、時間をとってくれた。
長浜のおいしい居酒屋で初めてゆっくりと話をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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