2011年5月6日(金)
田中ハル枝さんインタビュー撮影。
森町のハル枝さん宅にて。
こなひき小屋のおかみさんが中心になってハル小屋で上映会をしていただいたのが縁になった。
ハル枝さんと二人でじっくり話したのは初めてのことかもしれない。
彼女は3.11をきっかけに翌月から毎月11日に布ナプキンを縫う会を始めたそうだ。
この震災・原発事故を風化させないように、そして自分自身が今までおざなりにしてきてしまっていた母から受け継いだ手仕事をしようと。
お昼ご飯をおいしくいただいて間もなくすると、軽トラに新鮮な魚をたくさんのせた魚屋さんがやってきた。毎週金曜日にハル枝さん宅に来てもらっているとのこと。
個性的なご近所の面々も続々と集まってきた。イカ、ツブ、ホッケなどなどとてもきれいで、見るからに新鮮でうまそうだった。
「半分は刺身用、半分は天ぷら用に切ってね。それはどう食べたらおいしいの?」など、お客さんたちは色々と聞きながら魚を選んでいた。それに答えていたのは魚政の店長小甲芳信さん。魚政の3代目。
お客さんと直接やり取りしながら、自分が選んだうまい魚をおいしく食べていただく。
彼はこのことを大事にしている。自分はお客さんの御用聞きになりたいと思っているとも言っていた。
軽トラの荷台にまな板を置き、よく研がれた包丁で次々と魚をさばいていく。
思わず見とれてしまう。
「切れない包丁ほど危ないものはないからね。毎日研いでいるからもう3センチほど短くなっているんだ。」と彼は言った。
あまりにカッコいいので趣旨をざっと説明して撮影させてもらった。
そしてよくよく聞いてみると、店は弁天町の竹田ストアーの中にあるという。
もちろん竹田さんのことも知っているし、竹田さんの旦那さんは彼の釣りの師匠でもあるとのこと。
世の中狭いものである。こんな粋な魚屋さんに会えたことを嬉しく思う。
ますます竹田ストアーに行ってみたくなった。
五稜郭タワーにて。後藤政志さん(元原子力プラント技術者)と竹田とし子さん(大間原発訴訟の会代表)。
2011年5月7日(土)
竹田さん、野村さん、石川さん、私で、函館駅に後藤政志さんを迎えに行く。
後藤さんは元原子力プラント技術者で工学博士。
午前中に札幌のUHBの番組に出演し、函館まで足を延ばしてくれた。
その番組を私は親方の家で見させてもらった。
かなり長い時間をさいて原発問題を取り上げていた。
私は後藤さんに名刺と空想の森のチラシを渡し、今やっている撮影の趣旨をざっと説明した。
後藤さんはニコニコしながら、「へー、これが一回目のあなたの映画なんですか」と言った。
とても気さくで親しみやすい人だった。私はユーストリーム中継で毎日見ていたあの後藤さんに会えてとても嬉しかった。
直接後藤さんにわからないことを質問できることも楽しみだった。
昨日、菅総理が浜岡原発の稼働停止を発言した。
このことをひとしきりみんなで話す。
後藤さんがホテルのチェックインをすませ、みんなで弁護士会館へ向かった。
この日は裁判に向けての勉強会。
原子炉設計者としての観点からの後藤さんの話は熱をおびていた。
そして質問。裁判を目前に控え、みんな真剣だった。
勉強会の後、フレンチのお店でみんなで夕食を囲んだ。
掘りごたつに足を入れながらのフレンチは抜群においしかった。それでも話題は原発。
みんな後藤さんにここぞとばかりに質問。
デザートも食べ放題で自分で好きなのを選べる。
後藤さんがデザート皿の前に座って選んでいる姿がかわいらしかった。
2011年5月8日(日)
午前中、竹田さん、野村さん、私で後藤さんをホテルに迎えに行く。
この日は14:00から一般向けの後藤さんの講演会。
それまで少し時間があるので、4人で五稜郭公園へ行くことにした。
ちょうど桜が満開だった。
後藤さんとお花見できるなんてねー。と言いながら、原発のことを質問しながら花を見た。
「まず地震当日のデータがないと、どうして事故が起こったのかが検証できないし対策も立てようがない。」
と後藤さんが言っていたのが印象的だった。
昼ごはんは地ビール屋さんで。
私は日本を引っ張ってきた技術屋の人と話をするのは多分初めてのことだと思う。
刺激的だった。
後藤さんの人柄が大きいと思われるが、こんなに普通に話ができ、共感できることがたくさんあるなんて思ってもいなかった。
講演する後藤さん。
14:00。サンリフレ函館にて講演会。
5日前に急きょ決まった講演会にもかかわらず、100人以上の人が集まった。関心の高さがうかがえる。
この日の後藤さんの講演は私が今までユーストリームで見た話しの中で一番良かった。
後藤さんはすごく乗っていたし、熱かった。
そしてとてもわかりやすかった。講演後の質疑応答も素晴らしかった。
これを撮影させてもらえてよかった。
会場受付にて。
そしてパザールバザールへ移動。
6人ほどでお疲れさん会。ここでも少し撮らせてもらった。
ここで後藤さんと話したことが今も私の中に残っている。
大企業・東芝の技術者として原子炉の設計に携わってきた後藤さんが、福島の事故の後、名前と顔を出して発言するようになった。
「自分が今やっていることは全体の中でどういう意味をもつことなのか。
これを常に考えながらやらないと物事はうまくすすまない。」と後藤さんは言う。
大学卒業後、小さな造船所で船の設計者として働いたことが自分の人生の中でとても大きなことだったと彼は言った。
なぜ東芝に行ったのか、なぜ原子炉設計をしたのかなど、話をきかせてもらった。
そして、竹田さん、野村さん、私の3人で函館空港で後藤さんを見送った。
濃い二日間だった。私と野村さんはかなり感動して、二人で静かにコーフンしていた。
2011年5月10日(火)
喜茂別町の三田健司さんのインタビュー撮影へ。
函館から喜茂別へ移動。車で4時間ほど。
三田さんはアフリカ太鼓のN’DANAのメンバー。
喜茂別町で上映してくれた。
彼の奥さんのチャイチャイが、4月から洞爺のラムヤートで子供をおんぶしながら働き始めたというので、
まずラムヤートを目指した。
洞爺湖の湖畔の一軒家・ラムヤート。
パン屋さんだ。やたら居心地がいい店だった。内装が素敵。
チャイチャイも元気に働いていた。
12月に生まれたはな美ちゃんともご対面。
めんこい。
三田さんも初めての女の子で嬉しさがいっぱいだった。
パンを選んで店内で食べながら三田さんと話をした。
ここのパンは勢いがあってとてもうまかった。
そして三田さんがこの店をつくった今野満寿喜さんを紹介してくれた。
「オレほど洞爺を愛している人間はいない」と言う気持ちのいい青年だった。
私は後ほど三田家に行くことにして、満寿喜さんに店の周りを案内してもらうことに。
なんだか面白そうなので撮影させてもらうことにした。
今、新たにつくっているおにぎり屋に案内してくれた。
そこで、満寿喜さんに今やっている撮影のこと、震災・原発事故で何を思ったかなど話をしていたら、彼も自分のことを話し出した。彼が今までやってきたこと、3.11のこと、そしてこれからのことなど・・・。共感することがとても多かった。
事故後の心境、その後の心の変化が私と似ていて、とても親近感をおぼえた。撮影しながら二人で話が止まらなかった。
話している中で満寿喜さんが「僕を撮ったら面白いと思いますよ。」と言った。
「じゃあ、私が撮りましょう。」と私はすぐに答えた。自分でも不思議だった。
初めて会った人をすぐに撮って、これからも撮り続けることにするなんて。
早速、満寿喜さんは「家の中もどうぞ自由に撮ってください。」と、店とつながっている自宅に招き入れてくれた。
大きなテーブル、まきストーブ、昔の茶箪笥などなど、いい感じの部屋だった。奥さんの美環さんは素敵な人だった。
2歳の息子・ゆうらくんは元気がいい。友達の女の子と遊んでいた。
そして猫5匹。オス猫はやたら大きかった。
ここでもしばらく撮影させてもらった。なんだかワクワクしていた。
「これからも撮影に来させてもらいますのでよろしくお願いします。」と言って私は喜茂別の三田家へ向かった。
◇三田家の夕食の撮影◇
三田家に到着すると、宝牧場の斉藤愛三・ミサコ夫妻も来ていた。
三田家の子供3人と斉藤家の子供2人もいて大賑わいだった。
ミサコさんの二人目のはな美ちゃんに会うのは初めてだった。これまたミサコさんにそっくりでかわいいことこの上ない。
お兄ちゃんの草立君もそっくりな顔。
よく見ると愛三さんにも似ている。子どもたちは、はしゃいで走り回り、そのうちなぜか服を脱ぎ始め、終いにはみんな真っ裸になっていた。にぎやかで楽しい夕食だった。
三田さんと愛三さんで、斉藤武一さんの講演会「それでも原発は必要なの?」を喜茂別で5月12日に企画していた。
三田家、斉藤家とも小さな子供を育てている時。
原発問題は他人ごとではない。
2011年5月11日(水)
三田さんは町の消防団の集まりに出かけていった。奥さんのチャイチャイにインタビュー撮影させてもらった。
三田家を後にして、斉藤牧場に寄った。
愛三さんにミルクをごちそうしてもらった。
そして愛三さんのお母さんと、ひとしきり原発の話をした。二人で鼻息が荒くなった。
お土産に小豆・山芋をもたせてくれた。
愛三さんのお母さんは空想の森を見てくれて映画を気に入ってくれた。
今度このお母さんにもじっくり話をきいてみたいなあと思った。
◇月形町へ◇
そして今度は月形町へ向かった。夕方、月形町の釣崎等さんのお宅に到着。
釣崎さんは空想の森映画祭で「空想の森」を見て自分の町・月形町で上映会をやってくれた。
奥さんの富美子さんにご挨拶。一晩釣崎家にごやっかいになる。
夜、上映会の時に打ち上げをやったキタキツネで夕食。
撮影もさせてもらう。
社協の尾崎さん、岩崎さん、そして釣崎さんの音楽の相棒・加藤さんもやってきてみんなでにぎやかにテーブルを囲んだ。
キタキツネのマスターも混ざり、熱く語った。
遅くまでいろんな話をした。
釣崎さんご夫妻。自宅前にて。
2011年5月12日(木)
午前中、釣崎さんのインタビュー撮影。今度、月形でチャリティコンサートを企画しているとのこと。
釣崎さんたちも自分の町で動き出している。
そして帰りがけに月形のお豆腐、揚げをお土産に持たせてくれた。
撮影がこんなに長くなるとは思ってもいなかった。
ようやく帯広へと帰路についた。
つづく
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