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撮影報告 その11 原田将さん 滋賀・高島

滋賀県・木之元の富田酒造。 余呉から高島に向かう途中、富田酒造に寄った。ここの「七本槍」というお酒がおいしい。

 

2011年6月17日。

滋賀県高島市安曇川町の原田将さんのところへ向かう。

原田さんは2009年に大津のカフェテリア結で上映会をしてくた。

ブルーベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さんを私に会わせてくれた人でもある。

原田さん一家。妻の麻利さんと娘の珠宇さん。

原田さんは最近高島で「結びめ」というところで働き始めた。

地域共生ビレッジをつくること、田舎暮らし体験施設の運営、都市と山里の交流プログラムの実施などをやっている。

そして去年の8月に大津から安曇川の一軒家に引っ越してきた。

居間からは田んぼ、その向こうには林が見えるとっても気持ちのいい家だった。 娘の珠宇ちゃんは、すっかり大きくなっていて、とてもよくしゃべる子になっていた。 私が原田家に到着し、おしゃべりしていたら、獅子舞がやってきた。珠宇ちゃんの頭をかぶっとかじった。 この町は妻の麻利さんの育ったところでもあり、麻利さんのご両親もそばにいて、なんだかいい感じで暮らしているようだ。

原田さんにインタビュー撮影。自分のやりたいことをまさに今やり始めている原田さんはとても頼もしい父ちゃんになっていた。

風結(かざゆい)。お試しで田舎暮らしを体験できる施設。

 

風結の前の田んぼ。原田さんたちが田植えをしたところだ。

 

立石善規さん・啓子さん。

原田さんは、風結の奥に暮らす立石さんの家に連れて行ってくれた。 立石さんご夫婦は、風結の奥に30年ほど前に移り住んできた。善規さんは陶芸家、啓子さんは染色家。

原発の話でひとしきり話す。

大間原発のことも話し、署名もしてもらった。 とても魅力的なご夫婦だった。

沖縄の与那国で知り合った陶芸家の山口さんと友達だったことを知り、またびっくり。世の中狭いものである。

原田夫婦にとって、立石さんご夫婦はよき先輩であり、よき隣人であるようだ。

この日の夕方、原田さんは、山梨県へ研修へと出かけて行った。 私は原田家に泊まらせてもらう。麻利さんとゆっくり話せて楽しかった。

2011年6月18日。 立石さんが「空想の森」に興味を持ってくれたので、持っている資料を渡しに、麻利さんと珠宇ちゃんと3人で立石さんの家へ。 話がはずみすっかり遅くなった。 立石さんの家を後にして、原田家を車で出発しようとした時、ハプニングが起こった。

側溝に車の右の前輪を落としてしまった。 やってしまった!麻利さんが立石さんに電話をかけ、そして車の仕事をしていたこともある近所のケンジさんに来てもらうことになった。

昨日風結に連れていってもらった時、ケンジさんは林で間伐をしていた。

原田さんの紹介で少し話をした人だった。

結構深い側溝。

しかも右の後輪も落ちそうな状態。

ジャフを呼んだ方がいいかなあと思っているところ、ケンジさんがやってきた。 ジーっと這いつくばって状態をよーく観察していた。

そしてジャッキを設置。

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撮影報告 その10 義元孝司さん・松下照幸さん・杉原厚子さん・萌叡塾

「空想の森」はなぜか関西での上映が多い。 その中でもとりわけ滋賀県がダントツだ。 今回は、彦根を拠点に滋賀県・福井県で上映してくださった方々を訪ねての撮影の旅。 6月11日は彦根で、28日は東近江市の能登川で上映会もある。 2011年6月13日。 彦根から福井へ向かう。 米原から高速に乗る。福井に近づくと山道になってくる。 それを抜けると日本海が見えてくる。 美しい海だ。 しかしここには日本で一番多い15基もの原子力発電所が立っているのだ。 北陸自動車道・杉津(スイヅ)サービスエリアから、敦賀湾をのぞむ。 2008年10月。初めて自主上映をやってくれたのが、福井の玉井さんと義元さんだった。 あれから「空想の森」といっしょに日本全国を上映して歩いている。 2011年3月11日の大震災と原発事故を機に、今、上映会で縁ができた人たちを訪ね、撮影をしている。 2年8か月ぶりに訪れた玉井よろず研究所。 まず、玉井よろず研究所で、お互いの近況を話した。 玉井さんは上映会の時も、福井県の様々な方を紹介してくれた。 今回も2日間に渡って福井で原発に反対し続けている人のところへ連れて行ってくれた。 義元孝司さん。 まずは、いっしょに上映会をやってくれた義元さんのところへ早速撮影に向かう。 義元さんは相変わらずとても元気に若者たちといっしょに農業に取り組んでいた。 よろず研究所にもどり、玉井さんのインタビュー撮影。 植物が好きな玉井さんは、まだ原発がなかった昭和30年代、学生の頃、敦賀湾をぐるっと歩いた。 そのことが自分の原点になったのかもしれないと私に話してくれた。 そしてその当時の敦賀の海や山や植物のことをノートに克明に記していた。 その年季の入ったノートを見せていただいた。 本当に事細かに記録してあった。 素晴らしい、美しいという言葉が随所にあった。 夜は玉井さんと義元さんと3人で飲みに行く。3年ぶりの再会で、大いに語り合った。

玉井美喜子さん。私の旅ノートにメッセージを書いてくれた。 この日は玉井さんの家に宿泊。 奥さんの美喜子さんとも久しぶりに話をして楽しかった。 2011年6月14日。 玉井さんの運転で福井県美浜町の「どんぐり倶楽部」へ。 代表の松下照幸さんにインタビュー撮影。 玉井さんが事前に話をしてくれているのですぐに撮影開始。 松下照幸さん。 松下さんはとても穏やかなやさしい話し方をする方だった。 高校生の時に美浜に原発誘致の話がきた時は、夢のエネルギーだと思っていたそうだ。 そして美浜に原発が建った。 しばらくするとそこで働いていた人が病気になり亡くなった。 そこで松下さんは初めて何かおかしいと感じたそうだ。 それから原発のことを勉強しはじめた。 それからずっと原発に反対し続けている。 松下さんは時々言葉に詰まり、涙を浮かべながら私に話してくれた。 穏やかな松下さんが、原発事故の話になると、時々激しい言葉を使う。 どれほどの悲しみと怒りを抱えながらこの町に暮らしているのか…。 松下さんは美浜町議も何期か務め、たった一人、原発反対を言い続けた。 この町で原発反対と公言しているのは今も松下さん一人だそうだ。 今、松下さんは放射能に頼らずに誇りをもって働き、生活できる町づくりを提案しようとしている。 杉原厚子さん。 そして玉井さんは敦賀の杉原厚子さんのところに連れて行ってくれた。 大きな家の大きなキッチンに通された。大きなテーブルにたくさんの料理が並んでいた。 […]

滋賀県彦根市にて 2011年6月11日

「空想の森」感想いろいろ

2011年6月11日 滋賀県彦根市

彦根市男女共同参画センター(ウィズ)会議室にて

上映してくれた人:奥田好香さん ありがとうございました!

 

食事のとき、田代さんとお話しできてよかったです。エネルギーシフト、実現するように!

(女性・精神保健福祉士)

 

 

農家の一年のご苦労を久しぶりに思いおこすことができました。あまりにも**を問わず手に入る世の中で新鮮な感動を受けました。8年前くらいから畑を借りて殆どの野菜をつくっていますが、あらためて生物なので私たちをいかしてもらっていると思いました。日々追われる生活を送っていますが、時折今日のような考える(自分を振り返る)一瞬を意識的に作りたいと思います。

(女性・61歳)

 

奥が深くいかに食材を製造するという大変さを知り、一つ一つ心域をいただき感謝の気持ちで今後も食しなければと存じます。3/11以降どのように生きたらと…孫達の為人類の破滅…。私が出来ることは?心あせる思いです。このような機会をいただき、これも人生と情報を正しく伝えてゆきたいです。タヒチの人々にフェアトレード、家族、周囲の方々、仲間に世界の平和に貢献したいです。

(女性・66歳・自営業)

旅する映画 その97 彦根上映会と上原七子さん

会場にて。上映準備。

 

2011年6月11日。 前日に滋賀県彦根に到着。 奥田さんと昨年の沖縄トロピカルツアー以来の再会だった。

昨年のちょうど今頃、奥田さんが上映会を二日にわたって開いてくれたことが、遠い昔のような気がした。

新居がほぼ完成したばかりだった。

木の匂いがする家はとても心地よい。

私もこれから1か月、ここを拠点とさせてもらい、撮影・上映会に向かう。

自分の家の一部を開放して子育て中のお母さんに実家のように使ってもらいたいという、

奥田さんの夢がいよいよスタートする。

今回はその記念に「空想の森」の上映会を開催してくれた。

彼女は今までやってきたことを活かし、そして人のつながりを大事に着実に自分の夢に向かっている。

今回の上映会も県立大学の看護科の学生さんたち、友人などがたくさん手伝いに来てくれた。

若い人たちがいると活気がでてくる。

 

 

上映前にあいさつする奥田さん。

ここに 集まった人全員で大震災で亡くなった方々に黙とうをしてから奥田さんが挨拶をはじめた。 6月11日は全国各地で原発反対・脱原発のデモが行われていた。

滋賀県でも大津、高島などでデモがあった。

雨が心配された日だったが、曇りで徐々に天気が良くなってきた。 30人ほどの人が見に来てくれた。

大津上映会をやってくれた友の会の中居さん、杉本さん、京都からは上原七子さんも来てくれた。

七子さんは「空想の森」は3回目になる。

久しぶりにまた会えて嬉しかった。 先日青森県大間の大マグロックでお世話になったアコちゃんのお父さんも見に来てくれた。

上映後、私は新しい映画を撮影し始めたことと、そして、これからも撮り続ける青森県の大間原発の問題を話した。

そして大間原発建設反対の署名をお願いした。

ほとんどの人が署名をしてくれてとても嬉しかった。

 

そして、和茶庵さんたちがつくってくれた共働学舎のチーズをつかった軽食と和紅茶・冷茶をみんなでいただいた。

やはり話題は原発になった。

それぞれのテーブルで話がはずんでいてとてもいい時間を過ごした。 和茶庵さんたちも、今回の震災の後、どうしたら人がつながってゆけるか考え、

「ワンデイシェフ」という試みをもうすぐ始める。

みんなそれぞれの持ち場で出来ることをやっている。

これが大事なことだとつくづく思う。

 

 

みんなでおいしくいただき、無事上映会が終わった。 奥田さんの家に七子さんも泊まり、3人でお酒を飲みながら楽しい一晩を過ごした。

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撮影報告 その9 山北紀彦さん・恵理子さん・ラムヤート

2011年5月23日(月)

6:00起床。

まだ寝ぼけ眼の石川さんと内本さんと別れ、早朝の船に乗った。

かたつむりスピードのみんなとまた一緒になった。

リーダーのクロゴメさんと話をした。

彼は苫小牧で「オールド」というバーをやっている。

「空想の森」を店で上映してくれる気になっていた。

「まず、試写を見て映画を気に入ったらでいいからね」と私は言った。

 

函館に着いた。まだ朝の8時半。

こなひき小屋の親方が教えてくれた早朝から営業している「しんわの湯」に直行。

温泉に入り、少しゆっくりした。どっと体の疲れを感じた。

厚沢部の山北紀彦さんに電話してインタビュー撮影をお願いした。

今日これからオッケイということになった。

そして七飯のこなひき小屋に寄り、パンを買った。

おかみさんと親方に大マグロックのことを少し話す。

親方に山北さんの家への行き方を教えてもらい厚沢部に向かった。

この日は山北さんの家に泊めてもらうことになった。

 

山北さんはN’DANAのメンバーで太鼓たたき。

まだお互い20代の頃からの友人。

厚沢部の清和小学校の横に山北さんの家はあった。

小高い丘のてっぺんで、なんか気持ちのいい場所だった。

山北さん、奥さんの恵理子さん(エリー)とまず、今回の震災と原発事故についてひとしきり話をして情報交換などをした。

特に原発事故、そして高濃度の放射性物質が海や大気、土壌に流れ出ていることに、山北夫婦は恐怖を感じ、

どうしたらいいのか真剣に考えていた。ガイガーカウンターを買って毎日数値をはかり、記録していた。

私はガイガーカウンターを初めて見た。

私が見た中では0.08~0.15マイクロシーベルトの値を推移していた。

これは新聞などに発表される数値よりも高いそうだ。

山北さんは事故以来、家の使用電気を9割カットし、極力電気を使わない生活を始めた。

暗くなったらろうそくを灯す。

この生活になって、明るいうちに夕飯を食べ、暗くなったら自然に眠くなり早く寝るようになったそうだ。

 

山北さんの携帯が鳴った。かたつむりスピードのクロゴメさんからだった。

今からかたつむりスピードのメンバーたちが遊びに来るとのこと。びっくりした。

さっき船で別れたばかりだったのに。

彼らと私はよっぽど縁があるのだなあ。

 

まもなく彼らはやってきた。私は撮影を始めた。

「江差にじいちゃんの墓があるので墓参りしてきたんです。

それで山北さんの家に寄ろうってことになって。」とクロゴメさんは言った。

山北さんとかたつむりスピードはお互いの音楽のファンなようだ。

小一時間ほど話をして彼らは苫小牧に帰っていった。

それから、山北さんのお気に入りの近くの山を案内してもらった。

ブナのある山は、実に緑が瑞々しい。

少し歩いただけだけど、気分がリフレッシュされた。

山北さんが厚沢部を好きな気持ちが伝わってきた。

晩のおかずにたらんぼを少し摘んで帰った。

 

そして山北さんのインタビュー撮影。

途中どんどん暗くなっていって最後は真っ暗な中話していた。

夕飯はろうそくの明かりで食べた。

なかなかおつなものである。

山北さんも私も言いたいことを話しまくり、何だかさっぱりした気分になっていた。

山北さんはタイコで、私は映画で、これからやれることをやっていこうと。

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