2011年3月11日。14時46分。
この時から日本は大きく変わりました。
この日から1週間くらい、私は何かわからないけれど、ひどく動揺していました。
自宅で大きな揺れを感じた直後から丸4日間、テレビやネットから配信される情報から、目が離せませんでした。
リアルタイムで津波が沿岸部を飲み込んでいく映像。
燃え続ける町。まるで爆撃を受けたかのような壊滅状態の町。
テレビのテロップでは死者・行方不明者数がどんどん増えていく。
それに加えて福島原発の非常に深刻な事故。
悪夢のように次々と原発が爆発。
そして放射性物質が流出。
水、食べ物、海、大気、そして人間も汚染されていく。
これが今、現実に起こっているのです。
これからどうなっていくのだろう。
心臓がバクバク、不安と恐怖がおしよせました。
今起こっている事柄が頭の中で処理できない中で、何も手につきませんでした。
被災地の人たちの今、そしてこの先のことを思うと胸が痛みます。
そして自分の非力を思い知らされました。
命からがら逃げてきた70代の女性が、テレビのインタビューにこう言いました。
「若い人がたくさん亡くなっているのに、私のような年寄りが生き残ってしまった」
こんなことを言わせてしまう状況がとても哀しい。
生きていくには希望が必要です。
希望はどこにあるのでしょうか。
私はいい事が考えられなくなり、悪いことばかりがぐるぐると頭の中を回っていました。
そして気持ちは滅入っていきました。
帯広の町は穏やかで平和でした。
でもきっと、どの人も、この震災で今起きていることが、頭の中にあるに違いありません。
日がたつにつれ、ネットやテレビで、この震災の全容が少しずつ明らかになってきました。
私は考えていました。
何が出来るのだろうか、どうしていったらいいのだろうか。
2011年3月11日に起こったことは、日本中の多くの人に影響を与え、
これから先もずっと、体のどこかにそれを抱えていくことになると思うのです。
私たちはこの未曾有の震災と原発事故に何を感じ、何を思い、そしてこれから先、希望をどう見出そうとしているのか。
それを記録しようと私は思いました。
そこから、何かが見えてくるのではないかと。
見えてくるのか、はたまた何も見えてこないのかはやってみなければわかりませんが。
日本が根底から変わっていかなければ、今抱えている様々な問題がこの先もずっとついてくるということ。
そのことが今回の大震災でよくわかりました。
そこでまず私は、今まで「空想の森」の上映に関わってくださった全国各地の人たちに聞いてみたいと思っています。
そこから始めていきたいと。
「空想の森」の上映活動も続けていきます。
撮影の準備をすすめながら、皆さんに取材・撮影をお願いしていきたいと考えています。
後ほど個々にお願いをしようと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。
核分裂させて電気をつくっている場合ではない。
生身の人間が面と向かって話して起こる化学反応をたくさん起こしたいと私は思いました。
2011年3月21日 田代陽子
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