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旅する映画 その81 トロピカルツアー 波照間島 vol.17

2010年12月12日。晴れ。

なんだかんだでアッという間に時は過ぎていく。

私は気分は高揚しているのだが体はかなり疲れがたまってきている。

9:00過ぎ、朝食。

朝食後少し部屋で休んだ。

奥田さんが今日の最終便で石垣に戻る。

天気がいいので、星さんは奥田さんを港に送りがてら、島を案内してくれた。

コート盛の少し先に学童慰霊碑がる。

戦争中、波照間の子供たちが西表に強制的に疎開されられ、マラリアにかかり多くの命が失われたのを慰霊するためのものだ。

説明する星さん。

学童慰霊碑から西表島をのぞむ。うっすら水平線に見えるのが西表島。

この碑は西表の南風見田(はえみだ)の浜に向かって建っている。

西表でまゆみさんに案内された忘勿石の傍らにも碑があった。

その碑にもマラリアで亡くなった学童の名前が記されている。

今日は晴れていて西表島がよく見えた。

南風見田の浜の白い砂浜がうっすら見えた。

サンゴの浜。小さな浜。

緑と白と青のコントラストが目に鮮やかな浜なのだ。

サンゴの浜

ニシ浜。陽射しがあると深いブルーがいっそう引き立って見える。

12月に真夏の世界にいるのがやっぱり不思議な感じだ。

シュノーケリングでもしたくなってくるが、上映の旅が終わるまで体調を崩さないようにしなくてはいけない。

ガマンガマン。

16:45の最終便で奥田さんで帰っていった。

星さんは船が見えなくなるまで手を振って見送っていた。

そして星さんは、第二コート盛と呼ばれるところに、夕陽を見に連れて行ってくれた。

素晴らしい夕陽だった。

太陽が海に沈むまでしっかりと見たのは初めてだと思う。

空と海と雲。刻々と変わる色。

またこの島にゆっくり来たいと思った。

星さんと二人で夕ご飯。

野菜がたっぷりで私は星さんの料理が大好きだ。

明日はこの集落できび刈りを一緒にやりたいと思っていたのだが、体が疲れていて少し風邪気味なので大事をとってやめることにした。

ほんとはすごくやりたいのだが・・・。

映画をいっしょにつくった録音の岸本くん、撮影の一坪くん、整音の久保田さん、英語字幕の山之内悦子さんに電話をしてトロピカルツアーの報告をした。

昨日仲底商店で、あがた森魚さんの話になり、どうしているかなあと思い、あがたさんにも電話をし、ひとしきり話す。

それから那覇でお世話になった直美さんにも電話。

日本最南端の島で、私はみんなととても近くにいるような感覚になった。

夜、外に出て空を見上げると星がたくさん見えた。

ちっぽけな自分だが、満たされた気持ちだった。

[…]

旅する映画 その80 トロピカルツアー 波照間島 vol.16

2010年12月11日。曇り時々雨。上映日。

8:00過ぎ。朝食。

量も程よくおいしくいただく。

西表島のまゆみさんから12月15日、大富公民館で上映できないかとメールが入る。

もちろん、追加上映としてやることに決めた。

名石売店で働くチエちゃん

今日の夜が上映なので、集落を宣伝に歩く。

波照間島は周囲やく10キロ、人口約500人。

島の中央の高台に5つの集落が隣接している。

各集落に一つ売店がある。 上映会場のある名石集落の売店にはポスターが張られていた。

中では千恵ちゃんが働いていた。

彼女は今日の上映会を手伝ってくれる。

右から、ショーマ、タケシ、後ろを向いているのがユウナ。その向こうがフウチ。

中底商店の前で、ナオコさんの子供の武司(タケシ)くん、ユウナちゃん、花HANA食堂の子供の翔馬くん、中底商店の親せきの仲底雨海地(フウチ)くんが遊んでいた。

ひとしきり子供たちと話をした。

ナオコさんの子供たちとは昨日から顔を合わせていたので、昨日よりも打ち解けた感じだった。

島の子供たちはみんなかわいい。

この島の子たちも、高校生になるとこの島を出て行くのだ。

仲底商店に入った。レトロな感じのしゃれたお店だった。

ここにも映画の宣伝がされていたので挨拶をすると、仲底美貴さんやスタッフの方たちとひとしきりおしゃべり。

今日はスタッフみんなで見に来てくれる。

「空想の森」のチラシの裏にあがた森魚さんのコメントが載っている。

何年か前、美貴さんのところにあがたさんから波照間でライブをやりたいと連絡があったそうで、そのあがたさんと「空想の森」が関係しているということで何か縁があると思ったそうだ。

いったん照島荘に戻り、自転車に乗り、西浜の方を目指した。

モンパの木(お土産屋)、あやふふぁみ(食堂)でランチ。

私はカレー、島野菜のピクルスを食べた。

とてもおいしかった。

どちらの店にもチラシがあったので店の人にご挨拶をした。

モンパの木。

集落の掲示板にもチラシが張られていた。

ナオコさんがんばってくれたのだなあと思った。

自転車で走っていると、向こう方から男の子が歩いてきて私たちに手を振っていた。

タケシだった。ショーマの家に遊びに行く途中だった。

私たちも誘われたが、上映の準備があるのでまた後でねと言って別れた。

それからタケシは走って行った。

15:00。奥田さんといっしょに会場のそばカフェあとふそこへ。

まず店の売り物のアクセサリーや木のスプーンやフォークなどを片付け、大きなテーブルを外に出す。

ソファーやテーブルを移動したり、物販や飲み物コーナーをつくったり。

大きなソファーを後ろと前に一つずつ配置。

なかなかゴージャスな席だ。

とてもいい雰囲気の劇場になった。

そばカフェあとふそこにて。楽音日和をかけながら、上映準備。

「私、音楽はあまり聴かないのですが、これは好きです!」という女性がいた。

新得バンドのみんなに知らせたい。

あらかたレイアウトが終わって、私は画と音の調整にかっかった。

スクリーンが年代物で右肩下がりになっていたのが気になった。

ナオコさんが天井のベニヤ板にネジをねじこみ、スクリーンの右肩を紐でひっぱって平行にした。

そしてスクリーンいっぱいいっぱい画を出し、音も調整した。なかなかいい画と音になった。

18:00ころ、龍ちゃんのお店のお惣菜が届き、みんなで腹ごしらえ。だんだん暗くなってきた。

[…]

旅する映画 その79 トロピカルツアー 波照間島 vol.15

波照間の宿・照島荘。

2010年12月10日。晴れのち曇り。上映会前日。

1便の船で石垣から奥田さんがやってくる。

宿のおかみ・星さんと港へ迎えに行く。

船から降りてくるなり奥田さんは「昨日石垣の港で陽子さんを見送っている時から波照間に行きたいと思っていました。」と言った。

そして星さんは私たちを、ニシ浜、ペー浜、島の最南端に案内してくれた。

天気がよく海の青のグラデーションが目に鮮やかに飛び込んでくる。

今の季節がわからなくなってくる。

まあるくあいた岩の間から見えるブルーがキラキラしていた。

ここに海ガメも泳いでいた。

全国の石が埋め込まれている。

ペー浜。ニシ浜より小さくていい感じ。

星砂がたくさんあった。

やどかり。

文代さんのヤドカリの話を思い出した。

その話は後日書きます。

午後。

機材セッティング。

ナオコさんが中学校から借りてきてくれたスピーカーやアンプ、ミキサーなどを店の中に運びこんだ。

14:00過ぎ、島でバンドをやっている龍ちゃんが、休憩時間にセッティングに来てくれた。

骨折していて不自由なのにセッティングをやってくれたリューちゃん。

みのる荘の息子さんで働き者。

縄跳びをしていてで骨折したらしい。

音はすんなりと出たが、DVDデッキで画が出なかった。

ナオコさんが学校に電話をかけて必要なコードの手配をしたりして、なんとかパソコンで画が出るようになったが、差し込み口の接触が悪く、画が出たり消えたりとても不安定な状態だった。

それでDVDデッキでもう一度チャレンジしてみたら今度はちゃんと画が出たのでホッとした。

一時はどうなることやら心配だったが、3時間くらいあれこれやってようやくなんとか上映できることが確認できた。

龍ちゃん、ナオコさんありがとうございました。

店ではすでにパンフとCDを販売してくれていた。

ナオコさんは非常に段取りがよく、効率的にモノゴトをすすめてゆく。島中に「空想の森」のチラシ・ポスターが張ってあった。

小さい子供が二人いて、店も一人で切り盛りしながら上映会の準備はさぞかし大変だったろうと思う。

本当に感謝です。

「せっかく苦労して機材をセットしたし、上映翌日の日曜日、ここで近所の子供たちを集めて何かDVDを見ようかな。」とナオコさんが言った。

それはとてもいいアイデアだ。

この島は映画館もレンタルビデオ屋も本屋も図書館もない。

大きな画面と大きな音でみんなで観たら、子供も大喜びするはずだ。

それから今度はパソコン仕事。

ナオコさんのところで私のパソコンでネットがつなげるように、ナオコさんのパソコンを設定した愛媛県の林さんとやりとりをした。

夜7時半過ぎ、ようやく目鼻がついた。

しかし結局つながらなかった。

宿に戻ると、奥田さんと男性2人のお客さんはすでに夕食を食べ終わっていた。

私は遅れて食事をしながら今日あったことを話した。

星さんの手づくりの食事はとてもおいしく、みんなで話しながら食べると更においしく感じる。

照島荘は居心地のいい宿なのだ。

奥田さんもこの宿と星さんが大好きになったようだ。

明日はいよいよ上映会本番だ。

[…]

旅する映画 その78 トロピカルツアー石垣島から波照間島へ vol.14

2010年12月9日。石垣から波照間へ

ぱいらんどのオバア。

石垣・民宿ぱいらんどにて。 朝ごはんの時、オバアの昔話を聞く。戦後間もない、オバア4歳の時、本島から南大東島に家族で船で渡って行った。

今の難民船のような船にたくさんの人が乗り込み、1週間で着くと言われていたのが、結局1ヶ月もかかった。

オバアは一人っ子で、父親が鍛冶屋だった。家はクバの葉でつくった。

屋根や壁はクバだったそうだ。南大東島はハブがいないので、隙間だらけの家でも大丈夫だった。

涼しくてとっても快適だったそうだ。

土地を開墾し家をつくり、まさに自給自足の暮らしだった。

「早く子供をたくさん産んで両親を楽にしてあげたい」と、オバアは小さい頃から思っていた。

船の中で一緒になった人たちは島南大東島に渡ってからも、家族のように付き合い、苦楽を共にした。

オジイは両親と7人の兄弟の次男で14歳の時、一人島南大東島に渡った。

それから農業などをして基盤をつくり家族を呼び寄せた。

そしてオバアが16歳の時、オジイに恋をして17歳で結婚。

それから毎年子供を産み、5人の子供に恵まれた。

子供を食べさせて行くために、日本全国様々なところに出稼ぎにでた。

現在暮らしている石垣島にも出稼ぎで来たのだが、オジイがここを気に入り、今はここで民宿を営んでいる。

石垣に来て15年になるそうだ。

そして38歳でオバアになり、今では63歳で21人の孫を持つ。

波乱万丈なオバアの人生。

オバアは生きることのつらさ、しんどさ、そして喜び・面白さも大いに味わっている人だ。

あむりたの庭、そして音楽の宮本進吾さん。

智子さんと奥田さんと3人で石垣の上映会場のあむりたの庭、そして音楽へ。主催してくれる宮本さんに挨拶をした。

今年の1月、ひょんなことで彼と出会ったことで、今回のツアーが実現した。

それから私は船で波照間に渡った。

奥田さんがフェリー乗り場まで見送ってくれた。

道すがら西表島にもっといたかったよねなどと話していたら、西表できび刈りを教えてくれた嘉本さんばったり会った。

びっくり。

石垣の船乗り場。この船で波照間に渡る。今年の8月に就航したばかりの双動船。欠航が少なくなったそうだ。

日本最南端の島・波照間へ。 奥田さんと別れて、船で波照間に向かった。

波もなく穏やかな海がどこまでも続いていた。

波照間。ニシ浜。

照島荘の星日出子さん。

港につくと、お世話になる宿の照島荘の星日出子さんが迎えに来てくれた。

以前はこの宿のヘルパーだったのだが、この宿をやっていたオバアができなくなって、後を継いだのだそうだ。

波照間と照島荘をこよなく愛する人だ。

彼女の話を聞いているとこの島への愛情が伝わってくる。

島の中央が高台になっていてそこに五つの集落がある。

[…]

沖縄県・西表島・大原公民館にて 2010年12月5日 

「空想の森」感想いろいろ 2010年12月5日 沖縄県・西表島 大原公民館にて

上映してくれた人:鈴木一慶さん ありがとうございました!

船の中で、この映画の監督さんと会い、映画の上映されることを知りました。大変な労働にたえながら仕事に励んでいる人達に監督にも御苦労様でした。

(男性・76歳)

とても良かったです。もっとたくさんの人にも見てもらえたらよかったのになあと思いました。感じ方は、人それぞれだろうけど、自分は観てよかったと思いました。人に触れ合う事は、とても大事だと思いました。もっとたくさんの人に会いたいと思いました。

(21歳・女性)

心があたたまり、色々な事を心から感じさせる良い映画でした。昨日も言いましたが、内地から西表に来た時に感じたことと同じような事を感じました。命や自然、人とのつながりの大切さ、有難さ、食べること生きることの重要さ。また、生きていく上で大切なものとは?というものが、はっきりと感じとれました。内地の不便のない生活の中では感じれないものを、この映画を通じて、もっと多くの方も見たら良いと思いました。とても素晴らしかったです。

(女性・26歳・飲食業)

「空想の森」を見た時、私の妄想とかなりリンクしてすごい参考になりました。私はここ、西表島でショートムービーを作りたいなと思っていて、形にした田代陽子監督が素晴らしい!本当に人との出会いは力を与えてくれて、人と人はつながっていくのだと感じた映画でした。Nice to meet you,keep in touch Yoko.

(男性・31歳・農業)