2010年12月13日。晴れのち曇り。
照島荘の裏手はこんな感じです。
9;00。朝食。
やはり少々風邪気味だ。
今日も夏のように暑い。
波照間は家の裏に畑をつくって野菜をつくっている人が多い。
夏は暑すぎて野菜ができない。
今からが野菜のシーズン。
北海道と逆なのだ。
9:30。
ナオコさんの店へ、機材の撤収や店の復旧。
千恵ちゃんも手伝いに来てくれていた。
昨日、近所の子供たちを集めての上映会もなかなか良かったそうだ。
機材をばらし、車に積み込む。
ナオコさんと小学校と中学校に返却に行く。
隣接していて校庭も広々している。
小学校は24人、中学校は10人ほどの生徒がここで学んでいる。
さすが南国は校舎のつくりが開けっぴろげで開放的だ。
私たちが教室の脇を歩いていると中の先生が「こんにちは」なんて挨拶してくれる。
映画を見に来てくれた仲底校長先生ともお礼がてら少しお話をした。
この先生は生まれも育ちも波照間。
どうしてこの島で上映したのかを聞かれた。
そして今度は南を撮ったらどうですかと言われた。
西表でも石垣でも映画を見た人にそんなことを言われていたので、それもいいかもと思ってきた。
店に戻り、テーブルを元の位置に移動したり、お土産の小物を並べたりした。
ここは以前は住居スペースだったそうだ。
普通の民家だったのを、ダンナさんの周二さんが改装したのだそうだ。
島の男は暮らしに関するたいがいのことは自分できるのだそうだ。
そんなこんなで、ナオコさんと色々な話をしていて、お互い違う環境にいるけれども、何か通じるものを感じられ、それがとても嬉しかった。
片付けもあらかた終わったので、私は店のデッキでパソコン仕事をしていた。
お昼過ぎ、ユウナが「ただいまー!」と幼稚園から帰ってきた。
ナオコさんが焼きそばをつくっている脇でユウナがナオコさんに今日あったことなどを話していた。
そしてばあちゃんと3人でご飯を食べ終えると、ユウナは「遊びに行ってきまーす!」とまた元気に友達の家へと走っていった。
私は照島荘に戻り、お昼ご飯を食べさせてもらう。
「3時で休憩に入るから、その前に少しだけきび刈りをやりに行こう。
この島はゆいでやっているからそれも見ておいた方がいいよ。
もしかしたらそのうち映画に撮るかもしれないんだから。」と言って、星さんの暮らす北部落のきび狩りを少しだけ体験させてもらった。
波照間は結できび刈りをしている。
同じ集落の人のきび畑を順繰りにみんなで刈るのだ。
10人以上の人たちがきび刈りをしていた。
私も挨拶をして、西表で習ったようにやった。
やり方は同じだったが、波照間はきれいにしたきびを置く場所に2本杭が立っていてその間にきびを置く。
その際、カーブーを同じ方向にそろえておく。そうすると後で集めやすい。
体の調子がよければもっとやっていたい作業だ。
3時になると「ピー!」と笛が鳴った。
休憩の合図だ。
少しだったけど、波照間でもきび刈りができて嬉しかった。
星さん、ありがとうございました。
西表のまゆみさんから電話がきた。
15日は大富公民館で19:30から上映開始するとのこと。
機材は、一慶さんがきび刈りの後セッティングしてくれることになったそうだ。
よかった。これで上映は大丈夫だ。宿はゆうわ村になった。
まさかこんなに早く西表島に戻れるとは思ってもみなかった。
一慶さんに電話をすると「こんなに早く西表で再上映ができるなんて。」と喜んでくれた。
照島荘で最後の晩餐。
今日のお客さんは私一人。
星さんは大好きなワインとチーズを出してくれた。
今夜はとても蒸し暑かった。
ビールも78円の発泡酒の方が、高いオリオンビールよりうまく感じた。
島には駐在さんが一人いる。
星さんが前の駐在さんで、島の人たちみんなから慕われた人の話をしてくれた。
その人は島の行事に積極的に参加し、欠かせない人になった。
とても親切で子供からオジイオバアまでみんなから慕われ、2年の任期だったのを、島の人がもう一年延長して欲しいと著名活動も行ったそうだ。
そして3年間この島に駐在した。
3年たった別れの日、港には子供からオジイオバアまで大勢の人が駐在さんを見送りに来て、別れの船にはたくさんのテープがかかったそうだ。
駐在さんも涙をぼろぼろ流していたそうだ。
フェリーの船長も気を利かせて、見送りの人達が少しでも長く見送れるように港を出るギリギリまでバックで運転してくれたそうだ。
なんて感動的な話だろう。
星さんにはこの間本当にいろいろお世話になった。
とても気持ちのいい人で、照島荘にもうしばらくいたかった。
波照間の照島荘に星さんいると思うだけで、なんだか私も嬉しくなる。
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