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旅する映画 その76 トロピカルツアー西表島 vol.12

2010年12月7日。風強し。少し寒い。

5日の上映会に見に来てくてた山城まゆみさん。
15年前に東京からやって来て、この島で農業を営む人と結婚し、3人の子供を育てている。

イラストレーター、ライターなど様々なことをしている活動的で魅力的な女性。

この日、まゆみさんが私と奥田さんを車にのせて島の西の端から東の端まで案内してくれた。

東の端っこの浜。


西表島の東部の集落は戦後に開拓されたところが多い、ということをまゆみさんから聞いて初めて知った。

古見や祖内という集落はずいぶん昔から人が住んでいて、今も昔から伝わる祭ごとなど行事がたくさんある。
かつて西表島はマラリアがはびこるジャングルだった。

戦時中、日本軍が波照間島の人たちを強制的に疎開させた。

そしてたくさんの人たちがマラリアで苦しみ、この島で死んでいった。

戦後生き残って波照間島に帰った人たちも、マラリアで多くの人が死んでいった。

識名信升校長先生の字が刻まれている。

生徒と一緒に疎開してきた識名信升校長先生が浜の岩に刻んだ文字が戦後になって発見された。

「忘勿石」と刻まれていた。この地でおこった悲惨な事実を忘れ勿れという思いが込められている。

現在は発見されたこの岩の脇に、石碑が建てられている。

戦後になってアメリカ軍により、マラリアが撲滅された。

戦後直後、沖縄の島々の人たちの暮らしはひどく大変だった。

長男しか土地を継げないということもあり、西表に活路を見出そうとした人々が移住してきた。

ジャングルだった島を開拓したのだった。

家をつくり、畑をつくり、道をつくり・・・。

だから、今のオジイ、オバアはジャングルを開拓してきた一世なのだ。

ジャングルをかきわけてきた西表島の開拓の歴史はそれほど遠い話でもない。

今も開拓途中であるのかもしれない。

左から石原孝子さん、山城まゆみさん。

まゆみさんがやっている活動の一つに、「西表文化交流推進会」というものがある。

彼女が会長で、副会長が孝子さん。

石原孝子さんは古見という集落で、だんなさんと農家民宿を営んでいる。

農家もやっていてさとうきびなどをつくっている。

中を見せていただいたが、とてもくつろげそうだった。

次に西表に来た時はここに泊まろうと思った。

そしてカヌーでマングローブの川をゆっくりとのぼってみたい。

ここが民宿です。

川の岩に丸い穴があいている。これは「ポットホール」という。

上流から流されてきた石がつっかかって同じ場所でクルクルまわっているうちにできる穴だそうだ。

西表の子供たちは15歳になると島を出る。

高校がないからだ。

なのでそれまでに3つのことやってから島を出て行くという。

一つは仲間川のいかだ下り。二つめは島の最高峰古見岳(469.5m)を登る。

三つめは西表島の山の縦断。

伊谷美穂さんとお子さん。西表エコツーリズム協会にて。

美穂さんは西表に来て7年。

だんなさんと一緒に西表エコツーリズム協会の活動をしている。

「未来に残しておきたいもの」と題して、西表だよりを発行している。

このたよりのイラストをまゆみさんが担当している。

現在2号が発行されている。二人は次回号の打ち合わせをはじめた。

西表島は年中行事が祭ごとが実に多い。

まゆみさんも、ここでの暮らしは旧暦と潮の満ち引きの時刻が日常にかかせないなんて言っていた。
人の暮らしに年中行事が密接に関わっているから集落や人とのつながりが強い。

とはいっても現在はライフスタイルも変わってきてそれがだんだんと薄れていっているようだ。
美穂さんは自分の集落のことだけでなく、島全体として、八重山全体としてどうしていきたいのかという視点がとても大事ではないかと言っていた。

美穂さんの暮らす干立は、今も昔からの祭ごとなどが行われている集落。

美穂さんは最近家を建てたそうだ。

完成した時、土地の神様に、これからよろしくおねがいいたしますと挨拶する「ジー二ンガイ」と家の神様に挨拶する「ヤーターカビー」という儀式をしたそうだ。

この集落で昔から行われていることだそうだ。

干立集落の結界。にんにくと塩がつるされている。

集落に邪悪なものが入ってこられないように結界を張ってある。

干立の集落。

道幅が狭く、家同士も近くにある。

東の端の白浜。

道路はここまで。

道は島1周は通っていない。

西表は島なのに山が幾重にも重なって見えるところかあり、雄大な印象を受ける。

星砂の浜。

最後にまゆみさんの家に行った。

大富という集落にある。

夫の富正さんが、さとうきびとカボチャをつくっている農家だ。

西表島は12月8日から、さとうきび刈りがいっせいにはじまる。

まゆみさんの家でも8人のアルバイトの若者たちが全国からやってきた。

前夜祭に私たちもお邪魔させてもらい、いっしょに晩ご飯をいただいた。

西表は今がいのししのシーズン。

ここでもまたうまいいのししを食べさせてもらった。

骨についた肉をバーナーであぶり、薄くスライスした肉をにんにく醤油につけてて頂いた。

うまいのなんのって。

脂身と皮がほんとにうまい。

富正さんが極上のものだよこれは。と言っていた。
富正さんは、実にカッコいい男だった。

島の男って感じだ。

この人が働いている姿を見て見たいなと思った。

明日からいよいよさとうきび刈りが始まる。

ほぼ毎日4ヶ月続くそうだ。

体力的にかなりきつい仕事だそうだ。

バイトの人たちの中には初めての人もいたけれど、もう何年も来ているベテランの人もいた。

みんなそれぞれ、色々な思いでやって来ているのだろう。

これから日々、いくつものドラマが生まれるんだろうなあと思う。

山城家のさとうきび刈りのバイトにきたみんなと。右端は奥田さん。

2 comments to 旅する映画 その76 トロピカルツアー西表島 vol.12

  • はじめまして。知り合いからこの映画のことを聞いて興味を持ち、ブログを覗いてみたのですが、この古見の石原さんの民宿、泊まった事あります。ほんとにのんびりとしたいい所でした。 このブログで西表島の色々な風景を見させて頂いて、癒されました。ありがとうございます。

    ちょっと記事の中で気になったのですが、<西表島は戦後開拓の島>といのは、地域によってですよね? 戦前から続く古い集落もいくつかあったと思います。炭坑の歴史などもありますし。

    映画の方も近場で上映の機会があったらぜひ見に行きたいと思います。

  • 田代陽子

    コメントありがとうございます。12月5日の西表島大原公民館での上映会でみてくれた人が、
    今日15日、また上映会をやってくれることになりました。今回は違う集落・大富公民館で19:30から上映します。
    そして今回の宿は、石原さんのゆうわ村です。ほんと、素晴らしい宿です。
    まさかこんなに早く西表に戻って来られるとは思ってもいませんでした。
    それからご指摘ありがとうございました。その通りです。
    東部が戦後開拓の集落が多く、古見祖内は古くから人が住んでいる集落でした。
    今日石原さんから聞いて、訂正しようと思っていたところです。
    「空想の森」はまだまだ上映の旅を続けますので、お近くで上映がある時はぜひ見にいらして下さい。
    上映情報はHPにアップしますので、時折のぞいてみてください。

    田代陽子

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