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旅する映画 その53 滋賀会館シネマホール物語 part.5

ロビーにて。左から瀬藤さん、原田さん、坪山さん、私。

2010年2月28日。 私たち、やったぜ!滋賀会館に花が咲いた。

最終日、70人のお客さんが朝から劇場に足を運んでくれた。

活気があふれていた。 共働学舎のチーズは連日飛ぶように売れ、足りなかったくらい。

全て完売した。 1週間のトータルでなんと230人の人たちが観に来てくれた。

なんと京都シネマの150人を大きくうわまわった。

「快挙です!」と劇場のスタッフの野田さんが言った。

劇場スタッフと、今まで「空想の森」を上映してくれた前田さん(余呉の野良師)、原田さん(大津)、岩田さん(ブルーベリーフィールズ紀伊國屋)、奥田さん(彦根上映委員会)、そして彼らの仲間たちが一丸となってやった結果だ。

連日のイベントで色々あり、毎日がドラマだった。

どんどんチームワークがよくなり、最後、みんながいい顔をしていて、本当にやってよかった。私もやることは全てやったから、この結果が嬉しくてたまらない。

お米の食べくらべの様子 上映後のイベント・米の食べ比べも40人以上の人たちが参加して大盛況だった。

初日にやった反省点を活かして、最終日の今日はスタッフ一人一人が役割を理解し協力しながらスムーズに準備がすすんでいた。 仁張将太さん。(くさつパイオニアファーム)

そして、どんな思いでどんな風につくっているのか、生産者の前田さん、仁張さんの話はとても面白く、参加者は身を乗り出して聞いていた。 お米をどう選んだらいいのですかという参加者からの質問に、仁張さんは、どんな人がどんな風につくっているかを見るのがいいと思うと答えた。いい答えだなあと思った。

前田壮一郎さん。(余呉) 作った人と食べる人が顔を合わせる場をつくることも、米作りの一部だと思うと言った前田さんの言葉も印象に残る。

参加者と生産者の自由なやりとりが楽しかった。 米作りが面白くて仕方がないのがにじみ出る若い仁張さんの話は人をひきつけていたし、かまどで米を炊き、それをにぎった感触を生き生きと話す劇場スタッフなど、それぞれの話は、感動と実感にあふれていて人の心にひびいた。 仁張さんや前田さんに共感するところが多かった。

そして私は、みんなで共有している今をしっかり体に感じようと思った。 岩田さんもとても楽しそうだった。

米の食べ比べイベントのため、朝6時から、かまどで米を5升たき、おにぎりをにぎるのに、生産者の前田さん、仁張さん、劇場スタッフの長尾さんなどなど、若者たちがこぞって手伝いにきてくれて、それがものすごく楽しかったようだ。

映画は見られなかったが、たまたま米の食べくらべに参加した北海道石狩で農業を営むはるきちさん。

交流会では自己紹介で、みんなが今自分のやっていること、そしてこれからやりたいことなどを語り、素晴らしい時間だった。 映画を観て、お米を食べ、その作り手たちと参加者たちが未来の希望を語り合うことができたこの会。

大げさかもしれないが、私が今までやってきたことは、全てここにつながっていたのだと感じた。

これこそ、私がやりたかったことだと。 そして、次は違う場所や形で、またいっしょにやっていこうねと言い合って、それぞれのフィールドに戻って行った。

なんてすごいことでしょう。 滋賀会館がこのような場になりうると私たちは証明できたことをとても嬉しく思った。

これから滋賀会館が3月に閉鎖になり、その後どうなるかわからないが、ここでこれができたことは、未来につながるとても意義深いことだと思う。

左から岩田康子さん。(ブルーベリーフィールズ紀伊国屋)、私。

そして滋賀会館2階の文化サロンで、夜の10時までみんなで語り合った。

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旅する映画 その52 滋賀会館シネマホール物語 part.4

ロビーにて。左から原田さん、坪山さん。

2010年2月24日。 9:20に劇場へ行き、お客さんを迎えた。

今日から28日まで朝10:00からの上映だ。31人のお客さん。

平日の午前中でこの数はすごい。 おばあさん三人組が後ろの方で観ていた。

画面を観ながら話をしていたというより、ついつい言葉が出てしまっているという感じで、それが上映の雰囲気を柔らかく温かいものにしていた。

ずっといっしょに観ていたかった。

今回音は大きすぎず、小さすぎずばっちりだった。

11:30。原田さんと坪山さんがやってくる。

原田さんは天然酵母パン、坪山さんはランチボックスをつくって27日まで連日ロビーで販売する。

劇場側では共働学舎からチーズを取り寄せて販売もする。

映画を見た後はお昼だ。

おなかもすくし、お客さんにきっと喜んでもらえるに違いない。 天然酵母パンは七本槍(富田酒造)の酒かす入りでプレーンとくるみの2種類。

ランチボックスはキッシュ、黒豆、厚揚げカレー風味、なますなどのおかず8種入り。おかずは日替わり。

ランチボックス。日替わりでいつも2種類用意してくれた。

チーズはレラ・へ・ミンタル、コバンだった。

しかしチーズが少なすぎた。

そして野田さんはどんな風にチーズを提供するか想像できなかったようだ。

チーズを扱った経験がない人には無理もない。

私は映画製作中に共働学舎のミンタルでアルバイトをしていてチーズを扱った経験があった。

なんとかしようと考えた。

まだ4日間あるのですぐに追加注文をした。

そしてサンドイッチにするのは無理だったので、原田君のパンをスライスし、その上にチーズをのせて一皿300円で販売するのと、モノが来たらそのままチーズを売ることにした。

坪山さん、原田君、野田さんにチーズの切り方など教えてサンプルをつくり、その場にいたスタッフみんなで試食をした。

パンもチーズもおいしいと好評だった。

原田君が焼いたパンとチーズ盛り合わせ。

上映後、案の定お客さんは一直線に食べ物の方へ。

私もいっしょに売った。

あっという間に全てが売り切れた。

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旅する映画 その51 滋賀会館シネマホール物語 part.3

浜大津・朝市の出店者の方たち

2010年2月21日。 浜大津・こだわり朝市にて 午前中、浜大津の朝市へ行く。

おいいしいものがいっぱいあり、多くの人でにぎわっていて、私は朝からテンションが上がった。素晴らしい朝市だった。

出店者の人たち・お客さんもみんないい顔をしていた。

会話を楽しみながら買い物ができるので、とても活気があるのだ。

私はこういうの大好き。

肉まん、鶏肉のだんご汁、クッキー、岩魚の塩焼き、ふりかけ、パン、佃煮、日本酒、ワインなどなど、こだわりの品々。

1周ぐるっとお店を見てまわるだけでも結構時間がかかる

。買ったお店で、映画の話をしてチラシを渡した。

みんな興味を持ってくれて、話もはずんだ。

大津ってほんとにうまいものを誠実につくっている人がたくさんいるのだなあと思った。

このこだわりの人たちを集めた末富さん夫妻はすごいと思う。

朝市を始めたばかりの頃は出店も少なく、お客さんも少なかったそうだ。

しかし今ではこの朝市に出店することはステータスになるほどの人気。

そしてすごい人数のお客さんが月に一回、この朝市めがけてやってくるようになった。

小川酒店

この日、小川酒店が出店していた。

試飲ができるのもあり、すごい人気。常に人だかりだった。

蔵元も来ていて、お客さんに酒をつぎ、解説してくれる。とても素敵な人だった。

あっという間に酒が売り切れていき、私が行った頃は、新種が2種類しか残っていなかった。

左が蔵元

もう一つ人気の店は、沖島のわかさぎのてんぷらだった。

琵琶湖には4つ島がある。

沖島は唯一人が住んでいる島。

その島の人たちが、とれたてのわかさぎをこの場で天ぷらにしている。

これにも長い行列ができる。

てんぷらの他には新鮮な刺身なども人気だった。

奥田さんも朝市に来ていて、彼女も満喫していた。

彼女が2年寝かせた酒(小川酒造)の小さい瓶を買っていたので、私はそれをいただきながら、わかさぎのてんぷらなど、買ってきたもので、朝ごはんを食べた。

朝からいい気分だった。

午後。ブルーベリーフィールズ紀伊国屋の岩田さんとの待ち合わせの場所・びわ湖ホテルに向かう。

福井県のおけら牧場の山崎洋子さんもいらしていた。

とてもエネルギッシュで魅力的な女性だった。

びわ湖を眺めながら、食べながら飲みながら、3人で色んな話をした。

日本の農業をどうにかしなくてはという話が中心だった。

というと堅い感じだが、そうでなくてすごく面白かった。

刺激を受けた。私はもっと話をききたかったし、話をしたかった。

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旅する映画 その50 滋賀会館シネマホール物語 part.2  

彼岸の頃。

この旅日記を書いている最中、本当に久しぶりに親友たちと食卓を囲み、深夜まで話をした。

お腹がよじれ、涙が出るほど笑った。

そうして笑い飛ばした翌日、春がやってきていた。

まだ雪をかぶっている日高山脈や畑だが、冬の冷たく張り詰めた空気越しに見るのと、柔らかく緩んだ空気越しに見るのとでは、その表情は随分と違う。

私たちはそれぞれ、まだ雪残る春の大地に一歩づつ、また歩き出して行くのだ。

2010年2月19日~28日、滋賀会館シネマホールで「空想の森」が上映された。連日関連イベントも開催した。

劇場スタッフ・空想の森近江応援団の人たちと笑い、泣き、食べ、飲み、想いを共有した。10日間、毎日がドラマだった。

2010年2月19日。 前日はあまり眠れず。

吹雪の中、帯広空港へ向かう。

今回は初日と2日目は18:30からの上映。

3日間の休みをはさんで2月24日~28日は朝10時からの上映スケジュール。

初日は上映前の17:00からお米の食べ比べのイベントから始まる。

私は無事大津に到着。彦根の奥田さんが迎えてくれて、滋賀会館4階の文化実習教室に直行した。

入り口には、今回の上映とイベントに協力してくださった「空想の森」近江応援団の名前が模造紙に張り出されていた。

彦根上映実行委員会の奥田さんが書いてくれたのだ。

そこにはずいぶんたくさんの名前があり、嬉しくなった。中に入るともう30人以上の人たちがいて、にぎやかだった。

余呉の前田壮一郎さん、大津の原田将さん、草津の仁張将太さん、ブルーベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さんも準備におおわらわしていた。彼らの顔を見てまた嬉しくなる。

受付には「おいしい」って何だろう?という、今日食べくらべをする滋賀県産の5種類のお米の解説を書いたものがあった。

コシヒカリ、キヌヒカリ源渡米、ミルキークイーン、日本晴、滋賀旭27号。

仁張さんが書いたそうだ。

裏にはこのイベントの主旨と協力者の名前がずらっと書かれていた。

なかなかいい説明書だ。

そして朝からこのお米1升づつ、カフェテリア結のかまどで丁寧に炊き、5種類のおにぎりをにぎったのだ。

紙皿にお漬物がそえられて、テーブルの上に並んでいた。

岩田さんは大きな寸胴鍋に味噌汁をつくっていた。

岩田さんの呼びかけで、京都大学の学生さんたち5人が手伝ってくれた。

奥田さんの呼びかけで近江八幡で和茶庵というお店をしている4人の女性たちも手伝いに来てくれた。

その中の一人、大谷園の若嫁・大谷衣里子さんは、ほうじ茶を出してくれた。

参加者は20人以上いただろうか。

5種類の形ににぎられたおにぎりを食べ、少ししてから、生産者の仁張さんと前田さんの解説が始まった。

仁張さんは緊張気味だった。

でも彼の話し振りから、米作りがおもしろくてしょうがないという気持ちが伝わってくる。

こんな若者を前にすると日本の未来も明るいと思ってしまう。

やはり、米はうまいわ。それぞれ食感や味が微妙に違った。

かまどで炊いたから余計においしいのかもしれない。

お味噌汁、お漬物、お茶もおいしく、参加者のみんなも満足気だった。

劇場入り口

私は上映の準備のため先に退席し劇場に向かった。

お米の話など、話が盛り上がったようで、みんな上映ギリギリの時間に劇場にやってきた。

劇場スタッフは瀬藤さんが一人でもぎりと映写の担当だ。

けっこう大変なのだ。

初日、30人ほどの入りだった。

まずまずというところか。上映の前にお礼とご挨拶をした。

いよいよ上映が始まった。音がずいぶん小さく聞こえたので、瀬藤さんに何度もボリュームを上げてもらい、ちょうどいい音量に調整してもらった。画もいい感じで上映環境はばっちりだ。

上映後はライブがあるので短めに話をした。

映画が完成してから今までどんな風に上映をしてきたかということ、どこへでも私が上映にいくので、自主上映をしたいと思ったらぜひやりましょうということ、自主上映の面白さ、大きなスクリーンで映画を観ることの面白さ、もうすぐ閉館になる滋賀会館だが、空想の森の上映と関連イベントで滋賀県の近江応援団の人たちといっしょに楽しくおいしく盛り上げていきたいことなどを話した。

[…]

旅する映画 その49 滋賀会館シネマホール物語 part.1

●滋賀会館シネマホールでの上映につながるまでのこと 滋賀県は琵琶湖の湖北・余呉町。

静かなたたずまいの余呉湖。

そこで米をつくっている若き野良師・前田壮一郎さんが、今から一年ほど前の2009年3月、「空想の森」を上映してくれた。 この上映がきっかけとなり、その後の10月、成安造形大学(滋賀県大津市)のカフェテリア結での上映へとつながった。

余呉に映画を観に来てくれた大津在住の原田将さんが仲間と主催してくれた。

そして、ここで映画を観てくれた彦根の奥田好香さんが、その場で、彦根上映会をやりますと宣言した。

上映の度に人がつながっていった。群馬県と同じような感じで、前の上映の主催者の人たちが、次の上映をしっかりと支えてくれた。

●滋賀会館のこと そんな人の縁から、滋賀県で唯一のミニシアターである滋賀会館シネマホールでの上映が決まった。

私は映画館という環境でまた滋賀県で観てもらえることを喜んだ。

しかし、この時点で滋賀会館シネマホールは2010年3月に、滋賀会館の閉鎖と同時に閉館がほぼ決まっていた。 滋賀会館は滋賀県の建物で、現在はテナントとしてシネマホールや喫茶店などが入っていたり、文化教室などで使用されたりしている。

昭和29年にオープンした同会館は、県内初の地下名店街、ホテルなどを有する先進的な複合施設として全国から注目を集めた。

特に1200席の大ホールは洋画の封切館であると同時に、演劇やコンサートなどの開催にも対応できた。

しかし県内の他の施設の充実により、文化振興の拠点としての役割が小さくなる一方、施設も老朽化。

県の財政も悪化。

これまでに、閉鎖の話が何度も持ち上がり、その度になんとか存続してきたのだった。

これが県庁です。

●宣伝に上映現場に行った時のこと そんな中、2010年1月、私は沖縄営業の帰りに、2月中旬の「空想の森」公開に向けての宣伝のために、初めて滋賀会館を訪れた。

何かなつかしい雰囲気のある建物だった。

古さがかえって味がある。道を挟んだ真向かいには、国会議事堂のミニ版といった風情の県庁の建物がそびえているのが印象的だった。 取材の合間に、シネマホールスタッフの瀬藤や野田さんと色々話をした。

仮に滋賀会館が存続になったとしても、シネマホール自体がこのまま経営を続けていくことは難しい状況の中、滋賀会館の閉鎖、シネマホールの閉館もいた仕方ないという何とも悲しく苦しい胸の内を垣間見た。

若い野田さんはこの滋賀会館に愛着があり、このまま終わりたくないという気持ちを持っていた。

部外者の私だが、ここでこのタイミングで上映になったのも何かの縁。

話を聞きながら私は、「空想の森」を上映することで滋賀会館に一花咲かせたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。

右がくさつパイオニアファームの仁張将太さん。

宣伝最終日、大津駅の近くの自然派イタリアンレストランで交流会を開いてくれた。

「空想の森」上映を成功させるために、劇場スタッフ、協力者の人たちが集まった。

そこで、上映だけでなく、イベントもやって盛り上げ、たくさんの人に滋賀会館に足を運んでもらおう!ということで、飲みながら食べながらみんなで話をした。 野田さんはイベントの中で滋賀県の農産物の生産者と消費者を直接つなげたいという思いを持っていた。

それで、何かいっしょにやりたいと、この場に草津パイオニアファームで米をつくっている仁張将太さんをよんでいた。

とてもいい顔の青年だった。

そのイベントを野田さんが中心となってすすめていくことになった。

そして私は早速、余呉の前田さんと彦根の奥田さんを野田さんに紹介した。