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旅する映画 その42 函館上映会

2009年9月27日。 6:30。起床。

今日はいよいよ上映会だ。

函館市民会館小ホールで3回上映をする。

長い一日になる。

しっかり朝ごはんを食べた。

7:45。

佐々木さんが宿に迎えに来てくれ、彼女の車についていく。

駐車場に車を止め、機材・物販のものなどを滑車に積み、3階の小ホールへ。かなり広い。

平席で100脚ほどパイプ椅子が並べてあった。

後方には掲示物がパネルに展示されている。

映画にも登場したチーズ職人の山田圭介さんが、独立して七飯にやってきてチーズをつくっている。

その山田農場に函館映画鑑賞協会の方たちが訪問したことが写真もまじえて展示されていた。

長テーブルにお茶などの飲み物が用意され、休憩スペースも作られていた。

私は映像と音のチェック。

スクリーンの真ん中に傷があり、かなり気になった。少し小さくなるが、傷のないスクリーンを使うことにした。

音は少しこもり気味だか、それ以上調整はできないのでよしとした。

[…]

旅する映画 その41 いざ函館へ

2009年9月26日。 8:00。

私は函館に向かって車を走らせた。

3日前に空想の森映画祭の片付けが終わったばかり。

疲れと高揚感がまだ体に残っていた。 5年前、まだ完成がほど遠かった頃に函館でラッシュ上映会をやってくれた方々に完成した映画をようやく観てもらえること、今回が北海道で初めての自主上映ということなどで私はドキドキ、ワクワクしていた。

いったい、どのくらいの人が観に来てくれるのか、どんなふうに観てくれるのか。 「収穫の 大地を縫いて いざ函館」

途中、二風谷の高野さんの店に寄った。

高野さんはアイヌ紋様の彫師。

お盆や小刀の柄など生活用品に素晴らしいアイヌの模様を彫る。

残念ながらこの日、アイヌ刺繍をする奥さんは留守だった。

久しぶりだったので映画が完成したことなど、近況を報告。

高野さん

店の壁にトンコリらしきものがつるされていた。

ただ今製作中とのこと。

高野さんはトンコリについて話し始めた。

この楽器は、元々は子を亡くした母親のための楽器だった。

天国の我が子と交信するための楽器で、母親は子を亡くした悲しみをトンコリを弾くことで癒していたという。

だからトンコリは人間の形をしている。

頭、首、胴、ヘソ(穴の部分)、腰(アザラシの毛がある部分)、足。中にはトンボ玉が入っていて、トンコリを揺らすとカランコロンと音が鳴る。このトンボ玉は魂だそうだ。 もう一つ、アイヌコタンにはシャーマン的な女性が一人いて、その人がトンコリを使って神と交信し、神の言葉をコタンの人たちに伝えていたという。 弦は鹿の腱を使う。

これをつくることができるのは日本で高野さんの奥さんしかいないということだ。 トンコリについての興味深い話を聞き、私は高野さんと別れ、函館へと車を走らせた。

17:00。高速道路を使い、途中休憩をしながら、よくやく函館に到着。

やはり遠かった。

実行委員会が用意してくれた宿にチェックインした。

今晩、今回の上映会を主催してくださる函館映画鑑賞協会の方々と夕食をすることになっていた。 間もなく、佐々木さんが迎えにきてくれて、居酒屋に歩いていく。

当日司会をする田村さん、事務局の境田さん、ユニバーサル上映の日本語字幕をつくった橋本さん、野村さん、木澤さんなどが集まった。

みんなで明日の上映会に想いを馳せながらの愉しい晩餐だった。

店を出て、もう一軒行こうということになった。

橋本さんの馴染みの店にみんなで行った。

看板のないバーだった。

なかなかいいお店だった。

ウイスキーでもキュッといきたいところだったが、居酒屋で生ビールを2杯飲んだし、明日本番なので私はコーヒーにした。

函館実行委員会の方々が温かく迎えてくれたこと、そして、函館映画鑑賞協会の29周年の記念上映会に「空想の森」を選んでいただき、一人でも多くの人に見せたいと思い、みんながこの上映会に向けて、大変力を入れて取り組んでいただいたことに私は胸がいっぱいになった。

滋賀県大津市・カフェテリア結にて 2009年10月21日

「空想の森」感想いろいろ 2009年10月21日・滋賀県大津 カフェテリア結にてー成安造形大学内― 上映してくれた人 : earthi.shop. 原田 将さんと仲間の人たち ありがとうございました!

広々とした大地とさわやかな空気感。生き生きとした人達。絵をみているような映画で素敵でした。 (58歳・男性・会社員)

素晴らしかったです!新得で3年間暮らし、とてもなつかしい気持ちと、また、何か新鮮な気持ちになりました。お金がなくてもおいしい野菜や食べ物がある幸せ。新得を離れ、地元に帰ってきてちょっと忘れかけていた自分にがっかりです・・・。農業をする女性は皆素晴らしい!たくましい!書ききれないですが、とても感動しました。ありがとうございました。 (29歳・女性・飲食店勤務)

農と共に生活をする人々のいきいきとした姿がとても幸せそうでした。共同生活をすることにとまどいながらも、農ある暮らしから離れられない。自然と共存する人々の心の豊かさ、楽しさは、私にも得られるだろうか。考えさせられる映画だと思いました。 (31歳・女性・主婦)

聡美さん、あかりさんを片手に片方の手で両手分の仕事をしていてたくましい・・・素晴らしい・・・その手から生まれる大根・にんにく、とってもおいしそうでした。たぶん聡美さんと同世代、自分のいる場所の理念・・・(信仰)と自分がずれた時にどうしていくのか、その迷いはとてもよく分かるし、どうやって答えを見つけるのか、少し緊張しながら見ていました。聡美さんの見つけた「今ここ」の感覚。私には見つけられるだろうか・・・それは地べたを這いずりまわって自分に問い続けるしかない・・・そのことがたくさん伝わってきて、見て良かったです。 (女性)

良かったです。ふだん映画とかはほとんど見ませんし、まして「お金払ってまでして出かけて行く」こともしません。ドキュメンタリー作品というのは、NHKでやっているのとかを見るくらいです。でも、これは良かった。完成度は高い方だと思います。上映した場所が、木造の開放的な空間であったことで、映画の中の北海道の自然や農家の内、室内空間とも非常に自然につながって・・・ものすごく自然に見れましたし、長かったけど退屈しませんでした。臨場感(というのかな、これは)がすごく感じた。自分もあの場にいて、宮下さんや聡美さんたちと一緒に作業したり、手伝ったり・・・している感じになった。不思議です。シーンとしてはやっぱり、聡美さんと赤ちゃんが畑で草とりしている所が良かったです。私も農家の嫁なので、母が若い頃あんなふうにしてくれてたのだなーと思い出して、泣きました。私も将来、あんなふうに子育てをするように思いました。それから私が海外の有機農家をまわって色んな人たちと農場で共同生活していた時のこととかを思い出しました。「農と食と環境と・・・+藝術と・・・」いろんな可能性がある「農」を私も追求していきます。今日わざわざ見に来て・・・期待とか何もしていませんでしたけど、良かったです。 (女性)

どこかなつかしい映像にゆっくりできました。きれいな映像、風景に感動いたしました。 (無記名)

畑をはじめて、野菜づくりの楽しさや喜びを実感し、これから家族の在り方のヒントになればと、みにきました。他の家族の葛藤やいろいろな心境を垣間見たようで、励まされました。 (31歳・女性・主婦)

普段何気なく買っている物が、こんなにも手間がかかって作られているんだなあ。 (33歳・男性・ヨットハーバー勤務)

映画を上映する「場」の持つ「力」もあるのかなあと、あらためて思いました。お世話になってます。ありがとうございました。 (32歳・男性)

人間の幸せや本当の豊かさについて、深く考えさせられました。生きることってこういうことなんだろうと思います。今の時代、人々は本当に大切なものをどこかに置いてきちゃったんでしょうね。人々の生活をかざることなく撮られた映画なのに、これだけ観る者を引きつけるのはなぜなのでしょう。なんてことも思いました。 (45歳・男性・会社経営)

来春から(3月31日に退職予定)無農薬野菜の販売と子育てサロンをしたいと思って、まず器(店舗)から考えていて、たまたま昨日商工会へ行き、チャレンジビジネスの話を聞きに行った。商いって現実的でむづかしく、自分は何からしたいのか、何がしたいのかわからなくなっていました。でも、今日映画を拝見して、自分も無農薬野菜がどうして作られているのかまず体験してみることが必要かと思えました。そして聡美さんが子どもを脇にかかえながら子育てし、土の上をハイハイさせたり、お母さんのたくましさに感動しました。 (57歳・女性・公務員)

1年前から観たかったのですが、機会がありませんでした。今年の新得の映画祭に行くチャンスはあったのですが、断念せざるを得ず、今回やっと観ることができました。「貯金はないけど、蒔はいっぱいあるよ」の所と、やはり畑の中のハイハイあかりちゃんの所が、やはりとてもよいです。名古屋にも家族で見に行きます。ではまた。 (無記名)

北海道というと夕張市のイメージが強かったものですから、新得町の試みを知り、新鮮に感じました。農とかかわりがなかった田代さんが、農業者に注目されるとともに、「おいしさ」の理由、意味を感じ直されていった過程を興味深く思いました。 (28歳・NPO職員)

滋賀にも、私の回りにもすばらしい人達と仲間がいっぱいいて同じように楽しくいきています。その中で今の社会の問題と自分を見つめて、未来をつくっていきたいです。 (28歳・女性)

当たり前のことだけれど、とても大切なことをたくさん気付くことが出来ました。人と人のつながりの中でお互い協力して生きていくこと、子供を産み育てていくこと、一人一人自分の心の声に耳をかたむけて、自分に素直に生きていくこと、ステキだと思いました。本当の幸せって何なのか・・・私も自分の気持ちに正直に考えつづけていきたいです。誰かよりも勝つこと、誰かに良く思われるように・・・目立つように・・・1番に・・・そういう価値観を全て洗い流したいと思いました。自然の一部として人間はいるのだから原点に戻りたいです。そのままの自分でいれる場所や仲間にかこまれて生きていきたいと思います。 (26歳・女性)

普段スーパーで野菜を買っていると、生産者が存在する事すら忘れてしまいます。素直においしい野菜を食べたいなーと思いました。特にカボチャがおいしそうだった。 (35歳・女性)

悩みながらも着々と生きている聡美さんの姿がとても印象的でした。 (29歳・女性・会社員)

「共に暮らす」ということを改めて考えます。大事なこと、自分で大切にしたいことがたくさんつまっていました。 (30歳・女性)

とても胸があたたまる温かい映画でした。私も小さな畑を借りて野菜を作っているので、農のある暮らしはこれからしていきたいと思っています。 (28歳・女性・会社員)

地味で単調に見えがちな農作業ですが、日々はただ繰り返されるだけでなく、小さな変化を重ねてたくましく生きる人々の姿を感じました。食べる物は勿論、手を通してつくられるものを改めて大切に思っています。 (36歳・女性・モザイク作家)

旅する映画 その40 空想の森映画祭2009

14回目の空想の森映画祭が無事終わった。

よくもまあ、続いているなあとしみじみ思う。

14年前のこの映画祭で、私は映画とシアワセな出会い方をしたと今思う。

このような出会い方であったからこそ、私は映画をつくったのかもしれない。

完成した映画は、公開から一年以上が過ぎた。

各地で上映を続けながら、「空想の森」も間違いなくこの時代から生まれた映画なのだと強く感じている。

私のベースはこの空想の森映画祭だと改めて思った今年の映画祭だった。

旅する映画 その39 九月の風に吹かれて

風に吹かれながらつらつら思う。 モノゴトは記録しなければ、なかったことのように人の記憶から忘れ去られていく。 記録したいもの、または記憶したいもの、あるいは未来に向けて残しておきたいものを、人は様々な形で残そうとしている。

一つのモノを完成させること。 それは自分を分析し、自分と他者との違いを認識・理解していく過程と同じ要素がある。 と最近私は気がついた。

完成したモノはその時点でのその人の集大成。 人間は生ものだから、モノが完成してからも、精神と肉体は刻々と変化していく。 そしてまた、自分と向き合い続ける。 きっと生きている間は、常にそんな作業をやり続けるのだろう。

記憶。 それは本人の心の中にしか映っていないもの。 同じモノを見たとしても、その見方・感じ方は人それぞれ。 十人十色。 自分にまつわる記憶をいかに認識し消化するのか。 生きていくための大事な作業だと、最近つくづく思う。

一人として同じ人がいないのに、 映画を観て共感してくれる人が少なからずいることは、 私にとって大きな喜びであり、原動力になっている。