2009年7月19日。
9:30を過ぎると、ロビーにはチケットを買う人たちの長蛇の列ができていた。
映画館に人がいっぱいいるだけでウキウキしてくる。
その列の中に、大津の原田将さんと彼の友人3人もいた。
日曜の朝にわざわざ大津から観に来てくれた。
原田さんを中心に、彼らは10月21日、大津の成安造形大学のカフェテリアで「空想の森」上映会を企画し準備している。
東眞理子さんが高校の時の先輩で友人の松原さんといっしょにまた来てくれた。
録音スタッフの岸本君も妻のりよさんとその友人といっしょに観に来てくれた。
舞台挨拶をいっしょにしようと誘ったが今回は遠慮するとのこと。支配人の横地さんに岸本君を紹介した。
そして今日は「空想の森」も50人弱の人で賑わった。
まずまずの客足にほっとした私は岸本君の横に座り、並んで観た。
京都シネマで岸本君といっしょに観られるシアワセをかみしめた。
しかし今日は音量を上げたのか、やけに音が大きく感じた。
明日からもう少し絞るように伝えなくては。
上映後の質疑応答。
横地さんがこのような自主製作映画をもっと上映していくようにしていきたいことと、
劇場での上映から自主上映につながって欲しいということを言った。
嬉しかった。
そして質疑応答。
定時制高校の若い先生が手をあげた。
彼はぜひ自分の高校で上映をしたいと言った。
最高に嬉しかった。
この日の質疑応答はやけに活気があってよかった。
上映後、ロビーで大勢のお客さんに声をかけられた。
岸本君とはまた後で連絡するということであわただしく別れる。
大津の原田さんたち、眞理子さんたちにはロビーで待ってもらった。
大学の教授をしている方、これからチーズをつくって暮らしていきたいと考えている青年が、ぜひ自主上映をやりたいと声をかけてくれた。
それから、甲賀映画祭の実行委員の青年3人が声をかけてくれた。
3月に私が彼らを訪ねた時、一緒に飲んだメンバーだった。
来年の甲賀映画祭でぜひ上映したいと言ってくれた。
わざわざ観に来てくれたのがとても嬉しかった。
定時制高校の先生とも話し、ぜひ上映を実現させましょうということになった。
やはり観てくれたお客さんから直接その言葉を聞くことが何より嬉しく、力が湧く。
お客さんとの話を終え、原田さんたち若者4人と眞理子さんと友人の松永さんとみんな一緒に地下の中華の店にランチに行くことにした。
上映後、まだ話し足りない人がいたら、たいてい私はその人たち全員でランチやお茶に行く。
それが結構おもしろい。
私たちは大きな丸卓を7人で囲みランチセットを注文した。
初対面の人が多いので自己紹介をした。
現在、原田さんを中心に大津で「空想の森」上映会が準備されている。
若者たちはその実行委員会のメンバーで、みんなそれぞれ違った形で原田さんとつながりがあることがわかった。
眞理子さんは、「空想の森」の英語字幕翻訳をした私の友人、山之内悦子さんの友人で、数年前の山形映画祭で悦ちゃんから紹介された。それからの付き合いで、映画が完成する前から協力してくれている人だ。
松永さんは眞理子さんの先輩で、とてもユニークな人だった。年齢差が結構あったが、すぐにみんな打ち解けて話が盛り上がり弾んだ。
これも上映の醍醐味の一つだ。
その後私は岸本君の新居を訪ねることにした。
彼は6月に結婚し新居に越したので「遊びにきてや。」と誘われていたのだ。
この日、眞理子さんが大学生の娘さんを梅田まで車で送ることになっていたので、それに便乗させてもらうことになった。
途中スコールのような激しい雨が降ってきた。
しかも道路は渋滞。
しかし京都市内を抜けるとスムーズに大阪まで流れた。
19:00頃梅田で岸本君と合流し、彼の家の近所のモツ鍋屋へ。
奥さんのりよさん、彼女の友人で今日映画を観に来てくれた南さんと4人で食事をした。
私は大盛況でお客さんの反応もよかった上に、自主上映をやりたい人が3人もいたので気分も高揚していた。
岸本君も嬉しそうだった。
楽しく美味しい夕食だった。
そして岸本君の新居へ。
彼の独身時代の東京のアパートには何度か行ったことがあった。
そのアパートとは大違いで、結構広くてとてもきれいな部屋だった。
「コーヒーいれましょうか?」と岸本君。
コーヒーミルに豆を入れガリガリとひく。
そして細口のコーヒーポットに湯を入れ、鴻野式のドリップパーでコーヒーを落とした。
なかなか本格的だ。
コーヒーの入れ方は、撮影や編集の作業でいっしょに生活している時に私が教えたのだ。
そして、アイスコーヒーを出してくれた。
苦味があってとてもおいしかった。
それからひとしきり映画のこと、今の仕事や生活のことなどを話した。
気がついたら、京都に帰る終電の時間が過ぎていた。
「泊まってゆっくりしていきーな。」という岸本君の言葉に甘えることにした。
彼は「空想の森」を最後にきっぱり映画をやめた。
そして実家の稼業・果物問屋を継ぎ、毎日朝早くから夜遅くまで一生懸命働き、りよさんと所帯を持ち自分の暮らしをつくりはじめていた。
いい男になったなあと思う。
きっとこれからも色々な困難があるだろうが、彼なら乗り越えていける。
そう私は感じる。
天井をみつめながら、一方でもう二度と岸本君といっしょに映画をつくれないことを改めて実感し、悲しいようななんともいえない気持ちになる。
しかしお互い別々の道を歩くけれど、この先も一生仲間であることには変わりはないと思った。
Leave a Reply